黒猫娘のブルーハロウィン

青月クロエ

第1話

 

 その街の外れには、昼日中の燦々と輝く太陽の下ですら薄暗く、どんよりと不気味な雰囲気を漂わせる大きな森が在った。


 興味本位で森に足を踏み入れようものならば、鬱蒼と生い茂り、森の奥深くどこまでも密集する木々に視界を遮られ、ごく細い小路、――というより、獣道??を通り抜けようとすれば、そこかしこに自生する野ばらの蔓が腕に絡みつき、蔓が絡みつく度棘によって皮膚が傷つけられていく。


 そうして、傷だらけで血に塗れながら散々歩き回った末に、気が付くといつの間にかまた森の入り口に戻ってしまう――、確かに奥まで進んだ筈だと言うのに。


 まるで、迷路のような――、誰かがこの森の奥に立ち入らせないよう、魔法でも掛けているのでは。


 そんな噂が徐々に街中へと広まっていき、年月を追うごとに誰もこの森の中に近づこうなどとは思わなくなっていった。


 しかし、人々が森に近づかなくなればその分、森に棲みつく者達の数は増えて行く。

 そう、いつしかこの森には人ならざるもの達――、ゾーラと言う魔女を筆頭に、ゴーストや獣人達が巣食う森へと変わっていったのだった。







 太陽が西の空へと沈んでいき、空一面が濃い橙色の夕闇から濃灰色の薄闇に変化する中、森の中でも特に木々や野草が野放図に繁茂する最深部――、池の前で一人の少女が佇んでいた。


 夜の闇を思わせる漆黒の長い髪に、切れ上がった鋭い金色の猫目。吊り上がり気味の細い眉の上で真っ直ぐに切り揃えられた前髪。


 全身黒で統一された服装も相まって、きつい印象を与える少女だったが、髪やワンピースと同じ黒の猫耳と尻尾からして、人ならざる者だということが伺えた。


 少女は池の前で独り言をぶつぶつと呟き、時折、小首を傾げてみせたり、不遜に腕を組んでみたり――、一人芝居の練習らしきことを行っているが、どの言い回しや仕草も今一つ気に入らないのか、ああでもない、こうでもないと、真剣に頭を悩ませている。


 その証拠に、最初の方はごく控えめな声と動きだったのが、時間が経つにつれて次第にどちらも大きくなっていった。


「トリック・オア・トリート!!お菓子をくれなきゃ、悪戯しちゃうわよ☆」


 通常の倍以上にトーンの高い声を発し、水面に向かって斜め四十五度の角度で上目遣いをしてみせる。


「……うん、何か違うよね……。あたしがやっても睨んでいるようにしか見えないしね……」


 やっぱり、あたしは強気な女王様キャラで攻めた方がいいのかな??でも、さじ加減を間違えると態度が大きい、って、人間の気分を害しちゃうかも……。


「イーニド??お前、何やってんだよ??」

「にぎゃああああぁぁぁぁ?!?!」


 思案に耽っているところへ、突如背後から声を掛けられた少女、もといイーニドは飛び上がらんばかりの勢いで驚き、盛大な悲鳴を上げた。


 すかさず振り返った先には、栗色の柔らかい髪と薄青色の瞳、銀色の大きく尖った三角耳とフサフサの尻尾を持つ、イーニドと同じくらいの年頃の少年――、狼男のマイクロフトがそれぞれの耳に両手を宛がい、鼻先を思いきり顰めている。


「う、うるせぇ奴……。しかも、悲鳴がちっとも可愛くねぇし……」

「あのねぇ!いきなり後ろから話し掛けられたら誰だって吃驚するわよ!!」


 驚かされたことに加え、誰にも見せたくない姿を見られた恥ずかしさから、イーニドはついつい必要以上にマイクロフトにきつい口調で言葉を返す。マイクロフトも、イーニドの態度に思わずムッとした顔を見せる。


 この二人(二匹??)は気心の知れた幼なじみ同然の仲ゆえに、言いたいことが言い合える、むしろ言いたい放題過ぎてしょっちゅう喧嘩ばかりしているのだ。


「はいはい、驚かせた俺が悪かったよ。すいませんねー」

「その言い方にちっとも反省の色を感じないんだけど……。まぁ、いいわ。で、あたしに何の用な訳??」

「あぁ……。お前のスイーツ()なご主人様が、半泣きになってお前を探していたぞ」

「何ですって?!ゾーラ様が?!大変だわ、今すぐにでも戻らなきゃ!!」

「おい、イーニド!」


 すぐさま身を翻し、池の淵から離れて繁茂する木々の中へと戻ろうとするイーニドをマイクロフトが呼び止める。


「何よ」

「俺さ、前から言いたかったんだけど……」


 マイクロフトは言いにくそうに表情を歪めて一呼吸置く。


「お前さぁ、いい加減……、あのロリ婆ぁの為にハロウィンの夜必死で菓子集めるの、やめたら??」

「…………」


 イーニドは、彼女が仕えている魔女ゾーラに、毎年ハロウィンの夜に集めた菓子を一つ残らず渡さなければいけなかった。


 それはハロウィンの翌日、魔女達の間でハロウィン後夜祭サバトが開催され、どれだけお菓子を集められたか、魔女達の間で競い合うからだ。


「お前はさ、『ゾーラ様の命令は絶対だから』って、一晩掛けて一生懸命集めたお菓子を、何食わぬ顔して全部持っていかれても文句一つ言わないけどさ。それっておかしくないか??そもそも、自分の分の菓子くらい、自分で集めろよって話だよな」

