第38話 若き者、幼き者
「はい。生贄を捧げるのも、その生贄を食べるのも……彼らにとってはしきたりを守ってるだけなんで、罪の意識なんてものはないわけです。だから、
「ああ、そういう事か。もう人間と言えるのかどうか疑わしいくらいの変化だもんな……」
「僕にしてみれば不思議ですけどね。だって、人間の中には、死ぬ事を怖がってなるべく先延ばしにしたがる人がいっぱいいるのに。……その集落の人たちが、たまたまそうじゃなかっただけでしょうか?」
「さあな……。死ぬのは怖いに違いねえとは思うが。……かといって、そこまで長生きもしたくないんじゃないか?」
故郷に謎の集団が押し入ってきた日の事や船を盗もうとしてキャプテンに見つかったときの事が、癖毛の男の脳裏を駆け巡ります。彼が死を覚悟し、同時に恐怖に呑まれそうになった瞬間といえば、そのふたつをおいて他にないでしょう。
「まぁ、好き好んでよぼよぼの体で長生きしたい人は確かにそんなにいないかもしれませんけど。若い体のままだったとしても、嫌ですか?」
人魚の男は心底わからないといった様子で首を傾げています。
「…………嫌、なんじゃないか? そいつらの人間関係だって、なにも集落の中だけで完結してるわけじゃねえだろうし。同じように年を取らなくなった集落の仲間はいたにしても、時代の流れについていけるとも限らない。体は不老でも、精神の加齢は止まってなかった……って風には考えられねえか? そいつらの中身が順当に老けていってたんだとしたら…………」
「あっ……。体はいつまでも若々しくても、頭や心が新しいものを取り入れる事を拒絶しちゃうのか! その観点はなかったですね。長い時間を過ごすなら沢山のものに触れていったほうが退屈しないと思いますけど、それが難しいとなると……。確かに、長生きできたって全然ありがたくないですね」
「俺ならそう思うんじゃないかってだけだから、本当のところはわからないけどな。異変に気付いてすぐのうちは、諸手を挙げて喜んでた可能性だってある。中身の変化は外見に比べてわかりにくいしさ」
癖毛の男はそう言うと、この数年間を振り返ります。現在の自分は、海賊になった直後よりも成長できているだろうか、と。
「だとしても、貴重な意見ですよ。僕には思いつきませんでした。何度も繰り返し考えてきたけど、人間の考えにはなかなか近付けないなぁ……。僕ね、あの言い伝えが人魚が不吉なものと見做されたきっかけなんだっていうのはなんとなくわかっても、納得できなかったんです。どこかで理解を拒んでました」
人魚の男は大きな瞳と美しい声を小刻みに揺らします。ほとんど息のような発声は頼りなく、癖毛の男はひとつも聞き漏らすまいと耳をそばだてました。
「やっぱり何百年も生きられるなんて普通の人間じゃありえない事だし、しかも急に年を取らなくなったら戸惑うだけで済むはずもない……。怪物になっちゃったみたいに感じるのかな? それって、僕たちまでバケモノ扱いされてるみたいで悲しいなぁ……って」
「…………ごめん」
「あなたが謝る事じゃないですよ。僕はあなたに傷つけられたわけじゃありません」
「いまのは俺自身の謝罪でもそいつらの代弁でもなくて、俺が一部の人間を代表したんだと思ってほしい。言い訳に過ぎないにしても、未知の物事に対する警戒心が強い奴は少なくない。話に出てきた集落みたいな変わった風習のある地域なんかは、特に排他的だったりするしな……」
人魚の大袈裟に作った笑顔が痛々しく、癖毛の男は彼の悲しみに充てる言葉を探して脳内の記憶をひっくり返します。小さな農村の民や世界各国の人々に見られた共通点を。そうして浮かび上がってきたのは、彼自身が何度も人間嫌いになってしまいそうになった種族全体の傾向でした。
「それは……でも、人魚にだって同じ事が言えます。僕たちの場合は少しの油断が命取りですから、過敏なくらいに神経質というか。だから、警戒心の強さを否定するつもりはないですけど、なおさら馬鹿馬鹿しい話ですね。人間と人魚って、本当はものすごく似た者同士なのに、お互いに知ろうともしないからいつまでも溝が埋まっていかないんです。よく知らないものを警戒しちゃうのは仕方ないけど、勝手にどういうものか決めつけてかかって敬遠するなんて…………。あ、そうだ。あなたにはもう話しましたっけ? 人魚も基本的に人間に近寄ろうとしない個体が多いって」
人魚の男は思いの丈をぶつけて少しは気が済んだのか、思い出したように癖毛の男に尋ねました。
「出会ってすぐに聞いた気がするな。『海を汚したり邪な目で見たりしてくる奴がいるから』って」
「話してましたか。…………ごめんなさい。それ、ちょっと嘘なんです」
「嘘?」
癖毛の男は怪訝な顔で繰り返します。すると、人魚の男は憎々しげに唸って説明を始めました。
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