おひとり様~阿呆な彼と堅物な彼女~
もなか翔
第1話 堅物な彼女
突然、私が暮らす家に押しかけて来た男は同じ父を持つ旅人だった。
「おはようございます」
いつもと変わらずに出勤する25歳の
毎日行う検温を済ませたすみれはスタッフの一日の行動が記載されたシフト表に体温を書き込む。
「染高さん! 昨日で清掃チェックシートなくなったから印刷しといてね」
「はい、かしこまりました」
すみれはパソコンのロックを解除した後、チェックシートが入ってあるファイルを開いてすぐに印刷する。店舗の清掃関連を任されているすみれは今年から清掃リーダーに任命された。彼女は仕事において一番大切なのは清掃業務だと思っている。
部屋の乱れは心の乱れ。
店の床にゴミやホコリが落ちていたり、服がホコリまみれだったら当然お客様は商品を買わずに帰っていく。それどころか、次からお客様はこの店舗に来ようと思わない。どれだけスタッフの接客レベルが高くても、店が美しくなければ意味がない。
朝一出勤するスタッフは少なく、すみれを合わせて五人ほど。朝は主婦が多く、入れ替わりで昼から学生バイトや遅番出勤できる社員が出勤する。
前日休みだったすみれは昨日のチェックシートを確認する。確認者の印に「
「反田さん。昨日の清掃で気になるところがありまして……」
「どうしました?」
「はい。ここ、バツがついているのですがその後、道尾さんにフィードバックしました?」
「はい。しました」
「でしたら、道尾さんのハンコももらってください」
本当は自分が清掃をした方が完璧で早いのだが、週二日休みが必ずあるからそうはいかず。それにすみれは店長との面談を思い出す。
「皆さん、染高さんを頼りにしています。ただ、染高さんだけが清掃するわけではないので、他のスタッフにも教えてほしいのです」
「でも、私がやった方が」
「いえ、染高さんには他の業務もありますのでよろしくお願いします」
感染症の影響で客数が減ったとはいえ、何かしら忙しいすみれ。気づけば退勤時間になっている。歳を取るごとに時間の流れが早く感じる。
「お疲れ様でした」
すみれは帰宅する。
実家は喫茶店をやっており、一軒家の自宅すぐ隣に構えている。店の名前は百合を意味する「リリィ」である。すみれの母親は
手を洗い、家事を始めるすみれ。母は19時まで喫茶店を開けている。もうすぐで閉店時間だ。でも、店を閉めてからも仕事は残っている。
閉店時間の19時を過ぎ、すみれも喫茶店の後片付けを手伝う。
「明日も早いでしょ。こっちはいいから」
「大丈夫。お母さんこそ、大変でしょ」
すみれは飛沫防止のパーテーション、机に椅子と消毒する。感染症が起きてから、消毒という新たな仕事の項目ができた。すみれの働く職場もそうだ。お客様が触れる場所は必ず消毒をする。
二人が後片付けをしていると店の扉が開いた。closeの看板がかかっていたはず。一人の若い男性がやって来る。
「あの……俺、
自己紹介をされてもとすみれは閉店したと告げる。どうやら彼は店の来客ではないらしい。
「相楽ってもしかしてあの相楽さん?」
母の百合子は思い当たる節があるみたいだった。
「はい。俺は百合子さんの元旦那の息子です」
突然、押しかけて来た相楽裕介って男はすみれの異母兄妹だった。
※
母親に電話をかける職業旅人の27歳、相楽裕介。
「あっ、母さん。やっと日本に帰ってこれたよ。ごめんね、連絡取れずで」
電話の向こう側にいる母親の様子が変だった。
「すぐに家に帰るよ」
「二週間は帰ってきちゃダメ」
「どうしたんだよ。久しぶりの再会だよ?」
母親は新型コロナウイルス感染症にかかってしまい、病床不足で自宅に隔離されているらしい。幸いにも軽い症状で済んでいる。
「あのさ、二週間ってそれは濃厚接触の――」
