本の街にある神明社-恋と御縁の浪漫物語・飯田橋編-

南瀬匡躬

茜に見る鯨井さんの残像

 神保町じんぼうちょうから少し白山はくさん通りを戻り、もとの飯田町いいだまちという貨物駅のあった場所に建つ高層ビルの脇を歩くと「東京大神宮とうきょうだいじんぐう」と書かれた表札のような石碑を見つける。そこが大神宮通りのはじまりだ。この通りはこの場所から飯田橋の駅前、富士見教会の横まで東京大神宮の前を通って延びている。

 安めの珈琲とモーニングを頼むのはあの日と同じだ。三十年前、あの頃はまだ電子編集も今ほど普及していなくて、八割ぐらいの編集会社は電算写植機というマシンでキーパンチャーが作るゲラ刷りを出して皆で校正をかけていた。マック、クオーク、電子メールなどはまだ普及していない夢のツールだ。いいところ新しモノ好きの著者がワープロ専用機で原稿を出してくれるくらいで、まだまだ原稿用紙が活躍する時代だった。機械が規格に合わせるのが普通だった。


 今オレは機械の規格に人間様が合わせて入力をする面倒な世の中であえいでいる。おじさんになった。おじさんになるとあまり良いことはない。賃金は値切られ、家族には邪魔にされ、気がつけば孤独が隣り合わせとなって一人酒に浸る毎日だ。

 いつものように大神宮の前で一旦立ち止まり、拝んでから鳥居の前を横切る。若い時分に先輩が教えてくれた礼儀作法だ。

「神社を横切るときは、『神さまに失礼します』の敬意を表して拝んでから通るモノだ」

 その教えを今も律儀に守っている。

鯨井くじらいさん、いまもちゃんと守っているよ」と一人呟きながらアラフィフの壊れかけた身体に鞭打つかのごとく働く日常。

 オレにその習慣を教えてくれたのは鯨井さん。オレが二十代の頃に五十歳くらいだった人だ。親子ほどもある年の差だが、弟分のオレにいろいろなことを教えてくれたいい人だった。早期退職の的になった時には素直に従って、誰にも何も言わずにそっと会社を去った。それから鯨井さんの行方を知る人はオレの周りにはいなかった。


「カルチャーサロン」

 誰が呼んだか分からないが、大神宮の近くにあった公民館で活動していた二流三流の文化人の集まりを皆がそう呼んでいた。正式には「土曜文芸会」というのだが、公民館が廃止、取り壊しになったために飯田橋の駅前にある居酒屋を月一回貸し切りにして集まる「カルチャーサロン」がいつの間にか始まった。そのメンバーとして「土曜文芸会」の残党であるオレも出席している。

 見慣れない顔も最近は増えた。その一人が文芸雑誌を片手に熱燗をすするオレの横に座る。

蟹江かにえさんて、皆と話さないんですか?」

 自然に横に並んで座る女性。ハーフアップの髪に、フリースと膝丈のスカートでオレの猪口に徳利からおかわりを注いだ。三十歳は過ぎた辺りだろうか。まだまだ綺麗な容姿の持ち主だ。

「酌してもらう身分じゃないよ」と軽く断ると、

「まあ、ぶしつけな人」と笑う。

 この女性、距離感がおかしい。初めての人には、挨拶から入るモノだ。最近の人はそういうのは抜きなのだろうか? それとも二度目なのか?

