第2話 消えた少女と回想の月


 緑に薫る風と日差しがめっきり初夏らしくなり、礼美のあくびが止まらない。五月病と本人は言うが、普段との違いは全く見出せなかった。

 私たちは、私のパートナーである西宮真綿が営む湘南のカフェ『コットンカフェ』で、いつものごとくダラダラ……いや、まったりと、午前の爽やかな時間帯を無駄にくつろいでいる。


 私は時々、首元に小さく光る星型のチャームを嬉しくて触った。

 それは昨日、彼から貰った誕生日プレゼント。五月の誕生石エメラルドとホワイトゴールドのプチネックレスだった。

 その彼、真綿はキッチンでランチタイムの仕込み中。

 食材たちの個性が奏でる音と、音感の怪しい鼻歌が聞こえる。本日はイチジクのドレッシングを使った湘南野菜のサラダランチがおすすめだそう。


「そろそろ、お散歩探偵が来る頃じゃない?」

 礼美は毎日、季節感のないグレーのジャージだ。色素の薄いつるんとしたすっぴんをメガネで隠しもせずに、カウンター席の真上にある掛け時計を見上げつぶやく。

「お散歩探偵じゃないでしょ。、加納伊織くん」

 私は携帯をいじりつつ、礼美をたしなめた。


 礼美は銀座の会員制高級クラブでホステスをしている。本人曰く、店でトップレベルの人気ホステスだそうだ。確かに化粧した礼美は、誰もが振り返るほどの美貌とオーラとメンタルを兼ね備えている。

 その礼美が眠い目をこすり、いそいそと毎日コットンカフェに通い詰めているのも、最近ではペット探偵・加納伊織の存在があると言っても過言ではない。

 加納伊織とは、近所で起こった女子高生殺人事件をカフェに居ながらにしてミラクルに解き明かしたフリーのペット専門探偵なのだ。まあ、探偵の仕事とお散歩などのシッター、両方メインらしいけど。



 はい、そこのあなた。

 ペット専門だからと、見くびってもらっては困る。

 肝心なペット捜索の発見率は六、七割とのことだが、副業ながら犬の散歩代行で培った観察眼、洞察力は並外れた域にまで達していた。

 ……と私は勝手に分析している。当の本人は日々のお散歩業(時々、ペット捜索)に忙殺されていて、そんな意識は微塵もない様子。


 礼美は礼美で、彼の能力に敵対心満々だ。

 礼美は四月生まれのせいか、地頭が優れていたせいかわからないが、子供の頃から周りを散々見下してきた生意気な過去を持つ。周りの奴らがバカに見えて仕方なかったと、よく礼美は言っていた。

 そんな礼美の認識を覆した、一歳年下の頭脳明晰、しかも気になるルックスを合わせ持つ名探偵が突如として現れてしまった。

 ああ、これ以上ないきらめく屈辱。人生にはサプライズが溢れている。


「私、ペット探偵に挑戦するネタを持ってきたのよ!」

 礼美が勢いよく立ち上がった。真綿がキッチンから、フライパンを片手に二度見する。

「まあまあ、とにかく座って。まずは落ち着いて。伊織くん、もうすぐ来るから」

 私は礼美をなだめながら、窓から外を見やった。


 ……あ、見えた。

 カーキ色のパーカーを着た彼は、子犬のような黒目がちの瞳を眩しそうに細めて、こちらへ向かって来ている。あの可愛らしい小顔に、鍛えられたしなやかな筋肉がついてる身体なんてズルい……とは礼美の言葉。