「とにかく心配だから。万が一、裕ちゃんにかかったらどうするの。若いからって大丈夫じゃないんだから!」
「心配しすぎだって」
「これは命にかかる問題なのよ。わかっているの⁉」
裕介の母親はヒートアップすると徐々に怒り気味なトーンで話し始める。今はまさにその一歩手前である。
「でも俺、今無一文だよ? 二週間、どう生きろっていうの」
「お金も渡せないから、そこらへんで過ごしなさい‼」
母親は電話を切った。
「あれほど心配して、最後は鬼じゃん。そこらへんで過ごせって言われてもな……」
とりあえず、大きなバッグを背負って歩く裕介。
日本に戻ってきたのは二年ぶりである。新卒入社した会社を辞め、旅を始めた瞬間訪れた新型コロナウイルス感染症。約二年間、日本に戻ってこれなかった。
どうするものかと頭を抱える裕介。スマホを新しいのに変えたことで友人たちの連絡先が電話帳に入っていない。そもそも電話帳を使ったことがなく、ほとんど無料通話のアプリでやり取りしていた。そのアプリもバックアップがとれておらず、全部のデータが消えた。
「あああ‼」
突然、閃いた裕介。過去に離婚した父親のことについて調べたことがあった。すると、父親は別の女性と結婚しており、娘までいた事が発覚した。再婚相手の女性は喫茶店を一人で営んでおり、たしか店の名前は百合を意味する「リリィ」だった気がする。
昔のことであり、うろ覚えだった裕介はスマホで《喫茶店 リリィ》と調べる。数多くの喫茶店の写真が表示される。
「うわぁ……いっぱいあるな。どこだっけな」
裕介はスクロールしていくが、どの店も違う気がする。新たに検索に住んでいる場所を入力する。すると、店の数が絞られる。そして、見つけた。
「よし。ここだな」
ちなみに裕介が物心ついた時にはもう父親はいなかった。だから、顔もどんな人なのかも知らない。
そして現在に至る。
「で、その
普通に会話を始める百合子。相楽裕次郎は裕介の父親の名前だ。
裕介は膝を床につけ、頭を下げる。
「二週間ほど、泊まらせてください! お願いします!」
「ちょっとおかしいから! で、早く頭を上げなさい」
困っている百合子二すみれが割って入ってくる。すみれの言葉通り、頭を上げてすぐに裕介は立つ。
「あなたは何を言っているんですか。離婚したお父さんが別の女性とつくった子ども? おかしいんじゃないですか!」
「でもホントなんだってば。今、証明できるもの持ってないけど」
「はあ⁉」
おとなしい女性かと思いきや、鬼のように起こって来るすみれに恐れる裕介。
裕介の事情を尋ねる百合子。裕介が嘘を言っているとは思えず、彼には元旦那の裕次郎の面影がある。
「俺の母さんがコロナにかかって、家に帰れない状態なんです。二週間ほど」
「だったら!」
話に入ろうとするすみれを止める百合子。
「ついさっき日本に戻ってきて今、お金持ってないし、頼りになるのここだけなんです。店の手伝いもします」
だからどうかと手を合わせる裕介。百合子はわかったと受け入れる。すみれは納得できない。
「すみれの向かいの部屋、物置に使ってあるけど寝れるスペースはあると思うわ」
「大丈夫です。どこでも寝れます」
親指を立ててグッドサインする裕介。全然大丈夫じゃないと焦るすみれ。あの場所は絶対に死守しなければならない。
「どこでも寝れるなら野宿しなさいよ」
無視する裕介は喫茶店を閉めた百合子と自宅へ向かった。
※
「いただきます!」
この男、遠慮なく豪快にご飯食べるのだなとすみれの箸が止まっている。夕食を食べていないというものだから、百合子が一緒に食べようと声をかけた。
「日本に戻ってきたって言ってたけど、海外に?」
「はい。二年前に旅行に行って、コロナになってから帰れなくなって」