 その答えはすぐに出た。

「まだお一人なの?」と訊ねてくる。

 オレを独身と知っているのは知人と言うことだ。

「どこかで会ってますか?」と猪口に一礼をしてグイッと一飲みする。

「忘れちゃったんだ。神保町のモネって喫茶店で、よくおじいちゃんと一緒にお昼を食べていたのに」と笑う。

「おじいちゃん?」

「鯨井の孫の蛯原茜えびはらあかねです」と言う。

 彼女の自己紹介。自分の脳裏に浮かぶ思い出。当時大学生だった茜だ。この近所の大学の文学部に通っていた彼女は、祖父の鯨井さんと待ち合わせてランチを一緒にしていた。その時何度か自分も同席した記憶がある。鯨井もまんざらでは無く「今日も孫にメシたかられたよ」と嬉しげにぼやく姿が印象的だった。

「茜ちゃん?」

 両手を膝に置いて、折り目正しい姿勢で、それでいて柔らかな物腰で「はい」と微笑んだ。

「この会に入ったんだ。もともとおじいちゃんもいた会なので……。でも、まさか蟹江さんに会えるなんて思ってもいなかったから、少しラッキーかな」と嬉しそうに話す。

 そして「蟹江が息子だったら、自分の会社にひっぱるのになあ、って死ぬ間際まで言っていたんですよ、おじいちゃん」と懐かしむように思い出す茜。

「鯨井さん、辞めた後、会社立ち上げたの?」

「知らなかったんですか?」

 逆に驚く茜。

「あの人、会社の人や仕事関係の人にはなにも言わないで辞めちゃったから」と言い分けのような気分で返すオレ。

「おじいちゃんらしい」


 茜は合点がいったようで笑う。 

「それで何の会社?」とオレが訊くと、

「電子書籍の配給会社です」と言う茜。

「?」

 オレは混乱している。頭の中はまだ令和になりきっていないのだろうか? 鯨井さんの方がオレより時代の先を行っていたのか?

「紙の出版物と同じものを電子ファイルでスキャンして発行する工程を請け負う会社です。紙と違って、電子モニターのRGB用ファイルなのでCMYKのインクよりも濃度や色合いの調整が難しいんです。それをアップして、不具合もチェック。あとは商品となるので、販売ツールのアプリを請け負う会社にお任せする中間行程の業者」

「電子書籍の編集プロダクション?」

 彼女はオレの言葉に少し首を傾げた。

「うーん」と腕組みをした後、説明を諦めたのか、

「一度、オフィスにいらっしゃいませんか? おじいちゃんの願いでもあるので、蟹江さんが良ければ、うちで働いてもらってもいいですよ」と言う。

 唐突な提案に、「いやいや」と首を横に振るが、一度お邪魔することだけは点頭した。時代についていくことは重要である。そして少しだけこのカワイ子ちゃんに興味があったのも事実だ。



 あの再会から三年が過ぎるとオレは彼女の手中にあった。

「あなた、今日はお得意さんとの接待なの、芽依めいのお迎えよろしくね」

 十歳以上離れた妻は社長、オレは専業主夫として娘の幼稚園のお迎えをしている。その帰りに夕食の食材を娘とスーパーマーケットで調達し、ご褒美に小さなお菓子を買ってあげるのも日課となった。ジョン・レノン気取りのハウス・ハズバンドを実践しているおじさんとも言える。

 たまに紙媒体からの電子化を要求されるときには、妻の知恵袋として鯨井さんの残したオフィスに出向く。スクリーントーンをはがして、線だけの絵図にした後で、スクリーントーンがわりの網掛け処理をPC上で行うからだ。

『あいつが親戚だったら、一緒に引き抜いて連れてきたんだけど、他人様の人生に影響を与えるわけにはいかないからな』

 鯨井さんの言葉を茜の口から何度も聞いた。その鯨井さんの願いはある意味、叶ったと言える。その後オレは茜と結婚して、彼の会社を助けているからだ。ご縁というのは何処で繋がるモノか誰にも分からない。でも鯨井さんの思いは、全てを貫いて現実のものとなったとオレは考えている。ある意味『一念岩をも通す』という鯨井さんの置き土産だ。そこに輪をかけて、愛する妻との縁も取り持ってくれたのだから。

                                (了)

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本の街にある神明社-恋と御縁の浪漫物語・飯田橋編- 南瀬匡躬 @MINAMISEMasami

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