 彼は午前中のお散歩業を終え、ランチ時になると毎日うちのカフェに来るのが最近の日課になっていた。

 真綿は伊織のために毎回ボリュームのあるメニューをサービスで一品付けている。私の周りは皆、ペット探偵・加納伊織に興味津々なのである。



 カランコロン。

 ドアベルの音と共に、爽やかな潮まじりの空気が入り込んできた。

「いらっしゃい、伊織くん」

「おっ、いらっしゃ~い」

 私と真綿の声がハモった。礼美はこっちに座りなさいよと言わんばかりに、自分の隣りの椅子を引く。隣りに座らせて、例のネタと称した謎解きをさせるつもりだ。


「朝のお散歩は無事に終わったの? さん」

「あー、はい。二軒目のフレンチ・ブルの体調がいまいちで、途中ちょっと吐いちゃいましたけど……」

 礼美の嫌味めいた質問にも、伏し目がちにきちんと答える真面目な伊織。

 私は伊織の上着を預かりハンガーに掛け、真綿にランチの用意をお願いすべく目配せした。



「早速だけど、伊織くん。この前の女子高生の事件、私、まだ納得いってないの。だって、伊織くんが犬の散歩中に知り得た情報が多すぎるんですもの。どう考えても、フェアじゃないでしょ」


「もう、礼美。自分のマンションの問題だって解決してもらっておいて、そんなこと言うもんじゃないの。それにご近所であった殺人事件なんだから、たまたま情報を持ってる人がいたって仕方ないじゃん」

 特攻隊長の礼美を、急いでフォローする。全く、気が気じゃない。伊織は伊織で、なぜか「すみませんでした」と謝っている。


「そこでなんだけどさぁ、今日は私、ある殺人事件の謎を用意してきたの。それも私たちが生まれる前のお話、今から四十五年くらい前に起きたまだ未解決事件よ。これなら流石のペット探偵も、お散歩の情報を持ち出すことが出来ないでしょ。どう、受けて立つわよね!」


 どこの騎士が現れたかと思うような勇ましい挑発に、若干引き気味な伊織ではあった。

 だが、ランチのハワイアンサイコロステーキを目にすると嬉しそうな笑顔で礼美に頷く。パイナップルのフルーツソースがかかった真綿流絶品メニューのおかげかもしれない。


「どうぞ、召し上がりながら、話を聞いてね。回想の殺人事件と少女失踪の謎をこれから披露するから」

 真綿がエプロンを置き、絞りたてのフレッシュオレンジジュースを四人分持ってきた。私の横に腰かける。アボカドを頬張る伊織とともに、礼美の話に耳を澄ませることにしたらしい。


「最近、私を指名する新しいお客さんから聞いた話なの。今、彼、五十七歳って言ってたわ。一見、さびれた農家のお父さんって感じの風貌だけど、意外と羽振りの良いおじさまでね。彼が子供の頃、十二歳の時に起こった事件なの……」

 礼美が心底嬉しそうに私たちを見回した。



「彼の名前、仮に山田さんにしようかしら。山田さんは信州の山奥の村で生まれ育ったの。隣りの家が二、三十メートル先にあるようなかなりの田舎。で、山田さんのご近所にはある親子が住んでいてね。そこは母子家庭で子供は中学生の男の子と、年の離れた妹の二人兄妹。父親はひどい男で、奥さんに暴力を振るったり、何人も女を作ったりして、何年も前からいなくなってた。それがある日、妹を連れ戻すという連絡が入って、父親が村へやってくる来ることになったの」


「妹だけ? しかもどうしてそのことを山田さんが知ってるの? 」

「ふみちゃん、いい質問! あのね、年の離れた妹って言ったでしょ。実はお兄さんと妹は血が繋がってないの。お兄さんは中学生、妹は七歳。お兄さんは前の旦那の子供で、妹がその暴力夫の子供なわけ。だから、娘だけ欲しいって父親が言ってきたんじゃない?」

 礼美が意気揚々と喋るのを、真綿がオレンジジュースをストローで一気飲みしながら横目で見ている。


「んで、それをなぜ山田さんが知ってるのかと言うと、その親子、仮に……海川さんと呼ぶわね。海川さんは旦那とのトラブルをずっと山田さんのお父様に相談していたの。それを山田さんは、きっと立ち聞きしてたのね。本人は、狭い家だから勝手に聞こえてきたって言ってたけど」

