第9話 1.あんず色の世界で(9)

 眼鏡をかけているからなのか、口調のせいなのか、気難しい雰囲気が漂っている。どうにも近寄りがたい存在だ。


 そんな気難しそうな男の足元で、小鬼はキラキラとした目で男を見上げ、嬉しそうにしている。


 一体この人は、誰なのだろう?


 困惑のままに答えを求めて視線を彷徨わせていると、事務的な声が僕を射抜く。


「オドオドとするな。男だろう」


 そんな男の言葉を、困ったように小鬼がたしなめる。


「あの〜、小野さま。このご時世、そう言った発言はコンプライアンス的にアウトになりますので、ご注意下さい〜」

「うむ。そうか。いろいろとやりにくくなったものだ」


 そんなことを言いながら男は、ベッドの向かいに設置された机から椅子を引き出し、足を組んで座ると顎を摩りながら思案顔になる。案外物分かりの良い態度に少し拍子抜けしながらも、まだ男との距離を縮められないでいる僕は、あえて小鬼に声をかけた。


「ねぇ、小鬼。この人は?」

「あれ〜? ご紹介がまだでしたか? こちらの方は、冥界区役所事務官の小野おのたかむらさまです〜。僕の尊敬する上司です〜」

「また、余計なことを」


 事務官小野は小鬼を呆れたように一瞥し、冷めた口調で突き放した態度をとっている。しかし、余計なことを口にする小鬼のことを叱るわけでもなく、どうやら満更でもなさそうだ。


 こっそりと小野という男を観察していた僕は、そこで彼の名前が頭の片隅に引っ掛かった。


「小野篁? どこかで聞いたことがあるような……」

「ほう」


 事務官は眼鏡の奥の目を細めて、僕を見る。その視線が気になってなかなか答えを導き出せない僕は、俯き右手親指の爪を噛む。考えが纏まらない時に出る僕の悪癖だった。


 しかし、それをしたことにより平常心に近づいたらしく、答えが閃いた。


「あぁ、そうだっ! 地獄へ繋がる井戸を通った人だ」

「えぇ〜! 小野さまは現世でも有名なのですか〜? さすがですね〜」

「ほう。よく知っているな」


 小鬼の驚く様を無視して、事務官小野は僕に少しばかりの関心を示したようだった。


「でも、確か小野篁って平安時代の人だったような……。そんな昔の人が、今、目の前にいるなんてことはあり得ないし、僕の勘違いですね。すみません」

「謝ることはない。そなたは間違っていない」


「えっと……それは……」


 小野篁は、平安時代、何代もの帝に仕えた非常に優秀な人だったらしい。なにしろ頭脳明晰にして博学、博識、さらに実務能力にも優れているという、いわゆる、できる男。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る