中編:遭遇

『いたぞおおおお!』


 カトウが叫んだ直後だった。がれきの塊が弾けた。虫の幼虫が卵の殻を破るように、内側から伸ばされた腕はラットをわしづかみにすると、瞬時に握りつぶした。


 同時に俺の熱源センサーにも反応があった。


「周囲に熱源多数確認! 半径一〇メートル以内に一つ、二つ三つ! 現在も増加中!」


 まさにモンスターの産卵場だった。コンクリートの卵が一斉にふ化し、中から次々とHFDが生まれてくるのだ。熱源センサーは絶え間なく警告音を鳴らし、俺たちの部隊が包囲されている事実を否応なく教えにかかってくる。やつらは俺たちが来ることを予期し、あらかじめ自らのボディーにがれきを張り付け偽装していたのだ。電源を完全に止め、熱源反応も出さないよう徹底して。


 末端の機械軍がこんなこざかしい戦法を使うなんて聞いたことがなかった。俺は困惑したが、すぐに気を取り直し対物ライフルを構える。


 コンクリートより出でし機械の化け物たちは、携えていた機関銃を発砲した。銃声と硝煙がたちまち戦場を支配する。


『各員散開! 一つの場所に固まるな!』


 俺たちは機関銃を避けてバラバラに散った。同僚のオガタが負けじと、背負っていたガトリング砲を持つと連射を開始した。たちまち射線上のあらゆるものが粉砕され、HFDたちもたまらず散開する。逃げ遅れた一体は胴体を木っ端みじんに粉砕された。


 俺も膝をついてローラーを起動させると、できるだけ平坦な道を走りながら応戦した。敵の銃撃をなんとかかわしつつ、一体ずつ狙いを絞って対物ライフルを撃つ。移動しながらでは致命傷を負わせるのは難しいが、そうして動きが鈍った相手は他の隊員が始末してくれる。俺の役割はあくまで索敵だ。


 本分を全うすべく、攻撃と並行して熱源センサーとレーダーの解析を進めた。その結果、旧庁舎からわらわら出てくる分も含めたウジ虫の頭数は五三。数はあちらが多いが、MRCUは対HFD用に設計されているのだ。装甲の頑丈さと馬力、装備された火器の威力は向こうに勝る。この程度の差なら押し返せるはずだ。


 ただし、近接格闘CQCに持ち込まれなければの話だが。


『ちくしょう! こっちに来るな!』


 気がつくと、カトウのMRCUが三体のHFDに取りつかれていた。バカ野郎、言ってる傍からその様かよ。


 ウジ虫どもは腰に携帯していた戦闘斧を手にすると、カトウが中にいる胴体に容赦なく振り下ろした。鈍い音とともに複合装甲が大きくへこみ、三つの斧が次々にボディを破損させていく。


 助けてやりたいところだが、HFD相手にCQCはご法度だ。やつらは俊敏さだけなら俺たちより上だ。当然だろう、機械そのものが自律して動いているのだから。


『やめろ! やめてくれ! 誰か! 誰かぁ!』


 俺はカトウの声をノイズとして除去した。すまない、恨むなら電磁パルスEMP攻撃で遠隔操作を無効化させたコンシレーターを恨んでくれ。でなきゃ、こんな直接操縦なんて狂気の沙汰を演じる必要はなかったんだ。


 地面に引き倒されたカトウは、手の甲に装備されていたナックルダスターを繰り出したが、拳が空を切るたびに敵の戦闘斧の方が獲物をズタズタにしていく。そして一際深く切っ先がボディに食い込むと、同僚のMRCUは沈黙した。


 俺はまたこっそりと音楽データを再生した。【交響曲第41番ジュピター】だ。


 太陽系で最も巨大な星、木星ジュピター。その雄大さと荘厳さを表すような曲想。あぁ、いつ聞いてもモーツァルトはいいな。頭に巣食う雑念を追い払ってくれる。ハルカと出会ったのだって、モーツァルトを特集したコンサート会場だった。二人とも同じ作曲家が大好きだということで意気投合したのだ。


