第35話 1547年(天文十六年)6月 隠岐
海だ。出雲の海はエメラルドグリーンだ。マリンブルーではない。深緑なのだ。冬の海は灰色で白い波が荒れ狂う獰猛で恐ろしい海だが、初夏から秋にかけての出雲の海の美しさよ。俺は語る言葉を持たない。ただただずーっと見ていたい、それだけで心の奥に落ち着きが広がり優しい気持ちになれる素敵な海だ。
だが現実はそんなに優しくない。横道の一言が俺を引き戻す。
「三郎様、あと一刻ほどで西郷に着きます」
遠くに島影が見える。
俺は直轄軍百名を連れて
大小180の島々から成る隠岐諸島は隠岐国と呼ばれ守護は京極家だ。天文十六年の時点で隠岐国の守護が誰なのか曖昧だが、守護代は京極家から分かれた隠岐家だ。尼子は隠岐家を支援し在地国衆は隠岐家に下った。尼子から見れば隠岐家も国衆とかわらんな。俺もそういう認識だ。向こうはどう見てるんだろう。こっちは守護だから格上には思っているよな。
とにかく俺はここでやりたいことがある。直轄軍を連れてきたのは軍が海に慣れるのと、隠岐家と隠岐国衆に対する威圧だ。いずれ尼子は隠岐守護に任じられるだろう。その前に実効支配を進めて隠岐の開発を行う。それとここで南蛮船を造る。それが最大の目的だ。
西郷の湊に船をつけ軍を降ろす。直轄軍は黒の鎧兜に黒塗りの槍を持ち整列する。はっきり言って場違いだがそれがいい感じで威圧感を醸し出す。強訴討伐後は船に乗る移動訓練も行ったので船酔いは殆どない。出迎えは隠岐豊清(現隠岐家当主)とその供回り、別にもう一人男がいる。こいつだな、俺が呼べと言っておいたやつは。
「尼子三郎四郎様、ようこそ隠岐の国へ。隠岐守護代、
浅黒く焼けた顔と腕が締まった印象を与える。海の男といった感じだ。隠岐の村上家は隠岐に配流された後鳥羽上皇の世話をしたという旧い歴史を持つ豪族だ。
「両名とも出迎えご苦労である。隠岐にてやりたいことがあり、そのことを相談するためやって来た。すぐにでも会合を行いたい」
「かしこまりました。では、こちらへ」
国府城に入り俺、横道、米原、豊清、景宗五人で会合が始まる。
「豊清、景宗を預かりたい。景宗は次に宇龍に入ってくる唐船に乗ってアユタヤ、マラッカに行き南蛮人の船大工を連れてくるのだ。そして隠岐で南蛮船を造ってもらう」
二人は突拍子もない俺の話に、目をぱちくりさせている。
「アユタヤ、マラッカですか。して何故南蛮船をお造りになられるのでしょうか」
豊清が質問をしてくる。
「南蛮人は新たな土地を占領し外国の富を持ち去るために活動している。現にマラッカは南蛮人の手に落ちている。いずれ日の本にも本腰を入れてやってくるだろう。南蛮人と渡り合うには日の本も外に出ていかねばならん。よって尼子がこれからも生き残るために、今からでも準備を始めておきたいのだ。南蛮船はその準備の一部だ」
「南蛮人と戦うつもりでございますか」
「必要なら戦う。まだ分からんがな。戦うだけでなく南蛮に行くことも考えられる。世界が大きく広がるのだ。南蛮と渡り合うとはそういう意味だ」
俺はそう答えて景宗をみた。
「景宗、隠岐ならば秘密も守りやすい。朝鮮や更に北の地に行くにも都合がよい。豊清、西郷の湊を更に整備すれば風待ちの湊として栄える事ができる。二人の力を貸してくれ」
少し間が空いた後に景宗が口を開く。
「恐れながら申し上げます。村上が裏切るとは思ってないのですか。出来上がった南蛮船を使って尼子に反旗を翻すこともありましょう」
「な、何を言うのだ景宗!」
豊清が真っ青な顔になり景宗を叱責する。
俺は豊清を制し景宗に答えた。
「やってみたいのならやるが良いぞ。いつでも相手になろう」
俺と景宗の視線がかち合う。暫くしてふっと景宗が笑い頭を下げた。
「三郎様を拝謁し、またあの黒備えの足軽を見て合点がいきました。景宗、三郎様の下知に従います」
「よし、嬉しいぞ、景宗。ところで豊清はどうだ」
「ははっ、三郎様に従う所存にございます。正直、この隠岐にまで出向いてくださったのは三郎様が始めてにございます。ご配慮ありがたく存じます」
「豊清、これからは米原と共に事に当たってくれ。隠岐には四日ほど居て領内を見て回りたい。案内よろしく頼むぞ」
「ははっ」
こうして南蛮船を手に入れる動きが始まった。隱岐の国にも尼子の力が及んでいると認識させることもできた。
隠岐には離島ならではの生活がある。それも心得ながらうまく治めていこう。今すぐに何かを得られなくてもこの先きっと役に立つことがあると思う。俺の知っている歴史との乖離はどんどん進む。味方は多いほうがいいに決まっている。毛利に寝返らせてたまるか。隠岐は今後とも尼子領だ。
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