第3話 黒髪の少女


 いまだ鳴り響く雷鳴。

 地すべりを起こし、地形を変えてしまった土砂にも轟々と音を立てて降り注ぐ大粒の雨。


 崩れた土砂は周りの木々をなぎ倒し、流れ込んだ盆地を埋め尽くし沼へと姿を変えさせていた。

 そんな土砂の所々に見えるのは、巻き込まれた馬車の残骸。


 へし折れた木片、屋根を覆っていた幌、そして息絶えた馬。

 あまりにひどいその光景は、見たものに生存者の望みなど持たせない程絶望的な物だった。


 地すべりが治まった時には生き物の気配などなく。

 雷鳴と雨音が何事もなかったかのように続いていた、瞬間。


 盆地に溜まった土砂の一部が、文字通り「吹き飛んだ」。


 何かが爆発したかのような音が響き渡り、打ち上げられた土砂がバシャバシャと周りに飛び散る。

 その中心にいるのは少女。


 セリナだ。


 しかし、その様相は先ほどまでのセリナとは全く違う物だった。

 小柄な体、貧相でボロボロな服と言うのは同じ。


 問題は頭髪。


 汚れてくすんでいた金髪は黒髪へ。

 見るものを吸い寄せそうな翠眼は禍々しい光を放つ深紅の瞳へと豹変してたのだ。


 そして一番異様だったこと。

 それは彼女が空中に浮かんでいる事だ。


 熟練した魔導士でも難しい空中浮遊。

 杖や箒などの触媒を使用しても極めて難しいそれを、セリナは体一つでやってのけている。


 孤児院にいた彼女を知る者であれば、間違いなくこう言っただろう。

 「あれはセリナではない」と。


 埋まっていた上部の土を吹き飛ばし、ポッカリと開いた穴からスーッと上昇してきたセリナ。

 自分が開けた穴の縁までふわふわと飛ぶと、静かに着地した。


「むう、体が動かんから何事かと思えば……なんという事じゃ」


 この場に人が居れば、彼女の発した言葉で呆気にとられ、茫然としただろう。

 少女、小柄、黒髪、深紅の瞳、そして幼さ相応の可愛らしい声だというのに、発せられた言葉の口調は完全に老人のそれだったのだから。


「なんじゃこの木のデカさは。……これはガウリオン山か? とんでもなくデカい……いや違うの。この声……」


 両足を地に付けたまま、キョロキョロと周りを見渡し、自分の声に驚き、自分の手をまじまじと見るセリナ。

 すると、それまで不思議そうにしていた表情がみるみる険しい物へと変わってゆく。


「なんと、この身はおなごか! してこの状況。これは周りがデカいのではない。ワシが小さいのじゃな? がっはっはっはっは!」


 次第に周りの状況が理解できたらしく、最後には驚きと戸惑い、そして諦めがまじった笑い声を上げた。


「いや参った参った。切羽詰まった状況だったとは言え、まさかこのようなおなごに転生するとはのう」


 ひとしきり笑った後、視線をまわりに。

 そして雷鳴轟く豪雨の空へと向ける。


「やれやれ。天候操作は環境上よくないのじゃが。今回は緊急事態という事で。ほいっと」


 セリナはそうつぶやくと、両の手を空へ掲げ、ぶつぶつと詠唱を始める。

 すると、それまで続いていた雷雨がピタリと止み、分厚い雲がものすごい速度で移動を始めたではないか。


 夜よりも暗かった空は次第に明るさを取り戻し、数分も立たないうちに見事な夕焼け空へとその姿を変えていた。


「ほう、この娘……ぬっ!?」


 雲が全て散ったことを確認したセリナは、空へ掲げていた両手を下げる。

 同時に、なにかを探るような眼で自らの手を見定めた。


 が、急にふらつくと、立て直すことなくベショベショの土砂へ倒れ込んだ。


「いかんな。魔力、気力の前に体自体が限界じゃ。このままだと死んでしまうのう」


 いくら地上に出たとはいえ、地すべりに巻き込まれたセリナは重傷なのだ。

 あちこちの打撲に外傷。

 何ヵ所かは骨折もしているだろう。


 本来ならば立つ事すらも難しいはずなのだ。

 そんな死の縁にある状態にあるにもかかわらず、セリナが発する言葉は何処か他人事のようだった。


「ワシ、回復魔法使えんし。う~む困った。やれ、致し方なし。身体活性化で間に合わせるとするかの」


 続けて「寿命がちいっとばかし縮むが」とつぶやくと、セリナの体が淡く発光した。

 すると、目も当てられないほど痛ましかった体の痣が、みるみるうちに消えてゆくではないか。


 失血により青白くなっていた顔色も生気を取り戻す。

 と言っても、栄養不足ゆえか同世代の子供と比べればまだまだ良くないが。