「別におかしくないわよ。捨て猫だった私を拾って下さった、ゾーラ様のお役に立てると思えば、これくらい何てことないわ。それに、後でちゃんとご褒美だって頂けるし」

「ご褒美ったって……、あいつが作った、微妙な出来具合の手作り菓子じゃねーか」


 イーニドに用があって彼女とゾーラの棲家に訪れた際、ゾーラお手製のクッキーやマドレーヌを振る舞われた時のことを思い出し、マイクロフトは舌を突きだしておえぇえ、と、わざと呻き声を絞り出す。


 何しろ、クッキーは真っ黒に焼け焦げて苦いばかりだったし、砂糖を入れ忘れたマドレーヌは味のない洗い物用スポンジを口にしているみたいだったからである。


「何てこと言うのよ!ゾーラ様が手ずから作って頂けるだけでも光栄の極みなの!!」

「訳分かんねぇ。何だ、その、たまにすごく優しくしてくれる駄目男に尽くす女みたいな考え方は……」

「ゾーラ様に何て失礼な例えを持ち出すのよ!!マイクの馬鹿!!」

「誰が馬鹿だ!!俺はお前の心配して……」

「余計なお世話よ!この犬っころ!!」

「てめぇ!!誰が犬っころだ!!」


 犬扱いされるのが大嫌いなマイクロフトはついに激怒し、狼少年から銀色の毛並みの狼へと変身。耳の近くまで裂けているように見える程、大きく真っ赤な口を目一杯開き、凶暴な唸り声を出してイーニドに飛び掛かろうとした。

 身の危険を感じたイーニドも猫耳少女から即座に黒猫に変身し、近くにあった木に素早くよじ登り、枝の上へと避難。


「おいコラ!イーニド!!木の上に逃げるなんて卑怯だぞ!!」


 狼少年の姿に戻っても、元が狼のマイクロフトは木登りができない。そんなマイクロフトを、猫耳少女に戻った姿で真上から見下ろすイーニド。


「卑怯で結構よ!!狼化したあんたには何されるか分からないもん。……とにかく、ゾーラ様の悪口を言うのはやめてよね!!それが無理なら、もう二度とあたしに構わないで!!前から思ってたけど……、あんたのお節介は鬱陶しいの!!」


 イーニドの辛辣な言葉に一瞬傷付いた顔を見せるマイクロフト。イーニドもハッとなり、しまった、と後悔するが時すでに遅し。


「あぁ、そうかよ!へっ!!こっちもお前みたいな、強情な馬鹿猫娘なんか知らねえよ!!」


 そう言い捨てると、マイクロフトは振り返りもせず、憤然とした様子でその場から立ち去ってしまった。

 唇をへの字に曲げながら、イーニドは木の上からマイクロフトの後ろ姿を成す術もなく見送るしかなかった。


 マイクロフトには売り言葉に買い言葉でついきつく当たってしまったが、ハロウィンが近づくとイーニドはいつも憂鬱な気分に陥っていた。


 ゾーラのためにより多くのお菓子を人間達から集めるにはどうしたらいいか、毎年頭を悩ませることはもちろん、少しだけ、ほんの少しだけ、自分用にお菓子が受け取れないことが寂しいと感じるからだ。


 他のゴーストや獣人達が、今年はどんなお菓子が貰えたのかという話題に華を咲かせているのを尻目に、籠一杯に集めたお菓子をゾーラに渡しに行く。


 自分は決して、あの和気藹々とした輪の中には入れない、などと、しょんぼりしながら歩いている途中、必ずと言っていい程、マイクロフトが後を追い掛けてくる。


『俺、この菓子あんまり好きじゃないから、お前にやる』


 それだけ告げると、イーニドが何か言おうと口を開く前に全速力で走り去っていく。

 マイクロフトがくれるのは決まって、彼が貰った菓子の中で一番美味しそうなものばかり。


 口は悪いしぶっきらぼうだけど、マイクはあたしを気遣ってあぁ言ってくれたのよね……。それなのに悪い事言っちゃったな。


 大切な主を悪く言われたことにばかり腹を立ててしまったけど、冷静になってみれば、ゾーラに「一つでもいいので、自分の分も菓子が欲しい」と頼めば済む話なのだ。


 ゾーラは色々と面倒な人ではあるが、根は魔女らしからぬ心優しい人だから、きっと「なぁんだ、そんなこと。どれでも好きなのを一つ選んで持っていってよー」と、あっさり聞いてくれそうな気もする。


 よし、棲家に辿り着いたら、早速ゾーラ様にお願いしてみよう。あと、今度マイクに会ったらちゃんと謝ろう。


 二つの決意を胸にしまうと、イーニドは宙をくるくるとトンボ返りしながら、木の上から地面へと降りたのだった。

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