第119話 優しいと言われても



場には、どこか緊張感が漂っていた。



と言っても、緊張しているのは一方の側だけ。もう片方は、涼しい顔をしてお茶に口をつけている。



「・・・ストライダム家での滞在は楽しんでもらえただろうか?」


「あ、はいっ、勿論です・・・っ」


「そうか」



レンブラントとナタリア。その面子を心配してベアトリーチェも同席すると言い張っていたが、レンブラントはそれに頷かなかった。



ベアトリーチェが聞いていい話ではない、そう言っているのを聞いて、自分は一体どんな話を聞かされるのだろうかとナタリアは不安になる。



やがて、お茶を淹れ終えた侍女たちも下がらせ、室内にはナタリアとレンブラントと、いつぞやの事情聴取で筆記を担当した美少年の三人だけが残る。



そこで、レンブラントが口を開いた。



「あの男・・・アレハンドロのことなんだがな」



左手にはカップを持ったまま。


ゆるゆると中身を揺らして。



「あれは・・・死ぬつもりだぞ」


「・・・っ」



ナタリアは小さく息を呑む。だが、声は出さず。



レンブラントはその様子を暫しの間、観察して、そして。



「思ったより驚かないな・・・もしや、予想していたか?」



そう問われた。



「・・・っ、いえ。予想、していた訳では」


「・・・ふうん?」



レンブラントは軽く首を傾げた。だが、それだけだ。


彼はそのまま話を続けた。



「・・・君にこのことを話す義務はない。だが、君とあの男との精神的な繋がりを考えると、敢えて黙っているのもどうかと思ってな。話だけはしておこうと、そう思った訳だ」


「・・・」


「厄介なことに、その日を決める権限が俺にあってな」


「・・・それは、アレハンドロが死ぬ日、と言うことですか? それをレンブラントさまがお決めになる権限がある、とそういう意味でしょうか?」



レンブラントは小さく頷くと、再びカップに口をつけた。



「・・・あの男が死に場所と決めている所、その場所に監視の兵を配置しているのが俺、そういうことだ」


「・・・っ」


「一日でいい、監視を外せと言ってくる・・・それはもう、しつこいくらいにな」


「それで、レンブラントさまは・・・」


「頼みを聞いてやる謂れはない、だが同時に聞いてやらない謂れもない。だから適当に誤魔化して様子見をしていた」


「・・・そう、ですか」


「自分があの男の死ぬ日を決めるというのは、些か・・・」



レンブラントは言葉を切り、ことりとカップを置いた。


その音が、妙に室内に響く。



「・・・済まない」


「え?」



だが、何故かその後に続いたのは謝罪の言葉。



「君とあの男との精神的な繋がりがどうとか言ったが、それは全部言い訳だ。説明などと言って君を呼びつけて、結局はぶちまけたかっただけ・・・汚れ仕事には慣れているのだが」


「レンブラントさま・・・」


「今回のことで、あの男に借りが出来た。いずれ、例の場所の監視を解く日を決めることになるだろう」


「・・・」



ナタリアは、横の一人がけのソファに座る騎士服を着た少年に視線を走らせた。



内容が内容だけに、反応が気になったからだ。


だが、彼は立ち会い人に徹するつもりのようだ。静かに座ったまま、ただ黙っている。


視線をレンブラントに戻したところで、彼は再び口を開いた。



「・・・伝えたかったことはそれだけだ」


「・・・分かりました」


「あと滞在は残り数日だったか、ゆっくりしてくれ」


「・・・はい。お気遣いに感謝します・・・では」



ナタリアは頭を下げ、扉へと向かう。


把手に手をかけ、開こうとして、けれど一度、振り返る。


空になったカップをじっと見ているレンブラントと、その横で黙って座る少年騎士と。



「・・・あの」



気づけば、口を開いていた。



「ありがとうございます」


「・・・ん?」



脈絡のない感謝の声に、レンブラントが顔を上げ、緩く首を振る。



「今回の滞在に関する感謝ならば、既に受け取っている。そもそも先ほど話した通り、これは俺の勝手な理由付けで来てもらっただけで・・・」


「いえ、そうではなくて」


「・・・? では?」


「ええと、その・・・」



ナタリアは言葉を探す。


恐らくもう会う機会もあまりないだろうと思い、よく考えもせずに口走った言葉。だけど、確かに感じたことで。



そう。それは。



「・・・アレハンドロの気持ちも、それを後で聞くことになる私の気持ちも・・・慮って下さったことに、感謝を」


「・・・っ」


「レンブラントさまは、やはりベアトリーチェさまのお兄さまですね。優しくていらっしゃいます」


「・・・」


「失礼しました」



扉の閉まる音。


室内に静寂が落ちる。



少しして、口を開いたのはレンブラントだった。



「・・・俺は優しいんだとさ」


「優しいでしょ、レンブラントさまは。話を聞いてあの子がまた奴の後を追ったりしないか心配してた訳だし」


「・・・」



黙りこんだその反応に笑みを浮かべ、マルケスは立ち上がるとワゴンに足を向けた。



「良かったじゃないですか。あの分なら乗り越えられますよ」


「・・・ああ」


「彼女も変わりましたね」


「そうだな」



人気のない室内、ワゴンの上に置かれたままだったティーポットの茶葉を取り替える。


そんなマルケスを見ながら、レンブラントは続けた。



「人は、良くも悪くも変わるものだ。まあ、良い方向に変わるには努力が要るが」


「そう言えば、レオポルドさまも、随分と変わられましたもんねぇ」


「努力した分はきちんと認めねばな。レオも・・・あの娘も」


「おや、お許しになるんですか。あんなに怒ってらしたのに」


「・・・トリーチェが許してるんだ。俺がどうこう言うことでもないだろ」


「まあ、それはそうですね」



マルケスはティーポットを持ち上げる。



「では、ひとまず気持ちにケリがついたところで、お代わりでもいかがです?」



少しばかり戯けたマルケスの口調に、レンブラントの口元も少しだけ緩んで。



「・・・貰おうか」



やがて来るであろうその日のことを思いながら。


けれど、話をする前より少しだけ心が軽くなったように思いながら。



レンブラントは頷いた。



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