05.部屋に入れてください

 ファナミィはアレックスと結婚する事となった。

 どうにも気持ちが追いつかぬままであったが、あれよあれよと言う間にどんどん事が運んで行ったのだ。

 その間、やはりファナミィは悩んでいた。

 諦めると決めたのに、やはりまだシェスカルの事が忘れられない。けれどこのまま相手にもされず、ずっと片思いなのは辛過ぎた。

 それにアレックスは本当に良い人だった。縁談を断る理由がない。また、彼と一緒になる事でシェスカルを忘れられるかもしれないという期待もある。

 このままアレックスと結婚してもいいかもしれない……そんな思いが無かったとは言い切れなかった。だから正式に断る事が出来ず、着々と準備が進んでしまっているのだ。


 なのに、ここまで来て尚……ファナミィは悩んでいた。


 きっと、誰が見たってアレックスと結婚する方が良いに決まっている。

 だがその反面、これで良いのかという葛藤が頭の中で小競り合い続ける。


 まだ十八歳だというのに、もう運命の人を決めてしまって良いのだろうか。

 相手が心から好いた相手ならともかく、良い人だからという理由で決めてしまっても良いのだろうか。


 結婚式はもう一ヶ月後に迫っていた。今更どうこう言い出せる状況ではないにも関わらず、いつまでもぐるぐると同じ事を考えてしまう。


「で、騎士は続けるの?」


 上司であるキアリカがファナミィに問い掛けてきた。ファナミィは考え考え、言葉を口にする。


「まだ決めきれないんです。辞めても続けてもどっちでも良いって言ってくれてるんですけど」

「そう。じゃあ結婚しても妊娠するまでは続けたら? 子供が出来ればこの仕事は続けられるものじゃないし、それまでは頑張るのも有りだと思うわよ」

「……」


 そう言われても、『じゃあそうします』という言葉は出て来なかった。

 この二年間で、騎士という職業に誇りを持ってはいる。大変な仕事で時には命を張るような事もあるが、自分なりに頑張ってきたこの仕事を簡単に手放したくはない。

 そして何より……騎士を辞めれば、シェスカルに会う事は殆どなくなってしまうだろう。

 きっと結婚した後は、シェスカルに会わないほうが良いに決まっている。けれども、顔くらいは見ても許されるのではないだろうか。

 そんな矛盾した感情が、ファナミィを悩ませている。


「結婚かぁ。良いわねぇ」


 ほうっと息を吐き出すキアリカに、ファナミィは何も反応が出来ない。


「良い人なんでしょう?」

「そう……ですね。良い人です……」

「……本当に良いの?」


 トーンの下がった声音に、ファナミィは顔を上げる。そこには少し眉尻の下がったキアリカが、悲しそうにこちらを見ていた。


「キアリカ隊長……知って……?」

「見てれば分かるわよ。ファナミィが入隊してから、ずっとあなたの上司をしているのよ、私」


 憫笑を浮かべるキアリカ。自分の気持ちを知られていた羞恥と、知ってくれていた歓喜が入り乱れ、熱いものが溢れて来そうになる。


「ごめ、なさ……っ」

「何を謝ってるのよ。何も悪い事なんてしてないでしょう。それよりシェスカル様の事、もう本当に良いの?」

「それは……だって、シェスカル様は皇女様と結婚するっていう話だし……」

「その話は確かにあるみたいだけど、まだ確定じゃないわ。まぁあなたが結婚すれば、そっちの話も進んで行く事になるかもしれないけど」


 キアリカのその物言いに、ファナミィは首を傾げた。何故自分が結婚する事が、シェスカルと皇女の結婚に繋がるのかが理解出来ない。


「私も、あなたがどう行動すれば良いかなんて分からないけど……でもね、想いを残しているといつまでも引きずるわよ。これだけは覚えておいて」

「……はい」


 素直に頷くと、キアリカはようやくニッコリと笑って頭をポンポンと撫でてくれる。


「何かあったら遠慮なく相談しなさい。出来る限りの事はしてあげるから」

「ありがとうございます」


 そんな上司の優しい心遣いが嬉しくて、ファナミィもやっと笑顔を向けられた。

 しかし逆に、ファナミィの胸はざわつく。

 キアリカの言葉で、このままで良いのかという思いが強まってしまった。

 想いを残したままだと、いつまでも引きずる。そんな状態でアレックスと結婚生活など出来るのだろうか。

