静止線

 これがほんとうの左様ならなのか、いつもほんとうの左様ならなのか、それだけを尋ねている。左様ならのありかはどこ? いつかはほんとうの左様ならが訪れる。それはいつ? わたしを褒めてくれる人がわたしの周りにはいて、そのさらに周りにはわたしを嫌う人たちがいる。その外側には、わたしを好きだと言う人たちがいるのだろうか。何層にも重なり合った世界のなかで、境界をなくしたわたしに手を差し伸べる人がいる。すれ違うあなた、その心は今わたしに話しかけなかったろうか。否定のなかに肯定を読み解いて、人のこころがそんなに残酷ではないことを確かめる。息遣いはすべてを教える、挙措のひとつひとつまで。わたしという形が溶けて空に向かってなくなっていく時、わたしは何者かに支えられていることをふと感じる。こころが一つしかないものであれば、わたしはけっして生きていられないだろう。なくなりかけたものを、それら(彼ら)は補う。やがて感じ合う時があることをもとめて。信じあうことは、限りなく遠く果てなくて、手を伸ばしては届かないそこへと向かってあがき続ける。わたしがひとつの嘘をついているとすれば、それはわたしが苦しいふりをしているということだ。生きることの重さを確かめ合う者たちは、手を触れずに呼吸からすべてを感じ取る。これはほんとうの左様ならなのか、いつがほんとうの左様ならなのかと、わたしはわたしではない者にこころのなかで訊いている。わたしのなかで何者かがかすかにささやくのだ、「否」と。それはわたしのなかに生まれた誰かのこころなのだろう。わたしだけではけっして生まれ得なかった……。

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