美紀と追試と、ときどき善意




 誰かを助ける、それは簡単であって難しい。


 特に見ず知らずの人なんて、解決方法自体が容易い事であっても難しい。


 現実は、というより世間は非情である。困っている時に手を差し伸べてくれる人はほんの僅かだ。


 それでも一握り、心優しい人、俗に言う善人と呼べるような人も、この世にはいる。


 私はどちらかと言えば、手を差し伸べられる人でいたい。


 しかしやはり見知らぬ人……となってくると中々難しいものである。


 善意とは何か、差し伸べられる善意が受け取る側にとって、本当に善であるかはまた違うのだ。

 

 ……また少し現実逃避をし過ぎた、話を戻そう。


 今回は、七瀬美紀こと私の物語。


 見事追試にひっかかり、夏休みに独り学園に足を運ばなくてはいけないという、辛苦極まりないイベントを迎えている。


 貴重な夏休みが……。こんな仕打ちはあんまりである。







 ちょうど七月も中盤に差し掛かってきた頃、学園は夏休みに突入した。


 待ちに待った夏休み。海やBBQ、夏祭りや花火などイベント盛りだくさんの楽しい一か月半である。


 の、はずだったのだが。


 見事テストに敗北した私に、そんな明るい夏休みは待っていなく……。


 夏休みが始まってすぐ、補習が始まった。正直、死にたい。


 変態だけど優秀な姫華は、クーラー全開の家にこもり、夏休みを早速楽しんでいるだろう。


 私なんて、いつものようにけだるい暑さの中、学園に行かなくちゃいけないというのに……この差はあんまりである。


 唯一の救いと言えば、九時登校というぐらい。これも正直微妙な所ではある。


「はぁ、いいなぁ姫華……補習とか嫌だぁーもう」


 一人ため息をつきながら、いちょう並木道を歩く。


 普段一人では歩くことは少ない、大抵横に姫華が居るからだ。だから一人の登校は私にとってかなり珍しかった。


「まあたまには、一人で登校もアリかもね」


 そんな事を考えて気を紛らわせながら、私は学園へと向かった。


 教室に着くと、そこには意外な人物が一人。


「あれ? 委員長おはよう……?」


 挨拶にもかかわらず、疑問符になってしまったのには訳がある。


 クラスで一番優秀と言われている委員長が、こんな追試を受けに来ているとは思えなかったからである。


「おはよう。なんで語尾が疑問符なのよ」


「いやいや、誰だってなるよ……委員長頭良かったよね? なのに何でここに……?」


「試験の日に休んでしまってね。おかげで追試を受ける羽目になったのよ。とんだ災難だわ」


 心底めんどくさそうに委員長が呟く。よく見ると、左目に白い眼帯を着けていた。所々包帯やらが巻かれている辺り、事故にでもあったのだろうか……?


