僕のところに『捨てられた』

僕が<選択>できるのと同じように、絵里奈えりな玲那れいなは自分の意思で選択できる。


『僕を選ぶ』


こともね。


だけど沙奈子さなこの場合は、実の父親に、僕のところに『捨てられた』んだ。そこに沙奈子自身の意志も判断も何もない。決して<赤ん坊>じゃなかったけど、それでもまだ九歳の子供だった彼女に、自分の力で自分の人生をどうこうできるはずもないし。


フィクションなら小さな子供が自力で生き延びる話があったりするけど、現実でもたまにそういう話があるのかもしれないけど、そんなのは滅多にあることじゃないよね。


だから物語として成立するし、現実の出来事ならニュースバリューがあったりするんだよね?


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る