第12話 部屋を占拠するモノ

「久しぶり、勇二くん」

「お久しぶりっす、葵さん。相変わらずイケメンっすね」


 そんな挨拶もほどほどに、勇二の部屋に通された葵は、ワンルームで大きな体を縮めて座る存在を見て、目を瞬かせた。


「それで、今日は異変はあったのか?」

「そうっすね。バイトから帰ってきたら、ティッシュが床に散らばって、リモコンの位置がずれてて――」


 智輝と勇二の言葉を聞きながら、首を傾げる。

 目の前の存在も首を傾げて、ぽふりと尻尾を振った。所在なさげで控えめな仕草だ。一応、家主に申し訳ないという気持ちはあるらしい。


「――なるほど」

「え、葵さん、まさかマジで幽霊いる感じですか? 怖っ」

「葵さん?」


 思わず漏らした言葉に二人が反応するのを聞き流して、葵は苦笑した。予想外にもほどがあるが、勇二の性質を考えればあり得るのだろう。


「時に、勇二くん――」

「その切り出し方、めっちゃ嫌な予感するんですけど……なんですか?」


 眉を寄せて見つめてくる勇二の心を和らげようと、笑顔を意識して口を開く。


「この近く、お稲荷様の神社ある?」

「あります……っていうか、三軒隣が神社ですけど……」


 勇二からは『この人、急になに言い出してんの? 神社でお祓いすればって提案しようとしてんの?』と伝わってきた。

 葵は知らないふりをして言葉を続ける。時々、声に出されていない思念に答えてしまいそうになるから、注意が必要だ。


「最近、動物に触れたことはある?」

「動物……? あ、野良の子犬なら触りました。というか、保護すべきかなって感じだったんで、保護施設も兼ねてる、近くの動物病院に連れていきましたけど……」

「ここで保護はしなかったんだ?」

「ここペット禁止っすよ」

「ああ、そうか。そうだよね……」


 首を傾げて『この質問、なんなんだ?』と考えている勇二から、葵は目を逸らす。再び見やった存在が、期待に満ちた目で葵を見つめていた。


「葵さん、その質問の意図は?」


 智輝が困惑した表情を浮かべている。勇二と違って、あからさまに思念が漏れてくることはなく、葵はホッと息をついた。


「うん、まあ、簡単に言ってしまうと……おめでとうございます、勇二くんは神様の御使みつかいと同棲中ですよ?」

「全くおめでたくない! って、え、マジで言ってます? 神様の御使い? 稲荷って聞いてきたってことは、狐……?」


 しっかりツッコミを入れてくれた勇二に満足だ。

 微笑む葵を呆然と見ていた智輝が「神様……? 御使い……?」と呟いている。

 現実主義な傾向がある智輝には受け入れにくい話だろう。それを分かっていて、葵はわざと軽く言ってみたのだが、衝撃が軽減されたかは不明だ。


「そう。御使いの狐が、勇二くんに用があって居座ってるんだよね。さっき言った、子犬を預けた病院、どこか教えてもらえる?」

「駅の方に行って二十分くらいの『さちわだ動物病院』ってとこですけど……」


 混乱しながらも答えてくれたので、スマホで調べてみる。確かに『さちわだ動物病院』というのが近くにあった。その傍には別の神社も。


「なるほど、縄張りの問題か……」

「縄張り?」


 反復する智輝の声を消し去るように、狐の頭がブンブンと縦に振られた。とても元気が良い。

 変なところで感心していると、困惑から立ち直ったのか、真摯な目をした智輝が葵を見据えてくる。


「――葵さん。できれば初めから、詳しく説明を頼みたい」

「うん、分かってるよ」


 受け入れがたいくせに、拒絶することなく理解したいと望む智輝の姿勢が好ましい。異端扱いされるのに慣れた葵にとっては眩しいほどだ。



 ◇◆◇



 狐に部屋の隅に避けてもらった葵たちは、小さなテーブルを囲んで座っていた。テーブルの上には、葵たちが持ってきた飲み物とお菓子。

 見えない存在に「ちょっと退いてくださいね」と声を掛けた葵を、黙って受け入れた二人は今も困惑顔だ。


「――まず前提として、勇二くんの体質を知ってもらいたいんだけど」

「体質? 俺、アレルギーとかもなく、健康っすよ?」

「うん、その体質じゃないよ。簡単に言うと、勇二くんは異質なものに好かれやすい体質なんだ」

「異質なもの……?」


 首を傾げる二人に説明を加える。


「神様とか妖かし的なものだね」

「……おお、ファンタジー」


 棒読みで感想を漏らす勇二と、眉間に皺を寄せる智輝を見て苦笑する。探ろうと思わなくても、疑心に満ちた思いが伝わってきた。


「まあ、そういうものだなって思ってもらえればいいから。基本的にそれで勇二くんが困ることはほとんどないと思うし。今回は例外だね」

「……つまり、稲荷神社の御使いが、佐々木くんを好いてここに居座っているのか?」


