第19話 命の恩人
「嫌だ……。こんなところで死にたくない! せっかく自由になったのに!!」
癖毛の男は、半狂乱で藻掻く傷のある男の絶叫を他人事のように眺めている自身の冷酷さが恐ろしくなりました。かわいそうに、せっかく塞がった傷痕の上からは三叉槍が貫通してしまっています。重なって十字架の形になった二枚の板に縫い留められた彼は、磔刑に処されているようでした。致命傷ではありませんが、どのみち誰も助かる見込みはないでしょう。
他の者同様、癖毛の男も無駄な足掻きはやめました。ここで終わる事を理解し、いままでの狼藉を悔いました。自分の意志ではなかったとしても、沢山の人の大切なものを奪ってきた自分には当然の報いだと受け入れた彼は、全身の力を抜いて身を任せます。なぜだかとても心地よく、懐かしい気分でした。
目を閉じる寸前、ものすごいスピードで自分をめがけてやってくる何者かの残像を捉えましたが、死にゆく彼には関係ありません。好きに食い散らかせばいいと投げやりにも思いました。砕けた木片にぶつけて怪我をしていたので、どうせ血の臭いに釣られたサメかなにかだろうと考えたのです。彼は意識を手放すと、ひっそり世界に別れを告げました。
「この人だけでも助けられたらいいけど……間に合うかな…………」
明らかに船の者ではない言葉遣いに声。傍らにいるのは誰なのでしょう。てっきり死んだものだと思っていましたが、そうではないようです。直接、誰かと言葉を交わしたわけではありませんでしたが、せっかく覚悟を決めたのに……と癖毛の男は途端に恥ずかしくなりました。
状況と台詞に鑑みるに、親切な誰かが救助してくれたと見て間違いはないでしょう。訊きたい事もあります。彼が重い瞼をこじ開ければ、真上から覗き込んでいた何者かとばっちり目が合いました。
「あっ! お目覚めですね! はぁ……本当によかった…………」
「あなたが助けてくれたんですよね。ありがとうございます」
視界に飛び込んできたのは、人懐っこい印象の大きく潤んだ瞳。恩人とおぼしきその男は柔らかそうなまばゆい金の髪をしており、ところどころに水色のメッシュが入っています。彼が上半身裸でいる事には触れないでおくべきかと迷っていると、男はにこやかに答えました。
「いえいえ。たまたま近くにいただけですから」
「あの……他にも誰か見ませんでしたか? たとえば、右腕に目立つ傷痕のある男とか……いや、傷痕じゃなくて傷か」
癖毛の男は、一番に相棒の安否確認をしようと彼の特徴を伝えましたが、最後に見た彼は傷痕の上から三叉槍に腕を刺し貫かれていた事を思い出し、慌てて訂正します。
「見てないですけど……。やっぱり、あなた一人じゃなかったんですね」
金髪の男は静かに言いました。
「……え? 誰もいなかったのか?」
癖毛の男は上体を起こして周囲の気配を探りますが、自分たちの他には誰もいないとわかると脱力し、いつもの口調に戻ってしまいました。
「はい。ここを一人で……っていうのは、よっぽどの事でもなければないでしょうし、そうだろうと思ってはいたんですけど」
「なあ、この海は一体なんなんだ? なにが起きて、なぜ俺だけが生きてる……」
前半は質問でしたが、後半は独り言でした。癖毛の頭をがしがしと掻く彼は目を限界まで見開き、その身に降りかかった悪夢を追い払おうと必死ですが、動悸は激しさを増すばかり。
「このあたりは、いくつかある『魔の海域』のひとつなんです」
金髪の男は、いまは凪いでいる海を見つめて言いました。
「その『魔の海域』ってのは?」
「ここを通って消えてしまう船が後を絶たないので、そう呼ばれてて」
「船が……消える?」
癖毛の男は意味がわからないと言わんばかりに水平の眉を上下の段に分けました。
「なんか……メ、メタなんとか? とかいう物質が関係してるらしいんですけど、僕もあんまり詳しくなくて」
金髪の男の証言はヒントというには頼りないものでしたが、覚え間違いではありませんでした。しかし、癖毛の男にも見当がつきません。奴隷の身分から解放されて海賊となったいまも、彼にはなにかを学ぶ時間さえ与えられてはいなかったのです。
「へえ……。まあ、正体不明の怪物じゃねえって事はわかったからいいか」
「で、次の質問についてですけど……運がよかったとしか言いようがないですね」
金髪の男は、後半の独り言を疑問として受け取ったようでした。癖毛の男も黙って聞いています。
「僕の国も、ちょうどあなたたちの船が吸い込まれた真下あたりの位置にあって。同じように魔の海域の餌食になった船に積んであったんだろうなぁって思う財宝とかはたまに見かけます。あとは、壊れた船の残骸も。……けど、それに乗ってたはずの人間はまだ見た事ないんです。どこに消えちゃうっていうんですかねぇ……」
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