第21話 神のご加護
私が70%の英語力で生活している、というのは、あちらこちらで言いふらしているので、今さら驚かれることもないと思います。
皆さん、うすうす感じてらっしゃるとは思いますが、私などは人望のあるタイプではありません。ただ、ノリだけはいい。重要人物でもないし、集団の中で目立つわけでもない。
なのに、変なところで騒ぎを引きこしてしまう。
フツーでない事案が向こうからネギしょってやってくる。
そして……運の悪いことに、フツーの事案を私が調理したせいでフツーでなくなってしまい、それに気づかないままみんなに「食べて食べて」って振舞ってしまったせいで食中毒が起こる。
今日はその例をふたつ、ここでご紹介いたしましょう。(二回もやらかしたんかい! というツッコミは謹んでお受けいたします)
二十年くらい前。当時、某国にいました。ダンナの祖国ではない某国です。そこでもN〇TOという組織に所属していました。その基地はダンナの祖国とN〇TOのジョイントベースでした。
当時、ダンナの祖国のえらい人が、「大量兵器を持っている某国と戦争する」と言い、反戦運動が起こりました。それで、わりとえらい人と組んで仕事のすることの多いダンナが、いち早く電話をかけてきました。
「今日、基地の正門の前で抗議行動が行われるから、絶対に近づいたらダメだよ」
私は、「わかった」と返事をしました。
当時、ノリのよかった私は毎日パーティに明け暮れていました。子供もなく、ダンナも出張がちで、ほかにやることがなかったので、誘われるまますべての会合に顔を出していたのです。
その日も、ある、とても影響力のある方の奥様から電話をいただきました。
「今日、基地内のレストランで食事会があるんだけど、あなたもいかが?」
「ありがとうございます。でも、今日はダンナに基地に近づくなって言われてるんです。だって、正門前で抗議行動があるんですよね?」
奥様、びっくりです。
「大変! 今日はそんなことになってるの⁉ それは大変だわ!」
彼女は、全員に電話をかけて大騒ぎになりました。
「みんな大変よ! 今日は正門の前で売春が行われるんですってよ!」
なんということでしょう!
私はProtest(抗議行動;プロテスト)を間違えてProstitute(売春;プロスティティュート)と言ってしまったのです。
「そんな由々しき事態、黙ってられないわ!」
「基地に抗議しましょう!」
ここは、ダンナの某国だけではなくN〇TOの基地も併設です。パーティメンバーの中にはもちろんそちらの奥様方もいるわけで。
N〇TO全体を巻き込む大騒ぎになってしまいました。
噂は噂を呼び、「そんな話は聞いてなかった」と、上層部は焦りまくり、特別の調査チームを設置して事態の状況を把握することに。普通に事前申請していた抗議活動の方々はいきなり調査に入られ、そこで小競り合いに。警察が出てきて、もみ合いになったそうです。
そこで、「誰がこんないたずらを言いふらしたんだ!」ということになりました。
ところが運がいいのか悪いのか、私は小者です。存在感がないのです。私から話を聞いた奥様も、はっきりと「誰から聞いた」と覚えていなかったのです。
ダンナも家に帰って来てから、今日の顛末を面白おかしく話してくれました。
「ほんと、こんな時にそんな冗談、やめてほしいよ」
「だよねー」
と顔では笑っていましたが、心の中では「ごめんなさい」と謝りました。
そして、反省の意味を込めて、その後のパーティ活動はしばらく自粛しました。
こんなこともありました。
ダンナの同僚で、ウーリーという方がいました。とっても背が高くてひょろっとしていて、面白くてグルメが大好きな方でした。
仲間で何度も某国のクリスマスマーケットに行ってグルメを楽しみました。アップルフリッター、飴掛けのアーモンド、グリューワインと呼ばれるホットワインなど、某国のおいしいものと楽しいことは全部ウーリーから教えてもらいました。
そんなある日、大変な連絡を受けました。
「ウーリーが脳溢血で倒れた!」
みんなで隣国のクリスマスマーケットに行く約束をしていた三日前でした。特に親しかった私たちは最初に教えてもらいました。奥様はおっしゃいました。
「本当は、一か月前に脳溢血で倒れて入院していたの。今は自宅療養で、軽い麻痺も残っているからみんなにはあまり知られたくないって本人が言ってるのよ。でも、クリスマスマーケットに行く約束してるから、って」
私たちも「知られたくない」というその気持ちはわかります。某国人に「秘密ね」「わかった」と言った後、どういうわけか、一斉にうわさが広まりますから。これはどういうことかというと、
「神様にお祈りするわ。だからあなたも彼のためにお祈りして」という話になるからです。
けれど、今回は約束した人たちに説明しなければなりません。あまり人付き合いの得意ではないダンナに代わって、わたしが友達に電話をかけました。
「今回、ウーリー、クリスマスマーケットに行けないの」
「どうして?」
そこで私は奥様から聞いた話をみんなに伝えました。
すると。
ウーリーが「痔」になってしまったという噂がものすごい勢いで広まりました。
みんなが本気でウーリーを心配し、お祈りしてくれました。
なんということでしょう!
私は「脳溢血(hemorrhage;ヘマレッジ)と痔(hemorrhoids;ヘモロイズ)」を言い間違えていたのです。
確かに、ウーリーが「脳溢血」だという噂は広まりませんでした。ただ、「痔がひどくて手術をしたけれど、後遺症がひどいので出勤できない」ということになりました。
ウーリーは一か月後、ひっそりと仕事をやめました。
後になって、ウーリーに会いに行きました。ハッピーの塊だったみたいな人が、ちょっと気難しい感じになっていました。
「お医者さんからは、後遺症だって言われてるから」
奥さんは寂しそうに笑いました。十五分の訪問の後、帰り際にウーリーが言いました。
「どういうわけか、ぼくは『痔』がひどくなったせいで退職したってみんなには思われてるみたいだ。『脳溢血』って知られなくてほんとによかったよ」
その日、最初に見た笑顔でした。
神のご加護としか言いようがありません。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます