第71話 海の底は寂しい……?

「ごめんよ、ユニリース……僕が愚かだったばっかりに……」


 僕の身体が海へと沈んでいく。

 底知れない海底へと向けて。


 そうして沈む最中、遂にはふと太陽の光まで届かなくなってしまった。


 周囲が暗い闇に染まり、僕の身体もとすんと底を突く。

 とうとう誰もが訪れない深い海底へと辿り着いてしまったのだろう。

 とても静かで、とても怖い。

 もう誰にも会えないと思うと気がおかしくなってしまいそうだ。


「でもきっと、おかしくなった僕を見てくれる人もいないのだろうな」


 海の中でも発声器は生きている。

 けれど誰も聞いていないのなら無いのと同じようなものさ。

 独り言をつぶやいたってただ虚しいだけなんだから。


 手動セーフティのせいで、今の僕は最低限の機能しか動いていない。

 僕自身の意識を保たせる機能と、ちょっとした感覚だけ。

 そのせいで時間的感覚もわからないし、今が何時かさえもわからないんだ。

 これでまだ太陽の光があるなら少しはわかるのだけど。


 だからもしかしたらこの間にも何時間、何日、何年と経っているかもしれない。

 体内時計のある普通の人とは違うからね、まったく読み取れないのさ。


 ああ、スイッチ一つで無力化されるなんて、なんて情けないのだろう。

 これならいっそ無駄機構は全部ラーゼルトで外してもらえば良かった。


 でももう後悔しても遅いんだ。

 僕はきっと電源が切れるまでずっとこの海の中なのだから。

 その電源がいつ切れるかも僕にはわからない。

 ただすべての機能が停止した今、バッテリーはきっと何年でも保つだろうな。


 バッテリーが切れるのが先か、僕の心が諦めるのが先か。


「あ、カニだ……」


 そう悲観していた時、僕の傍を長い脚を持つカニが通った。

 しかも結構大きいし力もありそうな奴。


「カニさん、どうかお願いします。僕のセーフティを解除してください!」


 そこで僕は一縷の望みを懸け、たかが甲殻生物に願いを請う。

 彼ならきっとセーフティを回して戻す事ができるかもしれないから。


 まぁでもそんな声を聴いた途端に逃げてしまったのだけど。


 やっぱり無理か。

 こんな海で僕を助けてくれる人なんていやしないんだ。

 もう誰も、僕がここにいるなんて……。


「もう誰でもいいんです。誰か、どうか助けて……」

「何投げやりになっとんねん」

「……え?」


 でもその時だった。

 確かに今、僕の嘆きの声にツッコミを入れた人がいたのだ。

 聴覚センサーはオンになっているし、ログも拾っているから錯覚じゃないはず。


「えっと、ほら、僕今動けなくて。投げやりになるしかないっていうか」

「どうしてなんや。理由聞かせてくれへんとワイ訳わからんで」

「あのですね、僕、悪い奴等に固められてしまったんですよ。確かアイツラ、海艦都市ギーングルツとか言ってたな……あ、そうだ、思い出したぞ!」


 それで確かに誰かが返してくれたので、理由も言って返したのだけど。

 その時ふと彼等の言葉を思い出し、その正体をようやく理解する事ができた。


 ギーングルツ――それは皇国に続いて高い魔導技術を誇る海洋国家の名だ。

 国家と言っても島のごとき超大型船で移動する一都市規模だけれども。

 ただ島を改造して船にしてしまったというくらいの製造技術をも有しており、皇国もなかなか手が出せなかった国なのだ。


 しかも彼等は海の上にいるのをいい事に、獣魔大戦でも不干渉を貫いた。


 もし彼等が協力していたならばまだ少しは人類もまともに戦えただろう。

 けど彼等は今まで寄港していた国や港さえ切り捨てて逃げた。


 それなのに皇国が世界に提供したヴァルフェル技術も応用しているなんて。

 それも自分達を守る為だけの水陸両用機を造っていたとは。


 なんて身勝手な奴等なんだ、今更ながらにまた怒りが湧いて来たぞ……!


