フェーム・ネルシイ開戦

 その日、現場は大混乱していた。

 と言っても、リナと私は大筋予想ができていたことだが。


 緊急で集められた行政調整会議では各幹部たちを支える官僚たちが慌ただしく出入りしてくる。

 会議室に来るまでの廊下で、何人の走る官僚を見たことか。初等学校の生徒もびっくりだ。


「そろそろ会議を始めます。…イライラさせるだけなので枕詞は省略。今回の議題はネルシイ商業諸国連合はフェーム帝国への侵攻を開始したことについてです。リナ諜報長官お願いします」

「はい」

 リナ諜報長官が説明を始める。

「ネルシイ商業諸国連合は捕虜返還問題を受けて開催していた軍事演習の終了直前、フェーム帝国への宣戦布告し侵攻を開始しました。動員した師団数を見る限り全土への侵攻というのは考えにくいので、懲罰的攻撃やあるいは一部地域の併合が目的かと」

「ネルシイの堪忍袋の緒が切れたというわけか。でも…どうして今なんだあ…。単なる軍事演習じゃなかったのかよ…」

 ウージ財務部長が情けない独り言をつぶやいていた。


「諜報部からの侵攻開始の通達を受け、ネルシイ・ユマイル、フェーム・ユマイル国境間のユマイル陸軍各師団は厳戒態勢に移行しています。後方の予備の師団にも動員をかけました」

 エマリー軍代理が報告を上げてくれた。

「分かった」


「フィール外交部長。外交部はネルシイとフェーム帝国にコンタクトは取れたか?」

「ネルシイとは大使館を通じて接触することができました。『フェーム帝国の横暴な態度への報復措置』だと」

「何か我々に求めてきたことはあったか」

「はい。『フェーム帝国への支援を行わないこと』を求めていました」

「『ネルシイ・フェーム帝国戦争において中立を維持するように』とは言われなかったか?」

「え?いえ、ネルシイ側が求めてきたのはあくまで『フェーム帝国への支援を行わないこと』でした」

「分かった。フェーム帝国側はなんて?」

「大使館経由だと『皇帝陛下の返答を待つ』と…」

 おいおいおい。これは、思ったよりもやばいなフェーム帝国。

 自国にもう軍が入ってきているんだぞ、危機感ないのか。


「実際、皇帝を中心とする王政がろくに動かないことに焦ったフェーム帝国の諸侯たちは、独自にネルシイと和平しようとしているようね。あくまでまだ水面下なので実現するかは不透明ですけれども」

 リナ諜報長官が発言する。

「フェーム帝国は皇帝の権威によって成り立っている国家だ。諸侯が抜け駆けで和平なんてやったら、制御できなくなり、文字通りフェーム帝国が崩壊する」

 和平は独立国と独立国が行うものだ。和平の成立は諸侯が外交権を持っていることを示してしまう。

 そうなればもうフェーム帝国は国家ではいられなくなり、諸侯ごとに独立国が誕生することになるだろう。

 そして、皇帝に押さえつけられてきた諸侯たちが自由にできるようになるものなら、きっと始まるのは内戦になる。


「あともう一つありまして、庶務部広報課に一般発表を行わせますか?」

 フィール外交部長は庶務部長を兼任していたな。

「ネルシイ・フェーム帝国間で戦争が始まった事実だけ公表してほしい、政府見解については全部ノーコメントだ。現場は大混乱だし、政府としての統一見解も出せていない以上、誤ったメッセージを送ることになるのはまずい。もう少しまとめてからにしよう」

「分かりました」

フィール外交部長は頷く。

「あと、エマリー軍代理。国境付近に参謀本部のルム兵站課長を派遣するように」

「と、いいますと?」

「なんかの拍子にやられたら、すぐに反撃できないなどあってはならない。もし大規模な反攻作戦を仕掛けるとすれば、複数師団をまたいで統括する人間が必要だ」

「現地司令官を立てるおつもりですか?」

 

 現地司令官制度。

 複数の師団を使った大規模な作戦を行うときに、伝令使で参謀本部との連絡を取っては時間がかかるので、現地司令官を立てて大きな権限を与える。

 そうすることで迅速な意思決定を実現しようとする考え方だ。

「現地司令官を立てるにしても、現場がどうなっているか分からなければそこからやらないといけない。今までは国境紛争の小競り合いで領土に侵入したフェーム帝国を押し返すことがメインだったはずだ。越境してこちらから反攻作戦をやることもしっかりと考慮する必要がある」