 話はまだこれからだというのに、伊織のサイコロステーキはすでに残り一個になっていた。今はせっせとマッシュポテトを口に運んでいる。小さなサイコロステーキは、最後に頂く貴重な一個のようだ。


 私と礼美の目が合った。

「えっと、なんだっけ。そうそう、その海川さんの旦那が娘を連れ戻しにやってきた夜、奇妙な事件が起こった。……娘は隠れていた丘の上にある蔵から忽然こつぜんと消え、代わりに旦那がその蔵の中に閉じ込められて死んだの」


「まだ未解決って言ってたよね。時効とかってどうなの?」

 私が聞く。

「さあね。法的なことは聞いてない。ただ、蔵の中から娘が消えて、父親が入れ替わりに死んだ。ざっくり言えばそれが全て。だけどね、実はそこまで単純じゃない。その村には古い言い伝えがあって、それの通りに事件は起こったの」


「いぬがみけー」

 真綿が喜んで、ガッツポーズをした。

「はいはい。ごめん、礼美。話を進めて」

 私は真綿の太ももをぴしゃりと叩く。



「どんな言い伝えかというとね。……昔、村の小高い山のふもとに小さなほこらがあって、そこに美しい女の神様がまつられていた。その神様は、丘が白い花で咲き揃う満月の夜にあることをすれば、願いを叶えてくれると言う。あることとは、三つの条件を満たしたものを奉献すること。一つ、海のもの。二つ、山のもの。三つ、生きているもの。これらの三つを揃えて、満月の夜、神様に捧げればあらゆる願いが叶う」



「へー、割と簡単そうじゃん。何でもいいんでしょ、その三つの部類に入れば。例えばさ、一つ、ワカメ。二つ、芋。三つ目、鶏!」

「真綿ったら、全部、食べ物じゃん。美人の神様に捧げるんだから、宝飾品とかさ、もうちょっと神聖なものの方がいいんじゃないの」

「ふみちゃん、芋大好きじゃ~ん。何言っちゃってんのー」

「何よ、真綿だって!」

「はい、そこ。二人イチャつかない」

 礼美が私たちをぴしりと制す。

 何だろー、もうこのイラってなる感じ!


「真綿くんも別に間違ってはいません。でも、昔々の山奥の貧しい人だったら、海のものとか生きているものとか調達するの、割と難しかったんじゃないかしら。まあでも、何と言ってもただの言い伝えだからね。そこまで本気にならないでよ」

 真綿は本当に大人げない。伊織はその間満足そうに完食し、後はオレンジジュースを 飲み干すだけとなった。



「でね、父親が娘を取り戻しに来る日、中学生のお兄さんは妹と一緒に、丘の上にある古い蔵へ向かったの。そこにその子を隠す目的で。ちなみに蔵の先に小さなほこらがあります。……その蔵は戦前からあるというかなり丈夫な建物で、昔は空襲から身を守ったりしたって言われてる」

「へー。で、そこに隠せば、妹は連れて行かれないわけ?」


「まあ、そうね。その蔵は外側から鍵をかけるタイプで内側からは開けられないから妹がそそのかされる心配がない。窓もないし、元々鍵は一つしかないから、誰かが鍵を無くしちゃったら外側からも開けられない。しかも力任せで開くような、やわなドアじゃないんだって。引き戸なんだけど、重厚で頑丈。万が一、閉じ込められたりしたら、大声を出しても外には聞こえない」

 真綿のオレンジジュースが空になり、退屈なのかモゾモゾし始めた。礼美が慌ててオーバーアクションになる。



「ここからが面白いのよ!  山田さんが言うにはね。蔵の引き戸の前に、貝殻と、野草の花かんむりが置いてあったんですって。そしてその夜、娘は消えて、父親が蔵の中に閉じ込められ餓死してしまった。当時、村では生きてるものをこぶし姫に捧げるために、父親が生贄になったんじゃないかって噂になったの。……そして願いが叶えられたように、娘とその家族はその晩から突然いなくなった。邪悪な父親から逃れたいという願いが叶ったのよ。――これこそ、こぶし姫の伝説。海のもの、山のもの、生きているものの恩恵おんけいじゃない?」


