12章 父と息子の二人三脚

第1話 20歳おめでとうございます

 桜も満開が近くなり、すでに開いた淡いピンク色は人の目にとても優しい。心も浮かれ始めることだろう。


「いらっしゃいませ〜」


「いらっしゃいませ!」


 佳鳴かなる千隼ちはやがお迎えしたのは、ご常連の壮年男性塚田つかださん。塚田さんはいつもひとりで来られて静かに飲まれるお客さまである。


 他のご常連や佳鳴たちと話すこともあるが、穏やかで物静かなたちなのか、口数はそう多くなかった。


 そんな塚田さんに続いて入って来たのは青年だった。濃いグリーンのパーカーにブルージーンズというラフな格好で、少し緊張した様な面持ちの青年は佳鳴たちにぺこりと小さく頭を下げた。


 タイミング的に塚田さんのお連れさんだろう。友人と言うには年齢に差がありそうで、会社の上司部下と言うには今日は土曜日だ。塚田さんもグレイのジャケット姿とは言えスーツでは無いので、お仕事帰りなどでは無いだろう。親子にしては似ていないと思ったのだが。


 並んで椅子に掛け、ふたりは佳鳴から温かいおしぼりを受け取った。


「ああ店長さんハヤさん、こっち僕の息子なんですよ。無事20歳はたちになったもんでね、一緒に飲もうかと」


「そうなんですか。それはおめでとうございます」


 それは素敵なことだ。佳鳴と千隼は笑みを浮かべる。そうか、親子だったか。では息子さんはお母さま似なのだろうか。しかし確か塚田さんの奥さまは。


「家内に先立たれて10年と少し。僕なんかでもどうにか息子を成人させることができました」


 塚田さんは感慨かんがい深げに言いながらおしぼりで手を拭いた。横で息子さんはくすぐったそうな表情で手をぬぐっている。


「あら塚田さん、なんか、なんて言っちゃああきませんよ。こうして一緒に飲みに来はるやなんて、お優しい息子さんに育てられたや無いですか」


 佳鳴がほんの少したしなめる様に言うと、塚田さんは「いやぁ」と照れた様に首筋を掻いた。


「ええっと、あなたがこの店の店長さんなんですか?」


 息子さんが佳鳴に口を開く。


「はい。一応は弟の千隼と共同経営なんですけど、私が店長さんと呼んでいただいてますねぇ」


 横にいた千隼が「千隼です」とぺこりと頭を下げた。


「塚田英二えいじと言います。父がいつもこの店のご飯が美味しいて言うんで、20歳になった絶対に来たいと思ってて。やっと来れました」


「このお店は定食もありますから、いつでも来てもろうても大丈夫でしたのに」


 千隼が言うと英二さんは「いやいや」と首を振る。


「せっかくやからお酒も飲んでみたいなぁて思って。初めてのお酒が美味しいご飯と一緒やったら嬉しいなて」


「息子さん……、英二さんとお呼びしても?」


 佳鳴が問うと、息子さんは「はい、もちろん」と快活に応える。


「お酒は今日が初めてですか?」


「はい。昨日が誕生日やったんで」


「あらためておめでとうございます。せやったら初めての方でも飲みやすいお酒……ああ、すいません塚田さん英二さん、ご注文はお酒でよろしいでしょうか」


「はい。僕はビールで。英二はどうする? 飲んでみたいもんとかある?」


「うちは洋酒の種類がそう多くは無くて。お好みのものがあればええんですけど」


 日本酒や焼酎などはそれなりに取り揃えているが、お若い人が好みそうなカクテルなどは無い。サワーを作るためのスミノフウォッカはあるので、ある程度の対応はさせていただけるのだが。


「そうですねぇ……」


 英二さんがドリンクのメニューを手に取り、じっと眺めるが首を傾げて目を上げた。


「先に20歳になった友だちとか先輩なんかは、カクテルとかを良く飲んでるみたいなんやけど」


「そうですねぇ。カクテルなら甘いものも多いですから、飲みやすいものも多いですね。ですがアルコールの度数はビールとかよりも高かったりするんで、飲み方は要注意なんですよ」


「そうなんですか?」


 英二さんは驚いた様に目を丸くする。お酒に馴染みが無いのなら、飲みやすければ度数が低いと思ってしまっても無理は無い。市販の缶入りのものなどで低アルコールの商品もあるが、バーなどお店で提供されるカクテルに関しては、高いものがほとんどなのだ。


「はい。カクテルは生憎このお店では扱ってへんのです。甘いもんはお好きですか? 炭酸はどうでしょう」


「嫌いや無いですが、ご飯の時に甘いもんは苦手です。炭酸は好きです」


「やったらそうですねぇ……あ」


 佳鳴は指をあごに添えて考えていたが、思い付いたと口を開く。


「英二さん、飲み比べをしてみませんか?」


「飲み比べですか?」


「はい。千隼、ちょっと上に行って来るわ」


「分かった」


 塚田さんと英二さんはきょとんとした顔を見合わせた。


 佳鳴は厨房ちゅうぼうを出ると上の居住スペースへと上がり、食器棚を開けて小さなグラスを取り出す。5客セットで購入したもので、普段佳鳴たちは冷酒などを飲む時に使っている。店には無いサイズのグラスだ。


