第13話
テレビ電話の中で、話していた場所へとおもむく。研究員の借り部屋とちがい、家族が入れる4LDKタイプの広々とした空間だった。
ドアの前にはシライ博士が立っていた。普段見慣れている白衣姿とは違った雰囲気だ。肌色のポロシャツに身を包んでいる。
僕のつかれた顔色をみるなり、
「その様子だと方々を探しまわったのかな?」
と無垢な顔で覗き込んできた。
「さあ、入りたまえ!」
「お、おじゃまします」
僕は少し緊張していた
玄関には清楚な女性と女性の3分の1にも満たない女の子がいる。
「紹介するよ。妻の
女性が丁寧にお辞儀をした。女の子は僕を不思議な顔でみつめている。
やはり、僕の見間違えだったのだろうか。あの朝にみた女の子とよく似ている。だが、背丈がずいぶんと違っていたような気がした。
「佳穂、さっき話した戸岐原龍美くんだ!」
「はじめまして戸岐原龍美です」
「初めまして、シライ佳穂と娘のリンです。どうぞ!」
「失礼します!」
「君は運がいい。佳穂の作る創作料理にあたるとは……」
「もう、あなたったら、上手いんだから!」
博士にしてみれば、円満な家庭のようにみえた。僕は、博士の家族の暖かい雰囲気を満喫していた。
食卓には色とりどりの料理があった。夕食にしては、量が多く感じるほどの品目が並んでいる。
食事の最中、常に視線を娘さんであるリンちゃんから感じとっていた。時折、博士からのたあいないことを訊かれたが、僕は素直に話した。
「……そういや、君も僕に聞きたい事があったのだろう?
「はい、博士はあの実験の被験者として体験しているんですよね」
「まあね。半ば、強制的に参加させられたんだ。親父にだいぶ叱られもした。だが、自ら実験台になった事で、親父の言っていた口ぐせの意味がはっきりとわかったよ」
「お父さまは、なんて言ってらしたの?」
佳穂さんが興味深そうに聞いてくる。
「『経験に勝るものはない!』ってね。もとは祖父の言葉らしくて、それを僕に分からせたかったのかもな」
博士は、感慨にふけり思い出している様子だった。
「たぶん、君の育った世界の僕と違った人生かもしれない」
間違いなくちがっているこの人の過去だ。あの天然パーマのシライ博士は、【子供の頃に両親を亡くした】と言っていた。だからこそ、祖父の教えが身に染みていただけに、何かのきっかけで行方知れずになった祖父の足取りをたどり、探してほしいと頼んできたのだろう、と僕は思った。
「それで、僕がいちばん訊きたいことというのは、被験者がながい昏睡状態になってしまうかってことなんですが、いままでに実験を通して目覚めなかった人、というのはいたのでしょうか?」
「昏睡か……」
腕をくみ博士が難しい顔になった。その後、すぐ小首を左右に振って否定する。
「いいや、いままでにはない。新しい症例とみてとってもいいと思う。もちろん、君のタイムマシンを使用した際の症状も
博士は強く断言した。
「タイムマシンの……」
やはり、症状は似通っている。
「そうだ。だが、実際に実験してみないことには、確実性はないんだが、僕自身の仮説としては、被験者独自の心の問題だ。
やはり、僕の考察と同じ結論だった。この感覚は、体験者でないと到達できない答えなのかもしれない。さらに博士は話し出す。
「考えられる原因なら、深層意識の中の迷いが『深い眠りに』なっているのではないだろうか」
博士らしい説得力のある言葉だ。確かに、僕にも言えたことだった。タイムマシンの出発直前まで、本当にたどり着けるのだろうかという不安や、本当にもとの時代に戻って来れるのか、という不安があったのかもしれない。
ならば、彼女の不安要素はなんだろうか。身体の体調によるもの、もとの時代に戻れるという保証、あるいは、妹への不安が、本来の体と拒絶反応を起こして、
博士の家でもてなしを受け、僕は彼への信頼関係の実感を得た。少なくとも、博士と同じ結論にいたったことがうれしかった。
