第672話・美味しい野菜
「お帰り、町長、サージュ。お客さんはそちらかい?」
クイネが手拭いで手を拭きながら顔を出した。
「あなたがクイネ殿ですね」
イェルペさんは深々と頭を下げた。
「スラートキーで副町長の職を拝命しているイェルペ・ヘルプンと申します。本日はこのような遅くに店を開けていただいて感謝の限り」
「ああ、いらんいらんそんなのは」
クイネは手をひらひらさせた。
「自分はクイネ・コシネーロ。ここで食堂をやらしてもらってる。スラートキーにも世話になったし、これくらいはな」
「
「甘味教室に通っていたので」
「あら」
イェルペさんが無表情のまま口を手に当てた。
「通ってらしたのですか?」
「ええ。おかげでレパートリーにも幅が出た」
「そんな……」
両手で口を押えたイェルペさん。あれ?
泣いてる?
「おいおい」
クイネが腰に下げていた手拭いをイェルペさんに渡した。
「何だ、自分はあんないい教室を開いてもらって、他の生徒と同じように感謝してるってのに、何で泣かれるんだ?」
ぽろっと涙が零れ落ちるのを、クイネに渡された手拭いで拭うイェルペさん。
「グランディールの甘味教室は、実は初めての成功なのです」
「へえ?」
甘味教室、結構簡単に開いてくれたけど、甘味はスラートキーの専門でそれを教えるってのは町の秘密を分けることだけど、と心配になってたけど、どうやら心配の度合いはスラートキーの方が大きかったらしい。
「初めてって、先生の教え方も上手かったしみんな喜んで勉強してたぞ? 他の町じゃダメだったってのか?」
「……はい。スラートキーの名を上げるためにも、甘味職人を増やそうと、取り引きができるようになった町で希望があれば同じような教室を開いたのですが……」
しゅんと肩を落とすイェルペさん。
「「甘味指導」のスキルを持つメンサがどれだけ教えても、甘味のコツを掴まず、こんな大変だとは知らなかった、と生徒がどんどん減っていくのです。最終的にゼロ人と言うこともしょっちゅうで……」
「あ~、考えが甘かったってことか」
ぼくはすぐにその理由に思い至った。
カノム町長に言われた、甘味職人嫌なあるある。
作るのに大変な時間がかかる。掻き混ぜなどにかなりの筋力が必要。火を使ったり寒くなったりする。
それに文句を言わずついてこれた人しか甘味職人になれない。
グランディールはこの三つの教えをしっかり書いて募集した。
「甘味職人に必要な条件は伝えたのですか?」
「いいえ、厳しいことばかり言うと参加者がいないのでは、と危惧して……」
「あー、それがまずかった」
最初に知らなけば、覚悟のない人がフラフラ入ってきて「めんどい」と辞めちゃうパターンが大。
グランディールは三つの条件を飲める人、と限定して、その代わり年齢性別職業に寄らず、として、少ないけどやる気は満々な人たちが集まって、誰も途中で脱却することなくスラートキー認定の甘味職人初級の座を得た。
「飴と鞭、とは言うが」
その話を聞いていたサージュが溜息混じりに言った。
「町長殿も副町長殿も使いどころを間違ってるな」
「使いどころ?」
「そう、飴で導き入れてそこで鞭を入れれば皆逃げる。最初は厳しい条件があると知らせないと、それを覚悟してそれでもなりたいという本当に欲しい人材が手に入らない」
「全く、その通りです……わたくしの考えが甘かったんですね」
「お待たせしました」
ヴァリエが持ってきたのはまずは焼き立てパン。そして具沢山野菜スープや鹿肉を使ったシチュー。
「どうぞ、パンに浸してお召し上がりください」
イェルペさんがパンをひとかけ千切って、シチューに浸し、口に。
「……美味しい」
数秒絶句して、イェルペさんはやっと口に出した。
「それは良かった」
笑顔のヴァリエ。給仕としての笑顔が増えてきた。居場所を見つけた、と言いたげなスマイル。
「カーッ、やっぱクイネの料理は逸品だ!」
「スキル料理人よりはるかに美味いよな!」
アレとリューが言い合う。
「この野菜はグランディールの?」
「はい、そうです」
イェルペさんの問いに、ぴん、と背筋を伸ばして答えるヴァリエ。
「
「町長もサージュもいるから明かせる秘密なんだがな」
クイネが厨房から出てきて答えた。
「今、辺境の町の穀物や肉や魚が美味しくなることがあってな、これで
「で、実際はどうだった?」
「ああ、町民もいつもの野菜や肉より美味いがどうした、と聞かれることもある。……でも最近
「何かあったのか?」
「さあな。料理人としては美味い食材はどこのものであってもありがたい」
「ぶっちゃけたな」
苦笑するサージュ。
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