宿業 白蛇抄第7話
佐奈と朋世からこの物語は始まってゆく。
佐奈の指先が細かく震えていた。
佐奈のしでかした事に脅える眼のまま、
少女は僅かに身体を動かした。
男、いや、少年が
もう自分を押さえ込むことはないと判ると
少女ははだけられた着物の前を合わせていたが、
今更逃げる気もうせはてていた。
陵辱の痕に少女が気付くと、
呆然としたまなざしでその血の色を見定めていた。
―何かが死んだ。自分の中の何かが死んだー
血の色は朋世の瞳の中でじっとうずくまっていた。
―自分の中の何かが血を流し、ここで息絶えたのだー
既に失われた物をこれ以上失うことはない。
朋世は逃げる事も忘れはて、
陵辱のその場所にじっと座り込んでいた。
―これ以上、もううしなう物などありはしないのだー
おびただしい破瓜の血の跡を、
座り込んだまま見つめている少女の肩に佐奈は手を置いた。
恐れる心もなくしはてて、
少女は佐奈の手をぼんやりとみつめた。
「す・・・すまなんだ」
何故、少女にこんなことをしでかしてしまったのか。
佐奈は山童に囲まれた少女を助け出した。
その時は確かに腐肉さえ漁る山童が少女を捕らえていた。
少女が喰われると、佐奈が思ったとき、
山童は少女の足をとらまえ
その白い太ももをあらわにさせていた。
山童の醜く青黒い一物がそそりたちあがっているのが
佐奈の目の端にとまったとき、
佐奈は印綬の符号を唱え山童を蹴散らしていた。
そして、脅える瞳の少女を引き起こしかけた。
乱れる着物のあわせから白すぎる胸元がみえた。
「大丈夫か?」
佐奈には、そう声をかけた覚えがある。
が、少女の白い足に目をやった途端、
佐奈は少女を押さえ込んでいた。
押さえ込んだまま自分の着物の前をはだけ上げると
狂おしく欲情しきっている物を
少女で宥めたおすしかなかった。
「いやっ・・・」
少女が小さく叫んだ声が悲痛な悲鳴になった。
破瓜の痛みにもがく少女であるのに、
佐奈は己の欲望を選んだ。
「すんだら・・・はなしてやる・・・」
少女をそう宥めた覚えもある。
あきらめきった少女がいた。
少女に突きこむものが、己にも鈍い痛みを与えていた。
だが、そのときの佐奈には何の後悔もあるはずがない。
佐奈がうけた鈍い痛みが、
少女が初女(うぶめ)である事を物語っていた
と、悟ったのは、
少女の異様なぬめりに気がついたときである。
『もう、男をしっておるのか?』
抱きかかえた女の幼さと裏腹なぬめりに
佐奈は手を伸ばし軽い嫉妬で拭うてみせた。
「あ・・・」
透明であるはずのぬめりが真っ赤な色を呈していた。
だが、佐奈は己に伝わってくる少女の肉の絡みを
味わいつくした。
白い体液を少女の中に吐き出し尽すまでは、
佐奈も山童と同じ女を漁る獣でしかなかった。
だが、今。
少女の肩に手を置いたまま、佐奈はうなだれていた。
「すまなんだ・・・・」
口をついてくる言葉が
取り返しのつかないことをしでかした自分を
思い知らせていた。
少女は男を見ようとしなかった。
肩口の男の手の向こうに見える地面にまで
滴り落ちた破瓜の痕をじっと見つめていた。
肩に伸ばされた手も、佐奈の言葉も
少女に今更何を返せるという?
そして、少女の悲しい諦念が見えた。
肩に伸ばされた手に力が込められ、
男が再び陵辱を繰り返すかもしれない事を
少女は受け入れようとしている。
流され様としている。
逃げようともせず既に諦めているのである。
―これ以上・・・何を失うことがあろう―
少女がなくし去った物を見つめる瞳からは、
涙さえ湧いてこなかった。
佐奈が見せれる事はもう何もしないという事だけであった。
佐奈は伸ばした手を引き込めると立ち上がった。
立ち上がりながら、
佐奈は自分の口から出てくる言葉を一旦は飲み込んだ。
が、今。その言葉を少女にかけることしか、
少女を慰めるすべがなかった。
同時に己を正当化させ
愚かな佐奈自身を慰める言葉であった。
「お前が・・・好きじゃ」
口をついた言葉を、佐奈は自分でも、
そうなのだと言い聞かせていた。
少女の瞳から、つうううと涙が零れ落ちてくるのが見えた。
「だから・・おぼえておけ」
立ち上がったまま、
佐奈は、少女の涙に胸を切り裂かれる痛みを覚えた。
その言葉どおりなのだ。
だから、しでかさずにおれなんだ。
そうに違いないのだ。
佐奈は何度も自分に言い聞かせながら、
少女の前から立ち去っていった。
立ち去ってゆく男がもう謝ろうとはしなかった。
謝ってしまえば、
好いておるという言葉が嘘になるからだろう。
だが、朋世は男の言葉で涙をわきあがらされていた。
清いまま、無垢なまま、嫁ぐ。
その人だけに捧げるはずの物を
好きだという理由だけで無理やり、
もぎ取られてしまったのである。
「好きだ」といった。
佐奈の投げかけた言葉の毒が、朋世を蝕んでいた。
着物をあわせ、朋世は立ち上がると
「どうせ・・・・」
と、つぶやいて、涙を拭った。
「どうせ、どうなるか判った物じゃないんだ」
朋世の住む村の風習を朋世も理解し始めている。
夜這いという奇妙な風習が朋世の村にはある。
男と女の交渉が嫁いでからなぞというのが、
まれなことなのである。
そのまれな事になれる夢は、朋世の中から消え失せた。
そして、たいていの村の男と女のように、
男と女の色事をなしてみてから。
まるで平安の貴族達の貝あわせのように、
お互いの身体をあわせてみて
性の合った男と女が夫婦(みょうと)になる。
「いずれ・・・夜這われていたんだ」
そして、その男が朋世を妻に望めば
それでとついで行くことになっただろう?
で、なければ、別の男のものをのみこんでゆくだけ・・・
「好きだというならば、
それだけで・・村ならお前の嫁になっておるに」
だから、男は些細な慰めを言ったに過ぎない。
朋世の身体で己の渇望の処理をしたのに過ぎない。
「よそ者なのだ・・・そんな奴に・・・」
拭われる事のない陵辱のときを与えられ、
男の心のままに醜い欲望を叩きつけられた。
そして、惨めたらしく男に投げかけられた言葉。
勝手になぶり、勝手に捨て去っただけ。
だが、女を道具にしたにすぎない事からだけは
目を逸らしてやろうとした流れ者だった。
「なぐさみものにされただけだったわよ」
幼馴染のお甲が笑って言い放った。
村の神事の夜にお甲は定太に夜這われた。
「これで一緒になれる。と、おもったのに、
うまくゆかないもんだね」
と、付け加えた。
思う人に忍ばれる事を願って村の女子達は、
しん張り棒をそっとはずしておく。
「生娘じゃなかったのが、きにいらなかったんだろうね」
お甲はあっけらかんといいのけた。
しん張り棒を自からはずした以上、
誰が夜這うて来ても、致し方ない。
思う人は来ないかも知れぬ。
それでも一縷の望みをかけて覚悟を決めるしかない。
「おなごになるからね」
しん張り棒をはずす事を決めた時にお甲は言った。
「わかってるかい?
男のあそこが身体の中にはいっちまうんだよ?」
とも、いった。
「あんた。ちゃんと、定さんに言ったのかい?
きておくれっていったのかい?」
「う、ううん。まあ、はっきりとは・・ね」
「だったら・・・」
「いいんだよ。定太は・・・」
村はずれのお陸に夢中になってる。
お陸とお鈴はこの村で名を知らぬ者はない後家である。
餓えた身体を平らに均す為、
二人は夜這われる娘さながらに男たちに身体を開いている。
「さっさと、観音様を拝ませてやらねえと
お陸かお鈴に男をとられっちまうぞ」
と、てて親からさえもいわれたことがある。
「お陸にやんねえためだけにそんなことすっもんか」
「ほっかのお?」
この村の習慣が当たり前の事であるてて親も、
そうやって、母である花世とむすばれたのであろう。
はやく嫁に行けばよい。
子を産んで親になってゆくがよい。
てて親ははやく娘が夜這われることを願うのが
てて親であると信じていた。
お陸に夢中になってる定太であるならば、
お甲のところなぞに来はしないだろう?
よしんば来たとしても、それはお甲を嫁取るためではない。
「わかってるよ」
「だったら・・・なにも・・・」
他の誰がしのんでくるともわからない。
定太より先の男に望まれたら
それを渡すしかないのに何故に戸をあけようとするのか?
「確かめてみたいんだよ」
な・・・何を確かめるというのだ?
「定さんにも
振り向いてもらえない女なのかねってさあ」
―振り向いてもらえるなら欲づくでもいいんだ―と、
それで、―定太に粉をかけてみた―と、いった。
だが、お甲のもとにやってきたのは峯吉だった。
「定がゆずってやるっていうからよ」
お甲の願いはあっさり崩れ去った。
「だから、峯吉があたしの初めての男だよ。
あいつに女にされたんだ」
お甲は手のひらで涙を拭って見せた。
だが、お甲が峯吉により女であることを教えられてから、定太がやって来た。
「なんだよ?峯吉を満足させてやれなかったのかよ?
それとも、お前のここが
峰のもんじゃ満足できなかったかよ?」
夫婦約束にならなかった男と女の戯れを
定太は笑いながら、お甲に峯吉と同じ事を求めてきた。
定太が来たのは、初めての女と肌を合わせるときの
ものめずらしさに駆り立てられてきたわけではなかった。
お陸に見限られ、
悶々とした男が洗いざらしの褌の中で
そそり立って仕方がない。
「そういやあ・・」
お甲のことを思い出した。
とうていお陸の変わりなんぞになるわけもない
小便くさいあまっちょだが、
このさい、お甲でもいいから抱いていねえと
「ちんぼの先からひからびちまうぜ」と、定太は思った。
こんな調子だったから、
朋世もどこかでいつかは自分から
誰にだかれるのでもなく、
女子になるためだけに、
しん張り棒をはずさなければならない日が
くるだろうことだけは、おぼろげに理解はしていた。
だが、実際はどうであろう?
「一体、いつ、私がしん張り棒をはずしたというね?」
男は無理矢理、
しっかりかかっていたはずの
しん張り棒さえ取り払ってしまって
いきなり、朋世をこじあけた。
ゆっくり、村への足を引きずって歩いていた朋世は
小道の真ん中に突然うずくまると顔を覆って
声を上げて泣き出した。
「おかあちゃん・・・おかあちゃん・・」
ほんの僅かの間、朋世は思い切り母を呼んでむせび泣いた。
「おかあちゃん。
朋世もお甲とおんなじ・・・女になってしもうた」
やがて、小道の真中で朋世は立ち上がった。
「朋世も、もう・・・しん張り棒はずすんよ」
そのとき、胸の中で語りかけたお甲が
笑顔をみせたきがした。
「お父ちゃんの言うとおり。
朋世も、おかあちゃんになるに・・」
朋世は小さな痛みを堪えて再び歩き出した。
木陰から佐奈は少女をじっと見ていた。
無事に村への抜け道にたどり着くのを見届けると
佐奈は再び森の中に走り出した。走り出しながら
「あれが・・・いかんかったんじゃ」
佐奈は呟いていた。
少女に出会う前、森外れにある炭焼き小屋で
佐奈はくたびれた身体を休めていた。
積み上げられた薪の後ろに隠れて佐奈は身体を伸ばした。
いつの間にか、佐奈が深い眠りに落ちていたと、
気が付かされたのは女の妙な声が聞こえたからだった。
「陸・・・」
男が女の名を呼んだ。
媚を売るような鼻にかかった女の声が
はっきり佐奈の耳に届いた。
続けてその声がみだらな音色に変わったとき、
薪山一つの向こうで
男と女が何をしているか佐奈にも判った。
「周さん・・」
女が吐息とともに男の名を呼んだ。
その場所から出ることも叶わず、
佐奈は固唾をのんでいるだけだった。
「周汰さ・・・ん・・ああ・・ああ」
男のうねりに女が禍々しい声を深めた。
やがて男の声があらぶれて女の声に重なりだしてゆく。
「陸・・はなつぞ」
「あ・・・」
女の声が早まりだしてゆく男のもののせいで、
一層乱れだしていった時、
佐奈は二人の後ろをそっとぬけだした。
男の小気味良さそうな動きが
高く掲げられた女の足の間に揺らめいていた。
硬く目を瞑った女の顔が男の背中越しに見えた。
堪えられない感覚を与えられた女の顔は
苦悩しているようにさえ見えた。
その口から喩え様もない声が漏れ出していた。
佐奈がごくりとつばを飲み込んだとき、
口の中はからからに渇いていた。
女の足が佐奈の脳裏からはなれなかったが、
それよりも佐奈は引っ付くような喉を潤したかった。
川の水のせせらぎのにおいと音を頼りに
佐奈は歩き出したのである。
そして、その後少女に何をしでかしたか・・・
「あれが、いかんかったんじゃ。あんな物におあられて・・」
水を飲もうとしていた佐奈は少女の鋭い悲鳴に気が付いた。
そして、あの顛末だった。
少女が村に入る道に立ったのを見届けると
佐奈はやっと渇きに気が付いた。
この、渇きを癒す事よりも・・・・
その付け根が己の肉体につながっている男根を
癒す方が先立ったという。
己の中に渦巻く肉欲の恐ろしささえも、
事がすみ果てると嘘のように引いていった。
本当のことであったのだろうか?
だが、佐奈の身体にも少女の血の滴りは
まとわりついていた。
「身体はあらいながせるが・・・」
一度存在を誇示し始めた欲望を塞ぎこめる事は
できるのだろうか?