 理解できないながらも話を進めようとする智輝に、葵は首を横に振った。


「好いているというのはきっかけに過ぎない。根本的な原因は、生まれたばかりの御使いの子が人の世に迷い込んでしまって、勇二くんが保護したことだ」

「生まれたばかりの御使いって……え、まさか、あの子犬? あれ狐だったんですか?」


 目を見張る二人に肩をすくめる。


「そうだね。おそらく勇二くんの体質に寄せられて、神域から出てしまったのだろう。人の目に触れるようにエネルギーを調整した上でね」

「ほあー……そんなこと、あるんすねー……」


 勇二が思考を停止させた様子で口を開ける。智輝は相変わらず険しい表情だ。とても人相が悪い。

 葵はその眉間の皺をつついて遊んだ。


「……やめろ」

「こんなにすごい皺を見たの初めてだよ」


 笑うと、智輝が疲労感に満ちたため息をつく。だが、それと同時に余計な力も抜けたようで、表情が和らいでいた。

 智輝とのやり取りを面白そうに見比べる勇二に気づいて、葵は笑みを浮かべながら説明を続ける。


「御使いの子を保護して、勇二くんが連れていったのは、ここ――」


 スマホの地図を示す。そして、病院の近くにある神社にも注目してもらえるように、指さした。


「そして、病院の近くにはお稲荷様とは別の神社があり、領域違いだと分かる」

「領域違い?」

「うん。こういう、地域に密着した神社って、わりとそれぞれの管理領域というか縄張りの認識が強いんだよ。この病院はこっちの神社の縄張り内にあるから、御使いは子を迎えに行けないし、子も力を十分に発揮できなくて、実体を解くことができない」


 葵の説明に、二人は地図を凝視していた。しばらく後に目を上げた勇二が、恐る恐る問い掛けてくる。


「……俺、もしかして、余計なことしました?」

「本当に野良の子犬だったら、親切で心ある行いだったと思うよ」


 勇二の優しい心から生まれた行動を咎めるなんて、葵にはできない。だから、遠回しに答えるしかなかった。

 それでも肩を落として萎れる勇二に、なんと声を掛けようか迷う。『あーっ、やっちまったぁあ!』と嘆く心を宥めるのに適切な言葉を、葵は思いつかなかった。


「――行動がどんな結果を生むかなんて、やってみるまで分からないだろう。佐々木くんは、その時に一番良い行動をしたと俺は思うぞ。問題が解決されればそれでいい。……ここにいる御使いは、佐々木くんに怒っているわけではないんだよな?」

「うん、それはないよ。ただ、子の行き先が感知できないから、子の気配が残っていた勇二くんを頼りにしていただけ。むしろ、事情を知って申し訳なさそうだ」


 智輝に答えながら、部屋の隅で壁にへばりつくように身を縮めている狐を見る。耳も尻尾も垂れて、可哀想なくらいだ。


「……俺、あの子犬引き取ってきます。飼い主が見つかったって言えば、いけますよね?」


 智輝に励まされて気持ちを立て直した勇二が、キリッとした表情で言う。

 その横で、智輝が悩ましげに腕を組んだ。


「もしかしたら、拾得物として警察署に連絡が入っているかもな。その場合、そちらの手続きも必要か……」

「そうなんだ?」


 葵は知らなかったが、動物も拾得物扱いになり、そう簡単には引き取れないらしい。それは、すぐに問題を解決させたい葵たちからすると、面倒な状況だ。


「たぶん、引き取って神域に戻した時点で、関連する公的な文書とかは消えて、記憶も曖昧に薄れていくと思うんだけど」

「え、そんなことが……?」


 超常現象を信じきれない智輝は困惑していたようだが、しばらく難しい顔で悩むと頷いた。


「――そういうことなら、俺の身分でなんとかなるかもしれない。とりあえず、動物病院に預けているのは忍びないから、代理で育てるってことにしたら、面倒な手続きはなさそうだ」

「神田さん、よろしくお願いします!」


 真剣な顔で頭を下げる勇二に、智輝が苦笑する。


「……それ、職権乱用にならない?」

「公的に記録が残らないなら問題ない」


 小声で聞いた葵に、智輝がしれっとした表情で返した。

 こんな時ばかり、葵の言葉を全面的に信頼するのだから、なんというか……ずるい。

 智輝は日頃、葵のことを『イケメンで美人でモテそう』なんて思っているようだが、葵は智輝の人たらし具合には敵わないと真剣に思っている。


「智輝って、頑固者なくせに、時々驚くほど柔軟な考え方をするよね」


 葵は苦笑を漏らしながら、早速とばかりに病院に赴こうとする二人の袖を摑んだ。


「もう深夜だから、明日にしようね」

「あ……そうでした……」

「つい……」


 恥ずかしそうに頬を掻いて座り直す二人に、葵は吹き出して笑った。

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