1-8 廃墟区画の追跡者(1)
中央広場から少し離れた路地裏。そこには廃墟が立ち並ぶ一画が存在する。
一画と言っても、その周辺もほとんどが捨てられた建物群で占められており、さらには月末日ということもあってか人気は微塵もない。
そんな日陰の道を、一人の男が険しい顔つきで歩いていた。
男の名はミザール・ムコク。若くして、スターダストカンパニー統括部門『
そのようなエリート街道を行く彼であったが、今は部下の失態、その尻拭いのために楽園層にまで足を運んでいた。
少し肌寒い風が砂埃を巻き上げると、ミザールは不快感に舌打ちをしてスーツの襟を手で払う。
「道の舗装すらされていないとはな。この場所は未開の地か何かか?」
久しぶりの訪れる楽園層の環境に唾棄すると、手が汚れぬよう革製の手袋をきつく両手に
「始めるとするか」
独り言を呟いて、彩度の低い金髪を耳に掛けると周囲の音に気を配った。
中央広場の方からは、耳を澄ますまでもなく喧騒が聞こえてくる。一方で、廃墟区画の奥からは地面を蹴り、不規則な足取りで駆ける足音が微かに聞こえてくる。
「……こいつか。よほど焦っているようだな」
獲物の位置を聴き定めると、ミザールは怒気を孕んだ声で呟く。
彼にとって、最も忌み嫌うべきは
実力主義な性格に起因して、自分の積み重ねてきた成果に泥を塗らんとする者には、徹底的に制裁を与えなければ気が済まない性分だった。
部下の失態には苛立っているものの、上司の責務として、これも仕事の
それがこちらに牙を剥くようであれば、徹底的に追い詰めなければならない。排除しなければならない。再発防止に努めなければならない。決して、己が昇進の邪魔を許してはならなかった。
ミザールは昂る気持ちを抑え込んで、淡々とした感情のまま路地の奥へと進んでいく。そして、何度目かの曲がり角を行くと、最終的に足を止めたのは深い影を落とす袋小路の入口だった。
闇夜に眼光を突き刺して、ミザールはシックな赤いネクタイを締め直す。
「仕事の時間だ」
目の前には行き場を失くし、立ち往生する
「まるで浮浪者だな。作業着は支給されているはずだが?」
「な、なんで居場所が……っ!」
「そのような疑問が浮かんでいる時点で、お前はすでに終わっている。スターダストカンパニーの財力を見誤るなよ?
「そう……こんな時にだけ、帝国兵と仲良しこよしってわけね」
「いいや、ビジネスで繋がった関係だ」
取り留めもない会話を繰り広げている間にも、ミザールは一歩、また一歩と女に向かって前進する。
だが、それを許す彼女ではなかった。
「【
女が叫ぶと、その手から火球が放たれる。
闇に溶ける路地が一気に炎の明かりに照らされると、ミザールは目を細めて片手を前に突き出した。
「【
ミザールの片手が水平に薙がれると、その軌道に沿って水の
その水の膜は火球の攻撃を防ぐと、
「……ん?」
魔法を解除すると、ミザールはその先の光景に顔を
女の姿が消えていた。
「家屋の壁を突き破って逃げたか。しかし、やはり魔法を扱えるようだな。被検体候補に挙がるくらいだ。当然と言えば当然だが……それにしても嫌に逃走の手際が良い。魔法を使った戦いに慣れているように見える」
ミザールは小さな違和感を覚える。
よく似た行為ではあるが、魔法は魔術とは違う。魔術を感覚の領域とするならば、魔法は詠唱を伴う再現性のある魔術だ。感覚的な魔術と違って自然と身に付くものではなく、確かな学問を礎のもと習得する、魔力を放出する技である。
ゆえに、個人の教えだけで身に付くことは稀であり、扱える者は何かしらの施設や機関に在籍していた経歴があると推測される。
「そういえば、旧イギリカには魔導院が設置されていたな。冒険者の類ではないとすると、もしや、元軍人か?」