「何か凄くボロボロだけど……大丈夫? 事故にでもあったの?」


「まあそんな所よ。見た目ほど重傷じゃないから、心配はいらないわ」


 どこかあっさりとした様子で私に言うあたり、本当に軽い傷なのかもしれない。


「そっか、なら良かったよー! 見た目からして、凄く痛そうだったからさ」


「まあ……ちょっとオーバーに手当してある感は否めないわね。そんな事より、追試私達二人だけみたいよ」


「ええっ!! そ、そうなの……。というか、委員長いなかったら私一人だったのか」


 不謹慎ではあるが、今一瞬だけ委員長が追試になってくれて良かったと思ってしまう私だった。


 ただ委員長とはそんなに関わりがあったわけではないので、気まずいと言えば気まずい。


 委員長として話しかける事は度々あっても、一個人として話した事は多分、今日が初めてかもしれない。


「そういうわけだから、よろしくね七瀬さん」


「いえいえそんな、こちらこそ……」


 七瀬さんと言われ、思わずかしこまってしまう私。久しぶりに苗字で呼ばれたような気がする。


 そんなこんなで話していたら担当の茜先生が到着し、追試ならぬ補習が始まった。








 なんとか午前の授業を乗り切り、お昼休みとなった今。


 普段行かない食堂も夏休みという事でしまっており、学園内で買える物は、自販機の飲み物くらいしかなかった。


 そんな事を見越して、お母さんにお弁当を作ってもらっていた私に、死角はない。


 ……そんな事は別に良い。それよりも今、委員長とお昼を共にしたものの、会話がないという辛い事実の方を、まずは対処するべきだ。


「え、えーっとそのお弁当、委員長の手作り?」


 とりあえず身近なものから攻める、これ大事。


「そうだけど……何か変だった?」


「いやぁ変と言いますか、偉いなぁと言いますか。私なんて、親に作ってもらってるからさー」


「高校生なんだし、自分で作ってもいいんじゃない? 別に、私がどうこう口出しするわけじゃないけれど」


 ……気づいたら怒られていた。


 あれ? 何を言っているか分からないと思うが、私も何を言っているのか分からない。


「そ、そうですよねー……自分でやらないといけないですよね……」


 失敗した、一層話しかけ辛くなった。例えるなら、車中で両親に何気ない事で怒られた後の、何ともいえない重い車内の空気とでもいうべきか。


「何か普段の七瀬さんとは違うわね。やっぱり、相方が居ないからかしら?」


「あ、相方と言いますと……あー姫華の事か!」


「そうそう、あの小さい問題児の事よ」


「も、問題児?」


 委員長が口走った問題児という単語が、ふと引っかかった。


「問題児よ、超がつくほどの問題児。授業中、友達の名前を叫んだり。学園祭の出し物アンケートでは、ゲテモノ屋台とかロッカー貸出専門店っていう案を出してきたり。おまけにスク水鑑賞とか意味不明なものまで……」



「更には女の子が好きなんて噂があったり、変態的な噂もちらほらある……密かにファンクラブなるものもあるらしいし。結構な有名人よ……色んな意味で」


 姫華の事になった途端、饒舌になる委員長。恐らく、これは私怨も含まれてる気がする。


 委員長という立場から、色々迷惑を被る事があるのだろう。


 特に学園祭の出し物、それには少し同情する。というかファンクラブがある事は、流石に驚きである。


 しかも学園内で、姫華は女性好きなんて噂が流れてるなんて……だんだん可哀想になってきた。まあ、自業自得だけど。


「な、何か知らない所で有名だったんだね姫華って。知らなかったよ」


「私的には、迷惑を被ってあまりいい気分はしないのだけどね」


 やっぱり迷惑をかけられていたのを気にしていたようだった。目が笑っていなかった。


「私の身内が迷惑をおかけしまして申し訳ないです……。ただ凄く気になるんだけど、ファンクラブって本当にあるの? 流石にないよね?」


 正直な所一番気になっている部分である。そんなどっかのアニメみたいなヒロインじゃあるまいし、お嬢様でもなんでもない普通の変態な女の子に、ファンクラブなんて出来るわけがない。


「それが事実らしいのよ。しかも割と女子率が多めだとか。ファン曰く、滲み出るドS感、小柄な外見、実はかなり変態かもしれない所だとか……やたら熱弁されて酷い目にあったわ」


 やれやれといった様子でそう語る委員長。なんだろう、一つ確実に愛されるポイントのおかしいのが、混ざっていなかった?


