第3話 修学旅行
私立弥勒学園
上流階級の子息が通う名門高校である弥勒学園では、その日ある話題で持ちきりだった。
「聞いた?桐人様が正式に南方財閥の後継者になるって噂だよ」
「当然だよな。いじめなんてするようなバカ坊ちゃんなんかに、継がせられないもんな」
生徒たちはニヤニヤ笑いながら、勇人を見る。その勇人は、一人の大人しそうな美少女から婚約破棄を言い渡されていた。
「勇人さん。私の父の意向により、あなたとの婚約は破棄されました。今後は二度と話しかけないでください」
「そんな!奈美、君と僕は小さい頃からの幼馴染で、婚約も納得していたじゃないか!」
悲痛な顔になる勇人に、その少女ー大手自動車会社の令嬢である豊畑奈美は軽蔑の視線をむける。
「それはあなたが一方的につきまとっていただけで、婚約も政略結婚です。私は昔からあなたのことを好きじゃありませんでした。ブサイクで太ってて、その上いじめなんかするような人なんて」
「だから、それは誤解だって……」
勇人が弱々しく反論しようとしたとき、別の少女が割って入った。
「とぼけないで、桐人君が良く言っていたもの。南方家に引き取られて以降、あんたからいやがらせを受けているって、破かれた教科書とか、証拠も見せてもらったんだから!」
そういい放ったのは、鳩川小百合。奈美の親友で元首相の孫である。彼女も勇人の幼馴染だったが、桐人が南方家に引き取られてからやたらと彼を持ち上げ勇人をさげるようになり、奈美との仲も引き裂こうと悪口をいうようになっていた。
「ぐ、ぐぅぅ……」
奈美に振られ、小百合にこき下ろされ、勇人は何も言えなくなって引き下がる。そんな彼を、クラスメイトたちはヒソヒソと嘲笑った。
「あはは、いい気味だ。ざまぁ」
「南方家のお坊っちゃんが、みじめなものね」
今まで南方家に嫉妬していた彼らは、ここぞとばかりに彼を見下す。それだけではなく、うっぷん晴らしをする者まで現れ始めた。
「本当に、いじめをするなんて最低だな。俺たちがそのその腐った根性をたたき直してやるぜ。おらっ」
クラスのヤンキー、入光史郎が仲間とともに勇人を殴りつける。
「あはは。きもーい。親に見捨てられた元坊っちゃんほど無様な奴はいないよね。あいつ自身に何の価値もないんだもんね」
クラスのリア充女子の代表である空美幸は、取り巻きたちと陰口をたたいて勇人を追い詰める。
彼等にとっては、見捨てられて後ろ盾がなくなった勇人はいいストレス解消の道具となっていた。
お坊っちゃんから一転していじめられるようになった勇人を、クラスのカースト上位は嘲笑い、下位は憐れみの目で見る。
いつしか勇人は、家庭にも學校にも居場所がなくなっていった。
「いててて……」
邸の粗末な物置小屋で、勇人はベッドに伏して涙をながす。奈美に婚約破棄されたと知った正人は激怒して、今まで住んでいた豪華な部屋を追いだして物置小屋に追いやったのだった。
「くそ……桐人が来てから、ろくなことがない」
以前は大財閥のお坊っちゃんとして、何不自由なく生活していた。正人は厳しかったが、それでも一応跡取りとして接してくれていたし、腹違いの妹である真理亜との仲も悪くはなかった。執事やメイドたちも、ちゃんと敬意をもって接してくれていたのである。
それが、駆け落ちした叔母の息子である桐人が南方家に引き取られてから、少しずつおかしくなっていた。
「こやつは勘当した詩織の息子で、桐人という。両親が死んで行き場がなくなったので、仕方なく引取ったのじゃ」
祖父からそう紹介された桐人は、最初は殊勝な態度だった。
「孤児である僕を引取ってくれて、ありがとうございます。南方家の名に恥じないように努力します」
もともと美少年で学業もスポーツも優秀であった桐人は、その不幸な生い立ちへの同情もあって、またたくまに南方家の人々の心をつかんでいった。そうしながら、少しずつ勇人への悪評も流していったのである。
「勇人君にいやがらせを受けています」
破られた教科書や、階段から突き落とされた傷などの証拠をみせると、正人は激怒して勇人を怒った。どれだけ濡れ衣だと弁解しても信じてもらえず、どんどん態度が冷たくなっていった。正人のそんな様子をみて、次第に使用人たちも勇人をバカにするようになったのである。
そして、最後まで勇人をかばってくれた祖父が入院したことで、勇人の味方は誰もいなくなってしまった。