「こぶし姫って誰!?」

 礼美の熱量に反し、急に出てきた初めてのワードに三名が反応する。しかも、お姫様にしては何やらたくましい名前。


「あ、ごめんごめん。その蔵の先にある、祠に祀られてる神様の通称が『こぶし姫』って言うの。その小高い山というか丘全体に、辛夷こぶしの木が植えられているところからそう呼ばれてるみたい」

「ふみちゃん、辛夷の木ってどんなの?」

「こぶし? えっとぉ、木蓮に似た……白い花が咲くんだよね、確か?」

 私は真綿からの質問を、礼美に聞き返した。



「はい、そうです。春先にこのあたりでも時々見かけます。桜ほど派手ではありませんが、僕は毎年散歩中に春の訪れを感じます」

 おっ、伊織が返答してきた。今日始めてまともに喋ったかと思ったら、気象予報士みたいなことを言う。


「伊織くん、詳しいねー。そして、その蔵を密室にするために、鍵を女の子のお兄さんが持っていたってことか」


「それが違うの。鍵は山田さんのお父様が持つことになったの。実はその丘の上の蔵は車じゃないと行きにくい場所にあって、整地されてない林道を歩いて上るとしたら一時間以上はかかるんですって。しかも七歳の子供を連れて上り坂を歩くのは、かなり無理がある。だから山田さんのお父様が協力して、車で兄妹を蔵まで乗せて行くことになったの。その時に鍵が奪われることのないように第三者が持つように決めたらしい」

「なるほど」


「山田さんのお父様はその日夜勤のお仕事が入っていたので、夕方ふたりを車に乗せて行き、妹を蔵へ閉じ込めてから一人車で下山して仕事へ出かけた。お兄さんはさみしがる妹を残すわけにもいかず、蔵の前で見張りを兼ねて残った。夜、海川さんの旦那が家に迎えに来た時には兄妹はいなくて、奥さんが一人で旦那さんと対峙たいじする形にしたの」



 伊織の持つオレンジジュースのグラスがカランと音を立てた。氷の揺れる音。

 ちょっと首をかしげる様子を見せると、私と真綿に目を合わせ、礼美側に身体を向けた。


「すみません。僕、これから、迷子犬のチラシ配りと、里親のワンコパーティに出席しないといけないんです。申し訳ないですが、謎解きを早めに終わらせてもいいでしょうか」


 私が礼美と知り合って十数年、こんな礼美の顔を見たことがあっただろうか。鉄砲玉をくらい、出来ることならけ反りたかったであろう。


「伊織くん、すごいねー。今ので、何がわかったの? よくわかんない説明だったぜ」

 私は高笑いしている真綿の脇腹をひじで小突く。 幸い、礼美は真綿の言った軽口に気付いていない。


「さすが、探偵さんは話が早いわね。いいわよ、ちゃんと推理してもらいましょ。この謎が解けたら、チラシ配りでもワンコなんちゃらでもどうぞご自由に。アンフェアは一切ナシですからね!」


 さあ、礼美を怒らせたら面倒くさいよ。

 伊織くん、頑張って。

 私が心の声を投げかけたと同時に、伊織が口を開いた。普段のおとなしい雰囲気がかすみ、凜とした佇まいを見せる。



「礼美さん、女の子の情報でまだ何か言ってないことがありませんか。外見か内面かそれ以外でも、とても重要なことです」

「えっ何、……ああ、あるわよ。外見。言ってなかったけど、その少女、生まれつき金髪だって山田さん言ってた」

「えー、なんだよ、それ。旦那は外国人だったんだ!?」


 真綿が一番に驚いた。私が二番目。と思ったら、礼美も別の意味で、かなりの驚きようだ。伊織の変化にぞくりとしたらしい。


「ううん、日本人よ。 顔立ちや目の色なんかも、私たちと変わらないそうよ。まあ、元々お母さん似で、お人形さんみたいな可愛いらしいお顔って言ってたけど。生まれつき髪が金髪なのと、肌の色が真っ白らしい。アルビノのような色素の欠乏かもしれないわね。でも母親も父親も生粋の日本人だから、昔ではかなり珍しい子供……。村でも一時期、ひどい噂を立てられたんですって。父親が違うとかね。面白半分な噂話。かわいそうに、隔世遺伝とかあるかもしれないのにね? あ、それからその子ね、霊感があるって言ってた。これも言ってなかったけど、重要?」


