第3話 竜聖女と漆黒将軍
「グラムヴィント様……」
翌日、いつもよりも早起きをしてグラムヴィント様の鱗に覆われた身体を拭いていた。
少しだけ浄化の魔法をかけたきれいな水とモップで拭くのだ。はたから見たら、ただ掃除しているように見えるだろう。それくらい、グラムヴィント様の体は大きいのだ。
グラムヴィント様は、すでに冬眠に入ったのか眼も開かない。その瞼をそっと撫でた。
これでは、お別れも言えないわね……最後に、お礼ぐらいは言いたかった。
グラムヴィント様がいたから、私は一人ではなかったのだ。
名残惜しい気持ちでモップを洗う。いつまでも私がここにいるわけにはいかないのだ。
私は、今からこの場所から去るのだから……。
部屋には、昨夜荷物を詰めた古びたトランクが一つ。この場所に十年前に来た時に持って来たものだ。
私の荷物をほぼ増やさなかった家族のおかげでトランク一つに荷物は収まっている。
これなら、一人で持っていける。そう思い、トランクを持って部屋を出た。
馬車乗り場まで歩いていると、廊下を物凄い勢いで歩いてくる集団が目に付いた。
一直線にこちらに向かっている。びっくりして思わず、廊下の壁に避けた。
グラムヴィント様に何かご用かしら? もう眠っているから起きないと思うけど……。
そうお伝えしようと思うと、集団の先頭の真っ黒のマントの男性が私の前でピタリと止まる。
それに合わせて、後ろの騎士たちもピタリと止まった。
漆黒の騎士の服に真っ黒のマント。ハーフプレートまで漆黒のように黒い。彼の黒い前髪が少し目にかかっている。その黒髪の間から、少しだけ薄い灰色の瞳がキリッとして私を見下ろしていた。
すごく大きい方だ。
そんな単調な印象を頭の中で呟いていると、目の前の彼が後ろの集団に「下がれ」と指示した。そして、私に振り向く。
「竜聖女リューディア様」
「……竜聖女は解任されました。今はただのリューディアです。どなたでしょうか?」
「失礼いたしました。私は、ヴィルフリード・オズニエルです」
「……ヴィルフリードさま……?」
私が結婚することになったヴィルフリード様なのだろうか? 将軍だから、もっと年上だと思ったのだけど……。
目の前のヴィルフリードさまは、20歳後半ぐらいに見える。
「リューディア様。私をご存知でしょうか?」
「……将軍のヴィルフリードさまですか? 私と結婚するという……」
「そうです……ですが、結婚はお考え直したほうがよろしいかと……私とあなたでは釣り合わない。それをお伝えに参りました」
「そう……ですか。そうですね……」
いきなり結婚の断りをされてしまった。
ヴィルフリードさまは、将軍という立派な職についている方だ。私のような竜聖女も解任されるような令嬢は釣り合わないのは本当だ。
「では、結婚はなかったことに……?」
「そうしてください。エディク王子には私の方から、お伝えします。必ず説得いたしますので……」
「わかりました……ご丁寧にありがとうございます」
ニコリともしない彼だが、丁寧な物言いに不愉快さはなかった。むしろ、私にわざわざこんな話をしに来てくれたと思うと、こちらが申し訳なくなる。
近くで控えている騎士たちを見ると、仕事の忙しい中きてくれたのだろうなぁ……と思うのだ。
ペコリとお辞儀をしてそう言うと、ヴィルフリードさまは、私のたった一つのトランクに手を出した。
「馬車までお送りします。他の荷物は、部下に持たせますので……」
「荷物はこれだけです。部屋にはもう何もありませんから……ですから、どうぞそのままで……」
「……そうですか。お気になさらずに。荷物ぐらいはお持ちします」
そう言って、「さぁ」と私を馬車乗り場まで送ろうとするヴィルフリードさま。後ろには騎士たちがお供のように付いてくる。
結婚をお断りして、申し訳ないと思ってくれているのだろうか。そんなこと気にする必要なんてないのに。
もう一度来た廊下を見ると、もうグラムヴィント様は見えない。見えるのはあの巨大な籠の頭部分だけ。
「失礼。騎士たちが気になりますか? 少し離しましょうか?」
「いえ……グラムヴィント様に挨拶ができなかったので気になって……騎士さまたちはお仕事ですから、気にしていません」
他人行儀な会話。お互いが気を遣って言葉を交わしている。そして、無言になったまま歩いた。
結婚をしないのに、一緒に歩いていることが不思議に思う。
彼は、私の歩幅に合わせて歩いているのか、時々私を見ている。それを不思議そうに思い彼を見てしまう。でも、彼の表情が崩れることはない。
その無言のまま馬車乗り場に辿り着き、ヴィルフリードさまがトランクを中に入れる。
そして私が乗り込み、窓を開けてヴィルフリードさまにお礼を言った。
ヴィルフリードさまは、結婚を断ったことに申し訳なく思っている表情を見せて私の顔を出した窓辺にそっと手を置いた。
「お荷物をありがとうございました。結婚のことも気にしないでくださいね。私は一人でも大丈夫ですから」
「……リューディア様」
「リューディアで大丈夫ですよ。私はもう竜聖女ではないのですから」
「……では、リューディア。もしよければお詫びになにかいたします」
「ヴィルフリードさまが悪いわけではありません。ですから、何もいりませんよ」
そう。彼は何も悪くない。悪いのは私だ。
竜聖女を解任された私は、今までの竜聖女と違いクビということなのだ。
これは不名誉なこと。そんな女と名誉ある将軍さまが私と結婚など、不釣り合いそのものだ。
「ヴィルフリードさまが、良いご縁ができるようにお祈りいたします。……では、ありがとうございました」
「お気を付けて……」
窓から、少し照れながらもヴィルフリードさまに小さく手を振ると、彼も小さく手を振り返してくれた。
それに少しだけ笑みが零れる。でも、ヴィルフリードさまが笑うことはなかった。
ただ、馬車が見えなくなるまでずっと見送ってくれていた。
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