「つらい……こんな調子なら、来週から始まる修学旅行もきっとひどい目に合うんだろうな」
大財閥の御曹司に生まれながら、この世の不幸を一身に背負ったような勇人は、人知れず涙を流し続けるのだった。
次の週
弥勒学園の修学旅行は、豪華客船エストラント号での日本一周旅行である。
港では、生徒たちの父兄が見送りに来ていた。
「桐人、真理亜も気をつけてな。本当なら私もついていきたいのだが、あいにく仕事で海外にいかなくてはならないんだ」
正人は愛情をもって、桐人と真理亜を抱きしめる。
「大げさだよ。パパ」
「そうですよ伯父さん。もし何かあっても、真理亜ちゃんは僕が守りますから」
二人はそういってはにかむ。
「お坊ちゃま。これが荷物です」
「ありがとう直子さん。僕たちがいない間、屋敷のことをよろしくね」
桐人がメイド長である直子に笑いかけると、彼女の頬はポっと染まった。
「船長。二人を頼む」
「お任せください。責任をもってお預かりします」
いかにも海の男といった、髭を生やしたたくましい船長は、そういって胸をたたいた。
別れを惜しむ彼らから隠れるように、一人の少年が乗船する。彼らから無視されている勇人である。
「はぁ……気が重いな。どうせ船室から出てもいじめられるだろうし、こうなったら旅行中ずっとひきこもっていようか」
そう思って自分に割り当てられた個室に行こうとすると、教師に呼び止められた。
「南方。どこにいくんだ?」
「え?自分の部屋に入ろうとしただけですが?」
「何を言っているんだ、お前の部屋はこっちだ。ついてこい」
有無をいわさず船底近くの船室に連れていかれる。そこは船員用の粗末な部屋だった。
「な、なんでここに?」
「お前の父上から頼まれた。この修学旅行で甘え切った精神をたたき直してほしいとな」
そういいながら、掃除道具を差し出す。
「お前はこの旅行中、ずっと船の清掃をしているんだ。いじめなんてするようなやつは、参加することは許さん」
そういい捨てて、さっさと去っていく。
勇人は掃除道具を持ったまま、途方に暮れるのだった。
「冗談じゃない。やっていられるか!」
勇人は怒りのあまり、デッキブラシを甲板に叩きつける。あれからすぐに船長と屈強な船員たちがきて、有無を言わさず甲板掃除をいいつけられた。
以降、何時間も八月の暑い日差しの中、夕方になるまで掃除をさせられてきたのである。
近くのプールからは、生徒たちの歓声が聞こえる。彼らは掃除させられている勇人を見て、あからさまに笑い声を立てていた。
「まあまあ。ここの掃除ももうすぐ終わりだ。そうしたら今日は休んでいいよ。あともうひと踏ん張りだ」
そう慰めてきたのは、一緒に掃除をやらされている船員で、浦島誠也という。彼は生徒なのに掃除をやらされている勇人に同情して、慣れない作業を手伝ってくれていた。
「しかし、ひどいな。君は本来お客様なのに。船長たちは何を考えているのやら」
「そういう誠也さんも、貧乏くじを引かされているのでは?」
勇人はそう返す。確かにほかの船員たちは甲板に出てこず、涼しい船内に留まっていた。
「あはは、仕方ないんだよ。僕は入ったばかりの下っ端だしね。それに、一人くらいは甲板のプールの監視をしておかないと」
そういいながら、真面目に作業を続ける。その真摯な態度に、腐っていた勇人も少し考え直した。
(こうなったら、真面目に仕事をこなして認めてもらおう)
そう考えなおした勇人は、黙々と掃除を手伝う。いつしか日が落ちて、かなり涼しくなったころにようやく船長がやってきた。
「ここはもういいぞ。次は船首をやれ」
「待ってください。もう夕方ですよ!暗くなってからの作業は危険です。今日は休ませては?」
誠也がそうかばってくれるが、船長はギロリと睨み返す。
「下っ端が口を出すな。こい!」
襟首をつかまれて、船首のほうに連れていかれる。そこはパーティ会場になっていて、プールからあがったクラスメイトたちがごちそうを食べていた。
「勇人がきたぜ!」
「おい。ここも汚れているぜ!さっさと掃除しろ!」
生徒たちは、勇人が掃除する端から食べ物を投げつけて汚していく。
勇人は生徒たちからバカにされながら延々と掃除をやらされ続けるのだった。
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