第四話 忠心と懸想①

 ◆

 ベルクオーレンの屋敷に滞在し始めて数日が過ぎた。屋敷の空気に少し慣れてきたロザリーは、王都にいた頃と変わらずフロレンツィアの身の回りの世話を焼いている。

 屋敷の仕事自体はベルクオーレン家の使用人が務めるからロザリーに仕事は回ってこない。だがロザリーはそれ以上にフロレンツィアの側を離れず付いているという重要な役目を担っているため、普通に使用人をしている以上の疲労感が付きまとった。


 ベルクオーレンの屋敷はというと、正直居心地は悪くなかった。

 屋敷の主人の縁談相手がやってきたとあって、使用人たちはお祭り騒ぎとなり、熱烈にフロレンツィアを歓迎してくれた。今ではすっかり屋敷の者に周知され、フロレンツィアに対してにこやかに声をかける使用人も多くなった。

 邪険にされるよりはずっとましなのだが、


(何かあればお嬢様の盾になれってエゴール様にも言われたもんな)


 見知らぬ土地で誰がフロレンツィアの命を狙っているかもわからない。エルメルトの屋敷にいた時以上に慎重にならなくては、とロザリーは気を引き締めるのだった。




 王都を離れたとはいえフロレンツィアの行動は制限せざるを得なかった。人通りの多いところは危険だし、見知らぬ街を迂闊うかつに歩くわけにもいかない。

 結局、外出といえばルートヴィッヒの屋敷の庭園を散歩するだけに留まったわけだが、この庭園がやたらと広い。下手をしたら王都の自然公園位あるのではないか、と思う程だ。

 正面玄関前には直径五メートルほどの泉水せんすいと彫刻が君臨し、周囲を絨毯じゅうたんのように綺麗に刈り取られた芝生しばふと季節に合わせた色とりどりの花が咲き乱れる花壇が囲む。屋敷から少し歩いたところには生垣いけがきを組み立てたちょっとした迷宮園があり薔薇のつぼみがちらほらと顔を覗かせていた。


「庭を見るだけでも十分気分転換になりますね」


 フロレンツィアの付き人として庭の散歩に付き合うロザリーは思いの外この庭園を気に入ってしまい、仕事だという事も忘れてしまうくらいだ。


「そうね。……ロザリーがドレスを着てくれればもっとよかったんだけど」


 一方、隣を歩くフロレンツィアがロザリーを見て口をとがらせる。相変わらず男物の使用人服を着ているロザリーにドレスを着ろとせがんできたが、ロザリーは意地でも断った。


「使用人がドレスを着てたらここの方々に変な目で見られますよ」

「いいじゃない、別に。私は他人の目なんて気にしないわ」

「私が気にするんです」


 どうしてフロレンツィアがそこまでロザリーにドレスを着せたがるのかわからないが、ロザリーはあくまで使用人なのだ。そこをおろそかにするわけにはいかない。


「あっ、見てください、シクラメンですよ」

「シクラメン?」


 ロザリーが花壇に咲く赤や白のあざやかな花を指して言った。


「へぇ、こんなに立派に咲いているのは初めて見ます」

「ロザリーってお花好きよね」

「ええ、まあ。あんまりがらではないんですが」


 屋敷の裏手に広がる花壇前のベンチで休憩を取りながらロザリーはその花を一輪一輪観察した。


「お嬢様もお花お好きですものね」

「――ええ、まあね」


 フロレンツィアはにこやかに答える。フロレンツィアと出会ったばかりの頃、まだフロレンツィアはロザリーの事を警戒していた。目も合わせてくれず、話しかけても無視されるばかりで、そんなフロレンツィアのためにロザリーは花束を贈ったことがあった。


(あれ以来少しずつ、お嬢様の方から話しかけてくれるようになったんだっけ)


 それからフロレンツィアはいつだってロザリーに笑顔を(時に理不尽に怒ることもあるが)向けてくれるようになった。

 そんな彼女も今回の件で気がせっていないかと心配だったが、こうして庭をながめるフロレンツィアはとても楽しそうで、そんな主の姿を見るだけでロザリーは心が安らいだ。

 二人で花壇の側で談笑していると遠くで子供たちが数人で遊んでいるのを見かけた。屋敷の敷地内のはずなのに、遠慮えんりょすることなくはしゃいでいるので二人は顔を合わせる。


「地元の子かしら?」

「みたいですね。こんなところでも遊んでいいんでしょうか?」


 疑問符を浮かべながら子供たちの様子を眺めていると、


「彼らはここに働きに来ている庭師たちの子供だよ。父親が働いている間、ああして遊んでいるんだ」


 背後から声をかけられて振り返ると、そこに爽やかな笑みを浮かべたルートヴィッヒが立っていた。


「ルートヴィッヒ様!」

「やあ、フロレンツィア嬢。ご歓談かな?」

「ええ、とても素敵なお庭でしたので」

「それは良かった。ここの庭園は毎日大勢の庭師が世話をしてくれているから、とても見ごたえがあるんだ」


 ルートヴィッヒも目の前に広がる花壇を見て満足気にうなずいた。いつ見ても胡散臭うさんくさい笑顔だ、とロザリーが内心であきれていると、少し離れていたところで遊んでいた子供たちがルートヴィッヒの姿を発見し、嬉しそうにこちらに駆け寄ってくる。