「何一人の世界に浸ってんねん。お前面白いやっちゃな」

「――あ、すいません、つい思い出しちゃって」

「まぁええけど」


 ……と、ついつい考え込んでしまった。

 今はこの声の主だけが希望だっていうのに、蔑ろになんてしちゃダメだろ僕。

 ともあれ寛容な人で助かったけれども。


「実はですね、ギーングルツっていう都市の悪人に騙されまして、この首元でピカピカしてる所のレバーを回されてしまって、動けなくなってしまったんですね」

「ほぉ、してその心は?」

「え、その心? えーっと、怒り心頭?」

「わかるわー、ギーングルツめっちゃ腹立つもんなぁ」

「あと、大事な子ども達を助けたい?」

「あーそれええな、悲劇のヒーローみたいやん」


 でもなんだろう、なんか会話の相手になっているだけな気がする。

 今がいつかもわからないのに、こんな悠長に話をしていてもいいのだろうか。


「それでですね、どうか言葉のわかる貴方にこのレバーを回していただきたいのですけど」

「ええで」

「ほんまでっか!?」

「まぁできへんけどな」

「できないんかぁーいッ!」


 いや、なんか遊ばれている……ッ!

 僕、明らかにコントの相手をさせられているだけだッ!


 けどなんでだろう、嫌な感じがまったく無いからついついノッてしまう。


「僕たぶんもうそんな猶予無いと思うんです。もう沈んでから何時間経っているかもわからないし、ギーングルツが去ったらもう追えないから早くこの深海から脱出したいんですよ」

「せやかてお前さん、沈んでからまだ三〇分も経っとらんで」

「なんやて!?」

「それに深海言うてもここ割と浅瀬やし?」

「なら太陽どこいったんや!? 僕のカメラ真っ暗やで!」

「そら見とるんワイの腹やもん」

「腹だったんかぁーい! ――え、腹?」


 そんなコントを繰り広げていた時、僕の視界がぐらりと動く。


 ――いや、視界じゃない。

 視界一杯の何かが動いているんだ!


 すると何かが離れ、遂には視界に再び陽光が差し込んで。

 そうなった事でとうとう僕と話していた者の正体もが明らかとなる。


 彼はなんと大きなクジラだったのだ。

 周辺の陽光を遮って深海だと思わせてしまうくらいの。


「ほんまやったろ? ワイこれでも海一番に大きいて評判なんやで?」

「こりゃ驚いたわービックリなビッグジラーやんけー」

「無理矢理かけるなや、わろてまうやろ」


 どうしてそんな巨大なクジラが僕を相手にしてくれているのかはわからない。

 そもそもなんで喋れるのかもわからない。

 まぁ大きいからきっとそれだけ年長で知識とか豊富なおかげに違いない。


 深い事は考える必要なんてないんだ。

 少なくとも、このクジラさんは悪い方じゃあないから。


「それでなんで僕の真上にいたんです?」

「そりゃあれよ、おもろいもん落ちてきたな思うてな、つい」

「つい、でやるもんじゃあらへんやろー!」

「わはは、お前さんおもろいわホンマ」


 だから僕がこの方に出会えたのは本当に幸運だったのかもしれない。

 この出会いこそが、僕に再起の機会をくれたのだから。


「笑かしてくれた礼に、なんとかしたるわ」

「ほ、ほんまでっか!? 冗談ちゃうよな!?」

「ワイに考えがあんねん。ほなら一旦陸地まで運んだる」

「ありがとうございます!」

「なんでそこでボケへんねん」

「さーせェェェん!」


 ま、まぁ色々と扱いにくい方だけどね。

 渡りに船ならぬ渡りに鯨、この際だからわがままなんて言ってられないさ。

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