 ゴンドウのMRCUが爆散するのを横目に、俺は半ば夢うつつで戦った。銃声と戦友たちの怒号が響き渡る戦場で、いにしえの天才によるメロディーはほとんど麻薬だった。胸の痛みを甘美な感情でごまかす俺は無情なのだろう。だが許してほしい。俺だって人間なのだ。ストレス障害PTSDにかかって愛する家族の元に帰るわけにはいかない。お互い様なんだ。助けが必要なときに誰も来なくても、恨みっこなしなのが俺たちの鉄則だ。


 俺は黙々と敵の位置を探り、情報を全隊員にリンクさせた。さらに片手間でライフルを撃ちまくった。いつの間にか重金属を含んだ酸性雨が降り始め、ローラーがスリップしかける。やむなく膝を上げ二足歩行形態になった。くそっ、これでシェイキングマシンに逆戻りだ。


 だが形勢は俺たちに傾いている。残存しているHFDは一二機。対して味方は二三人。負傷して動けぬ連中を除いてこの数なら、残りを掃討するのに苦労はしないだろう。ちょうどニシキ中尉のMRCUが、担ぎ上げたミサイルランチャ―で一機仕留めた。


『いいぞ! 各員、このまま押し返せ!』


 俺たちは息まいて攻勢に出た。ミニガン、ガトリング、ミサイル、小型爆弾。ありとあらゆる火力を機械どもにぶつけていく。猛毒の雨にも消せぬ爆炎と、放射線まみれの風にたゆたう黒煙が、あちこちで立ち上った。


『オバタ! お前はヤスイの援護に回れ! キリシマはミカミを連れて後方へ――』


 中尉の声が途切れた。そしてすぐ聞こえてきたのは、この世の者とは思えぬ悲惨な叫びだった。


 音楽を止め、急いでニシキ中尉のいる方を向いた俺は……全身が硬直した。


 たぶん、他の隊員たちもみんなそうだったろう。


 中尉のMRCUは冒涜的な色のガスに包まれていた。傍らのがれき片の隙間から吹き付けられたガスは、最高性能の防護服であるMRCUをドロドロに溶かしていく。火にあぶられたチョコレートのように。


 唖然とした俺たちをあざ笑うように、がれきの間に隠れていたそいつ・・・は飛び出してくると、泥人形と化したMRCUをタックルした。液状化したニシキ中尉はバシャリと音を立てて倒れ、雨の一部となってコンクリートを流れてゆく。


 キルブレス……MRCUの複合装甲すら溶解させる、コンシレーター軍が独自に発明した最新の化学兵器。


 それを死の吐息キルブレスとして、多くの同胞へまき散らしてきた悪魔が、とうとう俺たちの前に現れたのだ。


「〈カースマン〉……!」


 悪魔は俺たちをあざ笑うかのように、うずたかく積もったがれき片の上に跳躍し、その上から俺たちを見下ろした。真っ赤な複眼を爛々と輝かせて。


『うっ、撃て! 全員撃てぇ!』


 あわてて指揮系統を継いだコバヤシ少尉が命令した。俺たちの持つ全火砲が〈カースマン〉へ向き、閃光を発した。ありとあらゆる弾頭が悪魔に襲い掛かったが、見えない翼でも生えているのか、相手は軽々と宙へ飛び射線から逃れた。そして胸のランチャーからあのロケット弾を発射した。


『ケイスケ! 払拭弾を使え!』


 俺は言われるがまま、腰にぶら下げていた手りゅう弾に似たものを手にした。スイッチを押して投げると、すぐに高圧ガスがすさまじい勢いで噴出する。これでキルブレスを少しでも防ぐのだ。砲弾は地面に落ちキルブレスを放出しはじめたが、狙い通り、払拭弾の高圧ガスが押し戻してくれる。


 だが着地した〈カースマン〉はそれを見越していたかのように、腹部と背中、そして口に設けられたふたを開くと、そこからもキルブレスを吐き出した。俺はまたしても驚愕した。やつがこんな行動をとったという記録も今までになかったからだ。