「領主様、こんにちは!」


 一人の少年がルートヴィッヒに飛びついた。ルートヴィッヒも拒むことなく少年を抱き上げる。


「やあ、皆。今日も元気だな。何をして遊んでいたんだ?」

「聖騎士ごっこ!」


 少年たちは剣に見立てた小枝を手に意気揚々と叫んだ。元気の有り余っている子供たちは楽しそうで見ているこちらも微笑ましくなる。


「ねえ! 領主様も一緒にやろうよ!」

「この間は手加減してたでしょ? 今度は本気で来てよ! 僕負けないよ!」


 子供たちは口々にルートヴィッヒを口説くどき倒し彼を引っ張っていこうとする。苦笑するルートヴィッヒを横で見ていたロザリーは、不意にピンとひらめいた。


「だったら私が相手をしてあげるよ」


 突然間に割り込んだロザリーを子供たちは呆けた目で見上げた。


「お兄ちゃん、誰?」

「ここの使用人だよ。領主様は今とても忙しいから、剣の相手なら私がしてあげる」


 子供たちはお互いに顔を見合わせて戸惑とまどいの表情を見せた。すると同様の顔をしたルートヴィッヒがロザリーのそでを引っ張る。


「……おい、どういうつもりだ?」

「私が子供たちの相手をするので、ルートヴィッヒ様はお嬢様とご歓談ください」


 目を見開くルートヴィッヒにロザリーは不敵に笑った。


「言いましたよね? 婚約者としてしっかり理解を深めてください」

「……」


 これはフロレンツィアとルートヴィッヒが仲良くなれるチャンスだ。

 ロザリーは有無うむを言わさずにルートヴィッヒをフロレンツィアの隣に座らせ、まだ戸惑う子供たちを連れてその場を離れた。


「にいちゃん剣振れるの?」


 無理やり割り込んだロザリーに子供たちは怪訝けげんな目を向けている。まあ、突然知らない人が代わりに遊んであげる、なんて言われても子供たちにしてみれば不信だろう。

 だがロザリーにも引けないものがある。ここは少しでも二人に仲を縮めてもらわねばなるまい。

 まだ疑いの目を向ける子供たちの前で、ロザリーは剣に見立てた小枝を構えた。かつて劇団にいた頃の稽古を思い出し、自然と気持ちが高揚する。


「勿論。さあ、誰からでもいいよ」


 ロザリーがニッと笑うと、子供たちの表情が変化した。疑いの視線が薄れ一転して真剣な表情に。

 一人の少年が前に進み出て枝を構えた。少し緊張した面持おももちの少年がロザリーに向かって踏み込むとロザリーは少年の剣戟けんげきを軽く受け止める。少年の息が少し上がってきたその一瞬の隙をついて、タイミングよく剣先を当てて少年を押し返した。


「わあっ!」


 少年がバランスを崩し尻もちをついた。何が起こったのか理解できず地面に大の字になってぽかんと空を見上げている。


「次は俺の番だ!」


 今度は別の少年がロザリーに向かって突っ込んでくる。ロザリーが向かってくる枝を叩き軽く受け流すと、少年は前のめりになって倒れ込んだ。


「やべぇ、このにいちゃん強いぜ」

「くっそー、負けてたまるか」


 徐々じょじょに少年たちに火がついて、代わる代わるロザリーに向かってきた。いつの間にか最初のロザリーに対する不信感は取り払われ、皆楽しそうに、そして悔しそうにロザリーに向かってくる。


(ああ、楽しいな)


 本気の子供たちを前にロザリーも楽しんでいた。昔は劇団の仲間と一緒にこんな風に訓練してたわむれていた事を思い出す。劇団の野営地で、移動の合間に。質素で何も持たない生活でも、こうして戦うすべを覚えていく事が何より楽しかった。

