第39話 ブラック・マンバ(2)

「く、く、く、く……」

 恭一の口から、笑い声が漏れた。


 突然、部屋の温度が下がる。そして、それまでぬるく淀んでいた周りの空気が、冷たく硬質な空気へと変わった。


 霊感のある者がそこにいれば気づいたに違いない。

 ブラック・マンバのメンバーたちの背中に真っ黒な邪霊が憑き、緋村兄弟の間に巨大な黒い影が立っていることに――


 立ち上る瘴気が周りの景色を歪め、悪臭を放っていた。蟷螂かまきりと恐竜、それとコウモリをかけあわせたような醜悪な姿が黒々と浮かび上がっている。


 それは、十日前に虎徹と竜一に一度は撃退され、その後、恭一と運命の出会いを果たした悪魔ビゼムだった。


 日に日にでかくなるな――

 恭一は、悪魔ビゼムを見上げた。自分と契約を結んだからと言ってずっと一緒にいるわけではない。ふらっといなくなっては、強さを増して帰ってくる。人で言えば食事のようなことをしているのだろうが……。


 そんなことを考えながら、ビゼムを見ていると、目が合った。

「ここは居心地がいい。狂気と欲望に取り憑かれている者たちを見ていると気分がいいよ」


 地の底から湧き出るようなしゃがれた低い声が響いた。その声は恭一にしか聞こえていない。恭一は口の端をつり上げ、歯をむいてビゼムの目を睨んだ。


「そうか。それはよかった。だが、約束は守れよ。じゃなければすぐに追い出す」

「ああ。もちろんだ。お前を暗黒の王にする。そのためにも、お前たちの敵対するスカル・バンディッドを巻き込んで、この街に流血の争いを起こさなくてはな。さすれば、我の力も増す」


「ああ。だが、俺に指図はするな。あくまでお前と俺は対等な立場だからな」

「ふふふふ。そんなお主だからこそ、我は惹かれたのだ。そして、契約は結ばれた。お主の血と我の血で契ったこの契約を破ることはできぬ」


 悪魔と恭一の間に、古びた羊皮紙に血で書かれた契約書が、空中に浮かび上がるかのように現れた。


 恭一は、ふん、と鼻を鳴らして契約書を一瞥いちべつした。

 羊皮紙に書かれた文字は、地球上のどの文字とも似つかない。だが、不思議と書かれていることは読めた。


 羊皮紙には、ビゼムは恭一を現世うつよにおける暗黒の王にするために尽力し、恭一はビゼムの復活・強化のため、多くの生け贄を捧げるとある。そして、二人の関係が強固になればなるほど、二人の力は増すのだともあった。


「これは血の盟約よ……。我に更なる贄を捧げるのだ。さすれば、我も、お主たちも強くなる」

 悪魔が冷たい声で言った。


「ふん。結果として、そうなるさ。悪魔ビゼムよ。それで、頼んでいたものは用意できたのか?」

 恭一は平然と、そう返した。


「ああ。これを見ろ……」

 悪魔は床の方へ顎をしゃくった。その先には、黒光りする冷徹な鉄の塊があった。

 それは、圧倒的な殺傷能力を誇るトカレフ拳銃のコピー品だった。


 中国で密造され、ヤクザが密輸したものを悪魔がどこからか、手に入れ持ってきたのだった。横には日本刀も数本投げ出されている。殺傷能力で言えば、これも拳銃に匹敵する。


 そして、その横には真っ黒な革のボストンバッグが置かれており、そこにも何やら物騒なものが入っていることが、ゴツゴツとした膨らみから見て取れた。


 恭一は唾を飲み込み、トカレフを手に取った。その手の中にある重みが、恭一の強さだった。


「お前たちの最大の敵、九条竜一。そいつが復活している」

「何!?」

 悪魔の言葉を聞いて、恭一は唾を飲んだ。あの冬次が絡まれていたとき、思わず対決を避けてしまった男だ。最も気に入らない、自分の野望の障害になる男――


「悪魔よ。お前もあいつのことを知っているのか?」

「ああ。あいつだけじゃない我にとって忘れたくても忘れられない敵がもう一匹な……だが、その片割れは死んでしまったらしい。だから、竜一を倒すのだ。あれは必ず、邪魔をしてくる」


「ああ。言われるまでもないさ」

 恭一は口角を上げ、トカレフを構えた。


「使え。力は絶対だ……」

 悪魔が言った。


 恭一はカウンターに向かって、銃の引き金を引いた。

 置かれているウオッカの瓶が弾け、女の悲鳴が響いた。


「ははははははは!!」

 恭一は笑った。

 耳にあの日の晩に聞こえた冬の風の音が荒れ狂っていた。


 悪魔はこの世に地獄を出現させると言っているが、俺の中には常に地獄がある。あの日、あの晩以来、俺はずっと地獄とともにあるのだ。


 あの冬の晩の空に開いた真っ黒な穴。さらにその穴の奥深くにある暗黒。そこにいるのは悪魔なんかよりももっと恐ろしく、我が力の支えとなる者だ。恭一は、地獄の力と一体になっている自分を感じていた。


「野郎ども! 楽しんでるかっ!? もっと、もっと暴れるぞ! 俺たちを止められるヤツなんていねえ。おまわりなんてノロマ過ぎだし、スカル・バンディッドもやっつけちまった」


 足下をフラつかせながら、弟の冬次がアジる。冬次の両肩には、悪魔ビゼムの使い魔が爪を立てとまっている。


「明日は弾けるぜっ! いいなっ! 気合い入れてけよっ!!」

 完全に目がイッていた。アルコールと血反吐を飛ばしながら、冬次は叫び、床に転んだ。


 恭一は床に転んだ冬次に手を差し出し、がっちりと手を握ると引き起こし、肩を組んだ。


「冬次、やるぜ。俺たちは王になるんだ……」

 恭一は、そう言って再び笑った。その目はギラギラと底光りしていた。

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