「二年間の間で、帰れるタイミングは何度かありましたよね」
すみれの強い口調に敏感な裕介は「怒ってる?」と尋ねる。
「あなたにも一人は友達いますよね? なんでうちに来たんですか」
「友達の電話番号とかメールアドレス知らないし……ほら、みんなアプリのQRコードで友達登録するでしょ。で、そのアプリのデータも消えたから友達0人状態」
すみれも連絡先の交換をする際は無料通話アプリのIDを教える、又はQRコードで追加する。彼女は加えて電話番号とメールアドレスを教えるが、相手からの連絡はほとんどアプリのメッセージ機能である。
裕介の言っていることは一理ある。しかし、頼る場所が何故ここなのか。常識的に考えてあり得ないことだ。
百合子が裕介の仕事について尋ねる。裕介は旅人と答えた。ふざけた回答に腹が立つすみれ。百合子は「面白い人」と笑う。
「海外はいいですよ。ゆっくりできます。コロナがなければね、すみれちゃんも」
「そのすみれちゃんって呼び方、やめてもらっていいですか?」
裕介が自分のことをちゃん付けに呼ぶのが気になっていたすみれは指摘した。さらに言えば、母のことを「百合子さん」と名前で呼ぶのも気になっていたがそこは一旦、スルーする。
「じゃあ、すみれで?」
「呼び捨てもお断りします」
「じゃあ、すみれさんで?」
さん付けがしっくりくると頷くすみれ。いや、すみれはそもそも彼がここに泊まること自体お断りで、危うく認めるところだった。母もなんで簡単に許可するのかと疑問に思う。裕介は離婚した旦那の別の女性との間にできた子だ。
理由はそれだけではなかった。彼女にとって、裕介の存在は邪魔である。一人の時間はすみれにとって聖域である。裕介が来たことによって、その聖域が崩されてしまう。日々、コロナ終息に向けて頑張っている医療従事者や関係者には申し訳ないと思うが、コロナになって一人の時間が増えた。わざわざ飲み会の誘いを断らずに済んだ。正直、今の生活に満足している。
食事をしていて忘れていたが、裕介が物置部屋に行く前に回収しなければならないものがある。
「ごちそうさまでした!」
両手を合わせたすみれは二階にある物置部屋に直行する。部屋はいくつものダンボールが積まれ、使わなくなった料理器具などが置かれていた。その奥の奥にあるダンボールに例の物が隠されている。
すみれは念のため、中身が例の物か確認する。その数の多さに自分でも引いてしまうが、これも好きな彼のためだった。物置部屋は普段、母も入らない故に安全かと思っていたのだが、予想外の展開が起きた。
「よし。とりあえず、自分の部屋に持っていくか」
ダンボールを向かいの自分の部屋に運ぶ。その光景を二階に上がってきた裕介に目撃されてしまう。
「何してるの、すみれさん」
「別に何もないです。そっちが物置部屋ですから」
「ありがとう」
丁寧に頭を下げて物置部屋に入る裕介。感謝されてもこっちは歓迎ムードではないと自分の部屋の扉を閉めるすみれ。変な汗を掻いたすみれはベッドに座り、一息つく。持ってきたダンボールを二人にバレないように隠したいが、いい場所が見つからない。この部屋には誰も入ってこないから、部屋の角に置くことにした。念のため、しっかりとガムテープで封をする。
夜。もうすぐ日付が変わろうとしている頃、隣の部屋から裕介の声が聞こえてくる。誰かと会話しているようだ。
「あの人、何時だと思っているんだ」
布団に潜るすみれ。ずっと声が大きいと気にしているが、注意しに行くのも苦労する。時折、聞こえてくる「母さん」という言葉。おそらく相手は母親か。
「早くあの人、出て行ってくれないかな」
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