そのことこそがおそろしい。
己を佐奈でなくさせるほどの空恐ろしい欲望は
佐奈の意識をどこかにおしやってしまうだろう。
「違う。すいておるのじゃ。一目できにいったのじゃ」
佐奈はもう一度言い聞かせると川を目指した。
水を飲み干し、
佐奈は身体にまとわりついた血を洗い流した。
「く・・・うう、あわう」
奇妙な声がひどく苦しげに聞こえてきていた。
佐奈は声の主を探し始めた。
よどみの淵に突き出た川の曲がりはなの岩の上に
そいつがいた。
「河童(かわっぱ)か」
佐奈は目を凝らして河童をみた。
苦しげにうめく声は確かに河童の喉から漏れ出していた。
よくよく見れば河童の足に杭が貫いており、
河童は杭を引き抜こうとしながら
引き抜ききれぬ痛みにもがいていた。
「じっとしておれ、逃げぬでよい。俺が手当てしてやる」
佐奈は叫ぶと河童のいる岩肌に泳ぎだしていた。
河童はめったと人の前には姿を現さないものである。
だが、足を貫いた杭の痛みが河童を岩肌に留まらせていた。
「助けてやる。おそれんでもいい」
声をかけながら佐奈はにじり寄っていった。
人の言葉を解するのか、あるいは佐奈の心を見定めたのか。
河童はじっとうずくまったまま
救いを求める目を佐奈に向けた。
「よし。まっておれ」
岩肌の上に伸びかかった手ごろの太さの木の枝を
佐奈は小さな束でなぎ払った。
「生木じゃで、にがいかもしれんがの」
佐奈が微かに笑った言葉の意味を理解した河童は
差し出された木の枝を受取った。
「しっかり、はんでおけよ」
佐奈に言われ、河童は木の枝を横にすると
口にくわえんで、杭が貫かれた己の足を
佐奈の前にゆるりと伸ばしてきた。
「云うておる事がわかるのか?」
河童は木の枝をくわえたまま、コクリと頷いて見せた。
「よし・・いいか?しっかりかみしめておけよ」
佐奈の言葉どおり河童がぐっと枝を
かみ締めたのがわかると佐奈は河童の足をもった。
「よいな?」
佐奈の背中になった河童を振り向くと
河童は手を合わせ拝む手つきをした。
抜け切れない杭を抜いてやろうと言う佐奈に
「頼む」と河童は手を合わせていた。
「ゆくぞ」
河童の足を押さえつけ佐奈は気合をこめ、
一気に杭を抜き放った。
「うぐっ」
こもる声が聞こえ佐奈の手の中に杭が抜け降りた。
岩肌を伝い落ちてゆく血がおびただしく、
佐奈は着物の袖をしゃき上げると、
止血のために河童の足首を縛り上げ、
「よう・・辛抱したの」
河童を振り向いた。
が、河童は一瞬の痛みに耐え切れず意識を遠のかせていた。
「まっておれ」
佐奈は河童に言うと薬草を探しに再び川の中に入り、
岸を目指した。
佐奈がいくつかの薬草を手にして戻ってくると、
河童はやはりまだ岩肌の上にうずくまっていた。
佐奈が手に持った薬草を掲げ上げると、
河童は小さな会釈をして見せた。
三度、川をわたり佐奈は岩肌の上に
身体を持ち上げると河童に薬草を見せた。
「よいか?これ。この葉をおぼえておけ。
これが痛みを麻痺させる薬木だ。だが、この薬木はきつい」
佐奈は葉を毟り取ると、岩肌の上で無造作にもみこんだ。
くたくたになった葉を手の中に握り締めると、
佐奈は河童の傷の跡に葉汁を絞り落とした。
「うあっ」
鈍い呻き声が漏れた。
「しばらくしたら、痛みが遠のく。
よほど痛くて辛抱きらぬときにだけ使うがよい」
足首の紐を既に解き去っていた河童は
紐を手に持ったままだったが
その手で足首を押さえ込んでいた。
佐奈の言葉に河童は何を思ったのか、
岩肌に置かれた残りの木の葉をちぎりとると口にしかけた。
「やめろ。馬も酔う、馬酔木じゃ。
うっかり口にしたら毒よりもたちが悪い」
佐奈は河童を制した。
佐奈は続けてよもぎの葉を手の中でもみこみだした。
「よもぎは肉を寄せ集める力がある。
傷がはよう元に戻るのを助けてくれるし、化膿を防ぐ。
時折、かえてやるがよい」
佐奈は河童の傷の上によもぎをのせると、
残った片袖もしゃきはじめ、
河童の足をよもぎごと、巻き込んだ。
河童はじっと佐奈を見ていたが、
やがて、佐奈の手を取ると小さな石を握らせた。
「どうした?これを俺にくれると言うのか?」
黒曜石で出来た護り石である。
河童はこくりとうなずいて見せた。
「護り石か」
せめてもの礼のつもりであろうが佐奈はかぶりをふった。
「よい。これはおまえがもっておれ。
護り石をもっておっても、
そのような怪我をする、お前が石をなくしたら
どのような厄災にあうかわからぬ。それに・・」
佐奈は懐の布袋を引っ張り出すと
「俺には、これがあるから良い」
袋の中の物を手のひらに乗せて、河童に見せた。
小さな白い物が牙であることがわかる。
「おれが生まれたときに、
ばっさまがさずけられたものだそうな」
佐奈は白い小さな護り牙をみつめた。
牙をみつめたままの佐奈はその時、
河童がどんな驚愕の相を呈していたか、
気が付いていなかった。
「だから・・・よい」
河童の手に彼の小さな護り石を握り返させると、
佐奈は両袖をなくした己の姿を思って笑った。
「いくの」
佐奈は河童に別れを告げると四度、川の中に入り込んだ。
河童が佐奈を拝むように手をあわせていた。
が、その姿を佐奈がみたら、
傷の手当てをしてやった佐奈への
河童の心根を表したものだとおもったことであろう。
だが、事実は違っていた。
河童は白峰大神の牙を懐に抱いた男の先行きを
ひどく案じていたのである。
何ゆえ、白峰ほどの大神の牙が
若者にゆだねられているのか?
河童には、若者が数奇な運命を握らされているとしか、
思えなかった。
夜半を過ぎ、朋世の寝間の脇の戸が微かにきしんだ。
何度となく、朋世がしん張り棒をはずしたかどうかを
確かめに来ている男であろう。
それがたった一人なのか、
それとも、何人かなのかは朋世にもわからない。
が、そっと今宵も戸が開かぬ事を
確かめるだけだったはずの男の手が止まった。
―はずしてある―
男は息をのみこんだことであろう。
そして、確証を得るために
男はもう一度戸を開き始めてゆく。
そっと、忍び込んだ男は朋世の布団ににじり寄っていった。
「朋世・朋世・・」
男は朋世の名を呼んだ。
男の手が伸びてくると朋世は男に抱き寄せられた。
荒々しい息が寄ってくると朋世は口を吸われ、
まだ、硬い胸に手をさしこまれた。
そうしておいて、男は朋世のひそかな場所に
己の一物を滑り込ませるために、
朋世の裾をさばき、いともたやすく、
朋世の中心を肉棒で探り当てるとぐううとおしこんできた。
「朋世・・やっと、火がついたか」
男の言葉を朋世はその肉体で返して見せていた。
「ようやっと・・朋世」
男は遠慮なく朋世を貫き通していった。
「周汰・・さ・・ん」
朋世を望んだ男の名前を朋世はよんでみせた。
「ああ。ああ。そうだ、周汰だ」
男、いや、周汰は朋世の中に
己を激しく突きこみながら答えた。
「何度とのう、来ておったのをしっておったか?」
朋世はまだ、痛みを引きずる女子の場所への
周汰の責めに声をふさいでいた。
「だが。誰ぞに先をこされてしもうた」
鋭い痛みは周汰の物のせいではない。
朋世が、生娘でなくなっているのが周汰には判った。
だが、周汰の先を越した男に、
朋世は望まれなかったということになる。
ゆえに朋世はしん張り棒をはずしたままに
なっていたのである。
周汰は、思う様に朋世を嬲りのめした。
周汰の行状は明け方まで何度か繰り返され、
白けきってゆく空の色が部屋の中まで、
僅かに開いた戸の隙間から流れ込んできていた。
「あ・・」
朋世のひそかな場所から
まだ、にじみ出ている物がうっすらと、
血の色を滲ませている事に周汰は気が付いた。
初めての男は、朋世を嬲り、
その一度で朋世を捨てたのである。
周汰がおもった瞬間であろう。
先を越した男を拭い去るがためにも、
何度も、朋世につきこんだ物が堪える事を忘れた。
「ああ・・・」
周汰は、朋世の中に打ち放つ事を選んでいた。
女子の中に打ちはなつ。
と、言うことは二つに一つしかない。
勢に走りすぎたと言う事か、
あるいは婚を企てていると、言うことである。
朋世の身内の中にさらけ出される欲望を、
いずれにせよ、受け止めさせる事に変わりはない。
周汰はしっかりと、朋世を押さえつけると、
最後の一滴まで絞りつくすかのように
朋世の中ではてきった。
やっと、朋世をはなすと、周汰は
「しん張り棒をかってくれるの?」
朋世に言った。
つまり、周汰だけのものになれといっているのである。
さらに
「戸を三度叩く。もう一度、叩いて、もう三度叩く。
それがわしじゃ」
「・・・・」
「先の男が戻ってきても戸をあけてはならぬ」
「はい」
朋世はこたえていた。
朋世が男を迎え入れたのを
てて親である判造は、気が付いていた。
「朋世をめとってくるるばよいがの」
判造は呟いた。
次の日。
朋世は、小さな竹篭をだかえて、山に入っていった。
「なんだい?いっしょにいこうかい?」
朋世の背中から声をかけてきたのはお甲だった。
春の山は、恵みの宝庫である。
蕨やぜんまいを摘むのは、女子の仕事でもある。
「うん」
お甲と、一緒ならば心強い事である。
朋世を先に立たせて歩いていたお甲であったが、ふと、
「朋ちゃん。あんた・・」
口ごもった。
「なに?」
お甲のようなはきはきした娘を口ごもらせた事が
なんであるのか、朋世は気になって
山の坂の平らに開けたさもどりに出たとき、
お甲を振り向いた。
「ああ。ちょっと、やすむ?」
軽く息が荒れていたお甲を別段気に止めずに
柔らかな春草の上に朋世はすわりこんだ。
「なんね?」
尋ね返すとお甲も聡く、朋世にどういおうか、
迷った顔をして見せたが
「で、相手は誰やったね?」
朋世が女子になったことをきがついてると、
そう、言い表した
「ぁ。お甲ちゃんには、黙っていてもだめやね」
朋世は少しうなだれたが
「周汰さんよね」
と、答えた。
―え?―
小さな声をお甲は慌てて、喉の奥に閉じ込めた。
が、お甲は飲み込んだ言葉が胸につかえ、
居心地の悪さに逆流しはじめてきていた。
すくなくとも、お甲には一瞬そうかんじられた。
お甲は朋世の側を離れると、
げえっと堪えた物をはき上げた。
「お甲ちゃん?あ、あんた・・・」
周汰の事を聞いたせいではない。
「そうだよ:」
お甲は口元を手で拭いながら
朋世が気が付いた事に、頷いて見せた。
「だったら?」
―定太の子であろう?一緒になってくれるんね?
よかったよね―
言いかける言葉を朋世は注意深く飲み込んだ。
「定さんの子だよ。でも・・・」
お甲はため息をついた。
「誰の子か判らねえのに、
背負い込まされるのは御免だよって、いうんだよ」
「え・・・」
「仕方ないよね。峯吉も来るし、作次まで」
「え、だって・・棒をかっておきゃいいじゃないか?」
「ばかだね。あんた」
お甲が寂しそうに呟くと、にこりとほほえんだ。
「あんた。周汰さんにそういわれたんだね」
俺だけにしてくれ。
しん張り棒をはって他の男をよせつけるな。
俺だけの朋世になるんだ。
確かに周汰はそういった。
不可思議な顔をしている初心な娘に
男のずるさを吐き出すのはむごいと思ったお甲だったが、
周汰が本気である事に気が付くと
あっさり言ってのける事にした。
「定さんにはね。そういったんだよ。
しん張り棒をかって置くから戸を叩いて
合図をしておくれってね。
判ったって頷いてくれたからしっかり信じ込んでたよ。
なのに、合図に戸を開けてみりゃぁ、
今度は作次がたっていたよ」
「・・・・」
どう返事をすれば良い?
周汰が朋世に本気であると、
あんなににっこりと笑って喜んでくれているというのに、
お甲の有様は惨め過ぎた。
「参ってしまうよねえ。
お前なんぞ本気で相手してねえんだって、
わざわざ他の奴らに
あたしをだかせなきゃなんないのかねえ・・・・」
涙の粒をお甲は手ぬぐいに押し付けて笑った。
「本と。まが抜けてるったらありゃしないんだから」
「じゃあ?ほんとは・・・」
腹の子が誰の子か判らないという事なのだろうか?
朋世は確かめる言葉をなくしていた。
「ばかだねえ。ほんとにあんたは。
みんなしてあたしをくいものにしてるだけだよ。
夜這いの定法どおり、嫁にしたくもない女の中に
種を落とす馬鹿もいやしないよ」
が、確かにお甲ははらんでいる。
「だあれも、どいつもこいつも
種を落としてくれやしないよ。
定さんが他の男を引き込んだのもそれだろうしね。
よしんば勢で種を漏らしちまったら、
お互いになすくりあいをして、皆で逃げちまうまで、
あたしを食い物にして・・・。
慰みたいってだけのお仲間で・・・・」
「・・・」
「朋ちゃんは心配しなくたっていいんだよ。
定さんが認めようが認めまいが、
この子は定さんの子なんだ。
そして、この子があたしを救ってくれるよ。
皆、なくしちまうけど・・・。
定さんまでなくしちまうけど・・・」
お甲のつわりに気が付いた男達は
もうお甲の元には来なくなるだろう。
だが、これ以上慰み者にされる不幸を取り除くのが、
定太の子であることこそが救いであった。
そして、その子が定太をも、失わせてゆく。
「ああ。やだねえ。ほんとに定さんの子だよ。
だって、あたしが、足を絡めて定さんを、
果てそうになって抜きかける定さんを
とらまえてやったんだもの」
「お甲ちゃん・・・」
「いいんだよ。あん時、定さんは
ちゃんとあたしの名を呼んだんだ。
そりゃぁ嘘じゃないもの」
涙を見せ始めた朋世にお甲は笑いかけた。
「だから、あんたがしあわせならいいんだよ」
「お甲ちゃん」
「ああ。言っとくけど、あたしだって十分幸せだよ。
ちゃんと定さんにだいてもらえたんだもの。
子種はむりやりかすめとったけどさ」
大きく息を吸うと
「さあ、いこうか」と、お甲は立ち上がった。
「うん」
朋世の瞳が大きく開かれて涙に潤んでいたけど、
朋世はぐっと目をしばたたくと立ち上がった。
朋世の後について歩きながら、
お甲は胸を撫で下ろしていた。
定太がお甲の元に来るようになったのは
お陸に愛想を着かされたからだったが、
お陸が定太に愛想尽かしを食らわせたのは、
お陸の中に周汰が入り込んだせいであるのを
お甲はしっていた。
「くそお・・・周汰のやろう」
思わず定太が呟きお甲に挑んでくると
狂ったようにお陸の名を呼んだ。
そして、頂点に達する前になると
「くそお。なんでおまえはお甲なんだよ」
うっかり女をはらませてはいけない夜這いの定法どおりに
脈を打ち出した物を、お甲の中から引き抜いた。
多分。男を知りぬいたお陸は
自分の身体の摂理を知っていて孕まないときに、
男たちの刹那を粘液質に包まれた生暖かい肉の中に
吐き出す事を許してやっていたのだろう。
そんな女に定太は見事に溺れ切っていた。
吐き出しきれないときこそ定太はお陸の名を呼んだ。
だが、お甲の中で果ててしまったとき、
男根が果てる最後まで
肉でくるんでくれた女の名を呼んで見せた。
―だから、もう、それだけでいい―と、お甲は思った。
他の男の精を飲み込むことはなかったのだから
間違いなく定太の子でしかないのだが。
だが、どちらにしろ、
どうやら周汰はお陸に
のめりこんではいなかったようである。
それがお甲をほっとさせた。
―あたしはいいんだ。
勝手に定太に岡惚れしちまった馬鹿な女だからいいんだ―
でも、お陸のせいであんたまで不幸になるんだったら。
きっと、私はお陸のくびをしめにいっちまっただろう。
思わぬ罪をお甲にまで負わせずにすんでくれた周汰に
お甲は、小さく願をかけた。
―頼むよ。周汰さん―
「さあ、いっぱい摘むよ」
目の前に広がった蕨の群生にお甲は朋世に声をかけた。
あれから・・・・
―もう何度か周汰に抱かれた―
五月の空に鈍い雨音が開き、
山田の苗が慈雨を受けて伸びたった。
朋世は炭焼き小屋に雨を逃れていた。
遅い春に蕨はもう葉になり始めていたが、
最後の摘み物のつもりで朋世は山に出かけていった。
雨が降り出すのは判っていたが昼を過ぎてだろうという
朋世の予想は外れてしまった。
篠つく雨というが、まさにその通りに
雨はそぼそぼと地べたを濡らし始め、
やがて、朋世もぐっしょりと濡れ込んでしまった頃に
炭焼き小屋に辿り着いた。
炭焼き小屋に行けばみのがある。
きっと、爺がおろうし、
火もたかれておるはずであると、思った朋世であった。
炭焼きの煙が見えないのを訝りながら、
小屋に辿り着いたものの、爺もおらなければ、
もちろん火もたかれていなかった。
悄然としながら、それでも、朋世は小屋の中を見渡した。
「爺やあ・・・病かやあ?」
だとすれば爺も里にいて、
返事なぞするわけもないのである。
が、朋世の声に薪の後ろで音がした気がした。
「爺かや?」
何かあったのだろうか?
不安な気持ちのまま朋世はひょいと薪の後ろを覗いて見た。
覗いてみた朋世がいきなり抱きすくめられた。
「あっ?」
朋世を抱きすくめた男は忘れる事もない、あの男であった。
「おぼえておろう?」
一言言うと男・・・・、佐奈は再び朋世を襲った。
「いや・・・じゃああああ」
叫んだ朋世が男にもろくも組み伏せられ、
濡れそぼった着物をたくし上げられると
あっという間に男の物が身体の中に入るを知らされた。
「いや・・だ・・周さん・・助けて・・」
朋世の言葉がむなしく男の背中に
廻り込んでゆくだけであった。
「男ができたか?他の男をのみこんだか?
ここが・・ここでか?」
佐奈は駆り立てられる嫉妬のまま、
朋世に自分こそが
お前の男であらねばならぬだろうとばかりに
朋世のほとに向けていびつな欲情をはたき込んでいた。
「あ・・」
情けない事に朋世は
その欲情を、その男の嫉妬を、憎く思えなかった。
そればかりでなく男の扇情的な言葉が
朋世に鋭い快感の牙を刺し貫く事になっていた。
朋世が瞬時に極めてしまっている肉のうずきに
佐奈も気が付いていた。
「恋しかったに・・・あいたかったに・・・」
朋世の喘ぎを己の物でさらに確かな物として、
朋世自身にも知らせるために
佐奈は激しくうごめき続けていた。
そして
「よかろう?」
尋ね、さらに
「欲しかったのは・・俺であろうに」
朋世の心の深淵を見せつけようとして、
さらに佐奈はその腰を思い切り揺さぶり上げていた。
「あああああああ」
朋世の「女」が声を上げ始めた。
朋世も自ら男の動きに合わせるかのように、
知らずの内に己の快感をむさぼるために、
男から与えられる物をしっかり刻み付けるかのように
細い腰を蠢かせ始めていた。
朋世の秘め事を外から盗み見ていたのは、
炭焼き小屋で時折、男としっぽりぬれ過ごすことのある
お陸であった。
「やだね。先客がいるよ」
お陸は、炭焼き小屋の爺とはす向かいの家にいる。
だから、今日は炭焼きの仕事がなくて
小屋が空いている事が判っていた。
ご執心だった周汰がこなくなったのは
どうやら村の娘っ子のところに入り浸りになったせいだと
判ってしまうと
「あんだけ、やっても、駄目だったんだもの。
縁がなかったのさ」
つぶやいて、あきもせず男を誘った。
約束通りに炭焼き小屋にきてみて、
先客の気配にお陸は小さく声を立てて笑った。
「どうにもこうにも、
男と女ってものはしかたがないものだよねえ」
たった一つの肉付くが欲しくて、
昼間っぱらから痴態を繰り広げる男と女がここにもいる。
「で、誰なんだい?」
お陸は下卑たひと時に浸りこんでいる
幸せな男女をひょいと覗いて見た。
佐奈はじっと朋世を待っていた。
朋世は決して佐奈のことを思うておるとはいわなかった。
が、朋世を抱くとき、
朋世の身体によってそれをはっきりと告げられた。
朋世はいつも、受身で
佐奈に陵辱される女を装って見せていた。
そして、その日。
確かな朋世のため息が拒み続ける口を裏切った。
「佐奈・・・ああ・・・佐奈」
確かに朋世は佐奈の名を呼んだ。
男の陵辱に脅えるあまり
少女は身体を開いていたはずであった。
が、それが突然、逆転した。
「朋世・・・」
佐奈は背中からだかえこんだ少女の口をすすり上げた。
すすり上げながら
「朋世。おれについて来い。村をでろ」
と、囁いた。
途端、朋世の背筋がぴんと張り詰めた。
「どうした?俺がいやか?おれで不服か?」
胸まで伝う涙のしずくが、佐奈の手に感じられたとき
佐奈は朋世の身体をねじった。
「朋世は周汰の嫁になる」
「え?」
「父ちゃんも母ちゃんももうそう思っておる。
お甲もよろこんでくれおる」
「ばかな」
誰かのために嫁に行く?
「お前が欲しいのは俺であろう?」
だが、やけにはっきりと朋世は首を振った。
「ばかな」
「だけど、周汰さんを、これ以上・・・裏切れない」
佐奈はくるりと朋世の身体を回して、
朋世の足を開け上げると、
朋世の目にはっきり見えるように
己の一物を朋世の中に付きこんで見せた。
「ならば・・・これはなんだという?」
「あ・・・ああ」
朋世の身体が既に佐奈の動きに反応していた。
「なんで、そのような声を上げる?」
「あ・・あ」
「俺と一つになりたかろう?
お前のここがそういうておろう?
何故ここにきいてやらぬ?」
「佐奈・・佐奈」
「のう?」
朋世は己を許した。
流れ者の優しい嘘に酔う事を許した。
その心の開放が朋世に高すぎるあくめを迎えさせ、
確かに身も心も佐奈に結ばれる刹那を共有させた。
そして、その日を境に
朋世は佐奈が潜み待つ森に行くのをやめた。
村の共同浴場というと実に聞こえがよい。
竹垣で風をさえぎった露天風呂でしかないのである。
そこで男は時折女を知らされることがある。
お陸の手管に落ちた男。
お陸との接合をもくろんで浴場に足を運ぶ男。
どちらの馴れ初めが先なのかは定かでなくなった男に
お陸は久方ぶりに顔を合わせた。
「周汰さん」
口説いたのか、口説かれたのか。
身体を合わせなくなって、久しい周汰である。
身体の疼きを癒されるだけを望んだ男なら
お陸ももう知らぬ顔をしていたのかもしれなかった。
だが、
「周汰さん」
裸身の身体をお陸は寄せていった。
「ああ・・陸か」
湯気の中に身を沈めた周汰ににじり寄った女に
気が付くと周汰は照れたような笑い顔を見せた。
もう、周汰の心は陸にはない。
それを周汰の照れた笑顔が語っていた。
いや、むしろ、
初めから周汰の心は陸にはなかったのかもしれない。
陸は周汰のものに手を伸ばしていった。
だが、それは、
やはり、すんだ事であると確かめるためだけの
所作になった。
「ああ・・・陸・・すまぬ」
周汰は陸の手の動きにはっきりと肥えてゆく物を
なぶらせたまま、謝っていた。
「周汰さん?」
「すまぬ。陸」
再び確かに周汰は謝った。
「ほ、本当なのだね?」
「ああ。わしは朋世がかわゆい」
朋世がはらんだ。
それで、大手を振って
そのまま朋世を娶る事が出来ると
周汰が嬉しげに言い放ったと噂に聞いた。
「そうかえ?」
周汰のものを陸の手がしごきだしてゆく。
「ああ。陸。だからもう、お前の中にはなつことはない」
あっさりとこらえ性もなく、
周汰のものが硬く張り詰めると
湯の中に白い液体を放ち始めていた。
鳥の卵の白身が固まるように
湯の中で液体は軽く煮凝ごんだ。
よどんだ液体を陸は手でかきならした。
「だから、身体はあわさないというかや?」
「ああ」
「陸のここはいらぬというかや?」
周汰の手を陸のほとに導いてみたが
周汰のものはもうびくとも動こうとしなかった。
「何度、われの中にはなったというに?」
「子種は留まらんというたでないか?だからじゃろう?」
暗に朋世には敢えて子種をやどらさせたと
いっている周汰なのである。
陸は黙った。
嘘である。孕まぬというのは嘘であった。
周汰の子が欲しかった。周汰の子種が欲しかった。
あわよくばそのまま周汰のかみさんにおさまりたかった。
だから、周汰だけには嘘をついて
何度か周汰の種を受けた。
が、それでも子は留まらなかった。
周汰となれ初めてからは周汰一本にした。
いや、周汰だけの女になってしまう自分であった。
だが、それは周汰が強いてきた事でもなければ、
子が留まらなんだのも、
周汰が本意に陸をのぞまなんだせいであろうと思えた。
陸は朋世がここらでは、
見た事もない男に抱かれていたことを
よほど話してしまおうかと考えもしたが、
いらぬ事を言って周汰の心を傷つける
おろかな逆恨みを見せる女にだけはなりたくなかった。
「縁がなかったんだねえ?」
いつかも陸はそういって自分を宥めたが、
もう一度大きな運命(さだめ)のせいにすると、
もう一度周汰のものを柔らかくなで擦り、
ぐっと握ってみた。
そして、陸は笑っていった。
「ここも朋世が一等かわゆいかや?」
周汰はにっと笑うと