 伊織は相変わらず首をかしげている。

 そして眉間にしわを寄せたかと思うと、集中力という人類のたぐいまれなるパワーを発揮し、矢継ぎ早に質問を重ねた。


「山田さんは、いつから礼美さんのお店へ来るようになったんですか」


「山田さんのお母さんについては、聞いたことがありますか」


「海川さんのご主人は、自分の車で村まで来たのでしょうか」


「蔵のある丘はその林道の他に、人が通れるような道がありますか」


 礼美は一度の質問に若干顔を引きつらせながらも、返答に困る様子もなくスラスラと伊織に向かって言った。


「山田さんがうちの会員になって店に来るようになったのは、一ヶ月くらい前かしら。最近なの」


「山田さんのお母さまは……。えっとね、います。私も気になって尋ねたから。山田さん、口うるさくてねぇって言ってた」

 隣の真綿が、なぜか私をちらりと見た。


「それと、海川さんのご主人はもちろん車よ。蔵の手前に、乗り捨ててあったらしいわ。そもそも車がないと暮らせないような田舎なんですって。バスもほとんど来ない。もちろん、タクシーもね」


「あと、人や車が通れるような道は、舗装もされてないその林道のみ。私も一応推理に挑戦して、他に道がないかどうか山田さんに聞いたの」


 伊織は頷いたり、眉間に指をあてたりしながら、礼美の返答を聞いていた。そして、最後と思われる質問を口にした。


「少女の霊感とは、どのようなものでしょうか」


 礼美は私を見る。姓名判断と霊感は全く違うものだから、私を見られても困るけど。

「人のオーラとか、未来とか? あと、見えてはいけないものが見えるとかね」

「幽霊的な?」

 真綿は、やっべーという感じの顔をする。

 そこで、伊織が携帯の画面をちらりと見た。時計を確認したのだと思う。

「……この話は始めから、とても不思議なものでした」

 伊織が喋り始めた。


「そりゃそうよ。古い言い伝えに沿って起こった事件なんですもの」

「言い伝えは不思議でも何でもありません。不思議というか不自然と言ったほうがしっくりきます。まずは、何のために海川さんのご主人は娘を取り戻しに来たのか、そこが謎でした」


「それは自分の子供だからじゃないの?」

 私が言う。離れて暮らしてみて、娘への愛情に気付いたのだ。


「本当に自分の子供だとしても、外見の違いすぎる、一度は捨てた娘です。しかも、自分はいろんな女性と付き合いたい。それなのに、なぜ急に連れ戻そうとするのか。おかしいと思いませんか。奥さんに暴力を振るっていたのも、たぶん、違う男の子供だと疑っていたのが一因になっているはずです。そこで、娘に何か際立った要因があるのではと考えました。生まれつき金髪、目立つ容姿。霊感のある子供。……何となく、お金の匂いがしませんか」


 礼美がハッとする。何かを思い出したのかもしれない。

「礼美さんの話では、山田さんのお父さんが夕方兄妹を連れて、車で蔵へ向かった。そこで兄妹を残し、自分だけ下山。その後、夜勤の仕事へ行った。……それもおかしな話だと思うんです。ちょっと無責任すぎる。海川さんの奥さんだって、一人でご主人を待ち、食い止めることなんて到底出来るとは思えません。どう考えても、娘の居場所を言うまで暴力を振るわれるのは分かりきっている」


