第一話 サンヴェロッチェの花形役者③

 そして現在、ロザリーは生まれて初めて訪れた貴族の屋敷の舞踏会で、フロレンツィア=エルメルトに扮し縁談相手のルートヴィッヒ=ベルクオーレンと邂逅かいこうし、そしてその男にあっさり正体を見破られた。


「――ああ、くそっ……! なんで気づかれたんだ?」


 気分が優れないと嘘をついて一目散にダンスホールを後にしたロザリーは、ダンスホールとは反対側の、誰もいないバルコニーで頭を抱えていた。


「確かに貴族の令嬢なんて演じた事なかったけど、これでも必死に訓練したのに!」


 カインに話を持ち掛けられ、エルメルト家に招き入れられてから二か月、ロザリーは本物のフロレンツィア嬢の付き人となり、貴族の令嬢の礼儀作法に立ち居振る舞いからダンス、そしてフロレンツィア自身の癖も完璧にコピーし彼女になり切った。屋敷の使用人たちの中にはフロレンツィアに扮したロザリーを見抜けるものはおらず、実兄のエゴールですら一瞬騙されたくらいだったのに。

 それなのに見破られた。しかも今日が初対面の、得体のしれない男に。


「……いやでも、いきなり人が変わったみたいになったな。あの男」


 事前情報ではルートヴィッヒ=ベルクオーレンという男は誠実で人当りもよく領民からも大変慕われている領主だとあった。最初に目にした時も、確かにああそんな雰囲気だと思ったのだけれど、


『俺をあざむいてどうする気だったんだ? ――偽物さん』


 間近で感じたあの冷たい気配、獣の様な獰猛どうもうな目。辺境伯という身分には到底思えない、むしろ――下町にいた時周りにいた連中にそっくりだった。


「そ、そうだ。逃げちゃったけど、今からでもあの男に口止めをした方が……」


 脅迫してきたのがどこの誰かわからない現状、ベルクオーレン家にも内密にするためにロザリーが雇われたのだ。そのロザリーが当の婚約者に看破されたとなれば縁談は白紙。協定締結を台無しにし、貴族を騙したロザリーは重い刑に処されてもおかしくない。

 ロザリーはゾッとして、ルートヴィッヒに弁解しようと屋敷の中に戻ろうとしたその時、視界の片隅でわずかにきらめくものが見えた。

 夜の厳かな空気に潜む殺気。ぞくりと悪寒が走ったその瞬間、ロザリーは振り返って腕を構えた。


 ギィン


 暗闇で金属同士がこすれあい火花が散る。ロザリーの左腕に仕込まれた鉄板が忍び寄ってきた何者かのナイフを弾く。淡いピンクのドレスは裂けたが、ロザリーに傷一つ付けられずに、そのナイフの主は飛びのいた。


「なっ、何!?」


 暗闇から聞こえてきた驚愕の声は男だ。歳は若い方か、暗闇で顔は見えないが、防がれたのは予想外だったのか明らかに動揺しているのがわかる。


「くそっ、どういう事だ⁉ ただの貴族の令嬢だって……!」

「……」


 ロザリーは無言で腰のベルトの裏に隠していた細身のナイフを取り出して構えた。

 やはり仕掛けてきた。わざわざダンスホールとは反対側のバルコニーに足を運んだのは、人気のないところに一人で出向けばくだんの奴らが動くだろうという目論もくろみもあったのだ。


「てめぇ……フロレンツィア嬢じゃねえな、何もんだ?」

「……」

「こ、答えろよ! この野郎!」


 しびれを切らした男が無作為に突っ込んでくる。ロザリーは冷静に腰を落としてそれをかわすと、がら空きになった男の鳩尾みぞおちにナイフのつかを叩き込んだ。

 男が後方に吹き飛び苦しそうにえづく。あとは気を失わせてしまえばしまいだ。雰囲気からして恐らく首謀者に雇われた下っ端だろう。大した情報は持っていなさそうだが、尋問して情報を吐かせれば犯人の手がかりが得られるかもしれない。


「……一緒に来てもらうぞ」


 男の意識を完全に失わせるため、首筋のけい動脈どうみゃくに向けて手刀を振り下ろそうとしたその時、ロザリーの右手首を何者かが横から掴んだ。

 完全に不意打ちだった。側に新手がいる事に全く気付けなかった。それはまるで暗闇に溶け込んだ影のように、ロザリーの側に音もなくいよりロザリーを捕らえた。


「なっ……!」


 暗闇から伸びた巨大な手がロザリーを思い切り放り投げる。相当な力の持ち主だったのか、ロザリーの身体は呆気なく宙を舞いバルコニーの手すりの向こうに放り出される。ここは屋敷の二階、そこまで高くはないが打ち所が悪ければ死ぬ。

 だがロザリーは慌てずに空中で体勢を立て直し、建物の壁を蹴って落ちる軌道を無理やり変えた。すぐ側の大きな木の枝を掴み勢いを殺すと、すぐにもう片方の手のナイフをバルコニーに向かって放った。

 かすかに肉を裂く音と男のうめき声が聞こえた。相手も反撃されるとは思わなかったのか、動揺して慌てふためいている。致命傷に至らなかったようだが、一太刀浴びせられた事にロザリーは口を歪めた。

