1-6 マキナの懊悩

 隣の帝国兵たちの無駄話が聞こえてくると、マキナは密かに舌打ちをする。

 彼らは先刻からずっと会話に花を咲かせており、そのうちの一人は今になってようやく手を動かし始めていたからだ。

 委任状を提出する際も、奪い取られるように受け取られ、指定の場所への案内も乱暴な言葉遣いで指示されると、やはりこの搬入場という場所が嫌いだと再確認させられてしまう。


「それにしても、帝都かぁ~……」


 嘆息たんそくして、傍らの木箱に背中を預けるて空を見上げた。

 暇潰しにもならない空の色。時間の経過と共に天光石てんこうせきの輝度だけが変化する、変わり映えのしない景色だった。

 その天光石も、今は輝度を落とすと夕暮れの時分を知らせている。


「やあ」

「はぁおわっ!?」


 待ちくたびれるのにも億劫になっていた時、零れかけた欠伸を遮って声を掛けられると、マキナはびくりと肩を跳ねさせて間抜けな声を上げてしまう。

 見ると、声の主は今朝出会った褐色の男──天裂の騎士パトローナス鳶戈えんかの騎士だった。


「なんで鳶戈の──むぐぅ!?」


 彼の名前、もといその正体を口に出そうとするも、褐色の右手が瞬時に彼女の口唇を覆った。


「すまないけど、素性を明かしたくはないんだ。また甲冑を着けてないって怒られちゃうからね」


 そう言って、鳶戈の騎士はマキナにウィンクを飛ばす。

 一方、マキナは状況が呑み込めないまま、彼の手を口から引き剥がした。


「やっぱりトドメでも刺しに来た?」


 少し距離を取って、鳶戈の騎士を睨み付けて牽制けんせいする。

 相手は帝国軍最高幹部──天裂の騎士パトローナスだ。戦って勝てる相手ではないことは、何度も帝国兵相手に喧嘩をしているこそ重々承知していた。


「トドメ? ……ああ、今朝の件か。あれは災難だったね?」

「え?」


 予想とは違う反応が返ってくると、マキナは思わず気の抜けた声を漏らしてしまう。


「いつも君はあんな感じなのかい?」

「あんな感じって?」

「ほら、帝国兵相手に啖呵を切るなんて、なべ底に囚われている人間の行動とは思えなくてさ。俺的に思うのは、そんな立ち回りができるのはよっぽどの実力者か、はたまた蛮勇のまま体が動いてしまう愚か者か……」

