第5話坂本凪と辻晴香の邂逅 図書館にて2

辻晴香は一度見たり会ったりした人のことは決して忘れない。彼の普段の様子を見ていると、それはよくわかる。どれだけ些細な出来事でも、きちんと覚えていて、そのことが相手の心を掴む。その能力は大学を卒業した後も、きっと彼を助けるんだろうなと思う。もちろん、相手に興味を持って、誠実であろうとする彼の努力もあるのだろうけど。


 ただ、そんな彼にとって唯一と言っていいくらいの例外が、俺なのだ。彼とは1年生のときのあるサークルの新歓コンパで会話をしている。そのとき、自己紹介までしているのだ。でも、辻はそのことを全く覚えていない。俺が図書館でバイトしていることは知っていたので、図書館で見かけたことは覚えていたのだろう。


 俺にとっては恋に落ちた大切な瞬間を、忘れないはずの辻が忘れている。そのことは俺をひどく傷つける。


 実はこんな出来事は今回が初めてじゃない。彼は一度でも面識のある人なら、見かけただけで人懐っこそうに微笑んだり、話しかけたりする。でも、俺にはそうじゃなかった。そんなことで傷つくなんて乙女かよ、と自分で思わなくもないけど、勝手に心はきしきし音を立てて痛む。


「こんなに痛いなら、恋なんてほんとくそみたいだ」


 小さく小さく声に出して言ってはみるけど、そんな音も図書館の古くて威厳ありそうな本たちに吸い込まれた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る