 一瞬男の姿が見えそうだったがすぐに闇に消え気配は遠ざかっていく。


「逃がすかっ!」


 ロザリーはぶら下がっていた木からバルコニーに戻ろうと枝を両腕で掴みなおした、その時、


 バキッ


 頭上で嫌な音がした。ロザリーの身体ががくんと傾き、体重のかかった枝の根元が無残にも引きちぎられる。


「――っ、やば……!」


 まずいと思う間もなく、ロザリーの身体は真っ逆さまに地面に急降下した。すぐさま受け身を――と、身体を捻ろうとしたまさにその瞬間、思ったより早くロザリーの身体が何かに衝突する。


「……?」


 地面まではまだ高さがあったはず。何とかギリギリ足で着地できる計算だったのに、ロザリーは何故か空を仰いだまま横向きになって地面より少し上で停滞していた。


「あれ……?」

「そんな恰好で木登りとは随分行儀がいいな、お嬢さん?」


 呆然としていたところに聞き覚えのある冷たい声がかけられてロザリーは血の気が引いた。恐る恐る、視線をずらすとすぐ側にさっき別れたばかりのあの恐ろしい男のしたり顔があった。

 ルートヴィッヒ=ベルクオーレンはロザリーを抱えたままにやにやとこちらを見て笑っている。一方のロザリーは今自分の置かれている状況が理解できず、数秒目を開けたまま固まっていた。


「――な、な、なんで⁉」

「いやあ、外の空気を吸ってたらまさか木からご令嬢が降ってくるとは」


 ロザリーは慌ててルートヴィッヒの腕から飛び降りる。


(さっきのやり取り見られてた……? いやでも、こんなタイミングよく現れるなんて――)


 しかしロザリーは刺客に襲われる前にこの男を探しに行こうとしていた事を思い出してハッとした。


「あ、あのっ!」


 ロザリーはルートヴィッヒ詰め寄ると彼の手を取った。自然と祈るようなポーズになって、ロザリーは必死に懇願する。流石のルートヴィッヒもきょを突かれたみたいで驚きに目を見開いていた。

「今日の事黙っていて欲しい」

「……」


 ロザリーは自分がここに来た経緯を正直に話した。エルメルト家にフロレンツィア暗殺の脅迫状が届いた事、フロレンツィア本人を危機にさらさない様にロザリーが影武者として今日の舞踏会に参加した事。脅迫の出所がわからない手前、ベルクオーレン家にも極秘にしなければならなかった事。


「決して、悪意があって貴方を騙していたわけじゃないんだ……。黙っていた事は謝る、償いは私がする。……だからどうかフロレンツィア様との縁談を破棄するつもりなら考え直して――」

「わかった」


 言い終わる前にルートヴィッヒはロザリーの手を解くと短く頷いた。あっさり説得に応じてもらえるとは思わずロザリーは面食らう。


「え……、本当に?」

「そういう事情なら仕方ねえだろ。俺だって当事者になるし、そもそも協定締結が絡んでるからそう簡単に破談なんて出来ねえよ」


 この縁談にはフォルテ王家とベルクオーレン家の双方の事情が絡んでいる。早々に覆る話ではないと聞いてロザリーはホッとして破顔した。


「よかったぁ……」


 思わず気の抜けた声で呟く。どうやらロザリーはルートヴィッヒの事を少々誤解していた様だ。素はやけに粗暴だが話の通じない人ではない。これでロザリーの首も、エルメルト家の体裁も保たれた。


 ――なんて安堵しきっていたのが大きな間違いだったのかもしれない。


「そうだ。お前に正体がばれた事、エルメルト侯爵にも内緒にしてほしいんだ」

「ああそうだな」

「それから、しばらく会うときはフロレンツィア様じゃなくて私になってしまうと思う。申し訳ないけど我慢して――」

「ああ、いいぞ。その代わり」


 ルートヴィッヒがにやりと笑ったのでロザリーは首を傾げる。と、次の瞬間目にも止まらぬ速さでルートヴィッヒの手がロザリーに伸びてきて、


 ――え?


 気が付けばロザリーは強い力で抱き寄せられて視界が塞がる。唇に触れた何か柔らかい感触にロザリーの意識が弾けて吹き飛ばされる。


「自分の言った事にちゃんと責任持てよ。『償いは私がする』。二言はないよな?」


 目と鼻の先に悪戯いたずらに細められた瑠璃色が月の光を受けてあやしく光った。ロザリーの目の前で、彼は見せつけるみたいに唇を指でぬぐう。

 その瞬間、ロザリーは頭から火が出るかと思うくらい体温が上昇して動けなくなった。


「事態が解決するまでは、お・・が俺の婚約者だ。よろしくな、――ロザリー」


 硬直したロザリーに耳元でささやくと、ルートヴィッヒは上機嫌で屋敷に戻っていった。

 外は気温が下がり空気も冷たいはずなのにロザリーの身体は燃えるように熱い。


 ドクドク


 心臓の音が馬鹿みたいに五月蠅うるさくて、周囲の音が何も聴こえない。


「……前言撤回。あの……っ、最低男‼」


 ロザリーは肩をわなわなと震わせ、夜空に向かって大声で叫んだ。

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