「どうも、そうらしい」
と、答えた。
そのとき、陸は周汰を恐ろしい男だと心底から感じ取った。
周汰は朋世を守る為なら、
この陸の首をへし折る事にさえも
痛みを感じ取りはしないのだ。と。
朋世が周汰の元に嫁ぎ三年の月日が流れていた。
生まれた子に周汰は草汰という名を与えた。
「草は根強い。どんな事があっても地に根をはっていきる」
畑に生える雑草ほど強い物はない。
二つになった草汰を、膝に抱きかかえ
周汰はほおずりをする。
「それに何よりも、おまえにようにておる」
だからこそ尚のことかわゆいと、周汰は言う。
仲の良い夫婦でもある。
そろそろ二人目が欲しいと周汰は言うが、
言った口の下から人が聞いたら赤面して逃げ出すような事をさらりと言ってのける。
「だが、朋世が孕んだら、きずつのうて、
だけぬようになる」
と。
草汰が腹におるとき周汰は朋世に触れようとして
触れ切れなかった。
「つらいの」
朋世の腹の大きさを労わるのか、
周汰自身の朋世に触れきれぬ心を言うのか。
寝間では、草汰が生まれるまで毎夜、
朋世を背中から抱いて周汰は眠った。
「わしは朋世がかわゆくてしかたがない」
大の男はてらいも見せず、己の心のままを口にした。
三年たったいまもそれは変わりなく、
朋世とともに畑に出ておるときにでも、
ふと湧き上がった思いを、口にする。
「朋世がわしの事を好いてくれてよかった」
とも、いう。
三年前のあの時。
確かに朋世には男がいたはずであった。
が、そのことさえも、
そ奴が朋世を捨ててくれて良かったとまで思えるのである。
そして、朋世を思うて
つどつど、出かけていて良かったと思う。
もし、そ奴に捨てられた朋世を拭うのが
周汰でなかったら、
朋世は他の誰かの手の物になっていたであろう。
「時」に乗じられたことを周汰は、神に感謝さえしていた。
そんなにいとおしい朋世を無性に求め確かめたくなる。
麦の畑の中で、周汰は朋世を呼んだ。
「なんね?」
近寄ってきた朋世のもんぺの紐を解きあげ、
朋世の尻をさらけ出させると、
麦の畑の真中で周汰は朋世に精をはたきこんだ。
「これはお前にしかやらぬものだぞ」
周汰は言った。
何度その言葉をきかされていることであろうか。
夜這いの夜にしか結ばれなかった時から
今も周汰が、そういう。
嫁に来いといったのである。
嫁にするといったのである。
周汰の嫁になった今も周汰の朋世への執心は見事な物で、
自然村人たちの口の端(は)にのぼる。
「まだ・・・あきぬのか?」
周汰を笑ったのは、定太だった。
「は?」
周汰は何を言われたのかさえ皆目見当が付かない。
それほどに、朋世に万が一にでも飽きるなぞという
例えさえ周汰の心にはなかった。
「ははっ。こいつはまいったね」
定太も色をなして驚いていた。
定太からお陸を奪い取った男が、
お陸の事なぞ一つも顧みる気もないほどに
朋世に一途になれるのが不思議であった。
「おめえ」
定太はすんだ事を尋ねかける馬鹿さ加減に言葉を止めた。
「ん?」
妙な間が空く。
「いや・・なに・・・」
定太は頭をするりとなぜた。
「なんぞ?」
「いや・・なに」
すんだ事で有らばこそ。きいても良いのではないかと
定太は考え直していた。
「なに・・・なんだ。おめえにとって、
陸はなんだったのかなっと思ってよ」
「ああ・・・そのことか」
周汰は随分遠い昔の事を思い出すかのように
考えているようであった。
「そうじゃな」
しばらくして周汰はいった。
「わしは朋世をずううとすいておった。
あれがまかり間違えてしん張り棒をはずすと限らぬと
思うて十三の時から時々、朋世の屋根の下にいって
戸が開かぬことを確かめて来ておった」
「なんとやな?十三というたら」
「ああ。わしもまだ十五じゃった」
「そんな昔から?ならば。陸の事よりもはように・・」
「それやもしれん。わしは朋世をどう抱いてよいかさえ、わからんかったに」
「陸に教わったという事か?」
「朋世を思うと、わしがほたえる。
陸で沈めておくのが良いとも思った」
つまり・・・・。
周汰はお陸でなく、他の女子に、
例えば村の他の娘にほたえをぶつけて、
うかりとして、子を孕ませてしまえば
周汰は自分の性分であるから
その娘を嫁取る羽目になることを承知していた。
そして、そういう定理が成り立つなら
既に村の他の娘に夜這いをかけるということは、
周汰にとって朋世への裏切りであった。
「つまり・・・」
定太は周汰の心の底に少なからず
ぞおおっとした思いを湧かせていた。
つまり、周汰は朋世を護るために、
陸という女を利用していただけなのである。
お甲をなぶりものにした自分が、
周汰にぞっとするというのもおかしな事であるが
「つまり・・・お前は陸がはらんだとて」
後の言葉は定太も恐ろしくなった。が、
「掻き出すが嫌だと言えば、
陸の首をつらさせてやっただろうの」
周汰はあっさりといった。
子を掻き出させるというむごい事になっても、
陸にはそうさせてもかまわない。
それだけでしかない女だからこそ、
陸を、その体を抱けた。
「で、なければわしは陸をだかぬかったじゃろう。
だから、これは朋世を裏切ったわけではない」
「・・・・・」
定太は言葉を失った。
周汰は少し悲しそうだった。
陸はあまりにも哀れな女だった。
そして、周汰は男の摂理を素直に認めた男であった。
「わしは・・・」
と、定太はつぶやいた。
お甲に対してもお陸に対してもくだらぬ男でしかなかった。
朋世に対する周汰の気持ちは確かに誠であろう。
ゆえにお陸に対しての扱いは、
くだらぬ女をくだらぬ男として扱ったという意味において
これも裏側では誠でありえるかもしれない。
だが、定太はどうであろう?
お陸にただの肉欲をぶつけ、
お陸をなくせばお陸の代わりにお甲を慰んだ。
周汰はお陸を望まなかった。
己の肉欲である事を十分わきまえていた。
朋世への肉欲を陸ですりかえたわけでもない。
ただ、歴然とあるほたえを認め、ほたえに従った。
定太とどこが違うかといえば、
周汰には自覚があったということだけでしかない。
「わしは・・・己の醜い肉欲のためにお甲を」
定太は呟いた。
周汰が微かに笑った。
「なれど、お甲はお前に本意であったろう?」
例え定太がいかに醜くとも
それをお甲は受け止めているのである。
「わしは・・・」
定太の悔恨に付き合っていても仕方がないと思ったのか、周汰は
「それがゆえにお甲は
お前の子をうんでみせているでないか?」
と、尋ね返した。
「お甲がわしをまだ、待っておるといいたいのか?」
悔恨に気が付けばをやり直せることもあろうと
周汰は言いたいのだと定太も悟っていた。
「な、なれど・・わしの子かどうかわからぬに」
が、自分こそが他の男にお甲を抱かせた張本人でしかない。
「あはははは」
周汰は笑い出した。
「お前はつまらぬ事にこだわっている」
周汰は真顔になっていた。
「お前が拘っておるのは、
お甲が他の男に抱かれたことであろう?
誰の子であろうが、お甲とやり直そうと思うなら、
別段かまわぬことではないか?」
「わ、判るものか。お前などにわかるものか・・」
「なにが?」
「わしを待つといった口の下で
お甲は、他の男に抱かれたのだぞ。
た、たしかにそうさせたのはわしではあるが。
なんで?他の男なぞに抱かれることが出来る?」
「ふん」
周汰は笑った。
「だから、お甲で
己のほたえを始末してやるきになったか?」
周汰が無残にお陸で始末したように。
「ち、違う」
気が付いたことに定太はかぶりを振って見せた。が、
「そうだ。わしは手のひらを返してきた陸が、怖かった。女子なぞはこの肉棒を付きこむ相手でしかないと
思い込もうとしておった」
「だから、お甲もお前を裏切る女だったと?
だから、お甲を慰み物にして捨て去ったと?」
「そうだ・・・そういうことになる」
「ふうううん」
周汰が長く感心したように頷くと
「だが、それがどうした?
問題はお前がお甲に本意になれるかどうかではないか?」
「ほ、他の男に抱かれるような女子に
本意になる阿呆がおるか?」
「ここにおるよ」
「え?」
「わしもこんなことはいいとうない。
わしのためでなく。朋世のために、いいとうないが。
のお。朋世はだれぞ好いた男がおったようなんじゃ」
「周汰?」
「朋世は生娘ではなかったがの。それでも、わしは・・」
「朋世が、か?」
「わしは朋世が欲しいのであって
朋世の破瓜の血をすすりたいのではない。
朋世の心が
わしにひとつたりとてないものであったとしても
わしがことに振り向かせるまでよ。
わしはそう思った。わしは朋世がかわゆくてしかたない。それだけのことでしかないがの」
「わしがお甲をどう思うか。
それだけをみてゆけということか?」
「いずれにせよ。お甲の産んだ子はお前の胤じゃ。
きずいておろう?おまえにようにておる」
「わかっておる」
項垂れて、声小さく定太は認めた。
判っていながら認めなかった。
お甲の真意を認めることも怖かった。
同時に定太を裏切り、
他の男の腕の中で喘いだであろうお甲に
打ちのめされる自分をふさぎこみ、
お甲をただの慰み者でしかない女である事にして、
定太は自分自身から逃げた。
夜中のお甲の寝間の戸を叩く者が居る。
夜這いと言う村の慣習を疎ましく思いながら
お甲は布団の中に潜り込んだ。
お甲の傍らには三つに成る、娘が寝ている。
甲は夜這いを無視しながらそっと娘の寝息を聞いていた。
「この子がおるから・・もうよいに」
と、いつものようにお甲は戸を開こうとはしなかった。
が、戸を叩く音が変わった。
「え?」
この戸の叩き方をするのは、峯吉か、作次か。
もう一人思い当たる娘の父親の名が浮かんだ。
「馬鹿な・・。定さんがくるわけなぞありはしない」
物欲しさがお甲を狂わせかけたがお甲は我に返った。
どうせ、峯吉か作次に決っている。
あいつらはわたしが定太にまだ惚れていると思っている。
だから、定太のふりをしているのだ。
定太であればお甲が戸を開けるだろう
と思っているに違いないのだ。
甘い期待を裏切られたくはない。
お甲は
「おあいにく」
と、呟いた。
定太の弱さ。
それをくるむためにお甲は敢えて、
峯吉にも作次にも抱かれた。
そうしなければきっと、
定太はお甲を求めはしなかっただろう。
どうでも良い女になりきってしまわなければ、
定太はお甲にほたえをぶつけてこなかっただろう。
誰のものでも鵜呑みにするろくでもない女であればこそ、定太はお甲を遠慮会釈なくなぶれた。
だが定太を失った今、なんで心のほたえを、
他のどの男で埋められよう?
「結局、お前の思う通りじゃ。我は、定太のものじゃに」
戸を叩く男、峰吉か作次かに、お甲はそっと呟いた。
「お甲・・俺じゃに」
戸を叩き続けた男はとうとう己の正体を明かし始めた。
「え・・・え?え?」
胸の中の慟哭がこんなにも激しくなりえる物だと、
お甲は知らされた。
お甲は閉ざしきった戸の側ににじり寄っていた。
「お甲・・・。ここをあけてくれぬか?」
にじり寄ったお甲の気配に気が付いた定太は言った。
「誰ね?」
お甲は尋ねていた。
男は僅かに迷ったようである。が、
「定太じゃに」
と、確かに答えた。
「定太さん?定太さんが・・何の用じゃに?」
定太はかたくなに閉ざしきられたお甲に
申し開く言葉を見つけることが出来ず黙っていた。
「何かえ?お甲が事を思い出して・・」
お甲は続ける言葉が己をも痛めつけてゆくのを受け止めた。
「慰みに来たかや?ほたえをぬぐいにきたかや?」
定太はじっとしていたが、あえて、
「そうじゃ。お甲は、それでも、わしを、
もうぬぐうてやるというてくれぬか?」
と、尋ね返した。
「もう・・いらぬに」
お甲は言った。
どんなにか。
それでも良い、どんなにか定太の手を取りたいか。
だが、お甲の口から漏れた言葉は
己の心を見事に欺ききった。
「そうか」
定太は、項垂れるとお甲に言った。
「ならば、本にこれでもう今生、
二度とお前と男と女にはなれぬのだな?」
「ああ。そういうことだよ」
滂沱の涙の滴が零れ落ちている事を見せないで
すませてくれるこの戸一枚が、
定太との永久の別れを仕切ってくれる。
「そう、いうことだよ。だから、もう・・いんでおくれ」
「そうか・・・」
お甲の言葉に、定太は頷くしかなかった。
「・・・」
だまってしまったお甲の姿が戸の一枚向こうに確かにある。
だが、定太は自分の家に帰るしかなかった。
もう二度と。お甲は、
どんなにか我侭で勝手な定太を許してはくれないのだ。
どの口で本意に考えていると言えよう?
どの口で、やり直せてくれと言えよう?
多分、そういえば定太の嘘になる。
もう一度抱かせぬかと言うしかない。
それこそが定太が向けたお甲への真実であるならば
そういうしかない。
だが、もうお甲は定太の我侭を受け止める女を
捨てきっていた。
「それも、おれがそうさせたのだ」
事の事実が定太を痛めつける。
お甲にありふれた女の幸せさえ望む事を
止めさせた己でしかないのである。
立ち去ってゆく定太の足音を聞いていたお甲は
やがて、戸を開け放った。
さっきまでいとしい人がいたその場所。
さっきまでその人を閉ざした戸を
お甲は開け放つと膝をかがめ泣き伏した。
が、
「それがお甲の本意じゃろう?」
立ち去ったはずの男が声をかけてくると、
お甲はそのまま寝屋に引きずり込まれた。
「あ?」
戸惑う事さえも忘れはて
お甲は無我夢中で定太にすがりついていた。
「お甲」
やがて、定太がお甲の中に入り込むと、
「お甲。はなつぞ。かまわず、孕んでしまえ。
そうしたら、今度こそ、わしの子じゃ」
と、いった。
「定さん?」
「もう、かまわぬから。孕ませてやるに。
わしが望んで・・・今度こそ孕むに」
「あ・・・・あああああ」
お甲の涙の声が定太の胸に中に崩れ落ちていった。
朋世は今日はひとりである。
正確には草汰が側におったが、
遊びつかれたのか草汰は転寝をし始めると、
本当にぐっすりと眠り込んでしまっていた。
畑に猪が出てくる。
今日はその猪を狩ると村の男衆がこぞって、
山に出かけて行った。
若い衆には、いの一番にお呼びがかかる。
「いやだとはいえぬわの。
そんなことよりも朋世の側におる方がよいに」
いつまで続くか判らぬ狩に周汰はため息をついた。
「まあ。はようにしとめるまでよ。
帰ってきたら存分に朋世の相手をしてやるに」
一時の朋世との別れを周汰は惜しんだ。
「周さん」
変わらず周汰は優しい。
朋世の瞳が草汰を追うのに気が付くと
「来や」
奥の部屋に朋世を引き入れた。
「母ちゃは、少ししんどいに」
だから、奥の間で伏せこませてやるのだと草汰に言うと、
草汰は母の手を煩わせては成らないのだと判った。
その奥の間に引き入れた朋世の着物の裾を捲り上げると
「ほんの僅かでも朋世とは離れとうない」
と、周汰は訴えた。
そして、子供のように、
草汰のように、朋世の胸にむしゃぶり付いていった。
「朋世。わしはお前がおらなんだらと思うだけで
こがいに切ないに」
「周さん」
「わしをあほうじゃとおもうか?」
「ううん」
朋世はかぶりをふった。
「朋世、こうしかできぬ。
お前を思うとわしはこうしかできぬに」
周汰は朋世をしっかり抱きすくめると、
朋世のほとを弄り、朋世の滴りにのまれていった。
「周さ・・あ・・ん」
夢現の深い共感に朋世は意識を失いそうになる。
朋世の其の姿態に満足するのか周汰は声を漏らし続けた。
「朋世。どうしょうもないに・・。
おまえはほんにかわゆい。かわゆくて、かわゆくて」
それゆえに周汰にひどく高いどよめきを
おこさせてしまう朋世なのである。
「ああ・・朋世」
だが、周汰は金輪際離すものかと言うほどに、
朋世を痛めつけてくる。
ひどく長い高揚を堪え、
周汰は朋世を喘がせ行き果てさせるまで
決して己の物を抜き放とうとしなかった。
だから、尚更に周汰は切なく朋世を呼んだ。
「朋世、朋世、朋世」
と。
周汰がでかけた後も、
まだ周汰のものの名残りが朋世に伝い落ち、
厚ぼったく肉を盛り上がるほど鬱血させられた場所が
朋世が周汰のもので喘ぐ女であることを、
周汰のものである事に喜ぶ女だと教えていた。
「よう・・ねよる」
朋世が薄い綿布団を持ってくると草汰にかけてやった。
そして、朋世も草汰の側に添い寝してやった。
軽く、うとうとした朋世は周汰でない男の手に
目覚めさせられていた。
「あ?」
朋世が何おか言おうしたとき、男は
「静かにせねば子がおきるに」
と、朋世を制した。
「あ?」
男は佐奈であった。
「わしの子じゃの?」
佐奈は紛れもない事実を確かめるように尋ねると、
朋世が草汰を思い、静まったのを良い事に
朋世のほとに手を差し込ませていった。
「ほ。満足させられておるようじゃの。
かわいがってもらえておるようじゃの」
朋世の肉の鬱血を細い指で触れ続けた。
畑に出る事もない。
およそ力仕事なぞしたことのない、細い指が
しなやかに朋世を弄り、朋世はその指の蠢きを追っていた。
「な・・なんで・・いまさら」
すんだ事になぜしてくれぬ?
「俺の子を孕みたかった女子が、なにをいうに」
佐奈は更なる子種を与えるためにあらわれたというのか?
「ち・・違う、周さんのこじゃに」
朋世は慌ててかぶりをふった。
佐奈の指が厚ぼったく鬱血したほとの中を彷徨い、
朋世は小さく声を上げていた。
「お前のここをこんなにさせるほどに
求め狂う男の胤が」
佐奈は草汰を見た。
「その子がこんなに大きくなっても・・次が留まらぬを」
「嫌じゃ」
続く言葉は聴きたくない。
周汰の次の胤がなかなか留まらぬ。周汰は
「かまいすぎると、いかぬそうじゃ」
と、笑った。
それでしかない。朋世もそう思いこむことにしていた。
「ならば・・朋世は、亭主に子種がないとは
ようみとめられぬか?」
あっさり、佐奈が言い放つ言葉に朋世は耳をふさいだ。
「いつもがこう・・であろうに・・何故留まらぬ?」
ぐっと朋世のほとを押しひらき佐奈は指を引き抜いた。
ぬかれた指を追うように肉が締まり、
朋世のほとから、周汰の熱い精が滴り落ちた。
「どうじゃ?だから」
もう一度、佐奈の横顔に良く似た童の寝顔を見つめ
「わしの子じゃ」
と、言った。
「それが俺へのお前の「形」なら、俺はこうするまでだ」
「あ・・・」
佐奈は、朋世の中に今度は指でなく熱い肉棒をつきこんだ。
『佐奈・・・』
朋世は佐奈の背に手を回した。
『佐奈・・・佐奈』
朋世の頭で考える戒めは佐奈の蠢きで取り払われ、
朋世の身体は朋世の心の奥底の飢えを充たす事になる。
「ああ・・・朋世。お前だけが俺の女じゃに」
最後の雫を、思いに変え
佐奈は朋世の中にはっきりと精を入り込ませた。
朋世を抱きつくしやっと佐奈は立ち上がると
「孕んで見せろ。孕むに決っておる。
それが・・お前にやれる・・・
お前が受け止める俺の心なら・・
この一度でお前が孕むに決っておる」
朋世はそれでも、頭を振った。
「それでもよいわ。だがこの日後、十月十日の後に
お前は俺の心をしる事になるわ」
佐奈はわいてくる涙を拭う。
「なんで?なんで?俺についてこん?」
朋世の答えを知っている佐奈は
最後に朋世を責めるとあふれてくる涙を拭った。
こっそりと戸を開き佐奈は朋世の前から再び姿を消した。
周汰の精に混ざりこんだ佐奈の精は
佐奈の言葉どおり朋世以外の女に触れなかったせいか
ひどくどろりとした物になっていた。
あふれるほどに、はたきこまれた佐奈の精が
朋世の股を伝い落ちてゆくのを感じながら
朋世はもう一度
『違う。周さんの子じゃに』
と、自分に言い含めていた。
佐奈が周汰の家から出てくるのを
見咎めた者がいたのを、朋世は知る由もない。
亭主の留守をねらって、
あの愛くるしい朋世への思いを果たそうと、
狩に出なかった男が誰なのだろう。
厄介な男の執念をお陸は半分うらやましく思いながら、
そして、あれほど周汰が思いを込める朋世を狙う男を
お陸のほとであがなってやってもよいと思っていた。
つまるところ朋世を護ってやろうという事と
自分を宥める男を得る一挙両得の縮図に
お陸は男の正体を見極めるだけのつもりであった。
だが。
朋世の家を出た男に何気なくすれ違って見せた
陸の背中が凍りついた。
「と・・朋ちゃん・・あんたあ・・いったい?」
何を考えているんだよ?
朋世の家を出た男は草汰にあまりにも似ていた。
「嘘だろ?」
朋世は周汰の留守に思いを果たそうとしただけの、
男になぶられたに過ぎない。
夜這い。いや真昼まではあったが
それでも夜這の定法通りであろう?
孕むことを望む朋世がいるはずはない。
朋世とて周汰に思われ、
その心に女子の幸せを刻まれているはずであろう?
だから、男も夜這いの定法通りに
朋世の中に精をはたきこむ事だけは避ける筈である。
それが、例え草汰の父親であったとしても
許される事ではない。
二度もの陵辱でしかないのだ。
朋世にはそうでしかない。
と、お陸は女子の性に操られる朋世を
少しばかりいじらしく思った。
「あんただってあたしと変わらない女なんだよねえ」
呟きながらお陸は、先に見た男の顔をもう一度思い返した。
どう考えても、草汰の父親でしかない顔を
まじまじと見たのは陸も此度が始めてであった。
3年前。朋世はやはり其の男に抱かれていた。
そして、今生の別れに草汰を得たとしても、
「そんなことは良くある話さね」
だが、朋世は周汰を選んだ。
それで、幸せになるはずであった。
「なのに今更。なんで?のこのこでてくるんだよ?」
陸ははっとした。
幸せであるはずの朋世には次の子がまだ、授からなかった。
あの、男は次の子を植え付けにきたのか?
朋世をどこかで本意に思っていたならば、
朋世に与える子こそが男が表せる本意であろう。
「だけど」
男が朋世の幸せを望むなら
周汰の子を孕む朋世の姿をみるべきである。
それはかなえられないことではなかろう?
だが、男は現れた。
「つ・・つまり」
お陸はふいに気が付いたことを当てはめだした。
―周汰には子種がないのではないか?―
当てはまる事が次々と周汰と陸の情事を思い出させる。
今度こそと何度か周汰を騙して、
精をうけ込んだのに、お陸は孕む事がなかった。
縁がなかったのではない。
許されない定めではなかったのだ。
―周汰には子種がないのだ―
「ふ・・はは」
子種がなかったから良かったのかもしれない。
もし、陸が孕んでおれば。
あの浴場で周汰に感じた恐ろしさが
現実になっていただけであろう。
陸は朋世に助けられたのかもしれないとも思った。
朋世が周汰のものにならなければ、
地獄を知らされることもなく、
周汰を追い求め続ける苦しさが続いたのかもしれない。
朋世を思う周汰が哀れに思えてきた。
『朋ちゃん。あんた、よっぽど、あたしより
ひどい女じゃないかい?』
いずれにせよ、朋世が孕むかどうか?
孕まねばあの男はまたやってくるのだろうか?
結局、朋世は口を拭うて、あの男の子を産むのであろうか?
それは。朋世は周汰こそをなくしたくないのだ。
そして、心の底にある、
あの男への思いにも抗えない弱い朋世が居る。
「あ・・あんた・・・馬鹿だよう」
無残にも、時は過ぎて行く。
朋世が孕んだと判ると、周汰は手放しで喜んでいた。
「今度はおなごのこがよいの」
周汰は朋世を抱き寄せた。
「草汰のように朋世ににているとよい」
「周汰さん?」
草汰が自分に似てないのではない。
朋世に似ているのだと周汰は思っている。
朋世に似ているから、尚更かわいい。
切れ長の瞳も朱を受けたような形の良い唇も
朋世そのものに見えた。
男の子である草汰でさえあれほどに、
愛くるしいのなら、朋世に似た娘は
いかほどに周汰の胸をつまらせるであろうか。
「ああ・・楽しみじゃの」
周汰は子の生まれる日を待った。
そして、その日を過ぎれば
また、朋世への周汰の思いを見せ付けられるようにもなる。
草汰をつれて周汰は浴場に歩いていった。
「とうちゃ。かあちゃは湯に、はいらねえんかな?」
「かあちゃは、ののさまに身体をふいてもらうに」
「なじょしてや?」
朋世が湯浴みをするのは
くどの、のの様の前に作った居風呂で、である。
「山の湯に行くには、かあちゃの身体では
あぶなかしいでな」
岩肌をさらけ出した場所が道の随所にある。
「うん?」
「かあちゃのおなかの子が
かあちゃといっしょにころげてはいけまい?」
「転げたら・・かあちゃもぽんぽのこも、いたいわなあ」
うん。と、草汰はうなづくと小さな足取りを速めた。
時折であるが、大きな盥の居風呂でなく
山の湯に入るのは子供にも楽しい事であった。
山の斜面に棚を作って掘り込まれた浴場を石で囲い、
たたきになだらかな岩をしきつめている。
湯船も広く、湯が次々とわきあがってきて、
身体が芯から、ように温まる。
ちゃぽと、音をさせて草汰は湯の中につかりこんだ。
次の日になると、
草汰は手桶を持って家を飛び出していった。
ほんのすこしでもいい。
かあちゃの、のの様の湯に山の湯をつかわせるのだ。
きっと、身体の芯まで、かあちゃを暖めてくれる。
かあちゃはときおり、臥せ込んでしまう。
とうちゃがかあちゃを奥の間に連れて行って、
傍に付いていてくれるが、
締め切られた板戸のむこうから、
小さくかあちゃの痛い声がきこえてくることがある。
わずか、みっつの草汰には、
それがなんのことか判る訳がなかった。
「かあちゃは・・まだ痛いかや」
でてきたとうちゃにたずねると、
「かあちゃにやや子ができるまでは
かあちゃはいたいんじゃ」
と、教えられた。
とうちゃの言葉どおり、
かあちゃのぽんぽにややこがおるようになったと
きかされてから、かあちゃは痛いのがなくなって、
とうちゃが慌てて、
かあちゃを奥の間に寝かせこませる事がなくなった。
だが、そのかわり、かあちゃは
こんどは山の湯にいけなくなってしまった。
草汰の背とあまり変わらぬ手桶を持って、
草汰は山の湯を目指していた。
やがて、山の湯に辿り着くと、草汰は湯を汲んだ。
湯の中からやっと引き上げた手桶には草汰が思うほどに
湯は入ってなかった。
「うー、これだけかやあ」
手桶を覗き込んでみたが、
手桶半分にも満たない湯の重さに
草汰はあきらめるしかなかった。
坂道に、手桶を中途中途で地べたに下ろしては
草汰は降りくだっていた。
が、三つの子には過酷な労働でしかなかった。
「うっしょ」
掛け声をかけ地べたに置いた手桶を
僅かに持ち上げたとき草汰は、
坂に足を取られぐっと掴んだ手桶ごと転んでしまった。
「あっ」
膝をすりむいた痛みより
坂道に手桶の中が全て零れ落ちたことが悲しくて
草汰は泣き出していた。
「あーあああん」
草汰が気を取り直して、
もう一度、湯を取りに行くか、あきらめて帰るか。
どうする?
佐奈は山を登り始めた童に気が付いていた。
朋世が孕んだのを見届けに立ち寄った村から
童が山に上がってきていた。
不自然なほどの手桶の大きさが気になり、
佐奈は目を凝らした。
「坊・・ではないか」
名前も知らぬ我が子の姿をそっと佐奈は追っていった。
「うわああああーーん」
思い切り泣きあげると、
草汰は手桶を拾いなおし、もう一度、坂を上り始めていた。
草汰の姿を見つめる佐奈の瞳からも、
流れ出てくる物があった。
関ってはいけないと己を戒めるには
草汰の姿はいじらしすぎた。
もう一度湯を汲むために草汰が湯船の中に
手桶を漬け込み手桶を引っ張った。
「んっしょ」
草汰にとって重過ぎる手桶が不意に軽くなった。
誰かの手が手桶を掴んで
たっぷりの湯をくみ上げてくれていた。
「あ?」
「坊。かあちゃにつかわしてやりとうて
湯をくみにきたかや?」
声をかけられて草汰はにこりと微笑んだ。
「ああ。なじょして、わかるに?」
「そうか。ならば、里までもっていったやろう」
「あ。ほんとうかい?ありがとう」
草汰の瞳が嬉しげに大きく開かれた。
もう、きっと転げはしないつもりだったが、
転げればもう一度汲み直しにこねば成らない。
おまけに、半分も持って行けたら、いいところだった湯が手桶にいっぱいなのである。
「坊?」
「なんね?」
「坊は何と言う名じゃ」
「草汰じゃに」
「いくつになるに?」
草汰は坂を下りながら、
男が持ってくれる手桶の湯が一つも零れないのを
かす見見ながら、指を三本開いて見せた。
「そうか。もう数がかぞえられるのか?」
「うん」
「ならば、かぞえてみよや?」
「うん・・えっとね、ひとつう。ふたつう。みっつう」
佐奈の声が草汰に重なり始めた。
「よっつう、いつつう、・・む」
「えと、むっつう、ななつう?
おじちゃんはなじょしたね?ぽんぽがいたいかや?」
佐奈の声が涙に咽いでしまっていた。
「い・・いや。お前が良い子じゃから。
おじちゃんも嬉しくなってしまってな」
「ああ。それはかわゆいということじゃな?」
「え?」
「とうちゃがかあちゃを抱っこするときに、
草汰もこいというんね」
「・・・」
「とうちゃは草汰もかあちゃもかわゆいというんね」
朋世を膝に抱き上げ草汰をも同時にだかえて
周汰は言うのだろう。
「そうか。草汰はとうちゃが好きか?」
「うん」
いきなり草汰は大きな声で答えた。
「そうか」
佐奈には草汰が息子であっても
草汰には周汰が父親なのである。
「なぁ。もうむりをするな。
今度はとうちゃにてつのうてもらえよ」
村里の近くに来たとき佐奈は足を止めた。
「うん。そうする」
「そうだな」
草汰を探す周汰の声が聞こえだしてきていた。
「おじちゃんはここまでだ。とうちゃが探しにきておる」
手桶を置くと、佐奈は
「おじちゃんにも、草汰のような子がおるに、
けどもな。なかなかあえんのじゃ」
と、草汰の顔をまじまじと眺めた。
佐奈はそのまま草汰を抱きしめた。
「うん」
幼くても聡い子である。
おじちゃんは寂しいのだな。
草汰を見るとおじちゃんは自分の子を思い出すんだな。
辛いんだなと、感じ取っていた。
「お前はほんによいこじゃに」
佐奈も草汰の優しさが判った。
草汰に近づいてくる人影に佐奈は慌てた。
「草汰・・さよなら」
駆け寄ってくる遠くの周汰に会釈をすると
「じゃあな」
佐奈は草汰に手を振り足早に歩みだした。
「このばかたれがああああ」
周汰の大きな声が聞こえ、草汰が大きく泣き出した。
親を死ぬほど心配させた草汰を見つけると
周汰は怒り付けてしまった。
「かあちゃが・・かあちゃが、ぽんぽが・・」
男が立ち去った傍の手桶には
山の湯がたっぷり入っておった。
「判っておるよ。なあ。なれどな。
とうちゃはおまえがおらんで、心配で心配で」
「うん」
しゃくりあげながら草汰は頷いた。
「かあちゃもむこうの畑のほうをさがしておるに」
「う・・う・・ん」
周汰は手桶を持つと
「かあちゃにはよう、つかわせてやろうな?」
と、草汰を促した。
「さっきの人がはこんでくれたんだの?
ちゃんと、ありがとうはいったかや?」
「うん」
草汰の手を引いて周汰は歩き出していた。
こんなことがあったあと
また、草汰はそのときのおじちゃんを見かけた。
おじちゃんは草汰の傍に誰もいないときに
そっと草汰を見ていたが、草汰が気が付いて
「ああ?おじちゃあん?」
呼ぶとおじちゃんはそっと手をこまねいて見せた。
「おじちゃん?」
草汰は優しく寂しいおじちゃんが気になっていたから、
おじちゃんのそばに駆け寄っていた。
「うん」
「なに?」
「いや。草汰が数を数えてくれたのに
おじちゃんが途中で」
「ん?」
佐奈は、とまどったが続けた。
「おじちゃんが草汰がかわゆくなって
ないてしもうたから・・・」
「ああ。全部ききたい?」
「うん。かぞえてくれるかや?」
「うん」
今度は小さな指を折り曲げながら、草汰は数を数えだした。
「んーと、みっつう。よ?」
自信なさげな瞳が佐奈を捉えた。
佐奈は頷くと声を出した。
「よっつう」
追うように、草汰の声が重なりだすと、
佐奈の声を追い越した。
「いつつう」
「むっつう」
「ななつう」
「やっつ」
「えと・・・」
少し考えて
「とお」
佐奈が小さく笑うと草汰は気が付いた。
「ここのつだ」
「そうだ」
二人の声が再び勢いよく重なった。
「とお!」
草汰の頭をなぜると佐奈は
「ありがとう」
と、言った。
「うん」
上手に数を数えられなかった草汰だったけど、
おじちゃんが少し元気になった気がして、嬉しかった。
人の気配に佐奈はそっと草汰に別れを告げた。
「ありがとう。また。かぞえてくるるか?」
「うん」
草汰を呼ぶ声が朋世だと判ったが
佐奈は背を向け、森に走出していた。
「草汰?だれがおったんね?」
森のほうに小さく手を振っている草汰に気が付くと
朋世は尋ねた。
「おじちゃん」
草汰は素直に答えた。
「おじちゃんって誰ね?」
草汰は首を傾げた。誰か判らないのだ。
「湯を汲んでくれたおじちゃんかや?」
「うん。そう」
「そうね」
朋世は微かな不安を抱いたが、
マタギかもしれないと思い直した。
佐奈ならばきっと周汰の前には姿を現さないだろう。
湯を汲んで里まで降りた男がどんな男であったかを
朋世は詮索することをやめた。
が、聞いておけばよかったのである。
聞いて佐奈だと知り
草汰におじちゃんに近よってはならぬと
言うべきだったのである。
草汰は佐奈を父親だとは知る由がないのであるが、
佐奈のことがなぜか、気になって仕方なかった。
血の呼ぶ声に連れ添われるように
草汰は佐奈に逢いたくなった。
「おじちゃん」
そっと、森の中に入り呼んでみたら
おじちゃんは現れた。
佐奈が森の中を草汰を連れ歩くようになった。
「これが馬酔木じゃ」
佐奈は草汰に薬草のことを教え始めていた。
「おじちゃんはマタギかや?」
とうちゃがいった言葉をそのまま佐奈に尋ねた草汰である。
「そうだ」
らしくない格好であったが、草汰は信じた。
二人に気が付いたのはやはり陸であった。
逢引の場所に出かけるために森を通っただけである。
童の声に重なる男の声があると判ると、
陸は小道を外れて、木陰に隠れた。
それが、ただの親子連れならば
陸の胸もこんなに締め付けられる事はなかっただろう。
だが、通り過ぎた童と男の関係はただ事ではない。
『な・・なんで?』
陸の脳裏には朋世の姿が浮かんだ。
そろ、そろ六ヶ月になるのではないだろうか?
あの男を見た日を逆にさかのぼって考えてしまう陸である。
考えると、厭な予感がしてくる。
あの男は、周汰から朋世を奪い取る気なのではないか?
だから、草汰をなつかせ、
事の事実を周汰に暴露し、
腹の子ごと朋世が周汰の元におれなくなるようにして、
草汰ごと、朋世を奪い取る気ではないのか?
朋世のことだ。
腹の子のことを草汰のことを周汰にぶちまけられたら、
周汰の元を去るだろう?
多分去るしかない。
それだけで済まさないために、
用意周到に男は草汰に近ずいたのだ。
草汰があの男のもとに奪われてしまったら
朋世は、あの男のもとにいくしかないのではないか?
そう、ふんで・・あの男は・・・草汰に近づいた。
陸が考えた事は間違ってもいたが、その通りでもあった。
確かに佐奈の中には、
いぜんと朋世への沸いてくる肉欲があった。
自分の子供という存在は佐奈にとっては、
朋世を抱いたお釣りのようなものでしかなかった。
初めはそうだった。
自分に良く似た子供が
すなわちは自分の血を受けていると言う不思議さにより、
佐奈は草汰に目を留まらせていたに過ぎなかった。
が、草汰に思い切って近づいてみて、
自分の中の感情に驚かされた。
「かわいい。いとおしい」
そうとしか言いようがない。
こんな気持ちを与える物を、
佐奈のために生んで見せたのだ。
密かに掻きだす事もできたのではないか?
だが、あえて生んで見せる事が
朋世に出来る佐奈への尽しであったのだ。
あの日、朋世が佐奈を受けた時。
『お前が俺を受け止める形がそうなら』
と、再び朋世に挑んで見せたが、
それはどこかで、
決して佐奈についてこない朋世に対する復讐があった。
佐奈の名を呼びながらも、
決して朋世は佐奈を選ぼうとしない。
「それでも、これでも、亭主の側におろうとも、
俺の子をうまさせてやる」
付いて来ない朋世への嫌がらせだったかもしれない。
だが、其の心の奥で
朋世を求めてしまう己の底に向かい合うのはやめた。
『陵辱でしかない。陵辱の果てに子を孕まされ
それを産むしかない。何故なら亭主には子種がない』
ざまあ見ろ。
どの男と側に居ようがお前は俺の女なのだ。
佐奈はそれを知らせるためにも
朋世の中に濃すぎるほどの精を何度もはたきこんだ。
どう、朋世が佐奈を責めたとしても、
一言でいなせる朋世が居る。
『お前も、確かに渇望し俺を感じ、受け止めたではないか?何度俺の名を呼んで喘いで見せた?』
と。
だからこそ、それでも付いて来ない朋世を佐奈は憎んだ。
憎みきれずに、
朋世が生んで見せた朋世と佐奈の子によって
佐奈は朋世の心にひれ伏させられていた。
今になると、何もかもが欲しい。
朋世も草汰も、今、朋世の腹の中におる子さえも
むざむざ・・・、あの亭主に、なんで、やる必要がある。
なぜならば草汰こそが実の父親ではないか?
草汰が言った、かあちゃをひざに抱っこして
草汰の事もかわゆい、朋世の事もかわゆいという者は、
言える者こそは俺ではないか?
ただ、側におるだけで何故事の真実も知らず
のうのうと亭主面をさげ、
父親の振りをさせてもらっていると言う事も知らずに、
何故、草汰にとうちゃが好きと言われる。
どこにそんな権利がある。ありはしない。
俺こそが草汰の父であり、朋世の生涯の男であるべきだ?なのに。
朋世はしがらみに生きてゆく。
生きてゆこうとする。
打ち砕いてやる。
打ち砕いて。朋世に「あんた」と呼ばれ、
草汰に、腹の子にとうちゃと呼ばれる幸せを得るべき
真の者の元に真実を取り返すまでである。
佐奈の心はこんな風にいつの間にか変化し始めていた。
陸は思い悩んでいた。
「どうすればよい?」
朋世に話せば、これこそ機会だと
あの男は草汰を連れ戻そうとする朋世を
連れ去ってゆく事になろう?
だが、それをふせいでみるため・・・とは言え、
かといって周汰に何もかもぶちまけてしまえばよいのか?
朋世が周汰の側にいられなくなろう?
朋世が哀れなわけでない。
朋世を失くす周汰があまりに哀れである。
あれほど手放しで朋世をかわゆいといいのけ。
この陸の命一つもかすのようにしか思わぬほどに
朋世を糧に思う周汰がどんなに事実に苦しむだろう。
事実に打ちのめされ、朋世を失えば、周汰はどうする?
く・・・首をくくる事さえ、周汰は恐れないだろう?
『いえるわけがない・・・。じゃが、どうすればよい?』
陸は、朋世を責める言葉を呟いた。
『馬鹿だよう・・・あんた。大馬鹿だよう』
どうしようもない神の与えた節理を怨み、
一方で周汰を詰った。
『朋世なんかを選ぶからだ。
ううん。あんたがに子種がないからいけないんだ』
そうだ。
そうだったら周汰は陸に子を掻き出させ、
ぬけぬけと朋世に子を授け
悪辣で非道な男を下に引き込んで、
守り通した女をよがらせる、
馬鹿でおめでたい男ですんでいたのだ。
そして、馬鹿でおめでたいこの陸が、
周汰の底を知らされて苦しんでいる方が
どんなに良かった事か。
『私なんざあ。取るに足らない、女だよ。
護る価値もない女なんだ。
なのに、なんで神様は
周汰がそうまでして護りたい朋世を
地獄の底に突き落とす?
