1-11 彼女の正体はトナリの子
洞窟の外に出ると――そこは丁度、森の入口脇にあたるフィールドだった。
景色はすっかり夕暮れ時になっていた。
遠目には、僕らが最初にログインした石柱も見える。
チュートリアル表示にも【石柱でも安全にログアウトかのうです】と助言が出たので、もう大丈夫だろう。
「とりあえず、これで一安心ですね」
「ええ」
開幕からいきなり森に突撃し、モンスターから逃げ回って迷宮を探索する。
初日からハードだった。
”友達クエスト”は最初から友人と組む前提なのか、難易度が高いようだ。
結局、武器も鎧も壊れてしまったし……
無事に脱出したとはいえ、この件についてはお咎め無し、とはいかないかもしれない。
あとで先生に相談してみようか。装備品を破壊してしまったのです、再支給できませんか、と――
深瀬さんが僕の脇をつんつんしてきた。
振り返ると、彼女は夕日の背景に照らされながら、頭を下げる。
「その。……き、今日は、ごめんなさい。いろいろ、足を引っ張ってしまって」
「いえ。僕の方こそ、頼りになったかどうか。最後のスライムは深瀬さんのお陰で倒せましたし」
「……けど、人と顔を合わせるのが怖くて、に、逃げてしまったのは、あたしのせいだし」
「まあそういう時もありますって」
僕が微笑むと、彼女はぱちりと小さな瞬きをした。
僕を見つめたまま、口元をもごもごさせながら、不思議そうに。
「その。あなたは……あんまり、怒らないのね」
「へ?」
「あ、あたしってほら、話し方とか、びくびくしてるし……く、空気も読めないし。だから、気持ち悪いとか、よく怒られる、んだけど。でも。でもね? あなたとなら……その、これからも――」
そのとき彼女は、何かを言おうとした。
少なくとも僕にはそう感じられたし、彼女の口はうっすらと纏う決意のようなものがあった。
だから僕は、その言葉の続きを、静かに待って――
その時だった。
「これからも、い、一緒に――ひゃあああああっ!?」
いきなり耳を割くような悲鳴をあげ、深瀬さんが飛び退いた。
「や、ちょ、んひぃ――――っ!?」
「え。どうかしましたか?」
怯えるように後ずさる深瀬さん。
けど、僕はとっさに反応できない。
だって――
一体なにに悲鳴をあげているのか、分からないのだ。
草原には魔物一匹すら見当たらない。
特殊なイベントもなければ、エラーメッセージも出ていない。
周囲を見渡しても、日が沈む夕暮れ時の、きれいな草原が広がるだけだ。
「どうしたんですか? 深瀬さん? 深瀬さん!?」
「ちょ、こここ来ないで!? やめて、お願いだから飛ばないで!」
「え? え? 飛ぶ?」
盛大に叫びながら、はぁはぁと呼吸荒く、僕――の、背後を見つめている。
続けてどこからともなく、ドタン、バタン! と何かの倒れるような音。
なにこれ、何の音!?
「い、いい子だから、そこでジッとしてなさいよ! うう、うちには秘密兵器あるんだから! あたしが本気出したら、あんたなんかイチコロなんだから!」
イチコロ?
深瀬さんが青ざめ、カニ歩きのようなムーブで僕の横へと回り込む。
明らかに何かを恐れ、荒い呼吸を繰り返しながら、彼女はなにもない空間に右手を伸ばして透明なものを掴んだ。
「う、動かないで、動くんじゃないわよ! いまプシューするから! 動か……いや―――――っ!? 飛んだぁ―――っ!? ごきぶ……」
そして唐突に、ぶつっ、と彼女の姿が消える。
同時に、透明な魂のようなアイテムが残される。
え。――ログアウト?
本ゲーム”友達クエスト”ログアウト時は【魂魄状態】となり、小さな玉になる、とチュートリアルで説明された。
この状態でも魔物に襲われるため、安全なところでログアウトしましょう、とも。
でも何でいきなりログアウトを?
彼女の悲鳴からして、バグではなく異常事態が起きたような気がする。
しかも――
(……何だろ。まだ、音がする)
彼女がログアウトし、音声が途切れたはずなのに、まだ音がするのだ。
棚をひっくり返すような、或いは人がじたばた暴れているような。
ゲーム上には何も発生していない。
エラーメッセージも、魔物の反応も、HP変化もレベルアップのような気配もないし、特殊な状況はなにも出ていない。
なのに、物音と、くぐもった悲鳴が聞こえてくる。
違う。
これは、ゲーム内の空間ではなくて――
ヘッドセットを外した。
ゲームからの強制ログアウトにより、視界が見慣れた1DKマンションの一室へと戻る。
そして耳を澄ますと。
どすん、ぼすん、と、何かをひっくり返すような音が聞こえた。
隣の部屋から。
「…………」
勘違いであれば、別にいい。
けど、もし――この物音が、誰かの危機を訴えるものなら。
強制ログアウトしなきゃいけないような、大変なことが起きていたら?
いやそんな奇跡めいた偶然なんか無い、と僕の常識は否定するのだけれど、でも困ったことに、僕の本心はむずむずと、早く行けと不安をかき立てるようにざわついた。
直感に従うなんて、理性的ではない。
単なる勘違いかもしれない、けど。
気がつくと身体が動いていた。隣室の玄関を叩く。
「どうかしましたか? 大丈夫ですか!?」
「――! ――!」
くぐもった悲鳴が聞こえる。
けど玄関から出てくる気配は無い。……となれば、
自分の部屋に戻り、ベランダへと飛び出した。
火災用の仕切り板めがけて蹴りを入れ――数度、叩きつけるように踵を叩き込むと、ばかん、と音がして板がぶっ倒れた。
飛び込み、息荒く、お隣さんのベランダから覗き込んで見たものは――
ゲームの中でしか見たことのなかった、彼女の姿。
さらりと流れるロングストレートの黒髪。
もちろん現実の彼女は鎧姿ではなく、青色の芋ジャージに黒縁眼鏡をかけ、寝起きさながらの姿でヘッドセットを被っていた。
何かの拍子にケーブルが抜けたのか、彼女の身体には零れたケーブルがぐるりと巻き付いている。
その姿はゲーム上で再現された通りで、けれど、ガラス窓越しに見える存在感は、確かに生々しく――
「深瀬さん?」
彼女が、僕に気付く。
その右手に握られたのは、でかでかと『ゴキ○リ退治に効果抜群!』と書かれたスプレー缶。
……って。
え、もしかしてトラブルって、黒い――
と思ったら、深瀬さんが窓ガラスに写った僕に思いっきり殺虫スプレーを噴射した。
「ぎゃあああああっ!? ど、泥棒――――!」
「あ、ご、ごめん! 僕です蒼井です! それで深瀬さん、悲鳴あげてましたけど、出たのは泥棒ではなく黒い――」
「あんたが泥棒でしょう――――っ!? けけ、警察! 119ってつまり110って意味よね!?」
「違います落ち着いてくださ……」
説明する僕の前で、なにかが飛んだ。
それは彼女を恐怖に陥れた元凶。
存在Gがぶぶぶっと羽音を立て、彼女の室内を縦横無尽に飛びまわり始める。
「飛んだ―――っ!?」
深瀬さんの悲鳴が、夜のマンションに響き渡った。
僕の相方にして、”友達クエスト”初の、友達ではないパーティ仲間。
その正体は――僕の家の隣に住む、芋ジャージ姿の、ゴキブリさんと同居する同い年の少女だった。
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