第23話 生きる商品


 要塞に到着してからは、自分が人間である事を疑いたくなるほど過酷な日々が幕を開けました。襲撃犯の正体は悪徳な奴隷商だったのです。村人たちが無理矢理そこへ連れてこられたのは、奴隷として出荷するため。


 人目につきにくく警備の行き届かない村の位置に、農作業で鍛えられた強い肉体なども、彼らが狙い撃ちされた理由だったのかもしれません。彼らは奴隷商人たちにとって優良な商品でした。


 しかし、拉致された人々はすぐに売却されるわけではなく、輸出されるまでの期間をそこで過ごします。太陽のリズムと生きてきた農夫たちは、当たり前のように早朝から日没まで浴びていた陽光の届かないじめじめした地下に収容されました。


 最初のうちは激しく抵抗したり、脱走を試みたりする者も多数いましたが、そのたびに他の奴隷の前でひどい体罰が行われ、受ける者たちもその様子を見せられる者たちも日を追うごとに気力と体力を削がれていきます。彼らは光のないぼやっとした眼で、とっくにわからなくなった日付を数えました。

 

 反抗的な態度を取らずとも、機嫌の悪い商人たちの憂さ晴らしのため、日常的に折檻されている奴隷たちの体には、手枷足枷などの拘束具の痕に加え、痛々しい生傷が絶えません。彼らの居住空間は人数に対して狭すぎるだけでなく、とても不衛生だったため、傷口から病気に感染し、そのまま帰らぬ人となった仲間もいます。


 そうして出た死体は運び出されて海へ捨てられたといいますが、生きた状態で海を渡り、そのあとも続く人生を奴隷として過ごすのと果たしてどちらがましだったのでしょうか。亡くなった家族や仲間の遺体を見送りながら、彼は考えます。


 しかし、悲嘆に暮れている余裕などありません。生き残った者たちを待ち受けていたのは、さらなる地獄でした。輸出されるにあたって、彼らは奴隷船に乗せられます。脱出防止用の棘付きバリケードに囲われたその船は、さながら移動式の監獄。


 彼らの船出は夜が更けてからでした。奴隷たちは足鎖で二人一組にされ、甲板の下にある船室に閉じ込められます。要塞の地下同様、十分なスペースは与えられず、人々は身動きの取れない状態で寝転がらされ、目的地に到着する日を待ちました。

 

 彼とペアを組まされたのは、右腕に深い傷痕のある少年です。二人は要塞に収容されていたときから互いの顔はうっすらと知っていましたが、話した事はありません。声を掛けてきたのは、その少年のほうでした。『お前の髪、雲みたいにふわふわでいいな!』と。


 なかなか眠れない二人は、声を潜めて自己紹介を兼ねた身の上話を始めます。傷痕の少年は襲撃を受けたわけではなく、身分を偽った奴隷商人に言葉巧みに騙され、ついてきてしまったのだと言いました。悪徳な奴隷商は、あらゆる手段で各地から奴隷として売り払うための人間を確保しているようです。


「俺はぜってえ奴隷から解放されて自由に生きるんだ。いまは無理だけどよ、いつか必ず!」 

 

 傷痕の少年は、自分たちの置かれている劣悪な環境への不平不満を垂れたあと、暗い天井に向かって言いました。復讐にその身を焦がして息を巻くのではなく、ただここから逃げ出す事だけを望む彼の眼は、他の誰もがとうに消してしまった輝きをともしていました。鏡はおろか窓もない場所にいた彼は自分の顔など久しく眺めていませんでしたが、きっと他の大多数と同じ目をしているのだろうと思います。

 

「自由って……どんな風に?」


「お前の好きな事ってなんだ?」


 きらきらの目をした少年の言う『自由』。それがどういうものかわからずに尋ねてみたもう片方の少年は、質問を質問で返されて一度は面食らってしまいます。ですが、その問いは迷いを導く鍵でした。


「好きな事? …………なんだろう。沢山あった気がするけど、全部忘れちゃったみたいだ」

 

「そうか! じゃあ、まずはそっからだ! ちゃんと全部思い出せるといいな。新しく見つけたっていいしよ! それも『自由』っぽくねえか?」


 正直に答えた少年に笑いかける右腕に傷痕のある少年。彼は両腕をめいっぱい広げようとしましたが、手枷に阻まれ、無慈悲な金属音が涛声の上に乗っただけでした。けれど、彼は笑顔のまま舌を出しています。雲のような髪を持つ少年は、このときにはもう彼の事がとても好きになっていました。


「うん、そうだね。あまりよくわからないけど、ちょっとわくわくする……」


 少年は、彼の髪の毛と同じに、ふわふわと微笑みを浮かべました。

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