ウッデイ・ライ
行政区の慌ただしい対応は天井を打ち、段々と減りつつある。
庶務部広報課からも国民に向け、パニック状態にならないよう呼びかけが行われた。
幸い大きな混乱等がなく、今に至る。
私は夕食をとっている。そうまた高い料亭でディナーだ。
国民の中には存在する事実さえも知らない人間がいるだろう。
行政区の高級料亭は我々によって支えられているといっても過言ではない。
…というか行政区の中なので一般人はこれないし。
だが、結局おなか痛くなるような相手と話をするので高級料理の味がわからない…と言いたいところだが、今回の会食はむしろ私のほうが望んでセッティングしたものだ。
デート相手を待つチェリーボーイがごとくそわそわと席で待つ私だが、やって来るのを確認した。
というか、目立ちすぎだ。
ウッデイ・ライ技術少尉。
陸軍中央研究所の伝令研究室に属している。フィール外交部長と一緒に行ったネルシイ万博の時にスカウトしたあの青年である。
なんせ煌びやかなこの場所に不釣り合いな、小汚い作業着を来ているからだ。
ちょっといい服着ている工場労働者だと思われても驚かない。
貴族たちは露骨に避け軽蔑の視線をおくる。
まったく、こういう基礎研究に没頭するやつがいるから国力が向上し、社会が豊かになるという事実を彼らは理解できていないのだろう。
私が位置を教えるべく手を振ると、彼はのしのしと近づいてきた。
「お久しぶりです!!」
その青年はまるで少年のごとく大きな声で言った。…貴婦人がぎょっとして見ていた気がする。
「お久しぶり。職場は慣れたかい?」
「へい。素晴らしいっすね。設備も予算も今まで見たことがない」
「…詳しい話が聞きたい。仕事も疲れただろうし、座って何か食べるといい、私の奢りだ。食事はまだなんだろう?」
私が座るよう促すと、彼は座った。彼は貪るようにメニューを見る。
「本当はそうやって食いつくように見ては駄目だ。上流階級の人間はマナーにうるさい」
「そうなんですか。でも、技術者ですよ自分は」
ウッディ技術少尉はアピールするように自分の作業服を引っ張った。
「確かに技術者は研究したり何かものを作ったり実験するのが仕事だ。だが研究には金がかかる、資本家だの貴族だの…あるいは国だの。そういった出資者が必要になる。君はせっかく才能があるんだ、こういうくだらない礼儀で減点されるのはもったいない」
「そういうもんすかね…」
「ああ。現に君が個人発明家として活動していた時に出資を受けられたか?得体の知れない小汚い青年はネルシイでも門前払いだったはずだ」
「そうっすね…」
ウッディ技術少尉は思い当たる節があるのか、俯いていた。
「まあ気が向いた時に少しずつ気を付けていってくれ。私も上流階級の言う礼儀とやらが未だによく分からない。さっき言った通り君の本業は研究なわけで、頭の片隅に入れてくれればそれでいい」
ウッディ技術少尉は頷いた。
「注文は決まったかい?」
「この魚料理にしようかと」
白身魚のものを指していた。当然、価格のゼロの数がおかしいことになっている。まあウッディ技術少尉は一応軍属だし、経費で落ちる。よしとしよう。
「悪くない。早速頼むといい」
「すみませ~ん!!」
あああああああああああああああああああああああああああああああ。忠告し忘れたあああああああああああああああああああああああ。
だが、完全に後の祭り。時が止まったように空気が凍り付く。そして地球は再び回りだした。
ソムリエは顔色一つ変えずに近づいてきた。…さすが熟練者だ。行政区で働いているだけある。
「これください!!」
「かしこまりました」
ソムリエは頷き去って言った。私は行くのを見送ってから
「ここは大衆食堂じゃない。注文の時に大声で店員を呼んでは駄目だ」
「え?あ、ああ…へい」
当分は研究所の上層部になれなさそうだな。
「ならどうすれば」
「店員に目配せするだけで大丈夫だ。そうすれば勝手にあっちからやってくる」
「そうだったんすね。すみません」
「初回だし仕方がない。後、行政区でディナーに誘われたら大抵高級料亭になるから、作業着できてはだめだ」
「自分、これしか持ってないっす」
「だろうと思った。今度時間ができたら洋服屋に行って仕立ててもらう。こういう時のために一着くらい必要だし、買ってやる」
「へい…」
正直、こうやっておっさん面して説教するのもよくないだろう。気分も悪いだろうし。そこで私は話題を変えることにした。
「研究のほうは順調かい?その、電信だったかな?」
「それはもう。研究設備が違いますからどんどん試作品を作れていいですよ。特に物理学研究室のレーイム室長には大変お世話になっています」
「物理学研究室?君は伝令研究室だったよな?それまたどうして」
「電信は電磁気学を基にしていますから、最先端の学問なんですよ。まだまだ分からないことが多いんです」
「電磁気…?」
「へい。物理学の一分野で、前説明した電波の話です」
確かネルシイ万博の時に彼が電信の説明をしていたなあ。こんなことになるなら軍学校以外の高等学校に行っておくべきだった。
「もしそちらがいいなら物理学研究室に移籍してもらっても構わないぞ。ぶっちゃけ軍は研究分野のことなんか分からないし、電信が軍事利用できればそれでよしとされると思う」
「いえ。既存の伝令使や軍の意思疎通手段は応用できますし、室長も幸い電信に理解のある方でしたから。それに物理学研究室は理論や数式を考える場所で、実際に電信を作ったりする場所ではないようです」
