モラハラくんとメンヘラちゃん 〜あるいはサレ彼とシタ彼女がウェディング・ケーキ(間男の心臓)に入刀を果たすまで〜
第八のコジカ
第1話 別れの夜。始まりの朝
「……分かったよ、サクラ。それじゃ俺たち、別れよう」
――怒りも涙も好きも憎いも。
とにかくごちゃごちゃとした感情という感情の全部を互いに晒してぶつけて撒き散らして罵り合って。
最後の最期、タメ息と一緒に口から零れ出たのは諦めの言葉だった。
「あは。……うん。ありがと、ミキト。これでやっと、お互いシンドイのが終わるね」
「あぁ。サヨナラ、だな」
こうしてその夜。
俺たち2人は1年に渡って揉めに揉めた末、ようやく『別れる』とお互いに納得し合ったのだった。
なのに。
翌朝。
目を覚ますと、俺たち2人はどういう訳か『サヨナラ出来ない状態』に陥れられていたのだった。
▼▼▼
「起きて。ねぇ、ミキト起きてよ!」
乱暴に揺すられて目を覚ますと、目の前には険しい表情を浮かべて俺を見下ろすサクラの顔があった。
「おぉ……おはよ……」
ただでさえ別れると決めた翌朝に元カノに起こされるのは気まずい。それなのに険しい顔で起こされたとなると、尚のこと気まずい。なので俺はその気まずさを誤魔化すように大きく伸びをしてから上半身を起こした。
「いま何時なの?」
「7時前」
「そう」
素っ気ない。
と言うか、どうにも元カノ様は苛立たし気でいらっしゃる。
昨夜は深夜まで話し合ったので仕方なく彼女はウチに泊まることになった。タクシーを呼ぶという手もあったが、まぁ始発が動き出すまで数時間のことであるし、彼女の持ち合わせも少ないしという事でそうしたのだ。
また幸いなことに同棲していた頃の彼女の寝具一式はまだ処分していなかったから、俺が今いるこの和室で、元カノ様は隣のフローリングの部屋で、それぞれに布団を敷いた。
襖一枚隔てて互いの存在を意識したが、さりとてもはや話すことなど無く。最後の夜というやつに、それなりな思いを馳せつつも目を閉じ早々に眠りについた……わけだったが。
「私、帰りたいのよ。これから用事あるし」
「……あぁ」
帰りたい、のにまだ帰ってない。
そしてイライラしていらっしゃる。
……なんで?
フローリングに直に布団を敷いて寝ると、思いのほか床が固いしけっこう寒い。それが気に喰わなかった、とでもいうのだろうか。だとしたら、知らんがな、なのだが。
「ドア。開けて欲しいんだけど」
「んん?」
言ってる意味が分からない。
帰るんだったら帰るで、ドアくらい勝手に開けて出ていけばいいだろうに。
「って言うか。まだ帰ってなかったんだ?」
「……は?」
もう別れると決めた以上はことさらコッチも気を遣う必要はないわけで。思う様冷たく、というほどでもないけど、それなりにぶっきらぼうに思ったことを口にしてみる。
「始発動いたらさっさと出てくと思ってた」
「……ふざけないでよ」
「え? いや別にふざけてませんけど」
「ふざけてるじゃない!」
「大きい声だすなよ。ウザいって」
「ウザイのは……そっちでしょっ!」
サクラはツカツカと玄関口まで歩き、靴も履かぬままバン! と手の平をドアに叩き付け、振り返って言った。
「ドア! 開けて!」
「はぁ?」
これは一体『何アピール』なのか。
子どもじゃあるまいし、ドアの開け方を忘れちゃった、てへっ、私ってば、おバカさん♪ だから優しくしてねーん、とでもいうことなんだろうか。
別れた男相手に、そんな複雑なキャラ主張をしてどうしようというのか。
「いや、なに言ってんの?」
嘲るような半笑いで応じると、一転、目を潤ませ不安な顔をしてこちらを見詰めてくるサクラ。……マズイ。ちと、よろしくない。彼女のメンタルが揺らいでいる時の表情だ。
「ねぇ……お願いよ。もうやめてよ。こんなの……あんまりじゃない……」
「や、や。だから。こんなの、ってなに?」
「だからドア!」
「だからドアが?」
「もうイヤッ!」
両手で自分の肩を抱き、俺から顔をそむけ、吐き捨てるようにしてサクラは叫んだ。
「ヤメテよっ!! 謝るから! 謝ればいいんでしょ!? ごめんなさい! お願いだから、もう許してよぉ……」
……なんだっていうのだろう。
正直やめてほしい。
もう許してほしい、のもコッチの台詞だ。
やっと全部終わると思ったのに……。
サクラのこういう顔を、もう見なくて済むと思っていたのに……。
自然と身体が強張っていくのが分かる。
俺は下を向き、両の拳を握り、そして奥歯を強く噛む。
そうすることで、心の奥底から這い出てきそうになる、ドス黒い、うぞうぞとしたものを必死に押し止めようと努めた。
でも。
「やっぱり、来るんじゃなかった……」
消え入りそうな声で。
だけど確かに聴こえる音で。
サクラが無遠慮に放ったその一言。
それが錆びた刃となって、押し止めようと努力していた俺の胸に突き立てられた。
