第37話 1547年(天文十六年)7月 美作 高田城
「なにとぞ、なにとぞ三浦家の存続をお願い申し上げまする」
尼子晴久は頭を垂れ必死に訴える
「三浦家の家名は残そう。しかし高田は尼子が治める。そちと惣領の
「そ、それでは三浦家は」
「いずれ代官としてこの地か新たなる地で三浦家を興せば良い。命は取らん」
「…はっ…分かりました。仰せのままに」
牧尚春の顔には苦渋と安堵。相反する感情が乗っかっている。幼い主君を支える近習として牧尚春は覚悟を決めて主君と共に下がっていった。
天文十六年七月、尼子晴久は五千の軍勢を率いて美作に侵攻、三浦家の高田城を攻めた。高田城は落城し当初の予定通り晴久は三浦領を直轄化した。
国人衆は所領安堵して残しておいても時勢によって裏切る。兵は出すがたくさん集まったところで指揮系統が煩雑になり返って戦がやりにくくなる。烏合の衆と化してしまうこともままある。安堵してしまえば領地の政にそうそう口も出せん。
三郎が行っている座や関所の撤廃など新しき政にも国衆は邪魔だ。晴久は新しく組み込む国人衆は直臣として召し抱えることを選択した。そのためには国を任せることが可能な家臣が必要だ。有能な代官が必要なのだ。まだ尼子はその家臣が足りない。政を司る力量を持つ家臣を育てていかなくてはならぬ。簡単に他国を攻めることも出来なくなった。
美作攻めを前にして行った評定で三郎は言った。なぜ乱取りをするのだ。いつまでも乱取りできる土地があると思うのか。民百姓を捕まえてきて賦役をさせるのだが働き手が減った村では収穫できるコメが減ってゆくではないか。乱取りすればするほど貧しい土地ばかり増えてゆき民百姓の怨嗟は膨らみ続ける。結果、民は一揆を起こし武士は没落する。その一つの例が加賀一向一揆だろう。
民を生かす政をしなければ武士は生き残れない。支配できる民がいるから武士が存在できるのだ。尼子が民を生かせば民は尼子に従う。尼子を滅ぼそうとする輩から尼子を守ろうとするだろう。それが自分たちが生きていくのに最善の選択だからだ。
三郎の言葉を聞く家臣たちは難しい顔をしておった。儂も正直、何を言っているのか分からなかった。しかし最近鉄が増え、米が増え、物が城下でたくさん売買されるのを見ながら考えることが多くなった。出雲の国の有り様は如何になるべきか、考えるようになった。
国衆に領地はいらん。前から思っておった。美作を期に直臣を増やしていこうぞ。
高田城には宇山久信を城代として置く。今年の年貢は免除し来年から様子を見ながら年貢を取る。比率は五公五民から始まって四公六民にもっていく。これからの尼子は四公六民を年貢の比率とする。
これで神辺城に向かう準備はほぼできた。稲の刈り取り後、備後に向かうぞ。
晴久は高田城を宇山久信に任せ、一旦出雲に帰参する予定である。備後侵攻の前に一仕事あるのだ。晴久の正室は尼子国久の娘だが、去年次男(三郎四郎を長男と考える)の九郎四郎を産んだあと産後の肥立ちが悪く、新宮党粛清により心を病み、今年に入って亡くなってしまった。晴久と家臣たちは協議し新たなる正室を迎えることにした。対大内で共闘している大友家から当主、大友義鑑の娘を娶ることになった。(この娘は三郎の転生前の世界で
九月の頭に祝言を上げ月末か十月に備後に出陣する。美作は宇山と川副に任せておけばよい。伯耆もこのまま牛尾に任せることになるだろう。
備後の戦は厳しきものになる。たとえ神辺城が大内に落ちるにしても、何もせずに大内、毛利に備後を渡すわけにはいかん。
出雲への帰路に立ちながら晴久は気を引き締めていた。まだまだやらねばならぬことは多い。
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