File3: 呪いの手紙(全10話)
第28話
深夜。
闇の濃い道を急ぎ足で進む。
「……この道は、明かりが少なくていけねぇな」
呟いた声が大きく響いた気がした。
この時間は車が通ることも少なく、大通りから奥まったところにあるこの道では、虫の音くらいしか聞こえない。
道沿いに建つ家はどれも寝静まり、生活感が失われているせいか、昼とは違う雰囲気が漂っているように感じられた。
「親父が金出してくれりゃ、もっといいとこ住めんのに。なんでこんな辺鄙なところに住まねぇとならねぇんだよ……」
静けさが圧力をもって襲ってくるように思えて、思わず独り言が漏れる。
せっかく仲間で飲んでいい気分だったのに、この暗い道は酔いが覚めていけない。
後でまた父親に金をせびろうと心に決めて、家路を急いだ。
――ザ……ザ……。
「ん……? 気のせいか……?」
なにやら背後から人が歩いてくる気配を感じたが、窺ってみても誰もいない。街灯が少ないとはいえ、気配を感じるほど近くに人がいたら、すぐに見つけられるはずだ。
「……なんなんだよ。うざってぇな」
気のせいだ。そう思っても、一度感じた気配は忘れられない。
自然と、足が早まり駆けるようになっていた。
運動不足が祟ったか、それとも大量に流し込んだアルコールのせいか、心臓がドクドクと大きく忙しない音を立てる。
――ザ……ザ……。
「ひっ! 誰かいるのかっ!」
振り返っても誰もいない。
先程よりも近くで音が聞こえたはずだ。紛れもなく人の足音だった。
脈が早くなり、頭がズキズキと痛みだす。まるでなにかに締め付けられるような痛みだ。
歯を食いしばって再び歩きだした。
――ゴトッ! ……にゃぁん。
「っ……なんだ、猫か。紛らわしいだよっ!」
勢いよく振り返った先で、物陰から黒猫がこちらを見て鳴いていた。闇に溶け込むような姿に、少し怖じけづきながらも睨み付ける。
こちらを見続ける姿が奇妙に思えて、足を振り上げ追い払った。
――みゃっ!
「あっち行け! こっち見んじゃねぇよっ!」
蹴りを身軽に避けた猫は、チラリと見上げてきたかと思うと素早く立ち去る。
その目が向けられた先が、自分ではないように思えて首を傾げた。
「……まあ、いいか。猫が宙を見るのは普通のことだろ」
自分に言い聞かせるように呟きながら、やっと見えてきたアパートに急ぐ。
さっさと酒を飲みなおして寝たい。
その一心で階段を駆け上がった。
――ゅ……ぃ……。
「っ! 誰だっ……て、うわあああっ!」
明らかに人の声が耳元でなにかを囁いた。
そう思った瞬間に勢いよく振り返ったのだが、足首を引かれた感覚とともに、階段から足を踏み外す。
仰いだ空に星が瞬いていた。不思議と時間がゆっくりになったように感じられる。
「ぐぁっ……」
階段を転がり叩きつけられた先の地面は固く、起き上がることもできないまま痛みに呻いた。
助けを求めるために伸ばした手を掴む者はない。
「……た、すけ……っ」
落下の衝撃で滲んだ視界に、汚れた靴先が映った。見覚えがある気がするそれを凝視する。
体から力が抜けていく。声を出すこともできず、抵抗虚しく視界が閉ざされていった。
「お、まえ、は……さわ……っ……」
◇◆◇
「――
警視庁の一室で、
怪異現象対策課に所属する智輝がするべき仕事ではない。
本来の仕事は、生活安全部に寄せられた相談ごとの中から、不可思議な案件をピックアップして調査することなのだから。
だが、どうしても気になって、調べずにはいられなかったのだ。
「神本……あった。
示された事件概要に目を通す。
事件は八年前。東京都に属する離島で、不可思議な遺体が発見された。水のない山中での溺死だった。殺人及び死体遺棄事件として捜査されたものの、遺体発見現場が険しい山中であり、どうやって遺体を運んだかも分かっていない。
被害者は
当然、宗教団体の事件への関与が疑われたが、証拠がなく、現在に至るまで未解決になっている。
その事件の最有力の容疑者が神本朔也だった。彼は宗教団体の指導者だ。
「上峰島……どこかで聞いたことが……」
ふと事件が起きた離島の名が気になって首を傾げる。ニュースや事件記録ではなく、もっと身近なところでその名を聞いた気がした。
そして、神本という名も、なにか頭に引っ掛かる。
「……木宮課長が言っていた神本家って、こいつのことか? そうなると、こいつと
情報を隅まで読みきり記憶した後で、自身の作業の痕跡を消しながら呟く。
智輝が神本家を調べることになったのは、以前木宮が
そのとき、葵は神本家にただならぬ嫌悪感を抱いているように見えた。普段柔らかい態度の葵にしては、あまりに不自然なほどに。
智輝は現在、葵の相棒として、ともに調査に当たることが多い。葵は霊能力を持たない智輝に、不可思議な能力で協力してくれている人物なのだ。
それゆえ、不自然な態度は見過ごせなかった。協力者の鑑別も、智輝の仕事とされているのだから。葵が霊能者を騙る詐欺師である可能性は、初めに木宮から示唆されていた。
「――そういう木宮課長の方が、葵さんには親しげだったけどなぁ。どういう関係なんだか。協力者を息子みたいに思うって、自分の発言と矛盾してないか?」
不満を呟きながら部屋を出る。
智輝だって、親しみを感じつつある相手に、
暫く進むと見慣れた賑やかな廊下。そこで体の力を抜く。
隠れて調べるのは、どうにも性にあわない。その必要性があるからやっていることであっても。
「――助けてくれ!」
空気を裂くように、男の声が響いた。
慌ただしく働いていた者の視線が一瞬男に集中するも、すぐに逸らされる。
対応に当たったのはひとりだけ。生活安全課の三田という女性警察官だった。
「どのようなお困りごとですか?」
雑音の中からその声を拾い上げながら、智輝は本来の仕事に戻るため、生活安全部の資料室に足を向けた。
三田がいるのは市民からの相談ごとを受け付ける場所だ。男のように切羽詰まった様子でやって来る者はそう珍しくない。
他の職員と同様に、男の存在を日常の中に葬り去ろうとした智輝の足が、不意に停止する。
「――呪われてるんだ! 助けてくれよっ! ほんとなんだよ……!」
「落ち着いてください。まずはこちらに掛けて――」
顔を男へ向ける智輝に、周囲からチラチラと視線が寄せられた。
怪異現象対策課は、警察としてあまりに異質な部署として、陰で噂される存在だ。注目度は相応に高く、それは決していい意味ではない。
そこに所属する智輝のことは、早い内から知れ渡っていた。
こんな知名度、智輝が望んだことは一度もないのだが、どうにもしようがない。
「――神田さん……」
三田の目が当然のように部屋を巡り、智輝を捉えた。そして、縋りつくように細められたのを見て、智輝はため息をつきながら近寄る。
縋りつく思いは分からないでもないが、正直荷が重い。智輝は霊能力なんて持たない一般人なのだから。
だが、これが智輝の仕事であるのも確かなので、諦めて話を聞くしかないのだ。
「――お待たせしました。警視庁怪異現象対策課の神田です。ご相談内容をお聞かせください」
「……かいい……?」
目の前に腰を下ろした智輝を見て、ポカンと口を開く男に心から同意する。
何故警視庁にそんな課があるのかなんて、智輝こそ知りたいことだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます