躾という後付けの概念

『<礼儀礼節をしっかりとわきまえた人>なんて、本当はそんなに当たり前にはいない』


普通に暮らしているだけでもそれを実感させられるのに、その事実から目を背けて、


『自分は子供を躾けてるというアリバイ作りをしたい』


がために<躾をしているふり>をするなんて、むしろ滑稽としか思えない。


<相手を大声で威圧したり時には暴力で従わせようとしている事実>


を、<躾という後付けの概念>で正当化して見て見ぬふりをするその酷い矛盾が、いたたまれない。


『子供は親の振る舞いを見て、人間としての振る舞いを学ぶ』


のが現実なのにね。


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