「よし、これでもう大丈夫じゃろう。しかしこの体、この魔力……ふむ、転生の禁術は成功……いや失敗かの?」


 体の発光が治まり何事もなかったかのように立ち上がったセリナ。

 黒髪を風になびかせ、そこには顔色が悪く死に瀕した少女はどこにもなかった。

 セリナは再度深紅の瞳と小さな手で体の隅々を確認。

 時折驚きや感嘆の声を上げる。


「ふむ。だいたい理解したわい。さて、これから……何、みんなを助けてほしいじゃと?」


 ここでする事はすべて済んだ、と移動しようとした所、何かを思い出したかのように立ち止まる。

 声をかけられたように振り返り、深紅の瞳が見つめたのは、馬車が埋まった土砂。


「じゃが、この状況では……ふむ……」


 誰もいないはずなのに、まるで誰かと話すように自問自答するセリナ。

 すると、意を決したかのように両手を広げ、目の前の土砂へと振りかざす。


 すると、何ヵ所かの地面が爆ぜ、中から人が姿を現した。

 そう、地すべりに巻き込まれた馬車に乗っていた人々と御者だ。


 しかし、土砂の中から引き揚げられた体には生気がなく、ピクリとも動かない。

 むしろ人によっては地すべりに巻き込まれた影響で体が大きく損傷。

 とても生きているようには見えない。


「これで全員か……やり切れぬ気持ちは理解するが、冥福を祈る事しか出来んのう」

 

 土砂の中から引き揚げた人々を浮かしたまま、魔法で周辺一帯を整地。

 大きな岩や馬車の破片がない平らな場所を作ると、人々をそこへ静かに下ろす。


「これも運命じゃ。諦めろ、と言うのも野暮かの」


 まるで誰かに諭すようにつぶやくセリナ。

 その目には涙が浮かんでいた。


「本来であれば移動しようと思ったが、この子らを放っておくことも出来ん」


 息を引き取った子供達に視線を落とし、続けて森の方を見るセリナ。

 そこには案の定、死肉を食らおうと集まってきた狼の姿があったのだ。


「先程までの雨で匂いもなかったであろうに。まったく」


 集団で動くだけあり、狼の数は確認できるだけでも10を超える。

 それに対し今この場にいるのはセリナただ一人。


 小柄で身長も低いセリナは、狼たちからすれば障害ではなくもはや餌だ。


「来るが良い犬っころ。ワシの実験に使ってもらえる事、光栄に思うが良い」


 亡くなった子供たちを背に、狼たちへ2歩3歩と前に出るセリナ。

 狼たちは逃げようともしないセリナへ唸り声をあげ、一気に襲い掛かった。


「では小手調べじゃ」

「ギャイン!」


 狼の突撃に対し、腰を落とすセリナ。

 右手を腰の後ろへ回し、目の前へ迫る狼に向け、払う。


 すると右手から小さな火球が放たれ、狼に直撃、爆ぜた。

 

「次はおぬしじゃな」

「ギャン!」

「ふむ、これはどうじゃ」

「ギャオォ!」


 次々に襲い掛かる狼に対し、セリナは次々と応戦。

 右から来た狼へ左手で払い、氷の礫を放ち。

 左から飛びかかってきた狼へは、右の手を振りかぶり風の刃を作り出し両断。

 正面からの複数で襲い掛かる狼には両手をかざし、石礫の散弾を撃ち込み。


 数分の間に10数匹はいたであろう狼は僅か数匹まで数を減らし、森の中へと逃げていった。


「……去ったか」


 結局、その場から一歩も動かず狼を撃退したのである。


「ふむ、前世同様、全属性使用可能じゃな」


 狼が全て逃げ帰ったのを確認すると、姿勢をもどし満足そうな表情を浮かべるセリナ。

 そして、試すことはすべて終わったと言わんばかりに横たわる人々の元へと戻ってきた。


「さてしかし、こうなるとこの場を離れるわけにはいかんのう。じゃが明日には町の人間が様子を見に来るじゃろ」


 セリナはそう呟き、ステップを踏むように地面をける。

 するとセリナを中心としたドーム状の結界が出現。


 静かに地に伏す人々ごと周辺を覆い尽くした。


「これで安心じゃな。体が幼すぎるせいか眠い。寝させてもらうぞい」


 あれだけ子供離れした所業を行っておきながら、年相応に眠気を主張するセレナ。

 近くにあった倒木まで近づくと、魔法で幹をえぐり取り簡易的なベッドを作り出す。


「では、ワシは寝る。あとは任せたぞ、セリナよ」


 誰に語り掛けるでもなく言葉を発し、たった今作ったばかりのベッドに身を預け横になるセリナ。

 日が沈み、星と月が昇るころには、すやすやと穏やかな寝息を立てるのであった。

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