第7話「食堂」

 午前の退屈な授業が終わり昼食となったのだが、今日は一年が初の学食と言うことで、うどんが一杯無料で食べられるという初年度割引を実施中だった。俺はその事をすっかり忘れて学食に足を踏み入れた。


「混んでるな……」


 予想外の混みっぷりだった。学食があまり美味しいという評判は聞かないし、俺はコンビニで買ってきたパンで済ませていたので、たまたまその日買い忘れたことは不幸といえる。とはいえどうしようもないので食券を買って列に並んだ。


 何故人は無料だからといって、大して美味しくもないものを必死に食べようとするのだろうか? なんとなく頭の中で人相の怖い男が牛丼屋で『百五十円やるからその席からどけ』と愚痴っている動画が思い出された。


 そんなことを考えたところで席は空かないので一旦列から離れて人が減ってから食べようかと考えた。うん、この混み具合じゃまともに席も取れないだろうし一旦離れることにしよう。


「お兄ちゃん! ここ空いてますよ!」


 バンバン


 なんだか非情に見覚えのある人物が自分の二人掛けテーブルが空いていることを誰かに叩いてアピールしているようだが気にしないことにしよう。決して俺の知り合いではないし、誰か兄妹仲の良い兄がたまたま学食に来ていたのだろう。偶然というのは誠に恐ろしい物だ。


「お兄ちゃん、ほら、ここ空いてますって……もう……」


 俺が列から離れようとしたところでスマホが震えた。取り出して名前を見てみると『蓬莱雲雀』と表示されている。渋々マナー違反を承知でその電話に出ると『お兄ちゃん! 右を見てください!』と言ってきたので右を見ると先ほどの席が空いていることをアピールしている少女がいた。認めよう、それは間違いなく俺の妹だ。


 俺は列に戻りカレーの食券を出して少し待つ。雲雀はうどんを頼んでいたようだし冷めないうちに食べて席を離れるのではないかと思ったのだが、うどんを前に割り箸も割らず自販機で買ったブリックパックを飲んでいた。やれやれ、兄妹揃って昼食か……なんとも奇妙に思える状況だ。せめて真希がいればな……などと無い物ねだりをしてしまう。ブレーキの外れた雲雀ほど怖い物はない。アイツは目的のためなら手段を選ばないやつだ。危険極まりないのであまり負担をかけるわけにもいかないか……


「カレー一つ」


「はい」


 ポンとカレーがトレーに置かれる。早い、安い、美味いという完全食だ、特に時間に厳しい生き急いでいる現代人には欠かせない料理だろう。レトルトでもレンチンであっという間に完成する人類の英知が詰まった料理だ。


 他の料理は無しで雲雀の待っている席に持って行く。コトンとトレイを置くと満足げに雲雀はようやく割り箸を手に取った。


「お兄ちゃんが来てくれるとか最高ですね! 明日からも学食にしませんか?」


「俺はコンビニのパンとおにぎりが好きなんだよ」


「お兄ちゃん……ジャンクフードばかり食べていると身体を壊しますよ?」


「アメリカには毎日ドクペを飲んで百歳を超えた人がいるらしいぞ」


 昔のニュースで見た。今もまだ元気なのかは知らないが、ジャンクフード大好き民の星としてしっかり長生きしてほしいものだ。


「特異な例を一般化しないでくださいよ、私はお兄ちゃんが心配で言っているんですよ?」


「俺は『あなたが心配で言っている』という言葉ほど信用出来ないものは無いと思っているがな」


 大抵そんなものは個人のエゴに由来する物だ。人間が他者を心配出来るほど優秀な生物だとは思っていない。昔の偉い人は言った『テキトーにやってても見えざる手が何か良い感じにしてくれまっせ』と。


