5

「それで、どうするつもりだよ?」


 ヤナは出されたお茶を啜りながら、横目でネモを見て吐き出すように言った。ネモは自分の体の大きさからすると風呂桶くらいになる木製のコップを両手で抱え、淹れたての熱いお茶を吹き冷ましながら何とか飲んでいる。


「お前まさか、彼女とここで一緒に暮らすつもりじゃないだろうな」


 ウッドは首を小さく振って否定したが、そのつもりが全く無かった訳ではないことで、ヤナの目を正面から見返すことは出来なかった。


「以前の怪我した小鳥のように、傷が治ったら空に返してやるとか、そんなつもりか?」


 ヤナの言いたいことはよく理解していた。彼女はペグ族で自分はアルタイ族だ。決して交わってはならない二つの種族。今ヤナがここにペグ族がいると大声で叫べばたちまちに彼女は里の者に取り囲まれてしまうだろう。直ぐに捕らえられ、翌日までその命があるかどうか分からない。

 そうでなくともペグ族とアルタイ族というのは人生の時間が異なるらしい。永遠の寿命を持つと云われるアルタイ族と、虹のように短い時間しか存在することの出来ないと云われるペグ族。僅かでも同じ時を過ごしたいと願うことすら、叶い難いことなのだ。


「長に、話してみようかと思っている」

「長に、か」


 ヤナはそれを聞き、低くうなった。それなら何とかなるかも知れない。互いに視線を交わした時に同じ感触だったようだ。


「それにしても」


 溜息をこぼし、ヤナはまじまじとネモを見やる。彼女はどうして彼が自分を見ているのか不思議なようで、大きな黒い瞳をぱちくりとさせている。


「これで俺もお前の仲間入りか」

「何だ、それは」

「ペグ族を見た奴らはみんなどこかおかしくなる。俺の師匠もそうだった」

「別に俺は」

「おかしくはない。そう言い切れるのか?」


 ウッドを責めるような目で見るヤナの前に、ネモがその小さな体で両手をいっぱいに広げて立ちはだかる。


「な、何だってんだよ」


 そう言いながらもヤナはびっくりして座ったまま壁まで移動していた。


「駄目」

「はあ?」

「だーめ」


 よく分からない。といった体でヤナは諸手を挙げ、


「ま、用事はそんだけだから」


 と立ち上がる。そのヤナの右手の小指を掴み、ネモはそれをウッドの右手の方に近づける。


「何だ?」

「仲直り」


 それはウッドたちにとって何とも古臭い言葉だった。そもそも互いの「仲」などアルタイ族は気にしない。アルタイ族にとっては仲間とは役に立つか立たないか。強いか弱いか。そういった判断しかなされない。

 勿論ウッドはヤナにはそれ以上のものを感じているが。


「仲、なおり」


 いつまで経っても互いの手を取り合わないウッドとヤナに、しびれを切らしたようにネモが何度も連呼する。「仲直り」と。


「分かった」

「やるのか?」

「仕方ない」

「アルタイ族の俺らが、握手?」


 苦渋の表情のウッドと笑いを噛み殺しているヤナは互いに緊張気味に手を伸ばし、握った。

 握手。

 それは不思議な感覚だった。手を握ったまま、互いの顔をまじまじと見つめていると、腹のそこからむず痒いものが込み上がってきて、ウッドもヤナも撒き散らすようにして笑った。大声で笑った。


「俺たちが仲直りか」

「こりゃ、本当にペグ族と関わったらおかしくなるわな」


 そう言いながらもヤナはそれほど嫌がってはいないようだ。ネモはそんな二者の間で得意げにしている。ウッドはいい加減に握っているその手を離してもらいたいと思いながらも、何だか気分が良いのでそんな瑣末なことはどうでもいいか、とも思っていた。それはささやかだが、二百年ほど生きてきて初めて感じる体の浮遊感だった。

 そして激しく木戸が鳴った。

 何事かと構えるまでもなく、外から緊張に満ちた声が問い掛ける。


「ウッド! ここに歌虫がいるという報告が来た」


 ヤナの顔を見る。だが勿論彼はここに来てネモが居ることを知ったのだ。外に知らせる時間など無かった。

 ネモを見る。当然彼女も自らの身が危険にさらされるような真似などしないだろう。とすると、誰だ。


「ウッド! 隠し立てしても何もいいことは無いぞ!」


 ――誰だ?


「ここを開けないと強引に破ることになるぞ」


 声は里の警備隊長のものだ。吊り上りそうな濃い眉と常に怒鳴っている喉に引っかかる特徴ある声が、今日は更に緊迫感に満ちて張り裂けそうだった。


「どこかで見られたのか?」


 ヤナが小声で問う。覚えが無い。ひょっとするとあの一体だけ逃した奴だろうか。


「やれ」


 警備隊長の短い命令に続き、大きなものが木戸を鈍く大きな音を立てて軋ませる。時間が無かった。逃げ場も。

 ウッドは転がっている自分の剣に手を伸ばす。だがその手をヤナが止めた。


「お前は逃げろ」


 彼はそう言うなり、懐からマッチを取り出し、それに火を点けた。


「後は俺が何とかしてやる」

「ヤナ」

「取り合えず長なら、何とかいいようにしてくれるだろ」


 互いに視線を交わし、ウッドは直ぐに彼女を頭陀袋の中に放り込むと汲んである水を頭から被った。

 ヤナの手からマッチが放られる。藁で編まれたムシロは一気に炎を燃え上がらせた。壁こそ煉瓦を組んで作ってあるが、他は燃え種になるものばかりだ。

 その炎を薪に移してヤナは木戸の閂を貫いた。一気に部屋に警備隊が雪崩れ込んでくる。その中に炎を振りかざす。ヤナはそのまま外へと躍り出た。

 その隙にウッドは竈のブロックを抜く。竈を崩すと後ろには小さなくぐり穴が現れた。もしもの時の為とヤナが仕組んでおいてくれたものだ。何とかウッドがしゃがんで抜けられる程度のサイズだった。

 一度だけ部屋を見る。

 もう二度とここに戻ってくることは無いのだと思うと、胸が誰かに強く握られたみたいに痛んだ。

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