第33話 その瞳は何を映す その2

 あの少年はもうここには来ない。

 分かっていても、やはり気まずいものだ。

 昨日に続き繁華街に来た松永は、人の流れをただ眺め続ける。

 ターゲットが見つからないこともあり、先程からこぼれ出ていくのはため息ばかり。

 

「あ~、やだやだ。なんかこんな女々しいのは、俺らしくないっつーの」

  

 乱暴に頭をかき、いらだちと共に言葉を吐く。

 周辺の有力者たちからの協力を取り付けた今、自身がここで見張る必要性はさほどない。

 何よりこのストレスと集中を欠いた状態は、判断力の低下を招きかねない。

 いつもならばそれらを収めてくれる安定剤というべき煙草も、昨今の条例により、路上であるこの場所で吸うことは禁じられている。


 ネガティブな感情はさっさと切り替えねば。

 そう考え、目を閉じ心を落ち着かせていく。


 今日はもう、本部に戻った方がいいのではないか。

 次第にその考えへと、松永の心は傾いていく。


 浜尾に連絡をして都合が合えば、食事にでも誘おうか。

 穏やかな彼の笑顔が脳裏に浮かぶ。

 ……いや、だめだ。

 彼も今、自分とは別件で厄介な仕事を抱えている。


『自分のことは兄だと思ってほしい』 


 普段からそう公言している優しい彼のことだ。

 こちらの反応で何かあったのだと察し、無理をしてでも自分のために時間を作ろうとするだろう。

 

「出来の悪い弟は、せめて迷惑を掛けないようにしなきゃだもんなぁ」

「……おじさんも、兄ちゃんがいるの?」

「……へ?」


 聞き覚えのある変声期前の声が、後ろから響く。

 目を開き振り返れば、昨日の少年が立っているではないか。

 相手が子供とはいえ、近づく気配を察することも出来なかった。

 これは本当に判断力が落ちていると認めざるを得ない。


「お前、……俺が怖くないのか? 昨日あれだけいやなことされたんだぞ。俺のこと、嫌いになったんじゃないのか?」


 こちらの問いかけに、少年は困り顔ながらも答えてくる。


「……怖いよ。でも俺、おじさんのこと嫌いになってないもん。それに助けてもらったのに、ちゃんとお礼を言ってなかったし」


 少年は鞄から紙袋を取り出すと、松永へと差し出してきた。

 

「制服、貸してくれてありがと。これ返しに来た」

「あぁ、そっか。真面目だなぁ、お前」


 嫌われていない。

 どうしたことか、それに安堵してしまう自分がいる。

 紙袋を受け取ろうとするが、少年はそれを手放そうとしない。


「おいおい、それじゃあ返すにならないじゃねぇか」

「……」


 うつむき黙りこくったままの少年へとそう語れば、彼は震え声で松永へと言い放つ。


「おじさん、俺をかってほしいんだ」



◇◇◇◇◇ 



「はぁ、お前何を言ってんだよ?」

「俺、お金が欲しいんだ。早く家を出て、一人で誰にも知られずに生きたい」

「ちょっと待て、お前はお金持ちのおばさんの家に住んでいるんだろう?」


 何か欲しいものがある。

 そんな単純な理由で金を求めたわけではない。

 彼の必死な表情で、それは理解は出来た。


「……金を手に入れて、お前はどうしたいんだ?」


 問いかけに、少年は唇をかみしめうつむいていく。

 やがて顔を上げた彼の表情は、子供らしからぬうつろなものへと変化していた。


「俺、もういなくなりたい。どれだけがんばっても、強くなりたいっていろいろしても。いつもひどいことをされたり、言われたりするんだ。俺なんて、消えちゃえばいい。ずっとそう思ってる。……でも、そうしたら兄ちゃんはきっと悲しんじゃう。それは嫌なんだ」


