第一章 竜神誕生
第3話 分岐点
「おとうさんッ! いや! 一緒じゃなきゃいやなのッ!」
「アムネ……あとで、あとで会える。だから今だけはお父さんの言葉をきいてお母さんと一緒にいような?」
いやだ。おとうさんはいつもと違う顔をしている。なんだかもう会えないような気がする。
「おかあさんッ!」
おかあさんを見ると涙を流していた。もう何もいえない。もうワガママはだめだ。わたしはいい子でいなくちゃいけない。
「……わかった」
「アムネは、賢いな」
おとうさんはわたしの頭を優しくなでてくれる。
「エイラ、後は頼んだぞ!」
おとうさんがおかあさんの名前を呼ぶと二人は抱き合った。
「任せて! ——愛してるわ、あなた」
「……俺もだ」
おかあさんがわたしを抱っこする。
おかあさんはわたしを抱っこしながら走っていた。わたしは夜で何も見えないけれど、おかあさんは暗くても見えているみたいだ。森の中の地面はデコボコしていて体が揺れて少し気持ち悪い。
でも、がまんできる。おかあさんの涙がわたしのほっぺたに落ちた。おかあさんのこんな姿を見たのは初めてだった。
わたしがいい子でいれば、おかあさんも元気になるはず。
お母さんの胸にしがみつきながらそんなことを考えていた。
◆
ベイルは走り去っていく愛しの娘と妻の姿を見た後、暗視の魔法を持続しながらそれとは逆方向に走り出す。
——探知された。恐らく人物、場所、人数を事細かに特定できる類の精密な探知魔法だ。
ベイルの魔力波形は人族側にバレている。すぐに人族の兵士が殺到するだろう。
何よりも大切な娘だけは守らなくてはならない。
妻のエイラの美しい銀髪に、ベイル譲りの宝石のような碧眼を持つ可愛いい娘の為なら命も惜しくない。エイラも同じ考えのはずだ。
走っていると次第に一人、また一人とベイルの探知魔法に引っかかる。距離は遠いがベイルを中心に包囲網を築いているようだ。
本来人族など敵ではない。だがあの男——魔王様の命を奪ったあいつだけは別だ。
突如魔法がまともに使えなくなり、二人の四魔天含め、魔族の兵士たちは
奴もベイルを殺しにくるはずだ。既に一人の四魔天が、僻地の魔族の民を連れて逃亡に成功している。
魔王城付近に住んでいた妻と娘はその時には逃げられなかったが、その四魔天の行き先は伝えられている。
アムネらが着くまで1秒でも時間を稼ぐ。それが、ベイルのなすべき使命だ。
ベイルが足を止める。周囲には巨木か根を張っており、多数の葉が陽光を遮り不気味な薄暗さを醸し出している。
死地特有の緊張感が体を支配し、心臓が早鐘のように鳴り響く。
「何処だ……、何処から来る?」
ベイルが全神経を集中させ警戒していると、遠くの方で魔法発動の際に現れる魔力の波を感知した。
何が——。そう思いベイルが視線を四方八方へ向けていると、空中に巨大な魔法陣が現れる。そこから生み出された球体のようなものがチカチカと点滅しながら光を放っている。
——光球が急激に膨張し、瞬間的に発生した白光が目の前を覆い尽す。
数秒後、ゆっくりと目を開け空を見ると、そこには太陽と見間違うような光球が現れていた。
設置型の光源創造魔法だ。魔力の消費量が膨大すぎて極めて短時間しかもたないはず。
つまり——
「来たッ!」
遠くの包囲網に一際大きな魔力反応。一直線にこちらへと向かっていく。
「速い……、速すぎる」
一秒間隔で展開される探知魔法。探知するたび奴との距離が大幅に縮まっている。
あと数秒で接敵だと思っていた。だが次の探知で示された場所は——
「ッ!?」
奴が左脇から途轍もない速度で肉薄してくるのを視認する。咄嗟に魔法を構築し、地面から天に向かって氷の壁を形成する。
しかしその氷壁は一瞬にして横一文字に両断された。それを行ったのは呪剣としか思えないほどの禍々しき一振りの剣。そして、魔王様を殺害した憎き人族の男。
遠方から遠視の魔法で一眼見ただけだ。だがその顔は脳にしっかりと焼き付いていた。
「さすが四魔天だな。流石に今のでは殺れないか……」
闇を体現したような黒髪に、血と同色の感情を宿さぬ瞳、そして紺色のコートを見に纏う男が抑揚のない声を発する。
「お前……魔王様を殺した人族だなッ!? 俺の名はベイル・セネスライト、氷河の二つ名を与えられた四魔天の一人だ! 魔王様の
何とかして時間を稼げないか。
ベイルは思考を加速させながら、無理やり引き伸ばしたセリフを目の前の男に言い放つ。
「あぁそうだ……魔王の首を跳ねたのは俺だ。俺の名前はギルバート。申し訳ないが死ぬわけにはいかない。人族の勝利の象徴である勇者として、俺はお前を殺す」
言葉では時間を稼げない。
——なら勝つ、生き残る、妻と娘にもう一度会う。ベイルは何度も何度も心の中で反芻し、心の炎を焚べる。震える体を叱咤し、魔王様を殺しておきながら勇者などと語る男を睨み付ける。
目の前の男——ギルバートがゆったりと洗礼された動作で剣を構えた。
ベイルの人生最大の分岐点。妻と娘、愛しの家族のための戦いが今、始まろうとしていた。
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