「現地司令官に任命する可能性があるということを伝えたうえで、ルム兵站課長を派遣させますね」

「話が早くて助かる。頼んだ」


 と、会議室に激しいノックが鳴り響いた。焦っているのが手に取れる。

「どうぞ」

 私が言うと一人の男が入ってきた。

「会議中に失礼します。諜報部対外課課長、リユーです」

 私がリナ諜報長官のほうを見ると、皆一斉に彼女のほうを見た。

 リナ諜報長官が「失礼」とジェスチャーすると、彼のほうへ近づいた。

 彼がリナ諜報長官を案内するように二人で外へ出ると、静かにドアを閉めた。

「我らはこの国の最高幹部だぞ。情報共有せずにひそひそ話とは何事だ。これだから諜報部は…不気味な連中め」

 ウージ財務部長が悪態をつく。

 それを無視してフィール外交部長が話し出す。

「私は引き続きネルシイ、フェーム双方に対話を試みてみます」

「ああ、頼む」

「私はルム兵站課長に話をつけるとともに、引き続き軍の警戒態勢を続けますね」

「了解だ」

 すると、エマリー軍代理は少し言いづらそうにして何かを言おうとした。

 エマリー軍代理にしては珍しい。


「どうした?」

「クビにはしないでくださいね」

 エマリー軍代理は冗談めかしてそう言う。

「私は相当なことでもない限りクビにしない。エマリー軍代理は優秀な人間だからな」

「諜報部は業務上、秘密主義になるのは仕方ないですが、暴走しないように気にかけてください」

 なるほど。だから言いづらそうにしていたのか。

「ああ。分かっている、忠告ありがとう」

「ええ。ウォール議長は好かれていらっしゃるので。好きな人へのジャッジは自然と甘くなってしまうものです」

 エマリー軍代理は意味深長にフィール外交部長を見た。

 フィール外交部長が顔を真っ赤に染めて、視線をそらした。


 フィール外交部長が少し音を立てて立ち上がり

「私、もう行きますね。お先に業務に戻ります」

「お疲れ様」

 私の声はむなしく無視され、スタスタと行ってしまった。

 フィール外交部長がドアを出ようとした直後、ドアが開いた。何事かとみていると、リナ諜報長官が会議室に戻ってきたのだった。

 二人は会話もせずすれ違い。なんか今フィール外交部長がリナのこと睨んでいなかったか?気のせいだろうか。


「何かあったの?」

 戻ってくるリナ諜報長官が聞いてきた。

「また、痴話げんかだ」

 ウージ財務部長がいやそうに呟いた。

 いや、正直今回ばかりは同情する。変なものを見させられたわけだし。

「すみません。変なものを見せてしまって」

「ウォール議長に痴話げんかできる相手がいるなんて驚きね。是非伺いたいわ」

 リナが食い気味に言ってくるものだから、スルーしようと私の脳内が決断を下した。

「まあ、いつか私も痴話げんかができるといいですね。で、そろそろ会議を締めようかなと…」

「お相手がそれまで待ってくれるといいですが」

 エマリー軍代理、私のスルーに水を差しやがって…。君ら業務時間中だぞ。


「そういうわけだから、他になければ会議をしめさせて…」

「ちょっと待て、仕事を聞いていなんだが?」

 ウージ財務部長が私をにらみつけていた。ウージ財務部長に仕事を指示してないじゃん。

「すみませんでした。ウージ財務部長は国防予備費の執行手続きをしてください。予備役を動員するでしょうし、必要になります」

「…また出費か」

 ウージ財務部長がうんざりとした声を出したので、無視する。

「これにて行政調整会議は終了です。各自業務に戻ってください」

「お疲れ様でした」

 三人からの返事が返ってきた。


 私も業務をするか。

 三人の後に続いて、出ようとした時、前にいるリナ諜報長官が振り向いて、私を会議室へ押し戻した。

 政治家は冷静でいるべきだと、クロス党首に教えられていたので動揺がでないように頑張ったが、リナが押し戻すときに身体が接触するので刺激としては十分すぎるものだった。


「なんだ?」

 リナが肩を叩いて背伸びをする。

 耳を貸せということらしい。

 かがむとリナが私の耳へ顔を近づてきた。ふんわりとして気持ちがいい。


「今夜ディナーでもどう?興味あるなら私の部屋に来て」

 甘い香り…あの日あの時出会った時から変わらないこの匂い。

 理性が吹き飛びそうになる、リナはついにハニートラップでウォール政権を潰そうとしているのか。

 だが、少し考えればすぐに意図が理解した。

 おそらく、ユマイル・ネルシイにおける諜報部の偽旗作戦についてだろう。

 誰にも聞かれてはいけないからな。


「ああ、分かった」

 私が頷くとリナが笑う。

 距離が近くふんわりとしていて笑顔がいつもより幼く感じられる。

 そういう顔をされると辛かった幼少期とリナとの絆を思い出すから精神的にグッとくる。

「ドキッとした?」

 それはまるでいたずら子供みたいだった。

「え…?」

 私は思わず少し腑抜けた声を出してしまった。

「いや、前呼び止められたとき。少し、怖かったというか…ドキッとしたから」

 おそらく、最初にこの話をした時のこととだろう。

 たしか会議室を出るリナを呼び止めて、会議室から廊下を覗いて誰もいないことを確認し、私がドアのほうへ立っていたな。

 女性にやるべきやり方ではない。


「すまない、配慮が足りていなかった。もう少しスマートに呼び止めればよかったな」

「多分ウォールが思っているのとは違うと思うんだけどね。ともかく、よろしく」

 リナが微笑み会議室を出たので、私は思わず少しうれしくなって幼稚にも手を振ってしまった。

「私も仕事に戻るかあ」

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