フェーニング連邦準備委員会

 双方の大規模軍事演習のさなか、ユマイル外交部による新しい枠組み『フェーニング連邦』の提唱は驚かれるものだった。

 ユマイル傀儡のフェーム諸侯連合は快諾したが、逆にネルシイ商業諸国連合は強い警戒感を示し、ネルシイ外務省とユマイル外交部の事務方による調整は難航した。


 対ネルシイ軍事演習最終日、緊張緩和を名目にネルシイシティでフィール外交部長とネルシイのビュー外務大臣が会談。

 フィール外交部長はかつて「戦争には出口が必要だ」と言っていたが、おそらくこのまま軍事衝突をしていれば大陸統一など妄想になっていただろう。

 我がユマイル軍はネルシイ全土を占領する能力を持っていないし、かつてのフェーム帝国のように首都を占領して諸侯たちに呼びかければ終わりとはならない。

 ナショナリズムがしっかりしたネルシイ商業諸国連合を侵略すれば、永遠の抵抗が待っているだろう。


 そういう意味では、フィール外交部長の予言は当たっていたことになる。フィール外交部長に感謝せざる負えない反面、自分の未来を見通せていなかったことに不甲斐なさを感じる。

 幸いにも衝突なくネルシイの軍事演習を終了。本来あと二日続ける予定だったユマイル軍の軍事演習は私が中止させた。

 平和的な枠組みを提唱しておきながら、一方的に軍事演習を進めるのは筋が通っていなかったからだ。


 軍事演習終結から二週間後ユマイルの首都ユマイザルでフェーム諸侯連合、ネルシイ商業諸国連合が招かれ初の『フェーニング連邦』の会議が開かれることになった。

 私は国際会議場にフィール外交部長と向かう時に、彼女に声をかけた。

「ネルシイとの調整はさぞかし難航しただろう。難しい仕事をありがとう」

 フィール外交部長は満足げにほほ笑む。

「ええ。ありがとうございます…」

「フィール外交部長自身の功績だ」

「誇っていいでしょうか…?」

 フィール外交部長が自信なさげにつぶやいたので私が笑う番だった。

「もちろん。…もし、リナについてコンプレックスを感じているなら意味のないことだ。フィール外交部長はリナに負けないくらい実績を上げている。私はフィール外交部長を前から評価してきたつもりだ」


 フィール外交部長が静かにつぶやく。

「本当は今、隣に歩いてほしかったのは私ではなく、リナさんだったんじゃないですか…?」

 私はその言葉に頭を殴られて、思わず立ち止まりフィール外交部長を見てしまった。

 私は今どんな顔をしているだろうか、怯えた顔だろうか。

 フィール外交部長は私を見て目を伏せた。

「ごめんなさい。不適切でした」

「リナが生きて、この隣に歩いてほしかった。リナに一番見せたかった景色だ」

「本当にお好きなんですね。私と歩いても嬉しくないんですか?」

「うれしいさ。でも、私にとってリナは特別だった」

 こんなことを言ってもリナは戻ってこない、生前に言うべきだったことだ。だから自然と投げやりになってしまった。

 フィール外交部長は何も言わず黙っていた。


 私たちは会議室のドアに一緒に手をかけた。

「行きましょう。ウォール議長」

「ああ」

 私は緊張していた。会議室を開けるのは怖かったし、おそらく大陸統一国家を樹立できる最大で最後のチャンスだ。

 私の政権もいつ崩壊するか分からない。あれだけ大陸統一大陸統一と言い続けて、いつの間にかここまで来てしまった。

 だが、この期に及んでこのドアをリナとともに開けたかったと考える自分が憎かった。

 ふと見慣れた雰囲気がしたと思うと横を向いた。

 リナがそこにいる。いいや、そこにいると思いたかっただけだった。

 何度見ても、いるのはフィール・アンブレラでリナ・オンバーンは死んだ。匂いでわかる。

 フィール外交部長もいい匂いがするが、初恋とともに焼き付いたリナのものではない。


 私は邪念を振り払うよう強く強くドアを開けた。

 すでに要人たちは集まっていた。

 会議室のテーブルには、ネルシイ商業諸国連合大統領ヴァントル・デテール、その横ネルシイ商業諸国連合外務大臣ビュー・オージ。相変わらず爽やかだ。

 そして後ろの椅子にはネルシイ外務省らしき職員が四人と、子銃を持った兵隊が二人。警備、やはり完全な非武装ではないというアピールか。

 そしてフェーム諸侯連合諸侯長エイツ・クレーム、外交司のジュイ・フットネス。後ろには役人が三人ほど。

 私たちは職員から案内を受け、指定された席に向った。フィール外交部長が座り、私が立ったまま話を始めた。


「皆様、はるばるご遠路誠にありがとうございます。この度『フェーニング連邦』という新しい枠組みの話し合いに参加していただいたことに心から感謝申し上げます。現在フェーニング大陸は第二次フェーニング大陸大戦の危機にさらされています。かつての第一次フェーニング大陸大戦はこの世のものとは思えない凄惨なものであると言われ、語り継がれてきました。

フェーニング大陸は戦火に焼かれ、復興に莫大な労力と時間がかかったと記録されています。私たちは二度と同じ過ちを繰り返してはなりません。私たちを発展させてきたナショナリズムは戦争の恐怖に対してあまりにも無力です。仮にネルシイとユマイルの戦争が起きれば、祖国を愛するあなたと私は永遠に殺し合いを続けてしまうでしょう。

