第33話 陰りの鼓音 (鈴芽視点)

 中学生の頃は、本当に地味だった。

 それは鼓という兄の存在が大きかったんだと思う。


 明るい兄は当時から人気者で、対照的にあーしの暗さが色濃くなっているみたいだった。


 別にそれだけなら良かった……友達はいたし毎日つまらない訳じゃなかった。

 だけど、友達が鼓目的で自分へ近づいてきたと知った時、とてもショックを覚えた。


 そして友達に対してそのことを訴えた日から、皆のあーしに対する態度が変わった気がする。


 虐められるようになった訳じゃない……鼓という兄が目的である以上、過度な仕打ちはされなかった。

 けど、人が嫌がりそうなことを促され、あーしは気弱な性格から断れなかった。


 そんな中、嘘の告白をしたあーしを慰めてくれて友達に同調圧力を説教してくれた真琴に救われた。

 好きになったのかと言われると微妙だけど、憧れがあった。

 兄に対して感じなかった憧憬に、胸が熱くなったんだ。


 髪を染めて、お洒落もして……あーしも明るくなりたいと思って口調を変えて、高校デビューを果たした。

 そして、憧れの人と友達になることができたのだ。


 嬉しかったと同時に、知らなかった真琴の心中を知った。

 姓が違かったから気付かなかったけど、入学してからずっと主席にいる樫妙花奏が彼の妹だというのだ。


 香月詩衣ほどじゃないにしても、樫妙花奏は有名だった……稀代の天才子役。


 その肩書きに、真琴は昔から妹に劣等感があったという。

 何故なら彼女がのし上がった裏には、子役人生を壊された真琴の存在があったから。


 当然、真琴は納得していなかった。

 彼女専属のカメラアシスタントにまで落ちぶれたことで、妹へ恨みさえ感じさせるほどの執念を持っていたのだ。


 彼の願いは妹を見返すことだと言う……あーしは、その願いを叶えてあげたいし、近くにいて支えたいと思っていた。

 その頃にはもう……憧れが恋心に変わっていた。


 でも、樫妙は高校一年生の夏、アメリカへ留学してしまった。

 誰も知らなかった……何事もなく、突然の出来事だった。


 驚いたけど、これで真琴が安心できなら、いなくなってくれて良かったと思った。

 真琴も日々、そう考えていたはずだから。


 けど、真琴は荒れてしまい……学級崩壊を引き起こそうとしていた。

 具体的に何をしたのか、その全てを知っている訳じゃない。

 ただ彼が恐れられた一番の原因は、クラスメイトから受けた恋愛相談に関するものだった。


 相手に対する欠点を心が折れるまで指摘して、強引に修正するように毒舌を言い放ったらしい。

 釣瓶打ちのような言葉の数々に、いつの間にか正論マシンガンだなんて言われるほどに。


 彼の指摘を受けた同じクラスの女子があーしに相談してきた時、まるで完璧主義の悪霊に憑りつかれたのかと思った。

 本人に何があったのか訊いても教えてくれなかったけど、恐らく樫妙が原因に違いない。

 それだけは確信できた。


 他人に言えない苦しみがあることをあーしは知っている……それが誰か他人から救いを受けなければ、取り除けないほどに根深いものだという事も、あーしはよく理解していた。


 だから、真琴がどれだけ恐れられても、あーしだけは彼の味方でいよう……そして樫妙を打ち負かす為に、役に立ちたいと思った。

 その為に、学校という名の箱庭の中であっても権力を欲したのだ。



 ***



 四人で衣装を買いに行って、それぞれ気に入った衣装を買ってから、真琴の部屋へと上がると、年頃の男子にしては結構片付いているような……整理整頓が成されていることに少し残念感があった。

 本当だったら細かなところを指摘して掃除でもしてあげたかったのに、宛が外れてしまったみたい。


 とはいえ、驚くこともある……GPSでタワーマンションに引っ越したことには気付いていたけど、最上階だったなんて知らなかったから。


 それにしても、コスプレ……お店で初めて着た時は思っていた以上に緊張してしまった。

 たかが衣装だと思っていたのに、恥じらいを覚えるとは思っていなくて……一番可愛いと思っていたバニーガールの衣装は、露出度が高く結局買うに至れなかった。


 真琴は色んな店知っていたし、本当に趣味なんだと思って……あーしも趣味にしたいって意気込んでいたけど、慣れるまで時間がかかりそう。


 趣味と言ってしまうと……これまでは知らなかった事が引っかかる。いや、きっと真琴も隠していたんだろう。

 コスプレは、子役時代への未練を感じさせるものに見えてしまうから。

 彼の過去を知る者として、気付かないフリを徹底しようと思った。


 着替えだが、更衣室代わりに一室を借りて使うことになった。

 先に男子二人がコスプレ姿を見せてもらった後、遂にあーしが着替える番がやってくる。


「ううっ」


 露出度が低くても、何故だか鏡を見ただけで悶えそう。

 あーしが選んだのは女探偵の衣装らしい……漫画のキャラクターが元になっているらしかったけど、漫画のタイトル自体知らないものだった。


「いいじゃないですか! 似合っていますよ、かわいいです!」

「う、うん。ありがとう。香月も……大胆だね」

「折角のパーティーなので、今一番着たいコスプレをしてみたんです」

「なるほど、ね」


 そう言われると、手放したバニーガールの衣装が脳裏に過る。

 けど、それでも初めてのコスプレであれは恥ずかし過ぎるから!