 シェスカルへの想いを断ち切るには、どうすれば良いのか。

 ファナミィはその身をギュッと抱くようにして、キアリカを見上げる。


「キアリカ隊長、お願いが……っ」

「え? なぁに?」

「近いうちに、私を夜勤に入れて欲しいんです」


 ファナミィの願いに少々驚いていたキアリカだったが、最終的には真面目な顔で「分かったわ」と承諾してくれた。


 そしてその五日後の夜の事。

 ファナミィは屋敷内の警備についた。今日の屋敷内の警備人数は少ないが、キアリカが入っている。元々キアリカは夜勤でなかったところを見ると、どうやらファナミィの為にわざわざ夜勤に変更したらしい。


「すみません、キアリカ隊長まで……」

「良いのよ。誰だって初めては、好きな人に捧げたいものねぇ?」


 クスッと笑われて、ファナミィの顔は燃え上がるように赤くなった。どうやらキアリカには、ファナミィが何を考えていたのかお見通しだったようだ。死ぬ程恥ずかしいが、今は彼女に頼る以外ない。

 もじもじとしていると、そんな様子を見てキアリカはフッと笑っている。


「シェスカル様がどう出るかは分からないけど……自分の思うように行動しなさい。でも後悔はしないようにね」

「……はいっ」


 戦地に赴く時の気持ちというのは、こんな感じだろうか。

 ファナミィはドキドキと不安で胸を打ち鳴らしながら、シェスカルの部屋へと近づいて行く。

 こんな事をするなんて、浅慮だと言われるかもしれない。馬鹿だと罵られるかもしれない。こんな小娘を抱けるわけがないと言われてしまうかもしれない。しかし、ファナミィはそれでも良かった。

 思いっきり拒絶をしてくれれば、きっとシェスカルの事は諦められる。いつまでも諦められないのは、彼が優しい所為なのだ。心を抉られるような事を言われさえすれば、諦められるに違いない。

 抱かれる可能性など無きに等しいだろうが、そうなった時にはきっと納得して終わりに出来るはずだ。

 どちらに転ぼうと、これはシェスカルを諦めるための行為なのである。


 ファナミィはシェスカルの部屋の前まで来ると、大きく深呼吸し。

 耳元で鳴る大きな鼓動と戦うように胸を押さえ。

 そして決心すると同時に、彼の部屋の扉を叩いた。規則正しく、三度。


「誰だ?」

「ファナミィです」


 そう答えると、ややあってから扉が開く。


「どうした、ファナミィ。今日お前、夜勤だったか?」

「変えてもらいました」


 シェスカルは不可解だと言わんばかりの顔をしている。それでもファナミィは真っ直ぐシェスカルの目から逸らしはしなかった。


「何の用だ」

「中に入れて貰えませんか」

「用ならここで聞く。何だ」


 シェスカルは自身の体躯で入り口を塞ぎながらそう言った。心なしかファナミィを睨んでいるようにも見える。

 だが、ここで退くわけにはいかない。


「部屋に入れてください」

「中で話さなきゃいけねー程、お前に大事な話があるとは思えないけどな」

「私にとっては大事な話ですっ」

「お前、結婚するんだろ? 婚約者がいるってのに、他の男の部屋に入って良いと思ってんのかよ?」


 それは、勿論良いとは思ってる訳ではない。特に今から望む事は、完全に不貞だ。

 ここまで来て、やっぱり嫌われたくないという思いが勝ってしまい、ファナミィは身を萎縮させる。


「あのな、ファナミィ……あんまり馬鹿な事すんなよ。ほら、仕事に戻れ」


 そう言って閉じようとする扉に指を入れた。シェスカルはファナミィの指が挟まる寸前、その扉をピタリと止める。


「おい、あぶねーって」


 再び開いた扉に体を素早く捻じ込ませる。その勢いで部屋に入ってやろうかと思ったが、シェスカルのゴツい体に阻まれてしまい、どうにもならなかった。

 ファナミィは意地でも中に入ってやろうと、シェスカルと扉の隙間から無理矢理グイグイと体を侵入させる。頭上から「おいおい」とシェスカルの呆れた声が降ってきた。


「入れてくださいっ」

「良い加減にしとけ」

「話くらい、聞いてくれたって良いじゃないですか……っ」


 懇願するように叫ぶと、シェスカルはひとつ息を吐き。


「分かった。入れ」


 そう言って、ファナミィを部屋に入れてくれたのだった。

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