「そう言われればそうだな。兄妹を夜の山に残して、自分は仕事に行きましたって、ちょっとないわ。俺しか助けてあげる人がいないなら、仕事くらい休むけどな」

 真綿は腕を組みながら言う。

「真綿くんは人助けじゃなくても、すぐお店休業しちゃいそうだけどねー」

 私が喉まで出かかって飲み込んだ言葉を、礼美がさらりと言ってのけた。


「そう考えると、この謎はどこもかしこも不自然なんです。美しい神様の言い伝え。本当に村に伝わる伝説だとしたら、現在にも通じる状況が何か見えてくるはずです。ここからは僕の仮説ですが……」


 伊織が息を吸う。脳内に酸素を送り込むかのように、深く息を吸った。

「山田さんのお父さんが、兄妹を蔵へ連れて行き、自分だけ下山した後、仕事に行ったのは本当だと思います」

「えっ? そうなの? えー、伊織くん、さっき無責任過ぎるって言ってたじゃーん」

 真綿が仰け反った。


「はい。あ、すみません。でも、それは無責任からではなく、アリバイのためです」

 私たちは満場一致で、一気にざわついた。

 待ちに待っていた、謎解きターイム!


「犯人は工作のために、夜勤の仕事へ行ったんです。山田さんのお父さんは海川家に協力し、少女の居場所も知っています。となれば、海川さんのご主人の遺体が蔵から見つかった時に疑われるかもしれない。なので予防線を張って、その時間帯仕事へ行ったんです」


「ちょっ……、えっ! 山田さんのお父さんが、犯人だったのー!?」

 礼美が素っ頓狂な声を出して叫ぶ。

「えー、じゃあ、どうやって」


 伊織が礼美の目を見た。

「山田さんの父親と海川さんの家族は、実は……みんな共犯だったんですよ」

「はあ!?」


「海川さんの娘はお母さん似で、可愛いらしいと言ってました。とすると、奥さんもまだ若くて見た目も可愛いのでしょう。そんな女性から相談され頼られるうちに、山田さんのお父さんも好意を持つようになり、恋愛関係になったとしてもおかしくありません。そして、徐々にご主人の殺害計画が練られていった」


「娘と父親が蔵の中で入れ替わった密室の謎は、どう説明するの?」

 礼美が身体を乗り出す。忘れ去られたオレンジジュースのグラスが、手付かずのまま水滴に覆われている。


「それは、密室でも何でもありません。簡単なネズミ捕りの要領ですよ。山田さんはご主人の死因を、蔵の中で餓死したと言っていました。そのままの意味だと思います」


 伊織はぽかんとしている私たちを見て、言葉を続けた。

「山田さんのお父さんは夕方、兄妹を蔵へ送り、自分だけ車で下山する。そして、夜勤の仕事へ向かう。その日の晩、海川さんのご主人が車で奥さんの家に到着する。その時には兄妹はいない。奥さんは上手く立ち回り、ご主人の車で二人は丘の上の蔵まで行く。そこには中学生のお兄さんだけが待っている。妹のほうは、祠にでも隠れていたのでしょう。……そして「娘は蔵の中にいる」と諦めたように嘘をつき、奥さんが後ろからご主人を誘導する。で、ご主人が蔵に入り込んだ直後、外にいた二人は引き戸を一気に閉め、外から鍵をかけて閉じ込めた」


 伊織は淡々と、映像をなぞるように謎を明らかにしていく。

 だが、なぜか浮かぬ顔のままだった。

「ネズミ捕りか……。なるほどね。鍵は、実はお兄さんが持っていたというわけか。家族も共犯だったとは」

 真綿は驚きと共に、やりきれないといた表情。


「でも三人はどうやって、その山から下りたの?」

 礼美がまだ謎はあるわよとばかりに言う。

「車は丘の上に乗り捨てされてたんでしょ。親子が車を使ってないとしたら歩くしかないと思うけど、夜の林道は真っ暗闇って言ってた。いくら懐中電灯を持ってたとしても見えるのは足元だけで、辺りはきっと漆黒の闇。下手したら大人でも迷ってしまう。小さな子供を連れてじゃ、絶対無理よ」