 今着ている衣装でさえ緊張を覚えているのに……バニーガールの自分の姿を想像しただけで、おかしくなってしまいそうだ。


「あのさ、真琴に聞いていて、ずっと気になっていたんだけど、香月もコスプレ好き……なんだよね」

「はい! あまり公にはしないよう家族からは釘を刺されているのですけどね」

「なんとなく、わかる気がする」


 香月家ってなんだか厳しそう。

 それなのに、ノリノリでコスプレを楽しむような香月の姿は名家の御令嬢とはイメージがかけ離れていて、つい笑ってしまった。


「それよりも、さっき見た真琴くんの衣装、良くなかったですか?」

「うん、カッコよかった……かな。雰囲気だけは普段と同じなのに……着映えする顔なのかもね」


 服屋で衣装を選んだ時は、試着を皆に見せないようにしていたから、初見に対して思っていた以上にときめいてしまった。

 以前、盗撮した時はあまり上手く見ることが出来ていなかったし、写真でも良いとは思っていたものの、生で見るコスプレは全然違った。


 何のコスプレかまではわからなかったけど、西洋貴族っぽい爽やかな印象があった。

 男性のコスプレだなんて、正直意識するようなものじゃないと思っていたのに、刺さってしまったらしい。


 だから鼓も中々似合っていた……まあ真琴の方が一段とクールだったけど。

 やっぱりあーし、真琴のことが好きなんだと再確認した。


 あーしも真琴に可愛いって思われたい……キュンって思わせてみたい。


「じゃあ、あーし先に行くからね」


 着替えの遅い香月を置いて、先に男子二人を前に姿を現す。

 不思議なことに、鏡で自分を見た時や香月に見られた時よりも一層緊張していた。


「おおっ」

「どうかな? あーし、変じゃない」

「探偵ギャルっいうのは、予想外というか、ギャップがあるな」

「鼓に言われても嬉しくない。真琴はどう?」

「あのさ、ちょっと……いい?」

「ええっ?」


 すると、真琴はあーしに近づき、髪を触ってきた。

 急な出来事に頭がオーバーヒートしそうになっていると、髪を結ぶゴムを外して、下ろされてしまった。


「うん。やっぱりこっちの方が似合うよ。ポニーテールのままじゃいつもの鈴芽だったし、探偵帽子を被るなら、髪は下ろした方がいいかなって」

「はわっ」


 つい、ギャルっぽくない地味だった頃のような声が出てしまう。

 ただでさえ緊張していたのに、こんなスキンシップ……あーしの方がまたときめかされちゃった。


「お待たせしました!」


 すると、着替え終わった香月も続いてやってきた。


 吸血鬼のコスプレで、露出度が高い……あーしから見れば恥ずかしくてしょうがないような衣装に、真琴が気まずそうな顔を見せていた。


「どうです?」

「綺麗だよ……相変わらず慣れているな、詩衣は」

「えへへ、そう褒めないでくださいよ、真琴くん」

「おい真琴、今の……前半以外褒めていたのか?」

「……まあ喜んでいるなら、いいんじゃないか」


 あーしも……真琴の綺麗だという言葉に共感する。

 正直……敗北感があった。


 そこには露出度の高さから感じるエロスよりも、普段淑女たらんとしている香月が身に着けることで浮かぶ上品さがあった。

 見方によってはギャップにも考えられるけど、好きな衣装を着こなす香月の姿に、自分のアイデンティティを拡張させるような不思議なパワーを感じたんだ。


 だから――。


「ねっ、ねえ真琴は……どっちの方が、好き?」

「えっ?」


 回答に困るとわかっていても、どうしても聞いてみたかった。


 欲張ったのかもしれないとすぐに振り返る。

 けど香月が選ばれても納得が出来る今だからこそ、真琴の気持ちを少しでも知りたいと思ってしまった。

 恋する乙女丸出しかもしれないけど、本能が譲らなかった。


「うーん、正直に言って、二人とも似合っているよ。ただ……詩衣のはちょっと露出度が高すぎると思う」

「ええっ、美しいじゃないですか」

「……男を前に堂々と見せるものじゃないから」


 真琴に呆れながら説教する香月に、何故だか羨望を覚えていた。

 露出度さえ解決すれば、あーしよりも好きってことに聞こえてしまう……捻くれた考え方だって自覚はあった。


 ああ、自分もバニーガールの衣装を買うべきだった……そう思わされた。

 同時に、今度はあーしの方が好きって言われたい……そんな欲求も密かに芽生えていた。


「……鈴芽、大丈夫なのか?」

「ちょっと恥ずかしいくらい。態々言わせんなっ……この馬鹿兄貴」


 鼓が妙な事を訊いてくる。

 いつもの心配するような顔……察しの良い鼓だから、あーしが香月に敗北感を覚えていたことに気付いたんだろう。


 だけど、今回は納得のいく敗北だった……なんだか新しい扉が開けたような気がする。

 最初はコスプレパーティーなんて、ちょっとしたお詫びのつもりだったけど、学べることは多かった。


「では、そろそろ食欲も出てきた頃合いですし、すき焼きの準備を始めちゃいましょうか」

「提案者としてなんだけど、このまま鍋物食べるのって、衣装に染みとか付かないか怖くない?」

「あっ、鈴芽ちゃんも衣装に愛着が湧いてきたんですね! 安心してください……私、良いクリーニング屋さん知っていますから」

「そ、そうなんだ」


 いつの間にか名前呼びされているし、香月の衣装は沁みよりも火傷の心配をした方が良い気がする。

 けど、コスプレパーティー……結構楽しいと思ってしまった。


 あーし、明るいギャルを目指していたけど、こういうのも煌びやかで……また憧れてしまう。




「…………ほんと、馬鹿ばっかりだ」


 だから、陰で呟く鼓の声が聴こえたはずなのに……空耳だと断じて聞き逃した。

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