 少年たちが複数がかりで攻撃しても結果は同じ、あっさりとロザリーにいなされた少年たちは生き絶え絶えに地面に突っ伏す。対しロザリーは全く息が上がっていない。


「すげえ、にいちゃん一体何者だ?」

「使用人って皆こんなに強いの?」

「はは、私は――」


 質問攻めにされて苦笑すると、そこにルートヴィッヒが近づいてきて、


「彼女は舞台役者だったんだよ。あと、お兄ちゃんじゃなくてお姉ちゃんだ」


 ルートヴィッヒはロザリーのかたわらに立つと、どうしてか得意げにロザリーの事を子供たちに紹介し始めたのでロザリーは面食めんくらう。


「彼女は体術が得意でね。身が軽くて、剣の腕もたつ。私なんかよりずっと強い」

「えっ、領主様よりも強いの⁉」

「そうだよ」


 そう言ってルートヴィッヒは地面に転がっていた枝を一本拾い、


「何なら手合わせしてみようか?」


 ロザリーに向かってそれを構えた。ロザリーの表情が固まる。


「……いや、遊戯ゆうぎとはいえさすがに領主様と剣を交えるわけには」

「なんだ、子供相手なら余裕だが大の男相手はやっぱり苦しいのか? 聖騎士バイヘン様」


 バイヘンの名を出されてロザリーはカチンときた。これは挑発だとわかっていても、ロザリーのプライドが敵前逃亡を許せなくなる。


「……御冗談を」

「そうだ。それでこそ聖騎士様だ」


 両者枝を構えてにらみ合う。ピリリと張り詰めた空気にギャラリーの子供たちも真剣な顔で二人の戦いの行方を見守っていた。


 最初に動いたのはルートヴィッヒだ。地面を軽く蹴ってフェンシングの要領で枝を突き出した。


「……っ」


 ロザリーは慎重に見切りこれをかわす。続く二撃、三撃も同様に。相手の腕の動きや目線の動き、そういうものを観察していれば自ずと攻撃のタイミングがつかめる。

 ルートヴィッヒの攻撃が止んだ一瞬の隙をつき、ロザリーが大きく一歩踏み込んだ。大胆に相手のふところに潜り込むと右手の甲に向けて勢いよく枝をしならせる。

 相手が武器を取り落とせば終了だ。ロザリーは勝利を確信し枝を振るうと、


「――甘いな」


 ルートヴィッヒはすぐに手首を返しロザリーの枝を受け止めた。カンッと枝と枝がかち合って子気味いい音が空に響く。防がれるとは思わずロザリーはすぐに距離を取った。

 だが、同時に今度はルートヴィッヒが距離を詰めてくる。対応が間に合わずロザリーは後方にぐらりとバランスを崩した。

 ルートヴィッヒの枝が眼前に迫る。ロザリーは背中をらしてそれを躱した。そしてあえて体勢を立て直さず重力に従って後方に倒れ込む。倒れ込む寸前で手を地面に付きブリッジの体勢を取ったまま思い切り足を蹴り上げた。


「なっ……!」


 ルートヴィッヒは間一髪で後方に下がる。もう少し遅れていたらロザリーの蹴りがあごに襲い掛かっていただろう。さらにロザリーはそのまま腕を軸に思い切り身体を回転させ強烈な蹴りで追随ついずいした。蹴りはルートヴィッヒの握っていた枝にあたり、枝は高く宙を飛んで少し離れたところに落ちる。

 同時に起き上がったロザリーが目にも止まらぬ速さでルートヴィッヒの首筋に枝を突き付けた。


「私の勝ちです」


 目を見開いたまま固まったルートヴィッヒがなんだか滑稽こっけいでロザリーはにやりと笑った。

 一拍置いて子供たちが歓声を上げ、緊張感は一気に霧散する。


「すっげぇ! 領主様に勝っちゃった!」


 少年たちはロザリーに羨望の目を向けている。まんざらでもないロザリーが彼らに笑いかけると、


「ああ、――また負けたな」


 ルートヴィッヒも脱力して笑う。その笑顔にロザリーは何故か心を大きく揺さぶられた。


(また、って何だ――?)


 ロザリーが疑問符を浮かべたと同時に、襲い掛かる強烈な既視感。

 ルートヴィッヒと手合わせをしたのは今日が初めてのはずなのに、悔しそうに笑う彼の顔も、彼に勝った事の嬉しさも、


 ――体験した事がないはずなのに、それがひどく懐かしい。


「な? 強かっただろ?」


 ルートヴィッヒは子供たちに得意げに笑った。なんで自分の事のように嬉しそうなのか、ロザリーの中でこの男に対する戸惑いはつのるばかりだ。


 不意に、ロザリーは花壇横のベンチに座っているフロレンツィアの方に視線を向けた。なんだかぼうっとこちらを静観しているフロレンツィアに近づいて、


「お嬢様、すみません。一人にしてしまって」


 ついうっかりごっこ遊びに火がついてしまいあるじの事をおろそかにしていた事を反省する。結局二人の歓談の時間を取って接近させるという作戦はあまり効果がなかったようだ。だが、


「……お嬢様?」


 フロレンツィアはロザリーが話しかけても先ほどから反応しない。もう一度、「お嬢様」と呼びかけると、フロレンツィアはハッと我に返って、


「ロザリー?」

「はい、どうされましたか? 体の具合でも――」

「な、なんでもないわっ」


 フロレンツィアは慌てて立ち上がると、


「見事だったわね、ロザリー」


 フロレンツィアはロザリーに賛辞を贈る。しかし、どこか表情は硬くいつもの底抜けに明るい彼女らしさがないように感じた。

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