『アンザイ! トウジマ! お前たちの払拭弾もだ!』


『えっ? しかし少尉、あまり使いすぎると……』


『ガスにまみれて全滅したいのか! アンザイも早くやれ!』


 俺に続いて二人も払拭弾を転がし、放出された高圧ガスが死の霧を押しとどめようとする。しかし、これははっきりいってまずい。払拭弾は諸刃の剣といっていい装備だ。なぜなら使いすぎると高圧ガスとキルブレスとが混ざり合い、視界が最悪になるからだ。みるみるうちに不気味な煙幕が俺たちを覆い、視覚以外のセンサーだけが頼りの状態になってしまった。


『ケイスケ! 敵機の位置をもっとはっきりつかめ!』


 少尉に言われるまでもなく、俺はあらゆるセンサーとレーダーを使って機械どもの現状把握に取り組んだ。だが大気中に混ざったキルブレスのせいで、MRCUの各部が異常をきたし始めている。肘関節からはギィギィ異音がするし、センシティブなセンサーは既に機能不全に陥っている。文字通りの五里霧中状態だった。


 こうなったのも宇宙軍がとっとと火星を取り返さないせいだ。マーズニウムさえ手に入れば、コンシレーター軍と同じ特殊コーティング材を作れるのに。


『こちらトウジマ! HFD一機の撃破を確認! 続いて一三時方向の敵を——』


 トウジマの吉報は、ニシキ中尉と同じ悲鳴で途切れた。キルブレスの放出音とともに。俺たちはなんて馬鹿なんだ。〈カースマン〉が奇襲しやすい舞台を自分たちでこしらえるとは。やつは煙幕に紛れて、一人ずつ着実に始末していくつもりだ。ステルス素材に覆われた〈カースマン〉はレーダーだけでは位置を把握しきれない。熱源センサーに頼るしかないが、すでに動作が不安定になってきている。そもそも有効範囲だって一〇メートル程度なのだ。悪魔の足なら一瞬で詰め寄れる距離だ。


 この霧の中から、いつあのハエの王ベルゼブブが俺にのしかかり、口からキルブレスを浴びせかけてくるか。想像してはいけないと自分に言い聞かせても、いやな予感だけは無限に膨らんでゆく。手足が震える。耳に入ってくる通信は、だんだんと凄惨極まりない様相を呈してくる。


『HFDに取りつかれた! 放せ! 放せ!』


『キルブレスが! ダメだ溶ける! あぁ指が、指がぁ……』


『やった、〈カースマン〉を仕留めた! いや違う! こいつはただのHFDか? おい出てきやがれウジバエ野郎! 俺が相手に……あがっ!』


 戦友たちの断末魔が絶え間なく入ってきた。ノイズ処理が追い付かない。視界の効かない煙の中で、発砲する光と銃声だけが知覚できる。これは混沌の地獄だ。〈カースマン〉一機が現れただけで、俺たちは冥府に落とされたも同然だったのだ。


 対物ライフルをがむしゃら撃つさなか、突然頭の中に音楽が響き渡った。壮大で、しかし悲痛の感情を呼び起こさずにはいられないコーラス。モーツァルトの【鎮魂歌レクイエム】だ。


 知らぬうちに音楽データを再生しているのか、それとも記憶を呼び覚ましているだけなのか、現在の俺には判然としない。なぜこんな曲が今、俺の脳内に奏でられるのか。オーケストラは誰の魂を鎮めようとしているのか。倒されていく戦友たちか、それとも死への道を歩みつつある俺自身か。


「まだ死んでなんかいない! 鎮魂なんてやめてくれ!」


 自分の意に反して、伴奏はますます熱が入り、コーラス隊は高らかに死者の安寧を歌い上げる。耳をふさぎたくなる衝動に駆られるが、応戦するのに手一杯でそんな余裕はない。


 撃つ。響く。撃つ。響く。


 銃撃の合間にコーラスが反響する。


 撃たれる。響く。撃たれる。撃つ。響く。撃たれる。


 鳴りやめ! 鳴りやめ!


 俺は生きているんだ!


 鳴りやめ! 鳴りやめ! 鳴りやめ!


 それでも、【レクイエム】は鳴りやまない。

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