瞬間。
チリ……と。
アタマの奥で何かが焦げつくような感覚がして、身体の力が抜けた。
「……………………………」
薄く開けた唇からスゥーと音をさせ長く長く息を吐き出す。見開いたままの目が瞬きをしたがったが、その生理的要求をガン無視する。目の渇きが俺の心をさらに煽り立てた。
そして――
「うるっさいなぁ……」
ずるり、と。
虫のように唇を割って俺の内側からその一言が這い出てきた。
相変わらず下を向いたままだったが、サクラが思わず身を硬くし、俺の方に向き直ったのが手に取るように伝わった。
あぁ、まただ。
またこのパターン。
俺だけが悪者。
その『私は被害者です。あなたに加害されることに怯えています』って感じ。そうやって、いつもいつも俺を悪者にしてくる『メンタル弱い系女子』のその態度、そのやり口。心底ウンザリなんだよ。
「いつもいつもいつもいつもいつもいつも、いっっつも、さぁ!」
ドス黒い感情の虫たちが、途端に何百という群れとなって俺の中から溢れ出した。それと同時に俺の視界は赤く染まったようになる。赤い部屋の中を、縦横無尽に無数の虫たちが這いずり回る見慣れた『幻覚』。
もう止められなかった。
「ドアが何なんだよ!?」
顔を上げ、俺から目を逸らせないようにサクラの目を見て睨みつけ、怒鳴る。
「開けたきゃ勝手に開けりゃいいだろ、ドアくらいさぁ! なに? 甘えてんの? ワタシ、か弱い女のコだからドア開けれませ〜んって? フザケンナッ! いい加減にしろよ朝っぱらからさぁ!!」
「!」
サクラはドアを背に身をすくめ、俺から逸らせないままの目に、みるみる涙をためていった。
そんな彼女の周りを、身体のあちこちを、顔の上を、虫たちが這い回る。
サクラの鼻先に止まった虫を払いのけようと、思わず振るった俺の右手中指の爪が、彼女の顔をわずかに掠める。
「あっ……!」
お前を殴ったんじゃねぇよ。
虫払っただけだよ。
いちいち鬱陶しいよ、そのリアクション。
「や、やめ……」
あーハイハイ、加害者。
そうです俺、加害者ですね。
アナタ、憐れな被害者さん。
ただ虫払っただけでこの感じ。
やってらんねー。
あぁ、でもそっか、虫は俺の幻覚だもんなー。
ごめんごめん。
ってか、手、そんな当たってないでしょ?
でもいいですよねー。
そうやって相手を悪者にして泣いてたら、それで面倒な事が片付いていくんですから。
こっちはこんな感じになる度にさぁ、自分で自分が嫌になってしょうがないってのにさぁ。
うぞうぞうぞうぞうぞうぞうぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞ……………………。
虫たちが一気に集まり足元から俺の身体を這い上がってくる。
不快。
キモイ。
爆発する。
「ああああああああああーっ!!」
叫びながら、ガンッ! と、壁を殴りつけた。
「……」
すると途端に赤く染まっていた視界は元に戻り、あれだけいた虫たちも一瞬で掻き消えたのだった。
急速なクールダウン。
あとに残ったのは取り返しのつかないこの雰囲気。
そして死にたくなるような自己嫌悪。
あー……。
うん。
またやっちまった。
もうヤダ。
あぁ、早く酒に逃げたい。
「はぁ……」
ため息をつきつつ急速に冷静かつ自己嫌悪一色になった頭をガリガリと掻きむしる。謝罪の言葉を口にしたものかと考えながらふとドアの方を見れば、なんとことはない、チェーンも鍵も開いていた。
「ふざけんなよ……」
1秒前の謝罪の念などうち捨て、舌打ちと共にそんな言葉が口からこぼれる。
これだから俺は『モラハラDV男』とか罵られるんだろうな。でも知ったことか。もうどうでもいいんだ。いくらなんでも別れ話をした翌朝に、こんな意味の分からない事で突っ掛かられる筋合いはないんだから。
右腕を伸ばし肘でサクラを押しのけるようにしてドアレバーを握る。
さぁ、とっとと出てけよメンヘラ女、という言葉だけはなけなしの理性で口にせず、グッと体重を掛けてドアを押し開けようとした。……が、ここでおかしな事が起こった。
ドアが1mmも動かない。
「は?」
カギの状態を確認する。レバーをカチャカチャいわせてみる。引くんだったかと思い直してみる。でも開かない。なので次は力いっぱい押してみる。ダメ。仕方なく、レバーを下ろしたまま肩から体当たりするようドンッといわせてみた。それでも……
「ウッソだろ……」
やはりドアは、ピクリとも動かなかった。
尚もあきらめずにレバーをガチャガチャいわせている俺に、いつの間にかその場にうずくまったサクラが力なく言った。
「開かないのよ……どうやっても……」
上から見下ろしたサクラの、放心したような顔。その頬を、ツゥーっと一筋の涙が滑っていった。
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