 それを丸い木製のトレイに乗せて店の厨房に戻った。


 佳鳴はグラス4客に氷を入れ、それぞれに手早くお酒を作って行く。それをひとつずつカウンタに置いて行った。


「まずはレモンサワーです。お次はレモン酎ハイ。これがハイボール。こちらがハイボールにレモンを入れたもんです。飲みやすいお酒を薄い目で作ってみました。どれもあもうなく、食事に合うお酒です。ビールはお好みや無かったら苦いですからね。よろしければお入れしますけど」


「ええんですか?」


 突然提供されたグラスを前に、驚いた顔をしていた英二さんがその顔を上げる。


「はい。試してみはります?」


「お願いします。父さんがビール好きなんで興味があったんです」


「かしこまりました」


 佳鳴はお若い人に特に人気が高いスーパードライの小瓶を開け、残りひとつのグラスに注いだ。残りは炭酸が抜けにくい様に栓をしておいて、「煮物屋さん」営業の後で飲むことにしようか。


「はい、どうぞ」


 カウンタに置くと、英二さんは「ありがとうございます」と小さく頭を下げた。


 英二さんはさっそくビールのグラスに手を伸ばす。英二さんのどきどきが伝わって来る様で佳鳴と千隼、英二さんの横で塚田さんも固唾を飲む。


 そっとビールに口を付ける英二さん。その眉間にみるみるしわが寄った。


「……飲めるけど苦いわ」


 どうやらお口に合わなかった様だ。横で塚田さんが「ははっ」とおかしそうに笑う。


「やっぱり苦かったか。ああ、無理に飲まんでええから。後は僕が引き受けるわ。店長さん、残りのビールも僕がもらいます。後で中瓶も注文しますね」


「ありがとうございます。どうぞ」


 佳鳴が残りの小瓶を出すと、塚田さんは英二さんから受け取ったグラスを一気にあおり「はぁ〜!」と気持ち良さそうなため息を吐いた。小瓶から次を注ぎながら口を開く。


「やっぱりビールは美味しいなぁ! 英二もそのうち飲める様になると思うで。僕も酒を飲み始めた時には、やっぱりビールは苦くて飲まれへんかってん。でもいつの間にか美味しいと思える様になっとってん」


「そんなもんなんや。味覚が変わるってやつかな」


「そうやと思うで」


「ビールはその時までお預けやな。じゃあ他のお酒飲ませてもらお。えっと、これがレモンサワーですね」


 英二さんはグラスを手にし、恐る恐ると言った様子で口を付ける。ビールのことがあったからか少し警戒している様だ。一口喉を鳴らし、ほう、と溜め息の様な声を漏らした。


「これ美味しい。レモンの風味が爽やかでさっぱりしてますね。これは食事に合いそうです」


 まだ中身が残っているレモンサワーを置いて、次にレモン酎ハイのグラスを取る。それもこくりと口に含んで。


「これも飲みやすいですね。でもサワーより少し癖が強い?」


「そうですね。焼酎の中でも癖のあまり無いキンミヤ焼酎というもんを使ってますけど、それでもサワーよりは気になられるかも知れませんね。お好みもあるでしょうし」


 次はハイボールに挑戦だ。


「ハイボールってウィスキーを炭酸で割ったやつですよね。これも飲んでる友だちとか先輩が多いです」


「最近ではすっかりと定番化したお酒ですね。ウィスキーもそのままやと強いお酒なんですけど、炭酸で割ると癖もかなり薄まるんですよ」


「飲んでみます」


 そして英二さんはグラスとそっと傾ける。


「確かに酎ハイよりも強いって言うか。でもこれ結構好きな味かもです」


「でしたら最後のハイボールのレモン入り、お気に召すかも知れません」


「楽しみです」


 そして英二さんは最後のグラスを手にすると、くいと軽くあおった。そして「あ」と口角を上げた。


「これがいちばん好きです。さっきのハイボールより癖が柔らかっていうか爽やかなんは、レモンのおかげでしょうか」


「そうですね。レモンの効果でしょう。生のレモンを使うかどうかで風味はかなり変わって来るんですよ」


「やっぱり生のが美味しいんですか?」


「そりゃあもう。シロップやとやっぱり人工的な味といいますか。下手をすると悪酔いしますよ」


「あ、それは嫌やなぁ」


 英二さんは苦笑する。


「ありがとうございました。じゃあ最後の、ハイボールのレモン入りの普通のサイズをお願いします」


「はい。かしこまりました。塚田さんもビールの中瓶お出ししましょうか?」


「そうですね。よろしくお願いします」


 塚田さんは既に小瓶ビールを飲み終えていた。英二さんはグラスに少しずつ残っていたサワーなどを順に飲み干して行く。


「ところで英二、顔が熱いとか頭がふらふらするとか、そんなんはあれへんか?」


「全然」


 英二さんはけろりとした顔で首を左右に振った。


「そうか。どれぐらい飲めるかは判らへんけど、普通には飲めるみたいやな。そこは僕に似たんやろか。母さんは下戸げこやったからな」


「下戸?」


「酒をほとんど飲めん人のことや」


「へぇ。それはそれで大変そうや」


「そうやな。このご時世と言うけど、やっぱりある程度は飲めた方が社会に出てから楽やで。付き合いなんかもあるからな」


「そんなもんか」


「そんなもんやねん」


「じゃあこれからいろんなお酒試してみるな」


「一度にあまりいろんな種類を飲むと悪酔いしやすいから、気を付けや」


「うん」


 そんな親子の会話を耳にしながら、佳鳴と千隼はお飲み物とお料理を整えて行った。

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