 伊織が、礼美の瞳を優しく見る。礼美の動揺が少し分かった。

「礼美さん……。だから犯人は、わざわざ満月の夜を選んだんです。これはかなり用意周到に計画された殺人なんだ。山田さんは、言い伝え通りに殺人が起こったと言いましたよね。その通りならその晩、林道は人が歩けるくらいにぼんやり明るかったと想像が出来ます。辺り一面満開のこぶしの白い花が、満月の光に照らされてたんですから」


 私はハッとした。そうだ、こぶしの木が丘全体に植えられてると言っていた。

 言い伝えでは、丘が白い花で咲き揃う満月の夜……。

 もしかすると、満開の白い花に月光が照らされて、ライトアップされた夜桜なみに美しかったのかもしれない。

 この伝説もあながち作り話ではないのだろう。昔、夜は真っ暗闇で歩くことの出来ない山中が、この満月の日だけ幻想的に仄かに白く光り歩けるのだ。


「親子三人はぼんやり輝く白い花の光を頼りに、林道を歩いて下ったんです。そして早朝には、逃げるように村を出て行ったんだと思いますよ。山田さんと……」

「ああ、仕事の終わった山田さんのお父さんとってこと?」 

 真綿が言った。

 その時、伊織の浮かない表情が一転したのを、私は見逃さなかった。いや、私だけではない、真綿も礼美も。


「あ、そうか。くそっ、そういうことか! 皆さん、この事件は今、すべて解けました。未解決事件なんて言わせるもんか」 

 突然、伊織は右手の人差し指を柔らかく立て、私たちを満足そうに見渡した。あの自信溢れる目力で。


「この謎は始めから、いやに不自然でした。ただ、それが一体何なのか。もやもやと不可解な印象、違和感がどこから来るのか。やっと、わかりました」

 二重人格とまでは言わないが、伊織の謎解きの際に見せるこの安心感、安定感はすごい。

 もしや、伊織はこの静かな気合いのようなもので、犬たちを従わせてるのでは……なんて考えを、私は巡らせる。


「もともと山田さんのお父さんなど、存在しなかったのです。これは、の話でした」


 礼美も真綿も私も、言葉に詰まってしまった。

「不自然だったのは、全て山田さんの時間軸があやふやだったせいです。例えば、山田さんは四十五年前の子供時代のお話をされてましたが、その割に車がなくては暮らせないような田舎に住んでいたとか。当時は今と違い、車を持ってない方も多くいたと思います。子供時代の思い出話に、母親が全く出て来ないのも気になりました。全てが表面的というか、うわべの作り話を聞かされてる感じがずっと拭えなかった。もちろん、礼美さんに興味を持たせるために、多少盛って話をしているとは思いましたが」

 礼美が不満顔で、伊織の顔をちらりと見た。


「この謎を解くには作り話の部分と、本質の部分を見分けなければいけない。先程の謎解きですが山田さんのお父さんではなく、山田さん本人と入れ替えてみて下さい。単純明快になるはずです」


 伊織は話しながら、手元に置いてあった携帯の画面を静かに触る。

 礼美が慌てて言った。

「山田さん本人が事件に関わってたとしたら、これは大変なことよ。私、殺人犯の共犯と仲良く話をしてたってことよね? ありえないわ。そんなの信じられない」


「共犯というだけではありません、礼美さん。……彼も実行犯です。たぶん、自分の妻を殺害してると思いますよ。夕方、蔵から一人戻り、夜勤前に一仕事やり終えたのでしょう。妻の遺体を庭に埋めたとしても、先に穴さえ準備しておけば、そう時間はかからないと思います。過疎化しつつある村の家々は離れてますから、死角を選べば見られる可能性はほとんどない。山田さん夫婦と海川さん親子、一緒に夜逃げしたと村では噂されるくらいでしょうね」