「なるほど」
どうやら研究にも複数の種類があるようだ。まあ諜報部だの参謀本部調査局だの外交部調査課だの、研究以上に似たり寄ったりな政治がとやかく言えることじゃないだろうな。
「実用段階にはどのくらいかかりそうだ?」
「実用、実戦での軍事利用を考えているならそうとうかかると思います。ただ人員のいる安全な場所からの通信ならば今年中にはプロトタイプ版を作れるかもしれません」
「安全で人員のいる場所?」
「そうです。電信は会話をそのまま流すわけじゃなくて、オンオフでコミュニケーションを取りますので」
「かつて見せてもらった時もそうだったな。確か音が鳴るときとならないときがあった」
「へい。それで一文字一文字をオンオフと対応させる必要があるっす。例えば、3だとオフオフオフオンオンみたいな。さらに離れるとノイズが乗るので、適切に受信できたか確認するために符号訂正記号も付与されます。それも読み取る必要がありますね」
「なるほど、これは知識がないとそもそも論読み取れないわけか」
「そうなんすよね…。だから電信を扱える兵隊さんが必要になりますし。しかも、電信は電波で情報を送ります。だからこの機器さえゲットできてしまえば誰でも通信を傍受できますので、暗号化を考えなければなりません」
「それは致命的だな」
実際に戦地での活用は当分になりそうだ。
「だけれども、悪いことばかりではないです。戦場で使える実用的なものが難しいというだけで、プロトタイプ版ができれば、例えば行政区と参謀本部を電信で繋げられるようになれるかもです。電信室を作り、金庫に暗号表を保管して、専門知識のある人間が与えられたオンオフで文字列を送信するんです」
「うむ。興味深い。楽しみだ」
私が相槌を打った。
ソムリエが料理を持ってくる。
「音を立てずに食べるんだ。決して食器とぶつけてはいけないよ。あと汁物はすすってはだめだ。咀嚼音も気をつけろ」
私は先ほどのトラウマを生かして、ウッディ技術少尉に事前警告をする。
彼は緊張した面持ちで食べ始める。うむ、言えばできるみたいだな。本質的には優秀な人間なのだろう。
「そういえばフェーム帝国の移民なんだろう?ご家族とかは大丈夫なのか?」
するとウッディ技術少尉は手を止めた。
「ああ…。言いづらいことがあるのならいい」
「へい。元々家族が嫌いで出て行ったんです」
「嫌い?」
「両親はフェーム帝国の領民で典型的な被支配者階級。つまり奴隷でした。それに対して嫌悪感しか感じません。世界には広大な陸地とそれよりも大きい海が広がり、目に見えない電磁波や小さい粒子。それらを見ずに死ぬなど私には耐えられません。私は自由を手に入れて、科学を学んでその先を見たかったんです」
「フェーム帝国は厳しい規制をかけているんだろう?よく外を知れて興味を持てたな」
「領主は我々領民を個性のないものだと思っていますが、実際は違います。悪い人良い人、頭のいい人悪い人、好みも何もかも違う。抑圧されているから、違いがないように見えるだけです。もう中世ではないんです、今は情報伝達能力が桁違いなんですよ。衰退したフェーム帝国はもう昔のように領民を完全にものとして扱い、外部の情報から遮断することは失敗しています。教会や皇帝を何の疑いなく信じている領民は相当減ってきているんじゃないですかね」
「なるほど」
「だけど、脱出しようとする試みは大抵失敗します。何度、ネルシイの奴隷商に騙されそうになったことか」
「ネルシイの奴隷商?」
「ああ、フェーム帝国脱出者の隠語です。ネルシイの奴隷商はフェーム帝国の脱出者を工場労働者として資本家に売りつける、ブローカーのことです」
「まあ、どこでにでも悪い奴はいるだろうな」
「人権なんか役に立っていないですよ。むしろ自由意志で工場労働者になっているという体をとるからどうにもならくなります」
「…」
私は何も言えなかった。国家はすべてを管理できていない。
そして工業化には労働力が必要で、需要があれば報酬が発生し、そしてそれに群がる悪質な人々が登場する。
「今の資本主義は過渡期なんだ。きっと社会が豊かになって安定すれば、いずれそういうことも減る」
「そうすかねえ…。ただ今奴隷のよう使われる工場労働者達には関係のないことでしょうけど」
私は何も言わなかった。その通りだ。
私の言ってきた未来をよりよくするは、裏を返せば現在がすぐに良くならないということだ。そして今の人間の寿命なんて五十年。
今も生命の危機にさらされている人にとって見れば明日が死期かもしれない。より良い未来を見れないだろう。
未来の子供たちへなんて、今生きる人たちから見れば迷惑極まりないのかもしれない。
「現代の人たちから恨まれて当然だろうなあ」
私は情けなく小さい声でつぶやいた。
「す、すみません、空気を重くしちゃって」
「いや、気にするな。政治家はこういう疑問に真っ向から向き合う仕事だ。むしろこうやって言い淀んでしまった時点で、私は政治家として未熟者なんだろう」
それでもなお、暗い顔をするウッディ技術少尉に私自身が申し訳ない気持ちになってくる。
「そうやって世の中に疑問を持つことは素晴らしいことだ。政治も科学もその点では似ているのかもしれない」
正面から問いに答えられなかった私の言葉は慰めとして役に立つだろうか。
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