帰る間際、博士と奥さんにあいさつをした時、娘さんのリンちゃんが奇妙なことを言い出した。博士も佳穂さんも気に留めることはなかったが、僕には妙に気になった。
「こんど来るときは、ツグミお姉ちゃんと来てよね」
リンちゃんは、ツグミさんの年齢をどこで知ったのだろうか。僕には、まるで予言のような言い方のように思えた。博士の資料を読めるような年齢にも達していないというのに、もう自我に目覚めているようだ。
僕は、博士と夕食を済ませたあとも、自分の部屋に戻るまで、そのことで頭がいっぱいになっていた。
翌日、九籐さんが僕の部屋まで迎えにきた。彼女は、呼びにくる以外に昨日の博士とのやりとりと、今後の作業日程を伝えにきたようだった。
高橋ツグミさんが目覚めないことには、僕の目的も滞ったままになる。かといって、帰還の準備をしないわけにはいかない。
「……えっ、今なんて?」
「……だから、あなたの時代と今日、交信予定なの。高橋さんの移送完了と今の現状、今後の活動方針を報告予定でいるから。心の準備はしておいて。それから……シライ博士が、ツグミさんが乗ってきたタイムマシンを改造してふたり乗りにするそうだから第五実験場に来てほしい、と言っていたわ」
「いちばん大きい格納扉のですか?」
「そうよ、IDも顔認証も登録済みだからひとりでも平気よね?」
九籐さんは、すっかり僕の広報担当になっていた。
いつものように地下へと続くエレベーターで九籐さんが、博士の娘さんであるリンちゃんについて変なことを訊いてくる。
「龍美くん、仕事とは別の話なんだけど、いい?」
僕は、首を傾けずにはいられない不思議な顔をしていたかもしれない。
「ちょっと変なこと聞くようだけど……」
「なんですか?」
「博士の娘さんのことは知っているわよね?」
「ええ、先日、博士に招待されて会いました。リンちゃんがどうかしたんですか?」
「わたしの思い過ごしだと思うんだけど、もうひとりのリンちゃんを見かけたこと、ない?」
「えっ!?」
僕は一瞬硬直し言葉が出て来なかった。
彼女はすぐに首を二、三度振り続けた。
「う、うん……なんでもない。今のは忘れて……わたしの思い違いかもしれないから……」
僕はエレベーターの密室の中で彼女を注視していた。
どうしようか迷った。やはりあの日の朝、部屋の窓から見たのは……。
機械音の低く連続した音が、狭い空間内にこだました。静寂だけがそこにはあった。
やはり共有するべきだと口を開いた。静寂にも耐えきれないと思ったからだ。両手に拳を作り僕は決意した。
「九籐さんも……見かけたんですね?」
彼女は、ゆっくり振り向くどころか勢いよく顔を近くに寄せた。興奮気味に目を輝かせ、『やっぱり』と訴えかけてきた。
僕は、窓際で見た女の子のことを九籐さんに話した。彼女はそのことを聞くなり、
「……その子はリンちゃんで間違いないわ!」
と断言した。こんなことも言っていた。
「赤い服で、研究棟の方角を向いていたのでしょ?」
そもそも、彼女はどこで、もうひとりのリンちゃんを見たのだろう。【思いちがい】と感じるくらい一瞬だったのだろうか。
「九籐さんは、どこで見たんですか?」
「わたしの場合は、宿舎の階段で、すれ違って後ろからの横顔を見たの。夕方だったから勘違いかもって思ってる」
「でも、もし、もしですよ……成長したリンちゃんがいるとしたら、この時代にとどまる目的って……」
九籐さんは、首を何度も揺さぶって否定した。
「わからないわ。この時代じゃなきゃ手に入らないものなんて……」
「そうですよね……」
それ以上聞こうとはしなかった。エレベーターは階下で止まり、九籐さんはラボのあるセクションで降り、僕は、シライ博士が待っているという第五実験場のあるさらに下の階まで降りた。
つづく
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