神様は間違ってるよ。
朋世を地獄につきおとしゃあ、
周汰までくっついて来るんだ。
なんで、そんなことがわかんないんだようう』
しゃくりあげそうになる声を陸は抑えた。
今は、何もかも忘れていたい。
そうだ、だから考えるな。陸。
陸は忘れる事の出来る刹那を与えてくれる男に
会いに足を踏み出した。
「こ、こんな女になんで、
神様はばちをあたえないんだよ」
呟きながら陸は炭焼き小屋に向かった。
「おじちゃん」
草汰はおじちゃんの後について歩いていた。
「うん」
草汰の呼ぶ声に気が付くと
おじちゃんは立ち止まって
草汰の声のした後ろを振り向いた。
「ああ。草汰か。あいにきてくれたんか?」
「うん」
草汰はおじちゃんが好きだった。
おじちゃんが草汰を見るときの目が好きだった。
とても、優しくて、とうちゃに似ていた。
だから、好きだった。
それに、おじちゃんが寂しそうなのが、
どうしてもおじちゃんを気にならさせた。
『おじちゃん。元気になってよ?』
そんな言葉を3つのこが言葉にする事もできず
おじちゃんを見つけると
おじちゃんが嬉しそうにしてくれた
草汰のできることをし始めた。
「えっとねえ・・・ひとおつう・・ふたあつう」
佐奈の心がびくりと動くのが佐奈にも判った。
『この子は俺を元気付けようとしてくれている』
と、判ったから。
「草汰。ありがとう。でもな。
おじちゃんはなかなか元気になれないんだ」
「ん?」
佐奈は恐ろしい事を草汰に話し始める自分を
止められなかった。
「おじちゃんには草汰のような子がおるんじゃけどな。
その子は本当はおじちゃんの子じゃないんだ」
「う・・うん」
「よそのおじちゃんの子じゃに」
佐奈は草汰のこと自身をなぞらえて話していた。
「う・・ん?」
「本当のとうちゃと一緒の方が良いじゃろう?」
「それで・・おじちゃんはひとりぼっちなのかや?」
「ああ」
草汰は言葉少ない佐奈の説明を理解した。
本当のとうちゃに、おじちゃんは子供をあげたんじゃ。
だから、おじちゃんは一人ぼっちで寂しいのだと。
草汰は目の高さにかがみこんでいた
佐奈の頭をだかえこんだ。
「いいこ。いいこ」
草汰は自分が一番安心する言葉を
佐奈の頭を抱え込んで繰り返した。
「草汰だって・・本当のとうちゃがいいだろ?」
草汰はとうちゃの事を思った。
「うん」
草汰の言う事がとうちゃのせいだとは気が付かずに
佐奈は胸の中の大きな声に耳を傾けていた。
『そうだ。この幼い子だってそう考えるんだ。
本当のとうちゃの方がよいにきまっておるんじゃ』
「なぁ。草汰。もしも、もしも。
草汰がおじちゃんの本当の子だったらどうおもう?」
「おじちゃんが本当のとうちゃ?」
「ああ。もしそうだったら・・どうおもう」
「かあちゃは?ぽんぽのこは?
とうちゃのかあちゃでしょ??」
もしそうだったらかあちゃはどうなるのだろう?
とうちゃのかあちゃなのだから、
草汰のとうちゃがこのおじちゃんだったらと考えたら、
かあちゃはどうなるんだろう?ぽんぽのこは?
「ぽんぽの子のとうちゃもおじちゃんで、
かぁちゃもおじちゃんのかあちゃだったら?」
草汰がもう少し聡くない子であるならば良かったのだ
と、思わざるをえない。
草汰は奇妙な事を言い出したおじちゃんの言う事よりも
おじちゃんの心を見ていた。
こんなことを言うおじちゃんは寂しくて仕方ないんだ。
でも、ほんとうのとうちゃに子供をあげた事は
よかったんだといいたいんだ。
だから、草汰がもしもおじちゃんのこだったら。
「おじちゃんは、かわゆいよ」
「そうか」
ほんとうのとうちゃの所に行った子供は、
本当のとうちゃの事をすきになっているだろう。
そうじゃなきゃ、このおじさんは、
子供を本当のとうちゃにあげたのがもっと悲しくなる。
「しあわせになるはずじゃよなあ?」
「うん。だから・・おじちゃんもしあわせ?・・よね?」
とうちゃは草汰にいう。
「とうちゃは、かあちゃが幸せで、草汰が幸せなのが、
とうちゃの幸せなのじゃ」
「しわわせ?」
「かわゆいということじゃ」
「しわわせ・・かわゆい・・うん」
かわゆいならわかる。
とうちゃがとても嬉しそうにいうてくれる。
ぽんぽの子もきっと女子の子じゃという時も
とうちゃの顔はかわゆい。
だから、草汰も女の赤ちゃんがもっとかわゆい。
ぼんぽの赤ちゃんがかわゆいと思うと、
草汰の気持ちもかわゆくなるから嬉しい。
こんな生活が草汰を一層聡い子に育て上げていた。
草汰の言った言葉が佐奈を決めさせていた。
草汰を、朋世を、失くしても「とうちゃ」は、
それでも、幸せなのだと草汰にいえる。
本当のとうちゃのところに行く事こそが、
「とうちゃ」にも草汰にも幸せなことなのだと。
後はどうやって朋世を連れ去るかだけの佐奈になっていた。
佐奈が考え付く事は、
朋世の亭主に事実をぶちまける事ばかりであった。
草汰が佐奈のところにやってくると、
佐奈は草汰を連れ歩いた。
くたびれた草汰は、やがて身体を休めに木陰に入ると
木にもたれ込んだまま鬱々と居眠りだし
すっかり寝入ってしまった。
その草汰を抱き上げると
佐奈は村に向かって歩き始めていた。
草汰が居なくなって捜し歩いていた周汰が、
佐奈を見つけた。
眠り込んだ草汰をそっと抱きとめる周汰に
佐奈は口を開いた。
「あまりににているので、つい、かわゆくて
つれあるいてしまいました」
と、含みのある言葉で周汰にわびた。
「男の子はしょうがない。わしもそうじゃったに」
小さくても男である。
ひとところでじっとしている事もなく
自分の行き場所をどんどん広げてゆくものなのである。
だから、自分の広げた遊びの領地の先で
誰と知り合って、誰と遊ぶ事になるかも、
判らない事であり、
むしろ、怪我の一つもなく
村につれて帰ってきてくれた男に礼を言うのみであった。
「坊やは昔になれ初めた女子にようにておりましてな」
その言葉に周汰は初めて男の顔をまじまじと見た。
「・・・・」
周汰が腕に抱いているのが、この男の幼い姿かと
思うほど草汰と男は似ていた。
「諦めておったおなごです。
が、ここにくればあわずにおけなくなって」
男が何を言い出すのか?
何を言いたいのか?
「この、あいだにおうたあとに、
その女子が孕んだというのですが・・
女子には亭主がおるに」
昔の女子に似ている?その女子は・・・
男の口の利きようではその女子は
まるで、朋世の事のようにきこえる。
そう周汰に、思わせるほど男と草汰の顔はひどく似ていた。
が、違う。
ただの他人の空似であり、
男はどこか違う場所での恋物語を
おもいだしているのであろう?
「亭主の子であろうと問い直してみれば、
亭主には子種がないといわれました。
そうなると、初めの子も今の腹の子も
私の子だと言うことになります」
「あ」
「なにか?」
「いや。なんで、そんな話をわしにするのかとおもうて」
「そうですね。多分、亭主殿も真実を知らず、
自分の子と信じ・・・」
佐奈は言葉をとぎらせ、周汰をみつめると
「女子の心が誰にあるかも知らず、
しがらみに生きる女子に利用され、
子供の父親でない事も知らずに・・・
それがあわれであり、
また、私も女子の見せたまことに
こたえてゆかねばならないと・・・」
「そ、それが・・答えなのか?」
何故わしに話すのかと言う問いの答えがそれなのか?
それならば、その亭主殿というのは、
周汰はもう一度草汰を見た。
その目がもう一度男を見なおすことを恐れた。
かすかに逃げ迷う周汰の瞳に佐奈は呟くように言い放った。
「草汰はほんに朋世によう、似ておる」
つまり。
その女子は朋世であるという。
つまり、何も知らぬ亭主とは。
「ば、馬鹿な」
片恋になく男が気休めに亭主に言えぬことを、
似た者である朋世と草汰になぞらえているに過ぎない。
いかばかりか狂気にふれておるのだ。
周汰は考えた事を、口に出そうとした。
「佐奈がむかえにきたと、つたえくれますか?」
男は執拗に女子が朋世であると言いぬけた。
相変わらず陸は見ていた。
男が草汰をだかえ周汰にあった。
あった途端。
陸は朋世のもとに駆け出していた。
「朋世。草汰のてて親がきよるぞ」
「え?」
「お前のうんだ子のてて親が・・・
その腹の子のてて親が来て周汰におうている」
「陸・・さん。なにをいうやら・・」
朋世はとぼけた。
確かに陸は
朋世と周汰をどうにかしてやらねばならないと
思っていたはずであった。
が、口をついて出てきた言葉は陸自身を納得させた。
「嘘をいわんでいい。草汰も其の子も
周汰の子じゃないに」
「馬鹿なことを・・この子は周汰の」
「周汰には子種はないだろうに?」
朋世が認めようとしない事実を陸は断定した。
「な?」
「何故そういうかとかや?簡単じゃに・・・。
周汰は幾度我と睦んでも子を孕ます事はなかった。
子だねがないからじゃ。
それはおまえがよう、わかっておろうに」
「え?」
「我が事はしらなんだかや?」
周汰に女が居た?
だが、それを責められる朋世ではない。
「だから、もう、朋世はでてゆくがよいに。
後の事は陸がなんとでもしてやる。
朋世は草汰の、其の腹の子のてて親のところに
ゆくがよいに」
「ちがう。周汰さんの・・」
「なんどいえばよい。
周汰は我の中に何度とのう精をはたきこんでおる。
なれど子はできぬかったのじゃ。
お前の腹の子も、草汰も、あの男に抱かれ、
其のひとたびで子をなしておるに?
お前とて、何度周汰に精をはたかれても
子が宿らんかったお前が、男との後に何故孕むか、
わかっておろう?」
「陸さん・・・・」
朋世は手を合わせ、事実を認めた。
認めたればこそ頼むから周汰に言うてくれるな
と、手を合わせた。
「無駄じゃに。男はきっとお前のことを
全て周汰にいうにきまっておろう?」
「・・・・」
「の、だから・・もう、あきらめて、でていってくれ」
草汰をだかえた周汰が戸口に立っていた。
きこえてきた女の声が陸だと判ると、
立ち尽くしたままその言葉を聴いてしまっていた。
あきらめて出て行ってくれ、と、
陸が朋世につげ、朋世が黙り込んだ。
周汰は二人の居る部屋の仕切りを開いた。
「あ?」
陸が小さな声を上げ、周汰の顔色を見た。
周汰は何も聞いてなかったような顔をしていた。
「なんね?陸なんぞが朋世になんの用ぞ?」
険しい目つきをして見せた。
昔の色が何を言いに来た?
事と次第によっては許さないぞと周汰の口は、いっていた。
「な・・なんでもないよ」
陸は腰を上げた。
陸が心配することがあったのかどうか?
いずれにせよ、遅かれ早かれ事は露見する。
『朋ちゃん・・・いいね?』
其の前にあんたからでてゆくんだ。
そうしなきゃ周汰のあきらめがつきゃしない。
陸は冷たい一瞥を朋世の目の奥にはっきりと差し込むと
ついと、たって外に出て行った。
「朋世。よう、ねておる。ふとんをしいてやらぬかや?」
「あ。はい」
周汰に促されて朋世は奥の間に布団をしいてやった。
草汰を寝かしつけると周汰は黙ったままだった。
「・・・・」
何を言えばよい?
佐奈という男とあっていたのか?
何を言われた?
何をきかされた?
