いかに道理に沿ってないか
そういうのを見てたら、結局は攻撃しやすい人を攻撃して憂さを晴らしたいだけで、『世の中を良くしたい』なんて理屈は実際には自分の行為を正当化するためのただの言い訳でしかないって分かってしまう気がする。
その現実を認めるんだったら<正当な批判 >なんて言葉は出てこないと思う。だって自分のしてることがいかに道理に沿ってないか分かると思うし。
道理に沿っていなくてもやらずにいられないっていう時もあるのは分かるけど、だったらなおのこと自分のしてることが道理に沿ってないっていうのを認めるべきなんじゃないかな 。
自分を甘やかしてるんじゃないんならね。
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