第75話 1554年(天文二十三年)4月 杵築

 北島屋敷に集まる四人。その顔には期待と覚悟がみなぎり、時に喜悦が通り過ぎる。絶望の淵から蘇り、そのことを理解し、今を理解し、成すべき道を探し出したときから辛抱強くこの時を待っていた。輝かしい出雲を新たに始めるこの時を。

「但馬を落とし銀山を手に入れたな。これで尼子の財力は盤石となる。外の国との交易も順調だ」

「領内の民の統治も上手い。まさに民治の賢君じゃ」

「忍びを巧みにつかうな。手を汚すことを厭わん」

「よく周りをみておる。世の中が見えておる」

 四人の評価は高い。これほどの者になるとは予想しなかった。嬉しい誤算だ。

「元服も済ませ祝言も控えておる。ここらで取り込まねば後々周囲に疑念を抱かせることになろう」

「うむ、変わり始めたのがこの時ならば要らぬ疑念を抱くこともあるまい」

 四人は顔を見合わせた。明日だ。明日になれば事は成る。



 義久は八雲城にて知足院宗省ちそくいんそうしょうと会っていた。宗省は天文二十一年(1552年)より伊豆の北条氏への使僧として活動を始め尼子と北条の誼を深めてきた。小田原湊に尼子の朱印船が入り交易も始まっているし、義久と北条氏康は互いに書状をやり取りするまで関係を築いていた。

「宗省、伊豆の島を一つ北条から譲ってもらえるように交渉してくれ。領有権を譲れないなら借りるという形でもいい。式根島には人も住んでいないというのでそこが欲しい。必ず成し遂げよ」

「畏まりました。必ずや式根島、手に入れて見せまする」

 義久はゆくゆくは八丈島も手に入れたいと思っている。海上拠点はできるだけ欲しいのだ。毛利との関係が修復されたので瀬戸内海を通りやすくなった。残りは播磨か。如何するか思案中だ。

 宗省を見送ったあと、石見に出かける準備をしていたところ、杵築から使者がやってきた。珍しいこともあるもんだと義久は使者から用向きを聞く。北島国造が明日会いたいと言ってきた。また何やら無理難題を押し付けてくるのかと訝しんだが会わない訳にはいかない。わかったと返事をした。



 菊は最近、胸の奥になにやらもやもやした思いが陣どっているのに気付いた。これはなんだろう?いつからこんな思いが生じたのだろう。

 天文十五年(1546年)1月、数え七歳で出雲に来てから八年、三郎様と出会ってから今日までいろんな事があり、たくさん驚き、笑い、時には恐ろしい出来事もあったが、総じて楽しく幸せな日々を送ってきた。

 だがこんな思いが芽生えたことはない。菊はゆっくりとこの思いが芽生えた日を辿っていく。三郎様は義久様になった。尼子の当主になるから、いえならなくてはいけなかったから。毛利との盟約を結ぶために。当主同士が盟約を結ばなくてはいけなかったから。

 そのあたりだ。毛利の使者がやってきて盟約の話を持ちかけた。三郎様はそれを受け入れた。それの何が嫌なの…ただの盟約じゃないの、よくある事…

 ここまで振り返った菊ははたと気付いた。盟約に条件が追加されていた。毛利から嫁が来る。これだ。

 私は京極の娘、いや姫。足利の四識として申し分のない家格を持っている。たかが国人の毛利の娘とは格が違う。

 でも、三郎様、いえ義久様は…家格に重きを置いていない。その者がどのような家に生まれようと関係ない。尼子のために使えると思えば躊躇なく召し抱える。駄目だと思えばそれなりに従える。私は今まで義久様の力になろうと必死にやってきた。もう近江には帰れない、ここしか居場所がないからと。それに私は…義久様をお慕いしている。心の底から。この思いに嘘偽りはない。

 義久様はどうなんだろう。

 まだ祝言を上げていない菊は、突然現れた三郎の新たな妻に対して不安を感じていた。義久の心は自分に向いているのかどうか確かめたくなったのだ。


 その日、朝から異様な不安が菊を包んだ。尋常ではない。胸騒ぎがどんどん強くなる。

「初芽、初芽はどこ!」

「お菊様ここに」

「初芽、義久様は何処に居られる」

「御屋形様は北島屋敷に向かわれました」

「北島屋敷?何故」

「昨日北島様からお会いしたいとお伝えがありました」

 菊の胸に陣取る首飾りの勾玉が熱い。

「直ぐに北島屋敷に向かいます。馬を。それと手の者を呼びなさい」

「畏まりました」

 菊は着替えて厩に向かう。馬にまたがり走り出す。初芽が続く。本町通りを疾風のように駆け抜け山陰道を西に。海が見えると道が別れる。北に向かう道に進み杵築を目指す。


 北島屋敷のいつもの部屋で、義久と北島国造と千家国造が茶を飲みながら話をしている。

「御屋形様、但馬平定おめでとうございます。これにて山陰道はすべて尼子の国、杵築の威光がますます拡がりましょうぞ。して次は天下でございますか?」

 北島が二杯目のお茶を入れながら義久に問う。続けて千家が話を続ける。

「これほど国の力が増したとすれば、いよいよお約束を果たしていただけるのでしょうか」

「うん?約束とは」

「杵築大社を新たに造営されるのではなかったのでしょうか。大国主命の威光をより強く、大きくすると仰ったのは御屋形様でございます。天高く大社を築くと仰りましたな。もう出来るのではないでしょうか。御屋形様にとっても尼子の権勢を示す良き機会となるはず」