 伊織が携帯をいじりながら、おぞましいことを言った。

 真綿も引き気味で聞いている。


「恋愛感情のある海川さんの奥さんだけに殺人の重みを味合わせるのではなく、自分も自ら殺人を犯す。妻を殺害することで、これから海川さんと一緒に暮らすことが出来ますし、お互い罪人という一体感も生まれる。しかも、海川さんの娘は金の生る木だった。家を出ていた父親にまで、その噂が耳に入ったくらいです。もう、すでに特徴的なルックスと霊感を使って商売しているはず。礼美さん、そうですよね?」


 礼美は思い出したように、深く頷いた。

「そういえば山田さんは、宗教家だって言ってたの。まさか海川さんの娘を利用して、金儲けしてただなんて。うちのお店は一応会員制高級クラブだから、そこそこの会員費を支払わないとメンバーになれないのね。最近、余裕が出来て、こんなお店にも来れるようになったって笑ってた……」


 山田さんが殺人犯と知って、礼美は動揺を隠しきれない。

 伊織は携帯を置き、私たちを見る。そして、確信をおびた声で言った。


「山田さんが急に裕福になり、お店に来るようになったのは最近、一ヶ月程前からだと言ってましたね。今、三月の月齢カレンダーというサイトを調べました。二十三日が満月でした。信州地方の天候は晴れ。こぶしの開花時期は、三月十五日から四月十五日頃まで。……この殺人事件は四十五年前なんかではなく、に決行したと考えて間違いないと思います」


「伊織、すげー! 日にちまで特定出来てんじゃん!」

 真綿が私の肩に、勢いよく腕をまわした。力の加減が出来る状態じゃないらしく、これがまた痛い。


「それにしても、回想の殺人なんて大嘘言って、自分の殺害をほのめかすなんて愚か過ぎない?」

 私も、声の音量が調節出来てなかった。伊織の鮮やかな謎解きに、全身鳥肌が立っている。


「それは、礼美さんのおかげだと思います。山田さんは礼美さんの魅力に負け、自尊心を満足させたくなった。抑えることが出来なかった。結果、自慢げに喋りすぎたんですよ」

「えっ?」

 礼美がうっすらと顔を赤らめ、頬に手をやる。


「証拠は全くありませんが」

 伊織の一言に、私と真綿が吹き出した。礼美は「持ち上げられて、落とされたー」と、わめいている。

 その横で伊織は、瞬く間に普段の素朴さを取り戻す。

「ご馳走さまでした」と立ち上がり、二つ折りの白い財布を取り出した。


 白。

 私は想像する。

 満月の月明かり。

 満開のこぶしの白い花。

 蔵の前に置いてあった、貝殻と花かんむり。


 少女が海で拾い、山で草花を摘んで作ったに違いない。ひとり、父を想って。その予知能力で、父の行く末を感じたのかもしれなかった。


 礼美が携帯で、都内で活動を始めた新興宗教のサイトを探し当てた。

 トップページに、金髪の幼い少女の顔写真がある。礼美はすぐさまよそ行きの声で、クラブのマネージャーに電話を掛けた。私たちはこれから、山田さんらの犯罪を浮き彫りにするために、仮説の行方を見守るつもりだ。

 そんな中、素知らぬ顔をし、ランチの会計をする伊織に真綿が小声で言った。

「今回はお散歩の情報は必要なかったみたいだね」


「実はアパートの大家さん宅の犬を、いつも夜中に散歩させているんです。大の犬嫌いな子で、昼間は散歩を嫌がるので。……夜道を散歩すると、昼間には見えないものが見えてきます。月の満ち欠けや、夜の花たちの表情。今回の謎は夜の散歩をしてなければ、たぶん解けなかったと思います」


 伊織は夜を別世界のように言った。

 夜は、月も花も人も違う顔を見せる。そこで繰り広げられるのは善良な世界なのか、悪辣あくらつの世界なのか。

 私たちは皆、今夜も自分に似合う夢を見ている。


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