 何より女子に人気ってどういう事よ……絶対それ皆同性が好きな子じゃん。


 これはもしかしたら、姫華の貞操が危ういかもしれない。


 可愛い巨乳の女の子だったら、人見知り発動しながらも、ほいほい付いて行くんだろうな。


「いやぁ……物好きな人も居るもんだね」


 正直コメントしづらかった。この学園、実は変態しかいないんじゃないかとすら思えた。


「そうね。私も不思議でならないわ」


 結局私に衝撃が走ったというだけで話題が広がったりせず、昼休みは過ぎていった。










 やがて補習も終わり、空が夕焼けに染まりきった頃。

 委員長は用事があるとかで足早に帰っていった。

 そんな委員長を見送って、私も支度を済ませ教室を後にする。

 グラウンドから聞こえる運動部の掛け声をBGMに、一人考え事をしながら歩いていると、扉が開いたままの空き教室が目に入った。

 普段は特に気にしないのだけど、何故か今日に限って興味が湧いたのだ。

 別段何か、奇声が聞こえてきたわけでもなく、興味を惹かれるよな事は一切ないはずなのだけど。


 夏休み、人気のない静かな校舎の空気が、追試で疲れた私をそうさせたのかもしれない。


「誰か居るのかな……こんな夏休みに」

 興味本位で私は覗いてみる。すると奥で、一人の男性が何やら書類を書いていた。

 こちらの視線に気づいたのか、すぐに振り向き、私と目があう。

「あっ……」

「おや、もしかして部活見学の子かな? ごめんごめん、気づかなかったよ」

 シャーペンを置き、そう申し訳なさそうに語りながら、こちらに近づいてくる男子生徒。

「あっいや……その」

 深みのある黒い髪、端正な顔立ちに黒メガネ。語彙力が低くて申し訳ないが、正直かなり整った顔つきで、私は言葉が出なかった。

 何というか、オーラで圧倒されたというか……凄く、恥ずかしい限りである。

「気づけなくて申し訳ない。一年生? 名前は?」

「えっと……その、一年生の七瀬美紀です」

「ふむ、良い名前だね。さぞ良い両親がつけてくれたんだろう」

「ありがとうございます、それはお世辞でも嬉しいです」

 彼の言葉に、私は素直にお礼を返す。名前を褒めてもらえる事は、私にとって非常に嬉しい事なのだ。

 これが唯一の、両親との繋がり……だから。

 それで軽く心を許してしまったからか、気付いたら部屋の中に案内され、席に座っている自分がいた。

「何、私はお世辞は言わないさ。これでも、正直をモットーに生きているのでね」

「は、はぁ。それは凄いですね」

「さて、今日はどんな理由で、ここを見学しに来てくれたのかな?」

 一通り世間話のようなものが終わり、とうとう一番答えにくい質問が来た。

「いやぁその、ただ覗いてただけと言いますか……」

 私もこの人に見習って、正直に言ってみよう。

「……そうだったのか。それは悪い事をしたね」

 見るからに落ち込んでしまった。この様子だと、部員が居ないんじゃないかとすら思える。

「いえ、ちょうど追試終わりでしたので……」

「追試? ふむ、もしかして君……頭が悪い人かな?」

 包み隠さずストレートにそう聞いてくる所に、一周まわって清々しさを感じた私。

「ストレートに言いますね……まあ、そうですけども……」

「ああ、嫌味とかじゃないんだ。正直に言ってしまう癖みたいなものでね、気分を害したのなら謝るよ」

「いえ大丈夫です、慣れてますので」

 普段ドSの隣にいれば嫌でも慣れるさ。下手したらドMに目覚めてしまうんじゃないかってぐらいに。

「……よし、じゃあこうしよう。君が体験入部をして、私が勉強を教える、良い案じゃないか?」

 ああ、この人友達居ないんだろうな……それか部活一人だけなんだろうな……私がそう思った瞬間だった。

「いやぁ、私的には追試の後に、更に勉強なんて苦行でしかないです」

 正直、嫌がらせ以外の何物でもない。

「ああ、そうじゃないよ。追試の時間、私が面倒見ようと思ってね。担当は茜先生だろ? なら話は簡単さ」

「えっ? でもそんな事、一生徒が出来るわけ……」

「ふふ、意外とそうでもないんだなこれが。どうする、君の答え次第では、今すぐ許可を取ってこれるぞ」

「そんなまさか……ハハハ。じゃあ体験入部するんで、先生から許可もらってきて下さいよー」

「そうか受けてくれるか、それはありがたい。なら、今すぐ行って来よう」

 そう言い、支度を始め本当に言いに行ってしまった。

「え、えぇ……まさか本当にやれるの? いや、そんなわけ……」

 少々不安を覚えつつも、私は一人窓の外を見ながら黄昏ていた。


 それから十分もしないうちに戻ってきて、私に許可が下りたことを伝えてきた。


「約束通り、許可は貰ってきたぞ。さて早速体験入部を始めるか」

「う、うわぁ本当にもらってきた……書類までしっかり書いてある。い、一体何者なんですか貴方?」

 あまりの凄さに驚嘆し、思わずそう問いかけた私。

「そういえば自己紹介が遅れたね。二年の如月龍だ。この部活支援部の部長であり、生徒会の会長を務めている」

 わざとらしく、メガネをくいっと人差し指で持ち上げながら、どこか姫華にも似た笑みを浮かべ、そう答える。


 そう、今思えば……これが如月先輩との出会いだった。




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