第7話
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柚須は目の前で起きていることが理解できずにいた。
自分の命を刈り取らんと伸ばされた腕は宙を掻き、少年が動きを止めたのだ。
「どういうつもりだ」
服を脱いでガシガシと頭を拭き始めた少年を睨み付ける柚須に少年が面倒くさそうな視線を投げる。
「別に。あんたみたいなの殺したらとんでもない罰が下りそうだから」
みるみる赤く染まっていくシャツを汚しているのは紛れもなく少年の血だ。
それをなんということもなく拭っていく少年に柚須は動揺と興奮で目をぎらつかせる。
何度も体に撃ち込んだはずの銃痕はおろか額を撃ち抜いた痕も綺麗になくなっている。
再生なんて言葉では生温い。まるでリセットだ。
「お前、不死身か」
馬鹿げている発言だと誰よりも理解しているのは柚須自身だ。
理論上不死身だと言われている生き物は確かに存在する。
水生生物に多く見られるその特徴をこの少年が享受しているというのならそれなりの特徴があって然るべきだ。
だというのにこの少年に
これほどの短期間で、しかも生命維持に不可欠な部分に死に至らしめるダメージを負ってもなお再生するなど、どうしたって納得のいくものではない。
「いつからそうなった。一体なんの生き物を取り込んだらそんな馬鹿げた体になるんだ」
「さぁ。不死身かどうかは死んだことないから確かめようがないね」
少年は血で濡れた服をアスファルトに投げ、首を傾げた。
「俺出来た時からこうだし、色々取り込んでるんじゃない?」
「生まれた時からだと?」
「そう言った。タカさん、新しい服ある?」
「ん?ああ、いや予備はないなぁ。お前さん小柄だから私らのじゃ大きすぎるだろう」
「そっか。まぁいいや」
タカも少年が柚須を手に掛けなかったことに驚いているのかどこかぼんやりとしたように答える。
「お前さん、この人をどうするんだ?」
「どうってどうもしないよ。訪ねてきたのはあっちでしょ」
「それは、そうだけども」
「どのみち私はお前を見逃すつもりはないよ」
様子を窺うタカに柚須が断言すると少年は、お好きにどうぞ、と呟いた。
「俺はあんたについていく気はないし、ここを離れるつもりもない。あんたが何度来ようともな」
「そうか。ならその気にさせるだけだ。ああ、そうだ。食事の心配はもうしなくていいぞ。私の方で手配するから」
少年は不満げな顔を隠しもせず、そう、とだけ言った。
「それで俺を飼い慣らそうって?」
「違う。少なくともお前にこれ以上殺しをさせるわけにはいかないからな。お前がここに居座ってる間に被害者の数を際限なく増やされたら堪らん」
この時少年は柚須との会話の中で初めて長く考え込んだ。
真意を探ろうとしているのか柚須の顔をじっと見つめ、静寂が流れていく。
「その条件を呑んだら、俺はどうなる?」
その少年の反応は、柚須の想定を超えるものだった。
「別にどうもならんよ。今のところはな」
「あ、そ。じゃあ一応聞いておく。────ああ」
話はこれで終わりだと言わんばかりに踵を返した少年が、何かを思い出したように足を止めた。
「あんた、俺みたいなのを捕まえてるって言ったな」
「ああ」
「この間の人は仲間なの?」
「この間の人?」
「俺みたいなのを連れてた女だよ。俺の後を付けてたでしょ」
そこでようやく合点がいった柚須は、懐から一枚の写真を撮りだした。
「それは彼女のことか」
「ああ、そう。そんな顔だった」
決して少年に近付いたわけではないが、少年にとってその程度の距離は手元の写真一枚を見るにはなんの支障も無いものだったらしい。
目を凝らすでもなく少年は頷いた。
「彼女は仲間じゃない。彼女はお前の犯行の目撃者だよ。お前が潜伏しているこの場所を教えてくれたのも彼女だ。それより」
柚須の目が鋭く光る。
「俺みたいなのを連れていたと言ったな。そこのところを詳しく話せ」
「本人に直接聞けばいいでしょ」
そううまくはいかないか。どうやらここまでらしい。
今現在丸腰の柚須にしてみれば、少年から話を聞き出すのはあまりにもリスクが高い。
これだけ聞き出せただけでもいい方だろう。
「そうだな。そうしよう」
そう自分に言い聞かせるようにして頷いた柚須に、今度こそ院内へと消えていった少年に長く息をついた。
極度の緊張状態にあった体は、冬も近いというのに薄く汗をかいている。
「お嬢さん、平気かい」
「ああ」
タカに返事をして先ほど握り潰された拳銃の残骸に視線を落とす。
「奴の気分に左右されたのは
いつものように力でねじ伏せて事態の収拾をはかるつもりだったが、それ以上の暴力の前ではあまりに無力だった。
噛みしめるようにひしゃげた残骸を拾い上げ、ホルスターに納める。
「タ、タカさん」
ずっと様子を静観していたホームレス仲間が、顔を青くしながらようやく口を開いた。
「なん、なんなんだ、あの小僧。確かにその女に撃たれてたじゃないか。なのになんでピンピンしてんだよ」
「そうだよ、俺たちゃあこんな化け物と一緒にいたってのか?」
「なんで教えてくれなかったんだよ」
「言ったってお前さん達信じんだろ」
「そりゃあ、そうだけども」
非難の目を向けられたタカがそう言うと口々に不満を漏らしていたホームレス達が口ごもる。
「どんな人間だろうと拒まず後も追わない。詮索なんてもってのほか。私らみたいなのはそういうもんだ。それにあんたらだって彼の恩恵を受けてきたろう」
「だからってこんな化け物飼ってるなんて思わねぇだろ」
「そ、そうだよ!こんな奴だって知ってたら俺らだって」
「喧嘩なら余所でやれ。見苦しいぞ」
柚須の言葉にホームレスが一斉に睨む。
「お前が来なければ俺たちは今まで通り平穏に暮らせてたんだぞ!」
「人を殺して手に入れた豪勢な食事でか?大した根性だな」
「な、なにを」
「言いたいことがあるなら本人に言えばいい。幸い奴は話が通じる希有なキメラだ。まぁ、しくじったらどうなるかは分かっているだろうがね」
ホルスターを指で叩くとホームレスは顔を引きつらせて目を伏せた。
間近でその力を見てしまってはこうなるのも無理はない。
「別にこの病院に限らず四番街には身を寄せる場所なぞいくらでもあるだろう。奴はここを動く気は無いと言ってるんだ。寝床を移した方が賢明だぞ」
遠くから車の走る音が近付いてくる。
待機させていた部隊がやっと来たのだろう。
「タカと言ったな。お前は一緒に来てもらう。山ほど聞きたいことがあるんでな」
「ああ、分かりました」
困ったように笑ったタカが垢まみれの頬を掻く。
「いやぁ、なんだかいろんな事が起きすぎて何がなにやら」
「そのわりには落ち着いてるように見えるが?」
「そうかもしれませんねぇ」
タカは少年が脱ぎ捨てた血まみれの服を拾い上げ、目を細めて頷く。
「これでも彼とは長い付き合いですからね。慣れってのは恐ろしいもんです、本当に」
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