 義久は確かに言った。それを杵築を味方につける条件にした。しかしそれを今行えと。これから畿内に進もうとするこの時期に。まだ早いだろう。銭もいくらかかると思っているんだ。

「うむ、大社の造営は憶えている。だが今はまだだ。これからが大事なのだ」

「ではいつになれば、どうなれば成していただけるのでしょうか。はっきりさせてもらわねばなりません。我らの思い、行く先はとうに伝えております。それを蔑ろにされるとは…考えを改めなければなりませんか?」

 千家が詰め寄り義久は守勢に回る。

「まてまて、蔑ろになどしておらん。せめて…」

 義久は考えに沈む。くっ、いつもいきなり無理難題…ばかりい…って。。くるな。。。こいつら…。。。。。。

 義久は下を向きながら眠りに落ちた。茶に薬が入っていたようだ。


 義久は仰向けに寝かされた。部屋に藤林と三条公頼さんじょうきんよりが入ってきた。北島国造が『御神体』を持ってきて義久の頭の上に置いた。

「うむ、これで最後じゃな。誠に最後がこの者で僥倖じゃ。なかなかの逸材。我が王に感謝せねばならん」

「これで我が王家を滅ぼした憎き大和の者共に、鉄槌を食らわすことができる。出雲の国を今こそ蘇らさん」

 四人は義久の左右に二人づつ立ち、同時に手を組み目をつぶり祝詞を唱えだす。『御神体』が鈍い光を放ち始める。そして小さな光の粒が沸き起こる。

 義久に光の粒が降りかかろうとしていたとき、部屋の扉が開いた。

「何をしているのです!」

 四人の目に写ったのはお菊だった。

「義久様、義久様に何をした!!」

 駆け寄ってきたお菊を藤林が掴まえる。

「姫様、お静かに。直ぐに終わります」

 口を塞がれ、動きを封じられたお菊は動こうともがくが、当たり前動けるはずがない。

「うーっ、ううーっ」

 光の粒が義久を覆う。全身が隈無く覆われようとしたとき、菊が声にならない声で叫んだ

義久様わがきみ

 菊が着けていた首飾りが飛び出した。宙に浮いている。そして光りだした。強く眩い光が部屋に満ちていく。

 藤林はたまらず菊を放した。

【『巫女』が発動しました。現在稼働中の『神官』は一時停止します】

【『巫女』の権限により『神官』の作業は無効になりました。これより全ての『神官』は『巫女』の管理下に入ります】

 脳内に響く声に四人の神官は恐れおののく。ばかな、いったいなにが、巫女様だと。この女が!

 義久を包んでいた光の粒は御神体にもどっていく。そして声が響いた。

「お前たち、我がきみに何をしようとしたのだ。神官風情が、今すぐその首引きちぎってくれようか!!」

 四人は直ちに床に平伏し許しを請うべく釈明を始める。

「巫女様!我らは無き大王の無念を晴らすべく尼子を使い大和の末裔共を打ち滅ぼそうとしているのみにございます。決して、断じて巫女様の意に背いているわけではございません」

 北島が説明する。我らの行いは正当なものであると。

「ふっん忘れたのか。この巫女の役割を」

「そ、そんな忘れるなど」

「ならば聞け。ここに御わす尼子義久様こそ今生での出雲の大王であらされる。そしてわらわがお慕いし、お守りするただ一人の御方である。ここに我が王に巫女の祝福を与えよう」

 勾玉から一筋の光が義久の伸びた。そしてその光は義久を包んでいく。

「な、なんと義久様が大王さまに」

「出雲の大王は巫女の祝福によって大王となりその力を振るう資格を与えられる。其方らはこれから大王にお使えする忠実なしもべとなるが良い。とりあえず今回のことは不問に処す。しかと励むのじゃ。緩むことは許さん!!」

「はっ、はーっ」

 神官共は平身低頭必死に身を持って恭順の意を示す。

「妾が良いと言うまで何人もこの部屋に入れるでない。そして何人もこの屋敷に入れるでない。妾が呼べば即座に駆けつけよ。分かったらすぐに下がれ」

「はっ」

 四人は静かに、足早に部屋を出た。

「初芽はおるか」

「ここに」

 扉の外から返事がする。

「今あったことはすべて忘れるのだ。」

「承知しました」

「閨を用意せよ。殿を休ませねばならん」

「ただちに」

 初芽は準備にかかった。

 菊は宙に浮いた首飾りを掴み身につけた。横たわる義久の側に横たわり指で頬をなでた

義久様わがきみ。必ずお守りいたします」

 そのまま、義久の胸に顔を埋め涙を流した。

義久様よしひささま…菊は側にいとうございます」

 うんっ、と声が出て義久の目が開いた。

「義久様」

「おー?菊、どうしたんだ」

「どうしたも御屋形様は国造殿とお話の途中に眠ってしまいました。北島殿と千家殿が困っていましたよ」

「そ、そうか。悪いことをしたな。どれ」

 起き上がろうとする義久を菊が制した。

「お疲れなのです。このまま。すぐに閨の準備が整います。今日はお休みでございます。私が看病いたします」

「そーか。よし、そうするか。菊、よろしく頼む」

「はい、任されました」

 菊の顔に笑顔が戻った。好きな男と共に過ごす時間は必要だ。今後義久の行くところに出張っていこうと心に決めた菊であった。



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