女の扱う魔法にかつての亡霊の姿を見ると、ミザールは再び彼女の足音を耳で追う。
そして、その位置を特定すると、踵を返して追跡を再開する。
「それにしても、CEO……貴方は悪い御人だ」
中央広場の方を
スピーカーを通して聞こえてくる言葉のどれもが、楽園層に幽閉されている虜囚たちにとって、耳障りの好いであろうものばかりだった。
「計らいに乗じて、こちらも早く終わらせなければ」
女の足音は中央広場の方へは向かっていない。むしろ、その逆を行っていた。
その選択に、ミザールは敵ながらに関心を示してしまう。
「存外、冷静なようだ。近場を行っては追いつかれると踏んで、わざと遠回りをしているな? 目的地は人気の多い場所……歓楽街か、それとも大通りか」
さらに耳を澄まして、魔力燃焼を聴力に向ける。
「わずかに北へ寄っている……歓楽街か」
女の目的地を特定すると、ミザールは気怠さと苛立ちで前髪を掻き上げる。
鋭い目つきで一つの廃屋を睨み付けると、その家の前に立って、右人差し指を壁に向かって突き出した。
「【
魔法を唱えると、右人差し指の先から鋭い熱線が放たれる。
熱線は廃屋の壁を焼き焦がして貫通すると、その先に続く障害物をも
やがて、指先に感じる手応えが途絶えると、ミザールは指先を動かして廃屋の壁を人型大に切り抜いた。
「フッ──!」
脚力に魔力燃焼を集中させると、型抜いた穴の始点から終点までを一瞬にして駆け抜ける。
そして、
「厄日だと思っていたが、どうやらそうでもないらしい」
到達した先の路地で、ミザールは地面に倒れる女の姿を発見する。
彼女の足首には指輪ほどの大きさの穴がぽっかりと空いており、先ほど放った魔法により負傷しているようだった。
「当てるつもりはなかったのだがな。逆に、これで諦めも付くだろう?」
「近寄らないで!」
「ほう、安心したぞ。虚勢を張れるだけの元気があるのなら、ドゥーベに小言を言われる心配もなさそうだ」
「一体何を言って……っ!?」
「傷が痛むか? 悪化しないうちに降参することだな」
ジリジリと地を這って逃げる女に向かって、ミザールは特に歩調を速めることもなく後を追う。
「終局だ」
女の隣に立つと、まだ逃げようとする彼女の首根っこを掴んで、腕力のままに宙へと持ち上げる。
しばらくの間、もがき苦しむ女の姿を眺めていると、やがて彼女の両腕は力なく垂れ下がってしまった。
「落ちたか」
ミザールは女を地面に降ろすと、ジャケットの内側に忍ばせていた、綺麗に折り畳まれた麻袋を取り出す。それを空中でバッと広げると、慣れない手つきで身柄の収納に取り掛かった。
「まったく……面倒な作業だ」
最後に麻袋の口紐を縛って、これで仕事は終了──そうなるはずだった。
「……」
脱ぎかけていた手袋を再び嵌め直すと、ミザールは一人だけ立ち上がる。
「そこにいるのは誰だ?」
背後を振り返って、わずかに物音のした場所に
極秘裏の後始末である以上、この状況は誰にも目撃されてはならない。もしそのような事態に陥ることがあれば、それは己が失態。目撃者は何としても消さなければならなかった。
「沈黙か。まあ、どのみち対話に応じたところで――始末するのだからなッ!!」
一歩踏み込んで、五メートル先の建物の物陰へと接近する。
そして、その正体へと手を伸ばした。
「!?」
「おい」
ミザールの伸ばした腕が、逆に掴まれてしまう。
そこにいたのは
「これはこれは、CEOでいらっしゃいましたか。住人に目撃されたのかと思い、このようなご無礼を。大変失礼いたしました」
ミザールは即座に手を引っ込めると、深々と頭を下げて陳謝する。
それに対して、ビッグ・ディッパーはどうでもいいといった様子で、その横を通り過ぎていく。