そんなことなぞきけはしない。
「朋世」
「は、はい?」
何かききたげな周汰の言葉がとまった。
「いや・・なんでもない」
「周汰さ・・ん?」
朋世が認めない事実を、陸が認めた事実を
周汰は今、認めざるを得なかった。
本当の事なのだ。
そして、男の言うとおり
朋世は出てゆこうとしているに違いない。
一挙に押し寄せた事実を責める言葉より
周汰の口をつかせた言葉は周汰の心の底だった。
「どこにもゆくな」
「え?」
周汰は朋世に投げかけられた陸の言葉を
すべてきいていたのだ。
「今の今までお前を、草汰を、ほうっておくような男に
ついていったとて、お前を、草汰を、
しあわせにしてくれるわけがなかろう?」
明かされた事実を周汰は受け止めた。
いや。うけ止めざるをえなかった。
「周・・汰・・さん?」
何もかもが明るみに出た。
其の事だけが朋世にも判った。
「朋世。わしにこだねがなかったのじゃ、それが・・」
ああ。間違いなく周汰は何もかもを知っている。
「それが・・・すまなんだ」
周汰は謝っていた。
「え?」
「でなければ、朋世が
こがいにくるしむことはなかったろうに」
「・・・・」
「のう。わしはついさっきまでは
戯言でしかないと思うようにしておった。が、の」
うすうす、周汰も思わぬことでなかった。
大丈夫孕まぬと言われたものの、良くぞ陸ははらまなんだ。
ひょっとして?と言う、暗鬼を拭い去ったのは
朋世がわが胤を孕んだと思ったからである。
「じゃけど・・わしはおまえがかわゆい」
「・・・」
「だから。草汰もかわゆい」
「・・・」
「わしは・・・」
「・・・・・」
「子種がない男のために
神様があの男をつかわせて
草汰を、腹の子を授けてくれたのだと思うてしまう。
それほどに・・わしには朋世がかわゆい」
「あ・・・」
「だからでていってなぞくれるな。ここにおってくれ。
た、たのむ」
周汰は手を突いた。
「ぁ・・・・ああああああああああああ」
朋世はこの世ものと思えぬ深い悲しい声で
己にせめぎにないた。
「頼む。お前にようにた草汰が
とうちゃとわしをよんでくれた。
そして、また、その腹の子にも
とうちゃと呼ばれたいんじゃ。
そして、何よりも、お前にここにおってほしいんじゃ」
『周汰さん?それでも許すと言うか?』
草汰にとって父親は周汰しかない。
それは朋世にも良く判っていた。
「私はどうしょうかとおもっておりました。
草汰をあんなに可愛がってくれている周汰さんこそが
父親に間違いはない。
でも、草汰を置いてでてゆけない」
「と、朋世は・・あ、あの男の所にい、いくというのか?」
「ううん。いきはしない。
いくのならとっくの昔にそうしておった」
「だったら、ここにおってくれ。
わしのそばにおってくれ」
「でも・・。わたしは周汰さんを、うらぎ・・」
言いたくない言葉である。
認めたくない事である。
「裏切っておらぬ。
わしが、陸の事で朋世をうらぎっておらぬのとおなじだ」
「・・・?」
「魔がさした。それがうらぎりなぞではなかろう?」
「子・・子まではらんで」
「わしに子種がなかったせいじゃろう?」
何もかもせめぎを自分に預けろという、周汰なのである。
そして、
「子種もない男が親にまでさせてもらえて
何を不服があろうに。
朋世、お前はわしあんなにかわゆいものを
くれておるんじゃろうが?」
「わあああああああああああああああ」
大きな声で泣き伏す朋世を周汰はだかえた。
「おってくれ。の。頼む。ここにおってくれ。
わしとずううとおってくれ。頼む。
どうしようもないんじゃ。
どうしょうもなくわしは朋世がかわゆい。
だから。わしの我侭じゃけど・・・
なあああ。たのむううううううう」
泣き合いながら二人はお互いの身体を
しっかりと抱き合わせていた。
佐奈は、立ち上がった。
周汰のところに行くために。
朋世を迎えるために。
草汰をつれ行くために。
足を踏み出そうとしたとき、
佐奈の懐の中で高くはじける音が聞こえた。
思い当たる物を懐からつかみ出すと、
布袋の中の護り石を手のひらの上にさらけ出した。
「え?」
間違いなくはじける音は護り石が発した物である。
手のひらの中の護り石には亀裂が入っていた。
「ど、どういうことだ?」
何かを知らせるために石ははじけようとしている。
自分の姿の暗示か?
自分こそがはじけるぞと、石が教えようとしているのか?
『あの男を奈落の底に突き落とす見返りだと、いうか?』
だが、それでもよい。
いずれ、自分がはじけ飛ぶような事になっても、
それでも、朋世が欲しい。
草汰を手に入れる。
初めの心のままに従うだけに過ぎない。
あの日あの時少女を陵辱せずにおけなかった。
その心の根が張り込められ、
今こそ大きく芽吹きだしてしまった。
今更もう、この心を元に戻す事なぞできないのだ。
佐奈が足を再び動かそうとした。
佐奈の目の前に白く霞むものが見えた気がした。
「・・・?」
何かが発動している。
佐奈は護り石を白く霞んだ辺りの地べたにそっと置いた。
「俺をひきとめるというのか?
見返りの果てに俺がどうなってもよいんだ。
それでも、それでも、ひきとめるのか?
覚悟はついておるに・・それでも」
佐奈は石を捨て置くと、もう一度足を動かそうとした。
一歩。踏み進んだ足が
もうもうと立ち込めはじめた白い霞の中に入り込んだ。
「え?」
霞の中に土下座する男がいる。
いつ、現れたのか佐奈の足、つま先の元に
頭を擦り付けるようにして男が身をかがめこんでいた。
―土下座している―
実体化してまで、土下座をしてまで
佐奈を引き止める護り石の精霊に
佐奈はいくばくか、たじろいだ。が、
『許してくれ・・・・もう、とめられん』
何故ならもう何もかもをさらけ出したのだ。
今更、佐名の心が留められぬように、
朋世と草汰も、もう元には戻れなくなっている。
「佐奈。ひきとめているのではない」
と、石の精霊は語りだした。
「お前こそがわしの使い石でしかない。
その石をわが思いの為に使い、今から、捨て石にする。
お前という人間を石に使うたむごさに
わしはすまないと頭をたれたのみだ」
「ど、どういう意味だ?」
護り石は佐奈を護っていたのではなく、
護り石自身に思いがあり、
そのために佐奈をつかったという。
そして、なおかつ捨石にすると言う事は
護り石の思いが成就したということである。
「な?何をさせた?俺に何をさせた?
俺をあやつったというのが真なら、なにを?」
「わかっておろう?」
「な、なにを?なにだという?」
「お前は、女子にほたえをあげたろう?
己をなくし去っておったろう?
お前は本来、そんなことができぬ男であるのは、
お前が一番しっておろう?」
ほたえを上げさせたのはこのわしじゃと、石の精霊はいう。
「馬鹿な。初めの事が百歩譲ってそうであるとしても、
今の俺の朋世への思いは、
お前にほたえをあぐられたせいなどではないわ」
「だから、わしはお前にわびねばならない。
ひのえを思うわしの心が
お前に深くながれこんだせいであるとな」
佐奈が石の精霊と思い込んだ者は白峰なのである。
「ひのえ?何の事だ?はあーん。
貴様の女子への片恋を俺に拭わせようとしたという事か」
「佐奈。それだけではない。
お前はわしの悔いをもはらしてくれておる」
白峰は佐奈の言葉に一向に取り合おうともせず話し続けた。
「子への悔いをも、見事にお前は草汰を思いこして、
この白峰の存念をはらしてくれおった」
「存念?俺の草汰への思いまでも、
貴様の存念払いと言うか?」
「だから・・・もうよい」
「な、なに?」
何を勝手にしゃべり、訳のわからないことをまくし立て、
挙句、もうよい?
「ひのえの宿業。よう取り払うてくれた。
この白峰の子への存念をよう取り払うてくれた。
なれど、どう、あがいてもお前は白銅にかてぬ。
わしが勝てなかったように、いくら身体を取ろうと
子をとろうとて、勝てぬ定めが前世からしかれておる」
また、佐奈に判らぬ名前が出てきたが、
白銅が前世だと言う事になる周汰なのだと判ると、
この白峰と名乗る男の言うひのえが、
朋世だということが頭の中で結びついた。
「どういうことなのだ。わかるようにいえ」
「どんなにあがいても朋世と周汰は離れぬ。
魂が結びついた夫婦なのだ。
佐奈。お前の子さえ、
周汰は子種のない男への授かり者だといいのけたぞ」
「え?」
「わしがやれることは、「思うだけにせよ」と、
八代神に言われたこの白峰と同じことだけじゃ」
「八代神?と、いうたの?」
「そうじゃ?わしが誰か判らぬでも、八代神はわかるか?」
「阿吽のときをつかさどる神の名と聞く。
其の神にいわれた?とは、いったい?」
「わしの詮議をする必要もなかろう。
お前に「おもうだけにせよ」という定めを見定めさせるは、
わしが時と同じ、我が子でしかない。
お前の情念を打ち砕くのは我が子でしかない。
我と同じ定めをなぞらえさせ、ひのえの宿業を拭い、
かてて、わしの存念を晴らせてくるるほどに
思いの丈をうがったお前に・・・」
白峰は、再び佐奈の足元にうずくまると頭を深くたれた。
白峰はそのまま土下座と言う形で
捨石に使い切った佐奈の足元にうずくまり、わびていた。
佐奈は白峰がうずくまった横をすり抜けると、
草汰と朋世の元に走り出した。
戸口を開ける佐奈に草汰が気が付いた。
「あ、おじちゃん」
草汰の声に土間の向こうで
わら縄を縫っていた周汰がふりむいた。
「草汰・・むこうへいっておれ」
「あ?う。うん」
周汰の顔がいつもの顔でなかった。
「とうちゃ?」
おじちゃんのことに何か怒ってる。
草汰が遅くまでおじちゃんについて歩いた事だったなら
それはおじちゃんのせいではないのだけれど。
「いいから。かあちゃのところへいっておいで」
「おじちゃんは・・・」
「草汰。わかっておるよ。
とうちゃがおじさんとすこし、はなしがあるんじゃに」
「本に?おじちゃんをおこりゃあせんね?」
「ああ」
「うん・・・」
草汰は朋世の側に行った。
佐奈は、周汰の前に歩み寄った。
「ようにわかれはいうてやったか?心残りはないの?」
「良く似ておるといって、朋世と草汰を
お前の女房と子供とまちがえてくれるなや」
「なに?」
「判らぬか?朋世はわしの女房じゃし。
草汰はわしのこどもじゃ」
「なにをほぞきおる。
種のない男が子供を孕ませるわけもない」
「どこにそんな証だてがあるに?」
「ふ。草汰をみればわかろう?
俺の顔立ちそのままであろうが?」
「それが証だてか?」
「朋世にきかぬかったか?」
「なにを?」
「しらをきったということか??朋世?」
奥の間に居る朋世の名を佐奈は荒く呼んだ。
「気安く人の女房の名前をよぶな」
「そ、それはおれがいうことだ」
奥間に朋世と座り込んだ草汰はかあちゃに尋ねた。
「かあちゃ?おじちゃんは
かあちゃの事をしっておるんじゃ?」
「・・・・」
「つれだったのかや?」
友人のことである。
「ううん」
「ほうよねえ。へんなの」
何故、おじちゃんは
かあちゃの名前を知っていたのかしらん?
「まだ、判らぬか?
朋世。出てきてはっきりいうがよいわ。
草汰が俺のこであるというて・・」
佐奈の顔がぐさりという音をたてた気がした。
「もし、それが事実であり、
それゆえに草汰を連れ朋世を連れてゆきたいと思うなら、わずか三つのこが苦しむような事をあえて、
いわねばならぬか?」
「な・・・に?」
周汰に打ち込まれたこぶしの痛みをさすりながら
佐奈はよろけた身体をたてなおした。
「本当の親なら、子がくるしむようなことはいわぬわ」
「ほざけ。真の事も知らせず
子をたばかることができるものか?」
「できるよ。いいや。そうするのが本の親じゃよ」
「勝手な理屈をこねてみせるがよい。
朋世。草汰をつれておまえもここに来い」
佐奈の胸元に伸びてきた手を佐奈は振り払うと
「草汰。草汰。おじちゃんが本当のとうちゃじゃに。
草汰が本当のおじちゃんの子じゃ」
と、大きく叫んだ。
叫んだ佐奈の腹に周汰のこぶしが入った時
戸を開けはなち、草汰が駆け寄ってきた。
「おじちゃん?」
「ああ。草汰・・あのなあ」
草汰に先と同じ言葉を繰り返そうとした佐奈が
今度は顔っ面をなぐられた。
「あ?あ。あ?ぁ。ごめんなさい。とうちゃ。
ごめんなさいだから。
おじちゃんはごめんなさいだから、堪忍してよ」
佐奈をかばう草汰に佐奈は勝ち誇った気分を味わっていた。
が、
「おじちゃんは、いんでくれ。もう。くるな」。
草汰が怒っている。
「とうちゃをこんなにかわゆくなくしたに。
おじちゃんがわるいんじゃあああ」
「え?」
「とうちゃを、こがいに怒らして。
おじちゃんはなにをしたんじゃ?とうちゃ?」
「草汰。むこうにいっておれ」
「厭じゃ。とうちゃが・・・。
とうちゃのこわいさんはみとうない。けど・・・」
草汰はいかない。いくのは・・・。
「おじちゃんがはよう。いんでくれ。
とうちゃがあんなにかわゆくのうなってしまって、
とうちゃが可哀想じゃに」
痛い目に合わされている佐奈よりも、
佐奈を叩くほどの心になっている周汰の事の方が
草汰の胸にこたえているのだ。
「そ・・そう・・草汰?」
「はよおおおお。いんでしまえええ」
一気に言い放つ草汰は周汰の腕に抱き上げられた。
「草汰。とうちゃはもうおこっておらんよ」
「ほんにか?ほんにか?」
「うん」
「もう、たたかんね?」
これも叩かれる佐奈を心配しているのではない。
人を怒り憎む気持ちの周汰になってほしくないのである。
―ほんとうのとうちゃじゃない。
が、草汰は周汰の本当の子じゃ―
佐奈は朋世を振り返り探そうとした。
が、これも同じだと気が付いた。
―ほんとうの亭主じゃない。
が、朋世にとっても、周汰は本当の亭主なのだ―
周汰が傷つく事を悲しむ女が確かにいるのだ。
佐奈は転げた身体を力なく立ち上がらせた。
『朋世。お前がわしに応えたのはなんじゃったんじゃ?
何故、わしにあれほどに応えてみせたんじゃあああああ?』
白峰の千年の情を託ったひのえの思いが
朋世から佐奈に流れ込んだに過ぎない。
それは朋世も知らずにわかされた千年の名残りでしかない。
が、それを言うてみてもせんないことである。
周汰の言うとおり
「魔がさした」
其の一言で片付けられる物でしかない。
佐奈はふらふらと立ち上がると戸口を目指した。
何もかもが潰える。
この佐奈の思いも、
朋世の愛しい喘ぎも、
背中にまわされた腕が佐奈をしっかりと抱きとめた事も、何もかもが潰える。
そして、新しい夫婦が生まれる。
それを喜ぶしかない。
朋世が居る。
周汰と生きることを選ぶ朋世が居る。
それを喜ぶことしか許されない佐奈が居る。
「想うだけかや?」
それすら失くす事が、地獄であるならば、
この想いを胸に身を引くしかない。
それが佐奈に出来る、
朋世に見せられる真実なら佐奈は甘んじて見せるしかない。
壮絶な別れを受け止めるしかないのである。
『朋世おおおおおおおおおおおおおおおおおお』
胸いっぱいに叫びながら佐奈は戸をあけ開いた。
(おわり)
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