1、ひねくれ魔女はひねくれるのが日常
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「なんなんだ、あのひねくれ魔女は」
「まあまあ、カルロさん」
アンナベッラにお礼を渡せなかった客は、大抵次の日、アンナベッラの隣の店のストルキオ商会で愚痴ることになる。
「カルロさんだけじゃなく、みんなにそうなんですから」
カウンター越しに相手をするのはストルキオ商会の跡取り息子ジャン。まだ十六と若いが、最近では商会長である父ピエトロの代わりに店に立つことも多い。
茶色い巻き毛に大きな瞳が人懐こい印象を与えるジャンは、面差しこそ幼いけれど客あしらいはなかなかのもので、さすが小さい頃から店に立っていただけあると評判になっていた。
「まったく、あの魔女は本当に素直じゃない」
今も父親ほどの年齢のカルロの相手を、ジャンは難なくこなす。
「それよりカルロさん、今日はなにをお探しですか? まさか、ひねくれ魔女の愚痴だけ言いに来たんですか?」
「いや、そうじゃない」
ジャンがに促されカルロは言う。
「昨日、怒りながら帰っていたら、道で会ったパン屋のイルマに言われたんだ。ひねくれ魔女にお礼をしたいならジャンに相談するのが一番だと」
「ああ、なるほど。それでここに」
ジャンは頷いた。
「一週間前、イルマのお父さんの杖をアンナベッラが見つけたんですよ」
「ほほう」
「お礼を受け取らないとイルマが困っていたので、僕からちょっとだけ提案をしたんですよ。そのことじゃないですかね」
商会のカウンターの向こうから、カルロが髭だらけの顔をジャンに近付けた。
「それだ! わしにもその提案をしてくれ」
「構いませんけど、そこまでして無理にお礼をすることもないんじゃないですか?」
アンナベッラに失せ物探しをしてもらったお客さんは、絶対にお礼をしようとする。ジャンにはそれが少し不思議だったが、カルロは当たり前のように言った。
「物には対価が必要だ。してもらうだけというのは気持ち悪いもんさ。ジャンも商売人の卵ならわかるだろう」
「まあそうですね。では、こういうのはどうですか」
ジャンはカウンターの下にあらかじめ用意してあった
柑橘のいい香りがカウンターの周りに広がる。
「いいアランチャだな」
「でしょう? これを僕がアンナベッラに届けます」
カルロは濃い眉毛を上げる。
「アランチャがお礼か? おいおい、もったいぶったわりに普通だな」
「もちろん、これだけじゃありません」
「他にもなにかあるのか?」
「アンナベッラは放っておくと、何日も水だけで過ごそうとするんです」
「水だけ? 魔女の修行か何かか?」
「いいえ、お腹が空きすぎるとご飯を食べるのがめんどくさくなるそうです」
「……」
「そこで僕が、カルロさんの代わりに差し入れします。カルロさんには実費と手間賃をいただきます。期間にもよりますが、一週間でこれくらい」
金貨一枚ほどの金額を示されたカルロは腕を組んだ。
「悪くない話だが、それはお礼どう違うんだ?」
「全然違いますよ。アンナベッラはお礼と名のつくものは全部拒否するので、お礼と言わないことが大事なんです。今のところこれなら全部受け取ってくれてますし」
「ふむ」
「カルロさんがアンナベッラに感謝していたことは、頼まれた期間内毎日話します。ようするに気持ちが伝わればいいのでは?」
カルロは腕を組んで考え込んだが、やがて納得したように頷いた。
「そうするか」
「前金でお願いします」
カルロは苦笑する。
「やり手だな。どうせその食べ物もストルキオ商会が扱っているものだろう?」
ええ、まあ、と笑いながらもジャンは付け足した。
「言っときますけど、あまりにも周りからアンナベッラがひねくれている、ひねくれていると言われるので考えた方法ですよ。ちゃんと父の許可も取ってます」
「確かにあのひねくれに対抗するにはそれが一番早そうだ」
「毎度あり!」
そんなわけで、ジャンは毎日、アンナベッラのところに食料を差し入れる役割を担っていた。
正直に言うと、半分は商売だが、半分は使命感で動いている。
なぜならジャンは見てしまったからだ。
お腹が空きすぎたアンナベッラが、街道の脇に生えている雑草を平気で食べようとするところを。
『な、な、なにしてるの?』
思わず、目が点にしてそう聞いたら、聞き返された。
『もしかして最近は食べないの?』
『昔から食べないと思うよ』
『えっ』
そこで驚くアンナベッラに驚くジャンだったが、よくよく聞くとアンナベッラの故郷の森では道に生えているものは食べられるものという認識があるそうだ。
それなら仕方ない……と思えるわけもなく、成り行きでジャンは、食料なら自分が運ぶから草を食べないようにアンナベッラを説得した。
『美味しいのに……』
『王都に来たのだから王都のやり方に合わせよう?』
というわけでジャンは今日も託された果物を持って、隣のアンナベッラの家に向かう。
「アンナベッラ、ジャンだけど」
扉には鍵がかかっているがジャンは遠慮なく大声で呼びかける。
「アンナベッラ! アンナベッラ! いるんだろ? いい加減起きろ!」
アンナベッラは起こさないと起きないのだ。
「起きないと店が開けられないぞ!」
店は夕方の短い時間だけ開けているのたが、ジャンの目覚ましがなければそのまま閉まっていることも多々ある。
何度かそんなことを繰り返して、ようやく扉が内側から開いた。
「おはよう……ジャン」
目を擦りながらそう言うアンナベッラの前髪には、見事な寝癖がついていた。
「顔洗って、髪の毛とかして。ご飯用意するから」
「いつもありが……スースー」
「寝るなっ!」
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