「あの麻袋か? 逃げ出したという被検体候補は」
「はい。少々足首に傷を負わせてしまいましたが、確実に生きておりますのでご安心を」
「エクセレント! 瀕死でもない限り問題ない」
ビッグ・ディッパーは満足気に手を叩くと、麻袋を見下ろした。
ミザールも隣に並び、彼の横顔を確かめてから、口を開く時を見定めた。
「この度は申し訳ございませんでした。我ら『
「この程度の些事で、お前を罰する気など毛頭ない。それに、それを引き起こした原因も完全なイレギュラーだ」
「……
ミザールは先日あったばかりの着任式の模様を思い出す。
「彼はCEOと同じ、ツドイ国出身の人間だと耳にしております。お知り合いで?」
「いや、式の事前に面識を持った程度だ。彼の詳しい素性までは知らんよ。聞くにその男、
ビッグ・ディッパーは高らかに笑い声を上げる。
だが、ミザールとしては鳶戈の騎士という存在は、決して笑い事として一蹴できるものではなかった。鳶戈の騎士は自分の仕事にミスを
苛立ちが表に出そうになると、ミザールはビッグ・ディッパーに気取られぬよう話題を逸らそうとする。
「
「らしいな。なべ底だけを覗き込んでいればいいものを、鬱陶しい」
「現状の監視体制の下では、『
「『
「はい。性格に難はありますが、CEOのご命令には従う男です。与えられた仕事は確実にやり遂げるかと」
「だろうな。アイツであれば、このようなミスも起こることはなかっただろう」
「仰る通りです……」
同意しつつも、ミザールは口唇の内側を強く噛み締める。それはもう、血が滲み出るほどに。
尊敬するビッグ・ディッパーからの評価に耐えられなくなると、自らを痛みで
「ですので、これからは──」
「だが、この仕事はお前でなくてはならない」
「……理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
ビッグ・ディッパーに提言を遮られると、ミザールは握り締めた拳を解いて尋ねる。
「アルカイドは与えられた仕事は完遂する男だ。だが、アイツの仕事は雑だ。過程には目を向けず、結果だけを持ってくる。被検体候補が生きていても、その体がグチャグチャでは意味がない。それに比べて──」
ビッグ・ディッパーはミザールの肩に手を乗せる。
まるで、彼の心情を理解して労うかのように。
「お前の仕事は誰よりも丁寧だ。アルカイドには信頼を、お前には信頼に加えて信用もある。だから、俺様にとって重要な案件は、お前に任せたいのだよ」
「っ! ……身に余るお言葉、ありがとうございます」
ミザールは緩みそうになる口元を瞬時にきつく結ぶと、今度は歓喜を抑えるために口唇の内側を噛み締めた。それはもう、血の味が口内に広がるほどに。
「さて、さっさと退散しようではないか。これ以上の長居は無用だ」
「中央広場は未だに盛り上がっているようですが……放置してもよろしいのですか?」
「構わん。あとは帝国の馬鹿どもが治めるだろう。俺様たちが尻を拭く必要もない」
「それにしても、今回は一段と煽りになられていたようですね。こちらにまで空気の振動が伝わってきました」
「ああ、それはだな。万が一のための布石を兼ねて……」
「?」
ビッグ・ディッパーの言葉が不自然に区切られると、ミザールは彼の視線の先を目で追った。
そして、少し遅れてその理由に気付く。
「どうやら長居し過ぎたようだな」
「そのようですね」
最高の気分だった。
それがたった今、最低の気分へと成り下がってしまう。
「やはり、今日は厄日だったか」
ミザールは嫌悪を
その殺意は、新たな
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