 零れ落ちていく彼の思い。

 だがその顔に、一滴の涙もないことが、松永の心に引っ掛かる。


「それだけ辛いのに、なんでお前は泣かないんだ?」


 松永へと顔を向け、少年は語りだす。


「だって泣いたって誰も助けてくれなかった。だったらもう、泣かない。そう決めたから」


 返ってくるのは、年相応とは思えない拙い言葉。

 大人びた行動と性格で他者を圧倒する、自分の主とは正反対だ。


 それなのになぜだろう。

 この二人の姿が、ときおり重なって仕方がないのは。

 両親が揃っていないという境遇が、自分と同じである。

 それもあり、彼が気になってしまうのだろうか。


 ……いや、同じではない。

 自分には母の愛情があったが、この子はそれすら与えられなかったのだから。


 ならば少しだけ、彼が前を見据えることが出来るような言葉を伝えよう。

 それをどう聞くのかは、彼の判断次第だ。


「なぁ、おチビさん。強くなるっていうのは、いろんな方法があるぞ」

「え? 強くなるなら、運動やけんかをがんばればいいんじゃないの」

「まぁ、確かにそれも一つの方法ではあるんだが」


 松永は、人差し指でこめかみを軽く叩く。


「体を鍛えるのもいいが、頭も使え。世の中は力だけで回っているもんじゃない。視野を広くしていろんなものを見ろ、見つけてみろ。そうすればきっと」


 指先を少年へと指し示し、言葉を続ける。


「お前の世界は、確実に変わり始める」


 少年はこちらを見つめたまま動かない。

 だが空虚だった瞳に、わずかではあるが光が戻っていく。

 その変化を確認すると、松永は背を向け歩き出した。


「待って!」

「待たねぇよ。いいこと言って去っていくのが、一番格好良いおっさんの姿なんだよ」


 もう、これ以上の接触をするつもりもない。

 あとは彼自身が、自分で答えを見つけ……。


「ひどいよおじさん、俺をかうって言ったくせに! 逃げるなよ!」


 雑踏とはいえ、子供が大声で叫べば十分に目立つ。

 それはもちろん、周囲の注目を集めるには十分なほどにだ。


 ……ちょっと待て。

 今一番、自分は格好悪い姿になっていやしないか。

 思わず足を止めれば、駆け寄ってきた少年がひしと抱きついてくる。

 見渡さずとも、周りの人間がこちらを見ていることは容易に想像できた。


「落ち着け! 分かった、分かったから! ちょっとだけ待ってやる。だからこれ以上、騒がないでくれ」


 自分にしがみつき離れない彼を、引きずるようにして路地裏へと入っていく。

 誰もいないのを確認し、しゃがみ込み彼の顔をのぞき込めば、真剣なまなざしが自分へと向けられた。


「おじさんは男が好きなの? だったら俺、おじさんが好きになるようにするから」

「バカか! ガキが簡単にそういうことを言うんじゃない。そもそも俺は、男が好きなわけじゃねぇ」


 無知というべきか、純粋と呼ぶべきか。

 だが、前を向こうと努力する人間は嫌いではない。


「俺が好きなタイプは、ちゃんと敬語が使えるやつだ」


 にやりと笑い、松永は言葉を続ける。


「それと味噌汁を作ってくれたり、お姫様抱っこが好きなやつだな。どうだ、お前はそれが出来るか?」

「え、それは……」


 少年は再び唇をかみしめ、うつむいてしまう。


「まぁ、そういうことだ。こういう言葉にぱっと何か返せるようにする。それも、お前自身を変える一つの訓練になっていくだろうよ。じゃあな」

「ぱっと言う。それが俺が変われる方法……」


 独り言をつぶやく少年へと背を向け、松永は歩みを進めていく。


「おじさん、聞いて!」


 思わず足を止めるも、振り返ることはしない。

 そんな自分にひるむことなく、彼は話を始めていく。


「明日のこの時間に、もう一回だけ話をさせて。それでだめだったら俺、もうおじさんに会うのも探すこともしないから」


 震え声ではある。

 だが、その決意と勇気は付き合うに値すると判断できるもの。

 振り返れば、必死の表情でこちらを見ている少年と目が合う。

 いい顔をしているではないか。

 ならばこちらも、それなりの対応を。


「あぁ、いいぜ。お前の言う通り、一度だけチャンスをやろう。それが終わればお前ともおさらばだし、俺はもう二度とこの場所に現れることはない」 


 自分の口元に浮かび上がるのは、偽りではない自然な笑み。

 少年が頷いたのを見届け、松永は再び背を向ける。


「しっかりやれよ少年、俺をがっかりさせんじゃねぇぞ」

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