「食べるとしましょうか……」


「ああ、学食は食事をする場所だ。おしゃべりをする場所じゃない」


 俺はそれだけ言ってカレーを食べ始めたのだが、なんだか耳にノイズのような音が聞こえてくる。顔を上げると雲雀が俺にスマホを向けていた。


「何故写真を撮ってるんだ……」


「お兄ちゃんの写真がもっと欲しいなと思いまして」


「消せよ、俺が写真嫌いなの知ってるだろ?」


「嫌ですよー! お兄ちゃんの高校での食事はこんな感じなんですね!」


 言論で勝てる気がしないので俺は黙って黙々とカレーを口に運んだ。時折鳴るシャッター音さえ気にしなければただの美味しい昼食だ。


 黙々とカレーを食べながら妹に写真を撮られている様子は周囲から見たら大層馬鹿馬鹿しい物だろう。俺はあまり賢い方ではないのでそれでも構わないのだが、雲雀が馬鹿に見られるのは我慢ならない。


「雲雀、食事中はスマホをしまえ」


「は~い……最後に一枚食事の写真を撮っておきますね」


 不用意に食事の写真を撮ろうとする雲雀に嫌な予感がした。


「お前、料理の写真をネットに上げようとか思ってないか?」


「え……当然じゃないですか? それが何か?」


「食器から特定材料になるからやめておけ」


 それを雲雀は一笑に付した。危機感が足りない妹にも困った物だ。


「お兄ちゃん、冗談はよしてくださいよ、ここの食器が一体いくつ全国に出荷されていると思うんですか?」


 笑い飛ばされたので少し釘を刺しておいた。


「いいか、特定班は食器とメニューからだけでもある程度分かるんだ。しかも全国の集合知を特定に使うんだぞ、時間は多少かかっても特定は出来るんだよ」


 俺の真剣な声に雲雀は黙ってスマホをポケットにしまった、よし、それでいい。


「お兄ちゃんは外国のスパイか何かなんですか? 細かいことを気にしすぎでしょ、みんな顔出しでインスタオンスどころかダックタックで顔出し配信してますよ?」


「お前な、そんな特殊な例を出すんじゃないよ、皆そんなに危機感を持っていないはずがないだろう? これだけバイトや仕事を配信しながらアホなことをしてクビになった人間がいるんだぞ」


「やだなあ、私がそんなマヌケな真似をするわけないじゃないですか」


「ものすごくやらかしそうだから言ってやってるんだよ」


 雲雀は一つため息をして言った。


「ものすごく納得出来ませんが、お兄ちゃんが私を想ってやっているって事に免じてここは退くとしましょう。私はお兄ちゃん思いの妹ですからね」


 どこがだよ、いきなり学食で注目を浴びたじゃねえか、普通は一緒に食べてもそんな大事にならないぞ、うぅ注目の視線が痛い。


「ごちそうさま」


 俺は食べ終わったので席を立とうとする、テーブルに置いた手を雲雀に掴まれた。


「まあまあ、せっかくですしお話ししていきませんか?」


「お前よくコレだけ行列がある状況でそんなことがいえるな? 人の心を失ったのか?」


「なに言って……」


 雲雀は周囲を見渡した。席が空くのを待っている人の行列を見つけたのですごすごと手を離し席を立った。二人で食器を返却して学食を出た。


「なかなかでしたね」


「そうかい、タダ飯ほど美味しいものはないからな」


 雲雀は少し俺を責めるような視線をよこした。


「お兄ちゃんは私に悪意をもちすぎですよ。私は純粋にこの学食が美味しいと言っただけですよ」


 まあ味覚は人それぞれだからな。


「よかったな、俺はコンビニで済ませるから雲雀は学食にするのか?」


「いえ、お兄ちゃんの教室にお邪魔しようかと」


「俺の立場がこれ以上悪くなるようなことはやめてくれないかなあまったく!」


 しかしその言葉は雲雀に届くことはなく自分の教室に向かって先に歩き出していた。俺は自分の教室に足を向けてから、学校に安息の場がなくなるのでは無いかとすこしだけ恐怖した。

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