「あっそ、あたしは後者の人間だけどね」

「だろうね。君の立ち居振る舞いに脅威を感じない」

「なっ!?」


 見透かすような口ぶりに、マキナは内心苛立ってしまう。

 特に、今日という日は自分の無力さを何度も痛感させられていた。その事をあらためて指摘されると、それも敵である鳶戈の騎士に言われてしまうと、苛立ちも人一倍だった。


「それで、そんなこと訊きに来たの?」

「そんなに気を張らなくてもいいよ。ほら、俺って帝都イギリカに着任したばかりだからさ。市井の調査も兼ねて、現地人である君と交流しに来たんだ」

「あたしと交流するよりも、自分の仲間と交流した方がいいんじゃないの? 嫌われてるみたいだけど」

「耳が痛いね。だけど、歩み寄ってこない相手に興味はない」

「その点で言えば、あたしも帝国兵あいつらと同じと思うけど?」

「女性は別さ。追いかけたくなる」


 鳶戈の騎士は笑みを浮かべると、何食わぬ顔でマキナの隣に立つ。

 マキナは逃げようにも荷物があるためにその場から動けず、仕方なく彼の交流とやらに付き合うことを余儀なくされた。


「それで、君の名前は?」

「……マキナ」

「マキナ……だけかい?」

「マキナ・デア!」

「マキナ・デアか。ご両親はご健在かな?」

「さあね。孤児だから知らない」

「戦災孤児?」

「違う……と思う。一才の時に、孤児院のベンチに捨てられてたんだってさ。歳も名前も、一緒にあった置手紙で判ったって聞いてるけど」

「ということは、兄弟姉妹がいても分からないってことか。今は独りで?」

「独りって……ううん。ここに閉じ込められた時に、あたしを拾ってくれた人がいる。その人と一緒に暮らして……あのさ、これって尋問されてたりするの?」


 マキナは堪らず訊き返してしまう。

 現地人との交流にしては、やけに個人的な事情を訊かれている気がした。


「ごめんごめん。趣味の一つなんだ、人間観察が」

「観察ぅ? その割には、随分と直接的じゃんか」

「人にはそれぞれやり方があるのさ」


 それにしても、と鳶戈の騎士は笑って続ける。


「マキナは本当に帝国の人間相手にも物怖じしないね」

「あたしがアンタたちにへこへこする理由なんてないし」

「それもそうだ。だけど、君たちを支配しているのは帝国の人間であることも事実。反抗的な態度を見せていたら、何をされるか分からないんじゃない? 今朝みたいにね」

「なに? 心配してくれてんの?」

「そうだね。君くらいの歳の子を見ると、ついつい口出ししてしまうみたいだ」

「ふ~ん……」


 マキナは鳶戈の騎士の様子を横目でチラリと見る。

 その顔は、どこか寂し気な表情を湛えていた。


「まあ『英雄』を信仰するのもいいけど、蛮勇で身を滅ぼさないように気を付けることだ」

「信仰? お言葉だけど、あたしは『英雄』なんて信仰してないから」

「おや、そうなのかい? てっきり、『英雄』に憧れているものかと」

「あたしにはあたしの信念がある。あの女の人を助けたのだって、『英雄』なんてどこにもいないって分かってるから。だから、あたしが手を差し伸べるの。困ってる誰かを……困ってる誰かを……」


 『助けるために』──その言葉が口から出なかった。

 話しているうちに、自分の語る信念を本当に体現できているのかを疑ってしまう。所詮、口だけなのではないかと思ってしまう。

 事実、今朝の一件も、鳶戈の騎士の乱入がなければ、真の意味で女性を救ったことにはならなかった。

 そして、女性にとって真の英雄である相手を前にして、自分の思い描く英雄像を体現する相手を前にして、堂々と己の信念を語れるほど、マキナは楽天的ではなかった。


「悩みがあるようだね」

「……」


 敵に己の弱さなど曝け出したくはない。

 しかし、相手は思い描いた英雄像を体現する者。恥を忍んで、この場が最後の出会いになるだろうと割り切ると、マキナはその心情を打ち明けることに決める。


「アンタには信念ってある?」

「信念? ん~……どうかな?」

「そう……あたしにはある」

「それって、いま言っていた『手を差し伸べる』ってやつかな?」

「うん。だけど、違う。あたしがしたいのは、手を差し伸べてちゃんと助けてあげること。でも、あたしには誰かを助けるだけの力がない……」

「それは、そうかもしれないね。今朝も俺が乱入していなければ、君は死んでいただろう。あの女性もどこかへ連れ去られ、今頃どうなっていたか」


 鳶戈の騎士は起こり得たかもしれない現実を淡々と告げる。

 その言葉に、マキナは今一度打ちのめされそうになってしまう。


「こんな意地みたいな信念、捨てちゃった方がいいのかな……」

「なぜかな? 俺は立派な考えだと思うよ」

「だって、口だけなんだもん。意味ないよ……」

「そうだね。だけど、それは〝今のままだと〟だろ?」

「え?」

「成長すればいいのさ。今の自分よりもずっとね」

「成長……」


 ほんの数時間前、オビクにも同じようなことを言われたのをマキナは思い出す。


「ね、ねぇ! それって具体的にどうすればいいとかある?」

「具体的にかい? それは人それぞれだから、一概にだとは言えないかな」

「だよね……はぁ~」

「あっ! だけど、俺が思う一番手っ取り早い方法なら教えて上げられるよ?」

「ホントに!? お願い! 教えて!!」


 いつしか気を張ることもすっかり忘れると、マキナは自ら鳶戈の騎士に詰め寄って教えを乞う。

 それほどまでに、今は彼の答えが気になって仕方がなかった。


「そうだね。俺が思うに、それは‶挑戦すること〟だね」

「挑戦……?」

「何か新しいことに挑戦してみればいい。ただし、するからには本気でね。じゃないと意味がない」

「新しいことに挑戦する……例えば?」

「それこそ人それぞれさ。とにかく、本気で何かに挑戦することは、たとえその結果が失敗に終わったとしても、大きく人を成長させるものさ。何でもいい、いま自分が直面している問題、目を背けて放置している事……何でもね」


 鳶戈の騎士はマキナに背を向けて歩き出すと、それから立ち止まって、振り返らずに言う。


「もし思い付いたのなら、早めに動いた方がいい。その立派な信念が腐ってしまう前にね」


 そう言い残して、鳶戈の騎士は搬入場から立ち去っていった。

 彼の後ろ姿が見えなくなると、マキナはひとり帝都の底を見上げる。


「挑戦……」


 彼女の頭の中には、すでに一つの挑戦が思い浮かんでいた。

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