第103話 関係ない




--- おれの妹は、大人になるまで生きていられるかも分からない


そんな妹の前で、自分だけこんやくしゃを持って、幸せそうな顔なんてできない ---




そう言ったら、大きな緑色の目を、さらに大きく丸くしてたっけ。




ストライダム邸のレンブラント用の執務室。


取った休暇ももうじき明けようという頃だが、結局屋敷にいる今も、レンブラントは自室にて書類に目を通していた。



頭の中は違うことを考えているが、書類の内容はしっかりと把握出来ている。



捌くスピードも落ちてはいない。だから誰も気づかないだろう。レンブラントが昔の思い出に浸っていることなど。



決済済みの書類を右側に寄せ、一つ溜息を吐く。



・・・別に、あの時ああ言ったことを後悔してはいない。



ただ、まず両親に言うのが筋だったと思う。


あの頃は、自分にとって、両親を含む大人は自分の意見を通すには大きすぎる存在に見えた。子どもが大人から告げられたことを覆すのは難しいと。



だから、顔合わせの場に現れた、幼い彼女に話すことにしたのだ。


当事者の二人に婚約の意思がなければ、話をなかったことに出来ると思って。



今ならもっと上手いやり方をいくらでも思いつくというのに、七歳の俺にはその程度の頭しかなかった。



--- そうなのですね



泣かれるか、怒られるかのどちらかになるのではと心配していたが、彼女は俺の予想に反して微笑んだ。




--- 妹さんをたいせつに思ってるんですね



長い黒髪が、さらりと風に揺れた。


それから、優しい人だと続いた言葉に、俺はいや、と首を振るしか出来なくて。



--- どうか、妹さんのびょうきがなおって、げんきになりますように



俺より一つ下。つまりあの時たったの六歳だった彼女は、俺なんかよりもずっと大人の対応をした。



あの時の俺の態度で男に幻滅したのだろうか。まさか彼女があんな風に変わるとは思ってもいなかった。

確認する勇気もきっかけもなく、あのまま現在に至っているけれど。





コンコン、とノックの音に続いてウヌカンが顔を出す。


相変わらず、レンブラントは思考の半分を別のことに使いながら、残り半分を執務に当ててウヌカンからの報告を聞いていた。



「そうか。行ったか」



レンブラントがそう呟いた。



「特に怪しい動きはありませんでした」


あの男ザカライアスの申告通りか」




付けている監視を通してザカライアスから転院する、と言伝を受けたのは二週間ほど前。



何か裏があるのではと探らせてはみたが、本当にただの転院手続きと、新しい住居探ししかしていなかった。



ああ、それから、住み込みの看護師も探していたな。



後はーーー



こめかみに手を当て、ザカライアスの表情を思い浮かべる。



監視が付けられていることを知りながらあの場所を見に行ったということは、要はレンブラントへのメッセージだろう。



あの男の主人アレハンドロは、あの場所に行きたがっているーーーと。



「さて、どうしたものか」



要望を聞いてやる義理もない。

金貨七百枚を渡した時点で、借りも返したつもりだ。


特に今は、あの男の父親の処理で色々と立て込んでいる。



「・・・ウヌカン」



暫くの沈思の後、レンブラントは影の名を呼ぶ。



「お呼びですか」


「ザカライアスに言っておけ。あと半年か一年は大人しくしていろとな」


「畏まりました」



返事と共に、音もなくウヌカンは消えた。



「金貨七百枚も横領する気配はなし・・・本当に、あの男に対するザカライアスの忠義心には感心するよ」



アレハンドロの転院について、レンブラントに前もって報告してきたのも、こちらが要らぬ詮索をしないようにとの牽制だ。



ほぼ片がついたと言っていい状況の今、わざわざあの男に手出しなどしないのに。




書類を仕分けしていると、階下から声がした。



ベアトリーチェとエドガーの楽しそうな笑い声だ。



エドガーは明日には再び隣国に戻る。


いつ倒れるかと皆に心配されているエドガーは、そんな気遣いなどまるっと無視して相変わらずのペースでベアトリーチェに会いに来る。

きっと今も、時間を惜しんで交流をしているのだろう。



「バカップルめ」




--- お兄さまも、ご自分の幸せをお考えになって



先日、ベアトリーチェに言われた言葉が浮かぶ。



--- 私の幸せばかりをお考えにならないで



--- お兄さまには好いた方と幸せになっていただきたいのです



ベアトリーチェの心配そうな顔を思い出す。



・・・気にしなくていいのに。



レンブラントは心の中で呟いた。



婚約者を作らなかったのは自分の勝手だ。


誰に頼まれた訳でもなく、ただ自分ひとりが未来を望めることに後ろめたさを感じてそうしただけ。



そんな意地で、ただの自己満足で、あの時、彼女にああ言っただけ。



どうせ嫡男の自分はいつか誰かと結婚する。

想いがあろうとなかろうと、いつか必ず誰かと結婚しなければならない。


だから、ベアトリーチェは気にする必要などないのだ。



別に。そう、別に関係ない。


あの時、妹のことしか考えていなかった身勝手な自分。

そんな自分の思いを理解し、温かく応援してくれた彼女には、もう誰かと結婚する意思はないと分かっているとしても。


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