それは断じて避けなければなりません。『フェーニング連邦』はナショナリズムに代わり、新しい政治体制へと、緩やかに進歩するものを期待します。

大まかな詳細は各国の外交担当の事務方がすでに調整済みかと思われますので、今回は調印式になります。貴国外交担当者に渡した調印文書をご覧ください。また首脳同士の会議ですので何かご不明な点がございましたら、この場でどうぞ」


 ネルシイ商業諸国連合大統領ヴァントル・デテールが外務省の人間と話した後に、聞いてくる。

「いまいちこの『フェーニング連邦』という新しい枠組みが良く分からない。国際会議の場でもないようだし、かと言って関税撤廃があるわけでも軍縮条約でもない。本筋がよく見えないものというのが正直な感想です。

こんな"これから大陸の未来について話し合いましょう"と書かれた空文の条約にサインをすれば、フェーム諸侯連合の利権を譲渡するとは、ユマイルの実質的譲歩と捉えていいものですかね?」

 ネルシイ大統領の発言にフェーム諸侯連合のエイツ・クレームが顔をしかめていたので、フィール外交部長が慌てて補足を入れる。

「フェーム諸侯連合はネルシイの植民地ではありませんし、またユマイルの植民地でもありません。現在独立国です。しかし私たち三国が独立しているがあまり、領土や資源をめぐり争いを繰り返し、時には植民地に近いような事実上の主従関係を構築してきました。これは国を思うナショナリズムが生んだ、他国への無理解と偏見という弊害なのです。私たちが形だけとは言え大陸統一国家を作り、少しずつお互い歩み寄れば、最終的に争いはなくなります」


 フィール外交部長の言葉にネルシイのビュー外務大臣は唸る。

「この前のフィール外交部長との会談でもお話しさせていただきましたが、それは正直夢物語に近いと感じます。そんなことができるなら、もう人類史の宿命だった争いがなくなっているのではありませんか」

「そうですね。現に一週間前まで双方軍事演習をしていたわけですから。ですが争いは起きず今私たちは交渉のテーブルに立っています。それは意思疎通と対話の勝利といえると思います。もし戦争が起きればネルシイもユマイルも多大な損失を受けることになっていたでしょう」

「この白紙の条約に交戦権を縛れるとは思いませんが」

 ビュー外務大臣は調印文書の一枚目をひらひらと私たちに見せつけた。

「その通りです。縛れません。私たちは枠組みを作っただけで、どう経済統合を進め争いを無くすかは別途『フェーニング連邦準備委員会』で話し合うわけですから」

「意味あるのでしょうか、それは?」

「あります。今までは"枠組みさえ無かったのですから"。大きな前進ですよ」

 フィール外交部長は断言した。


 ビュー外務大臣とヴァントル大統領が耳打ちをする。

 おそらく彼らも大筋どうするか決めているのだろう。流石に近代国家なのだから当然だ。

 だが、それでもわざわざ今問いかけてきたのは、やはり最後まで私たちの真意を探りたいということだろう。

「分かりました。私たちは調印文書を吟味した結果、本調印文書に署名することにします」

 ボトルネックのネルシイは解決したか。

「フェーム諸侯連合は大丈夫でしょうか」

 私が聞くと、エイツ・クレーム諸侯長は頷く。

「はい。フェーム諸侯連合は近代化に遅れていますので、本調印文書によってユマイル民族戦線だけでなくネルシイ商業諸国連合からの投資が増えることを期待しています」

「分かりました」

「この調印文書で発足する『フェーニング準備委員会』の優先委員長はユマイル民族戦線が推薦し、委員長をフェーム諸侯連合とネルシイ商業諸国連合が推薦するとありますが、ウォール議長はすでに誰かお考えなのでしょうか?」

 ビュー外務大臣が私に聞いてくる。フィール外交部長は黙って私を見た。

 『フェーニング準備委員会』の優先委員長は『フェーニング準備委員会』の最高責任者であり、端的に言えばこれから建国される大陸統一国家『フェーニング連邦』のトップになるであろうわけだ。気になるのも当然だ。


「目星を付けています。まだ声をかけていませんが、おそらく引き受けてくれると思いますよ。優秀な人間ですし、…逆にその方以外適任者が思いつきません」

「そうですか。なら問題ありません、ユマイル政府の責任ある任命に期待します」

 ビュー外務大臣に納得していただけたようだ。

「ところでなぜ『優先委員長』と『委員長』なんだ。素直に『委員長』と『副委員長』では駄目だったのか」

 ヴァントル大統領が聞いてきた。

「先ほども言ったように『フェーニング連邦』の理念そのものが相互理解のある対等な大陸統一であって、各国が指名した代表者に優劣をつけるのを避けるためです。『優先委員長』と『委員長』の違いは話し合いがまとまらず決裂するのを防ぐためのものであり、優先権が発動するのも調印文書に書かれた通り限定的な場合のみです」

「そうか」

「我々が目指しているのはゼロサムゲームではなく、協調なのです」

 私の言葉にみんな沈黙した。当然も当然だ。

 今までユマイル民族という特性上、大陸最大のナショナリズム国家だったのに、急に隣人愛に目覚めたのだから。


 だが、私がしたいのは大陸統一であり、別に征服する必要があるわけじゃない。

「他になければ調印を行います。各国政府は外交担当に渡された本調印文書にサインをしてください」

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