第36話 踏み出す一歩
「この竜の眼がグラムヴィント様のものだと知られるわけにはいかない。ましてやグラムヴィント様の力を宿したなど誰にも言えない」
「でも、その右眼はバレそうですけど……」
ベッドサイドに腰掛けて、抱き合っているフリードさまの右眼が愛おしくて触れながら聞いた。
「だから、癒しの魔法は途中で止めてもらっている。怪我でこうなったと押し切るつもりだ。実際、俺の本来の右眼はグラムヴィント様の爪にやられてもう見えなかったからな」
顔の右側は、確かにグラムヴィント様の爪痕が残っている。その時に右眼が潰れてしまったのだろう。
「じゃあ……今は、癒しの魔法は?」
「かけないで欲しい。これくらいなら問題ないのも本当だ。今は、俺よりもこの崩壊で重傷者は他にもいる。そちらに回したほうがいいんだ……リューディアには、悪いが俺もそろそろ現場で指揮を執らねばならない」
名残惜しい。側にいて欲しいけど、フリードさまには大事な役職があるのだ。
「せめて右眼に包帯だけでも巻いておきます」
部屋には救急箱も置いてあった。自分で手当をするつもりだったのだろうか。その中から、包帯を取り、右眼を圧迫しないように巻いていった。
その間も、フリードさまがここは一ノ城だと教えてくれた。一ノ城も一部は崩壊しているけど二ノ城の壊滅状態ほどではない。だから、私もここに居させてもらえている。
フリードさまも、今夜はここに泊まると言った。
「……フリードさま。……その……レイラお義姉様たちは?」
「……捕らえられている」
「そうですか……」
捕らえられているなら、地下牢だろう。グラムヴィント様の側にいるためにずっとお城にいたから、場所は知っている。正直言えば、実家のウォルシュ伯爵家よりも城にいた方が私には長いのだ。
考え込む私を、不意に「リューディア」と呼ぶ。顔を両手で添えられてくすぐったい口付けがくる。
「休む時間になれば、ここに戻ってくる……」
「はい……お待ちしてます」
そう言って、フリードさまは行ってしまった。
でも私にはやることがある。グラムヴィント様の、冷たい竜輝石に触れるとこのままで済ましたくない。
フリードさまが出て行ってすでに数十分経った。
もう廊下にもいないはずだ。彼には、私のしようとしていることは知られたくない。
「いま仇を取りますからね」
竜輝石に言ったって、もうグラムヴィント様には伝わらないのはわかっている。それでも、言わずにはいられなかった。
静かに扉を開けて廊下に出る。廊下の窓を見ると、城の客室の一つだとわかる。
一階に行けば、地下牢までの場所はわかる。そうして、廊下の階段へと向かった。
階段が見え、降りようと曲がると、そこにはフリードさまとウルリク様が立っていた。思わず、びくりと身体がこわばる。ウルリク様の腕には、白き竜が眠っている。
「思い過ごしであればいいと思ったが……」
軽く拳を作り、額に手を当てて考え込むフリードさま。そして、ウルリク様に「もう行っていいぞ……」と伝えると白き竜を私のいた部屋に連れて行った。
どうやら、崩壊した水路から溢れた水をずっと押し出す手伝いをしていたが、疲れて眠ったらしい。それを、私の部屋で休まそうとして、連れて来たところをフリードさまにここで呼び止められていたらしい。
「どうしてここに? お仕事に行かれたんじゃ……」
「リューディアこそ、何故部屋を出た? レイラたちのところに行くつもりじゃないのか?」
私が今から何をしようとしているのかフリードさまは気付いていた。知られたくなかったけど、不思議と慌てることは無かった。
「……あの二人は許せません。このままでは、グラムヴィント様が心穏やかに眠ることなどできません。私は……仇を討たなくては……」
「グラムヴィント様は、そんなことを望んではいない……」
そう言うと、一呼吸置いて話を続ける。
「……リューディア。今まではずっと籠の檻の中での生活が普通だったかもしれないが、これからは違う。あの隔絶されたような世界とは違うんだ」
「でも、私にはグラムヴィント様がすべてでした……」
「だが、今は違う。あの二人のために手を汚す必要はない。強くならないと……隙を作れば人の世界などすぐに足元をすくわれるぞ。隙を作れば人はそれを利用しようとする」
「なんの価値もない私を利用する人なんて……」
「リューディアは竜聖女だ。それも、グラムヴィント様の最後の竜聖女だ。竜機関もこの国もリューディアを手放すとは思えない。グラムヴィント様の声を一番聞いていたのはリューディアだけなのだから……あの二人を殺せばそこに付け込んで、リューディアを一生この国に捕らえるかもしれないんだぞ」
それは、グラムヴィント様が望んだことなのだろうか。
私を自由にしてフリードさまに出会わせたのは、暗殺とかそういうことじゃない。
頭の中で『それは違う』という声が響いている気さえもした。
「リューディア。今は辛いだろうが、一歩踏み出すのは自分でしなければならない。それが、生きていくということだ。リューディアが、仕事を探そうと自分で考えていたように……そのかわり俺はそのための手助けはしよう」
なにも考えてなかった。あの二人を殺せば、グラムヴィント様の無念が少しは晴れるかと思った。でも、違ったのかもしれない。思い出せば、あの荒れ狂っている状況でグラムヴィント様は私を止めた。彼の気持ちを無視しようとしたのは私だった。
そのうえ、フリードさまにも迷惑をかけるところだった。
このどす黒い感情の中で、一歩も動けなくなるところだったのだ。
もう、あの時間が止まったような穏やかな籠の檻はないというのに……。
「……部屋に帰ります」
「そうしてくれ……」
落ちた涙をこらえて踵を返そうとすると、フリードさまが私の名を呼ぶ。振り向こうとすると、彼の手がトンと壁に当たる。壁と彼に挟まれると、唇を重ねられていた。
「……一人で部屋に帰れるな?」
「……帰れます……」
強くならなくては……ゆっくりと唇が離れると、そう意志確認するように聞いてくるフリードさまに返事した。それに私も一歩を踏み出した。
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